第71章:巫女舞
【SIDE:柊元雪】
最近、唯羽の様子がおかしい。
どうにも俺と顔を合わすと照れたように逃げてしまうのだ。
ここ数日の記憶が抜け落ちている俺が何かしましたか?
そんなわけで、朝に祝詞を覚える鍛錬も自習オンリーなわけだ。
課題は山ほどあるので、自分一人でも困ることはないんだけどさ。
そんな朝の日課を終えた俺は朝食後に和歌と話をする。
「和歌。今日も巫女舞の練習か?」
「はい。元雪様は今日の予定はありますか?」
「いや、特にはないな。そうだ、和歌。どうせなら巫女舞の練習を見ても良いか?」
前から見たいと思っていたのだ。
和歌はこの椎名神社の巫女さんだ。
それなのに、夏休みに入っても、巫女らしい所をみていない。
「いいですよ。でも、元雪様に見られるのは恥ずかしくもあります」
「巫女舞って言うのに興味がある。どこで練習しているんだ?」
「神社の裏に巫女舞を踊る場所があるんです。普段はそちらで練習をしていますよ」
俺達はそちらへと移動する事にする。
途中で何人か顔見知りの巫女さん達とすれ違い、挨拶をする。
本殿の裏には何やら舞台のような場所があった。
「ここで巫女舞を踊るのか」
「そうです。巫女舞もいくつかあるんですが、今、練習をしているのは秋の神事のための巫女舞です。元雪様はこちらに座って見ていてくださいね」
「あぁ、俺の事は気にしないでいいから練習をしてくれ」
巫女服に着替えた和歌がひとり、舞台の上に立つ。
扇のようなものを持ちながら、ゆっくりと雅楽に合わせて舞を始める。
俺は巫女舞を踊る和歌に魅入られていた。
決して、派手でもなく、激しい動作があるわけでもない。
だが、華麗な舞には魅入ってしまう迫力がある。
ひらひらと扇を振り回しながら、ゆっくりと舞を踊る巫女。
神様のための舞。
神聖な雰囲気の中、頑張って舞の練習をする和歌を見続ける。
「あの舞は見た目以上に大変そうだな」
彼女は真剣な様子でひとり舞の練習に励む。
「神社の巫女。大変なんだな。これも椎名神社のためなのか」
和歌は俺の婚約者であり、俺も将来はこの神社を継ぐつもりだ。
大好きな和歌の夢、椎名神社を守るという夢を俺が叶えてやりたい。
その一念から始まった俺と和歌の関係。
影綱と紫姫、前世からの繋がりを考えても、俺達は出会う運命にあった。
「……巫女舞、か」
薄っすらとしか残っていない10年前の記憶。
だけど、和歌が巫女舞の練習を頑張っていた姿は覚えている。
「お母さんが巫女で、いつも練習してるって言っていたっけ」
あの頃とは違い、成長した彼女の舞は綺麗で見る者を惹きつける。
それにしても、大した集中力だな。
かれこれ1時間以上経っているのに、動きが乱れることはない。
祝詞や神事もそうだが、神職には集中力が必要不可欠だ。
「……俺、大丈夫だろうか。もっと頑張らないといけないな」
和歌の夢の足を引っ張る真似をしないようにしなくては。
俺はそう考えながら、和歌の巫女舞を眺め続けていた。
練習が終わり、和歌が舞台から降りてくる。
顔には少し疲れが見えている。
あれだけ集中していれば当然だろう。
「お待たせしました、元雪様」
「今日の練習は終わりか?」
「そうですね。今日はこれくらいで終了です」
「よく頑張っていたよ。大変なんだな」
俺の隣に座る和歌。
赤と白が目にも鮮やかな巫女服がよく似合っている。
「巫女舞は大変ですけども、私も巫女としての責務があります。それに、巫女舞は好きですよ。だから、頑張れるんです」
「……応援してるよ、和歌」
「ありがとうございます。元雪様」
微笑みを浮かべる彼女。
夏とはいえ、今日は涼しい風も雲もあるので過ごしやすい。
流れていく雲を眺めながら、和歌は俺に言う。
「……元雪様とこんな風に落ち着いた時間を過ごすのは久しぶりですね」
「そうだな。最近はいろいろと慌ただしかったからな」
夏休みに入ってからは和歌の家でお世話になって、2人っきりの時間が増えたかと思いきや、うまくはいかないものだ。
椿との遭遇、夏祭りの準備、その他もろもろ。
やることも多いので、それほど多くの時間は取れていない。
「そういえば、あれから紫姫の夢は見なくなったのか?」
「はい。まったく、というわけでもありませんけど。それでも、以前ほどには見ません。お姉様も言ってましたが、紫姫様は影綱様に会いたかっただけだったんでしょうね。今の私はそんな風に感じています」
「それならいいんだ」
和歌が悩み苦しむ事がないのなら、問題はない。
「元雪様は影綱様の記憶を思い出したりしないんですか?」
「うーん。何となく、変な感じになることはあるけどな。俺の場合は特に前世については、これと言って影綱のことは影響を受けていない。ただ、10年前の火災の記憶は今でも夢にみるけどね」
その事も未だに何も分からずじまいだ。
人は忘れた記憶を思い出すのは時間がかかる。
これも仕方ない事なんだろうが、はがゆさもある。
「10年前……そういえば、お姉様も今みたいになったのは10年前でしたよ」
「そうなのか?」
「はい。それ以前のお姉様はとても明るい方でした。けれども、ある日を境に、まるで感情がなくなったかのようになってしまって……私も子供ながらに変わった事を覚えています。大人しい性格の人じゃなかったんですよ」
和歌の話では、何かがきっかけで唯羽は笑う事もほとんどなくなってしまったそうだ。
俺の過去と唯羽が笑顔を見せなくなった時期と重なる。
この問題、もしや、俺だけの問題ではないのではないか?
俺と唯羽、10年前にふたりの過去が絡んでいるのだとしたら……。
「元雪様、難しい顔をしてますけど気になる事でも?」
「いや、何でもない。和歌の前で悩むのもアレだな。せっかく、和歌と過ごしてるのにもったいない」
ふと、俺は以前から夢だった膝枕ってやつを試してみたくなった。
「和歌。お願いがあるんだけどいいかな?」
恋人らしく、たまにはのんびりと過ごしたいからな。
「元雪様。これでいいですか?」
俺の頼みに和歌は断ることもせずに受け入れてくる。
神社の建物に腰掛けながら、彼女の柔らかい太ももの感触を味わう。
「良い感じだ。実はこれ、俺の夢だったりする。恋人ができたらぜひやってもらいたくてさ」
「ふふっ。何だかすごく恋人らしい行為ですね」
「いいよ。このまま眠りそうになる」
「寝てもいいですよ?こうしていると元雪様の温もりを感じます」
柔らかな表情を浮かべて和歌は俺の頭を撫でる。
「大好きですよ、元雪様」
穏やかな日常、夏の思い出がひとつ増えた――。
その夜、唯羽が俺の部屋を訪れていた。
最近は妙に避けられていたのだが何かしらの覚悟を持った表情に俺は真面目な話をしにきたのだと悟った。
「柊元雪に話しておきたい事がある」
「それは最近、俺を避けてるのと同じ理由か?」
「さ、避けてるのは……違うが。それよりも大事なことだ。お前には話しておいた方がいい」
真剣な面持ちの唯羽は俺にある名前を告げた。
「話と言うのは……椿のことだ」
「椿か。あの不思議な子だろ。あの子は一体、何者なんだ?」
まるでこの世界の人間ではないような不思議な感じ。
あの少女とは2度しか会っていないが、妙な因縁があるような気がする。
「お前も薄々気づいているだろうが、椿は人間ではない」
「……ゆ、幽霊っすか?」
「いや、似て非なる者。現実には存在しない、だが、目には見える不思議な者。彼女は人の魂そのものと言っても良い」
「いわゆる、生き霊ってやつか?」
「それに極めて近い存在だな」
椿という少女の正体とは一体なんだ?
そして、ついに明かされるその正体――。
「――椿は……もうひとりの“私”でもあるんだ」
唯羽がポツリと呟いた一言に俺は愕然とする。
彼女が何を言ってるのか、理解もできずに。
椿が唯羽自身だって?
それは、どういうことなんだ――?