第72章:明かされた真実
【SIDE:◆柊元雪】
「――椿はもう一人の私なんだ」
唯羽の口から語られた言葉に呆然とする。
彼女は何を言っているのか。
「……は?」
思わず間の抜けた言葉が出てしまう。
それほどに、驚き、受け止めにくい内容だった。
「驚くのも無理はない。お前が見た、椿は……私の魂そのものだ」
もう一人の自分。
魂の片割れ。
普通に聞けばファンタジー、妄想の類だと笑ってしまうかもしれない。
だが、俺は唯羽の言葉を疑うことはない。
俺はこの目でいくつもの不可思議な現象を見てきた。
椿の話も本当なんだろう。
どんな事があっても、今さら疑ったりなんてしない。
「今の唯羽の人格と、椿と言う人格。魂が分裂して、ふたつに分かれたってことか」
「つい先日までは記憶を失い、どうして椿と私が“分裂”したのかが分からなかった。けれど、記憶の断片を思い出してきた」
唯羽は順をおって俺に話をしてくれる。
「10年前のことだ。とある事情、これについては後で詳しく話すが今は割愛する。その事情により、私の魂は二つに分かれた。今の私には最低限の感情しか残されていない。大半の感情が欠けている、それは分かっているだろ」
「……なんとなく。感情が欠けてるというか、無表情な事も多いからな」
それが唯羽の性格だと思っていた。
違うのか、本当は別の性格があるのに、理由があって今の状態なのか?
俺は和歌の言葉を思い出していた。
『10年ほど前まではとても明るい方だったんです』
幼い頃の和歌が覚えているほどに、明るい少女だった。
唯羽を変えたのは何だ?
「私の感情のほとんどを持つのは椿だ」
「椿もまた唯羽だってことか?」
「そう言う事だ。性格的な意味で言えばあちらの方が本来の私なのだがな。とはいえ、今となってはこちらの性格の方が私らしくはある。今さら昔の性格に戻る事も不思議と違和感すらある」
あの時、椿は俺に言った。
『私を受けいれれば、貴方は本物になれる。不完全でなくなれば、恋だってできるの。苦しみ続けるのは嫌でしょ?』
その意味が今なら、なんとなくだが分かる。
椿が唯羽とひとつになる。
それは本当の唯羽を取り戻すということだ。
「唯羽、だったら、なぜ、さっさと椿を受け入れない。あの子も唯羽の魂の一部だというのなら、どうして……?」
これまでの唯羽を想えば辛いことばかりだったはずだ。
感情を失うことは怖い。
俺ならきっと、その寂しさに耐えられないから。
さっさと椿とひとつになればいいのに。
「事はそう単純ではない。分裂した理由に問題がある」
「……理由だと?」
「あぁ。柊元雪、覚えているか?10年前の炎の記憶を?」
「いや、覚えてない。何度も言うが、俺にはあの時の記憶がない」
すべては10年前に何かが起きた事が始まっているのか。
そして、唯羽は記憶が戻り、過去を思い出したと言う。
「……あの日、何があったんだ?」
「落ち着いて聞いてほしい。10年前の私は柊元雪、お前を殺そうとした」
瞳を俺からそむけ、俯き加減に呟く。
俺を殺すって物騒な事を……でも、子供がそんな事をするはずがない。
そこには何か理由があるはずなんだ。
「私のせいなんだよ。柊元雪を危険にさらしたのは……私のせいだ」
唯羽は表情を曇らせて、辛く、悲しい声で言う。
「……すべての諸悪の根源、悪夢の正体。私の前々世のせいだ」
確か、以前に唯羽の前世はフランスのお嬢様だって話をしていた。
さらにその前の前世、前々世ってのが影響してるっていうのか?
「燃え盛る神社の中で女の姿を見たと言ったな?」
「あ、あぁ……薄っすらとだが、そんな記憶がある。怖い顔で睨みつけていた」
「それは正しかった。彼女こそが私の前々世、“椿姫(つばきひめ)”だ」
椿姫。
その名前を聞くとなぜだか、背筋がぞっとする。
「椿姫……?」
「先に言っておくが、つい先日にお前とあった“椿”とは違う。あれはもう一人の私であり、魂の片割れ。お前自身をどうこうすることはない。私には……いろいろと迷惑な存在だが。問題は彼女には当時、封印した椿姫の記憶も憑いてることだ」
「つまり、10年前に魂を分裂させたのは、椿姫を封印するためで、椿を受け入れると、椿姫まで目覚めるってことか?」
「そうだ。だからこそ、椿と私はひとつにならない。そうすれば、またあの悪夢が蘇ってしまう。椿姫は怨霊だ。次こそはお前を殺すかもしれない」
厳密に言うと、椿姫と椿は違うということか。
封印とか、よく分からないけども、子供の唯羽は自らを犠牲にして椿姫に立ち向かったってことだけは分かる。
その代償が感情を失うことだとしたら……今の唯羽が感情がないのは俺のためなのか?
それに、問題は椿姫という存在が何者かということだ。
「怨霊って言うのはどういう意味だ?」
「言葉通りの意味だよ。紫姫の時に見ただろう?人の想いは時を超える」
和歌の身体を借りて、わずかながら俺に姿を見せた、紫姫。
影綱を強く思う心が伝わってきた。
「だが、影綱との再会を望んでいた紫姫のように甘い恋の物語ではない。私の前々世、椿姫は紫姫とは決定的に違う。椿姫は……今世において、影綱の魂を受け継ぐ者をを殺すつもりだ」
「ま、待ってくれ?つまり、椿姫は影綱の関係者だってことか?」
椿姫もまた、あの時代に関係する人物なのか?
俺の前世、赤木影綱。
戦国時代の武将にして、恋月桜花という伝承にも残る男。
「椿姫。恋月桜花では触れられる事もない名前だから、お前には聞き覚えはないだろう。前にも言ったな。あの恋月桜花は紫姫が自ら執筆した文章が伝承として残されたものである、と」
「物語には表があれば裏がある、だっけ?唯羽はそう言っていたな」
「人は己の知ることしか知らない。椿姫の名前が出てくるはずがない。なぜならば、紫姫は知らなかったんだ」
「何を知らなかったんだよ、彼女は?」
「これはヒメにはあまり話したくない事だ。恋月桜花という“恋”の“幻想”をぶち壊す事にもなるから……。紫姫が恋をした影綱。彼にはある秘密があったんだ」
人は己の知ることしか知らない。
人は誰しも、表があれば裏がある。
誰だってそうだ、自分の過去を、自分の素姓を相手に伝えなければ分からない。
それは恋月桜花という恋物語では語られる事のなかった“真実”。
「紫姫が知らずにいた真実。赤木影綱には紫姫と出会った当時、既に彼には“正室”がいたんだ。そう、結婚していたんだよ。そして、その妻の名前こそが椿姫。彼女は影綱の妻だった女性だよ――」
唯羽が語る真実に、俺は驚愕して身体が震える。
なんてこった。
俺の前世は、とんでもないことをしてやがった。




