第74章:花の記憶《前編》
【SIDE:赤木椿】
後世にて“戦国時代”と呼ばれる時代。
とある大名の娘である椿という名の姫がいた。
後に赤木影綱の妻になる女性。
椿姫は戦国の世の中で、どのような人生を送っていたのだろうか。
「……影綱っ!」
「椿姫?俺を呼び出すとはどうした?」
私は幼馴染の影綱を屋敷に呼びつけていた。
赤木影綱は私の家に代々、重鎮の家臣と仕える家柄。
幼馴染であり、歳も私とは三つ違いのために兄のように慕う相手だ。
「侍女から聞いたわ。また戦に出るって本当なの?」
「あぁ。こたびも、父上と共に戦に出ることになった」
私は十五歳、影綱は十八歳。
影綱は初陣以来、連勝を重ねている。
武の才があるので、まだまだ若いながらも、私の父上も目をかけている。
将来は優秀な武将になるだろう。
「御館様も、俺に機会を与えてくだされた。その信頼にこたえたい」
「父上も影綱には期待しているわ。だけど、生きて帰ってきなさい」
「姫に言われたら死ぬわけにはいかないな」
影綱は幼馴染として、私が唯一心を許す異性だ。
他のものと違い、私と対等に接する事を許している。
影綱を失うことになるのは怖い。
仕方のない事とは言え、彼が戦に出るのには不安になる。
「……けほっ」
「椿姫、大丈夫か?秋になり、冷えてきたからな。身体には気をつけてくれ」
「分かっているわ。私の心配なんてしなくともよい」
咳き込む私は自分の身体の弱さを嘆く。
生まれつき病弱な身体。
寝込む事も多く、外を出歩いたり、遊ぶことも小さな頃から限られていた。
己の身体の弱さを恨む。
医者いわく、私は子を産むのは命がけらしい。
四女とは言え、私も姫として姉達のように他の有力大名の子に嫁ぐはずだった。
だが、私の身体がこれでは嫁ぎ先もなく、私に縁談の話は一度もない。
子が産みにくい身体、お世継ぎを産めなければ婚姻も意味がない。
父上もそのあたりを気にしているようだ。
「影綱は……そろそろ、誰か縁談があるの?」
「いや?そのような話はないが?」
とはいえ、彼もいずれは赤木の家を継ぐ。
遠くない日に良い縁談が舞い込むに違いない。
それを私は寂しいと思う。
私は……幼き頃から影綱を好いていた。
「影綱も自分の妻は男児を産める相手を望む?」
「そうだな。俺が赤木の家督を継ぐのは当分先だろうが。いずれの事を考えれば、そうなるだろう。それがどうしたんだ?」
ここで私が我がままを言って、影綱が受け入れてくれるとは思えない。
それでも、戦に赴く不安もあり、私は口にだしてしまった。
「影綱。私を嫁にもらってほしい。私は影綱を好いているわ」
「椿姫……?」
「私の身体のことは分かっている。それでも、私は……貴方の妻になりたい」
己の未来を悲観し続けてきた。
子供も産めないし、おそらく、これから先もそう長くは望めない。
いつ病が悪化して死ぬかも分からない。
それでも、影綱の妻に私はなりたい。
これは私の我がままだ、どうせ死ぬのならこの世で未練を残したくない。
「椿姫、それは御館様が決める事だ」
「……父上が認めてくれたら?」
「もちろん、受けいれよう」
影綱の言葉には優しさがあった。
決して、父上に言われたから結婚するという気持ちではないことを。
彼は不器用だから、そんな風には言ってくれないけども。
「父上に相談してみるわ」
私は父上に会いに行く事にした。
数日後、父上に私は会いに向かった。
慌ただしく戦支度をしている城内、彼とわずかな時間ながら話をすることができた。
私は自分の想いを父上に告げた。
「……なるほど。影綱か。あ奴は若いながらも才がある。赤木の名に恥じることのない武将になり、いずれは我が国を支えてくれる逸材だ」
「私は影綱に嫁ぎたいのです、父上。それに、私には姉上や妹達と違い、姫としての価値はありませんから」
姫の価値。
縁戚関係を結びつけるためのもの。
私には価値がない。
他国の大名や武将には私を嫁がせられない事情があるせいだ。
私はその事も負い目に感じていた。
「椿よ。勘違いするな。ワシも、そなたの母も、椿に価値がないと一度たりとも思ったことはない。身体の弱いそなたを無理をさせたくないだけだ」
「……父上」
「影綱か。赤木は我らの家臣としても長きにわたり支え続けてくれておる家柄だ。椿を嫁がせるだけの意味はある。それに何より、影綱ならば、椿の事をよく知っておる。幼き頃から共に過ごしてきた仲でもあるしな」
父上は頷いて答えた。
「よかろう、その話を進めよう」
「よろしいのですか?」
「椿の事を影綱にならば任せられる。良き妻となり、影綱を支えてやれ」
「……はいっ」
私と影綱の結婚を父上も認めてくださった。
それから、戦が終わった数ヵ月後。
私たちは夫婦となった。
「影綱様、こちらにいたの」
戦も終わり、静かな日々が続く。
季節は春の訪れを迎えていた。
「……椿姫から様付けされるのは何だかな」
「それを言うならば、私の事をいつまでも姫扱いしてるの?」
赤木椿として、影綱に嫁いで数ヶ月。
私たちは未だに慣れない事がある。
それは互いの呼び名だ。
影綱の妻となっても、未だに彼は私を姫と呼ぶ事がある。
「私はもう正式に貴方の妻となったのに」
「とはいえ、椿と呼び捨てるのも……」
「影綱様、影綱様、影綱様」
「分かった、分かった。俺が悪かった。仕方あるまい、椿」
私だけ呼び名を変えるのはずるい。
彼に名前で呼ばせると、夫婦になれた実感がわいてくる。
影綱は先の戦で敵将を討つ大手柄を立てた。
父上や周囲からの期待も高まる一方だ。
「まさか椿を嫁にもらうとはな」
「……嫌だった?」
「そんなことはない。だが、想像もしていなかったのは確かだ」
「私の我がままを受け入れてくれた、それは嬉しいわ」
彼にはいずれ、側室を持つだろう。
子を宿せない私では赤木の跡継ぎを産めない。
そんな私の気持ちを悟ったのか、
「子供の事なら気にすることはない。俺は側室は持つ気はない」
「え……?」
「子ができぬのなら、養子を迎え入れる事も考えておる。赤木の血筋を絶やさない、その方法はいくらでもあるのだ」
影綱の想いもよらない言葉に驚かされる。
「何を言って……」
「例え、病が悪化しても、最後まで俺が看取る。だから、俺のためにも生き続けてくれ。俺の傍にい続けてくれ、椿」
私にとって死は、幼き頃から身近なものだった。
せまりくる死が怖いと恐れ続けていた。
けれども、影綱は私というすべてを受け入れてくれた。
子供ができない事や先が短い事も考えてくれている。
「……ぅっ……」
ふいに涙がこぼれ落ちそうになる。
「泣くな、椿。そなに泣かれると俺はどうすればいいか分からなくなる」
「……ぁっ……私は……」
私は思いもよらず涙を零す。
彼の覚悟を知った事の喜び。
最後まで共にいてくれると言ってくれた、それだけでも嬉しい。
影綱の手が私の髪を優しく撫でた。
兄のように慕っていた影綱の優しさ。
彼を愛する想いに満たされていく。
「今ならば言える。俺もずっと、椿を好いていた。幼き頃からな」
「……影綱様」
「立場があり、想いを伝えることはないと思っていたんだ」
想い、想われる、互いの気持ち。
幸せを私は感じながら、彼に寄り添う。
微笑みが自然に口元に浮かぶ。
絶望しかなかった、私の未来。
影綱だけが私に残された最後の希望だった――。




