第63章:愛の欲望
【SIDE:篠原唯羽】
柊元雪にとって兄嫁にあたる麻尋さん。
彼から話は聞いていた。
どんな時も常に明るいお姉さんらしい。
以前にヒメと柊元雪が喧嘩をする原因にもなってしまうほどに、彼とは親しく姉と弟のように接しているそうだ。
ベンチに座り、缶紅茶を飲みながら麻尋さんは私と他愛のない会話をする。
「そうなんだ?中学の部活はテニス部だったんだ。しかも、全国大会を優勝したなんてすごいじゃない。高校では何かスポーツはしているの?」
「いえ、今は何も」
「もったいないなぁ。運動神経もいいでしょ?私は高校時代は弓道部だったんだよ」
「弓道ですか?」
意外な気がした。
見た目以上に精神力が要求される弓道。
それと彼女はいまいち結び付かなかったから。
「うん。仲の良かった先輩から道具とか全部一式もらって、高校一年の秋からやることになったんだけど、これが難しくて。あの頃は大変だけど、充実していたなぁ。唯羽ちゃんは弓道できる?」
「……少しくらいは」
「ホントにオールマイティーなんだね」
私だって何でもできるわけではない。
どうにも私は過大評価される。
それが良いことかどうかは微妙だ。
勝手に期待されたりしても、その評価を裏切った時が怖いんだ。
私が他人と距離を置くのも結局、そういう些細な事の積み重ねだったりする。
「と、話は変わるけども、唯羽ちゃん。魂の色が見えるって本当なの?」
「見えます」
「それじゃ、私の魂の色ってどういうの?先日、テレビで見たの。オーラが見える人に見てもらいたかったんだ」
「……は、はぁ」
自分の魂の色を知りたがるほどの事でもない。
人は自分の事は自分で分かっている。
魂の色は自分でも知らない隠れた内面をさらけだすわけではないから。
「……」
私は彼女をジッと見つめる。
魂の色を見るのは簡単だけども、私はその異変に気付く。
「どう?」
「少し待ってください」
普段なら簡単に見える色。
……何だ、これは?
私にとって初めて見るタイプの色で驚いた。
色の見え方の感じが違う。
もしかして、これは……。
「分かりました。その、気を悪くしないで聞いてください」
「いいよ。大丈夫」
「まず、私の見える魂の色は万能ではありません。貴方の知らない自分の一面を探るという能力はないんです。テレビとかでよくあるスピチュアルな神秘を期待されても困ります。それを踏まえて聞いてください」
だけど、他人の過去、素性、性格……多少なりとも分かってしまう。
魂の色はその人の本質、色によって分かるのはその人の心だ。
「貴方はすごく不思議な色の感じがします。とても綺麗なピンク色の魂の色、これは愛情を示しているんです」
「愛情?私の色はそういう意味があるの?」
「はい。これは愛情の波動。このピンクの波動が綺麗な人はすごく愛情の深い人です」
愛に満ち溢れている、と言っていい。
ヒメも同じ色だけども、彼女以上に強い波動だ。
「でも、貴方は一度、愛をなくしている」
「あっ……」
「完全に愛を無くしているのに、今は別の新しい愛に満ち溢れている。そんな気がします」
「そこまで分かっちゃうんだ?」
彼女は自らの過去を語り始めた。
それは今の彼女からは想像できない過去だった。
「私は児童養護施設で育ったの。親には虐待の末に捨てられたって。記憶もないんだけどね。でも、今は誠也さんと結婚して、新しい家族もできたの。誠也さんのお母さんはとても優しい人で私の母親になってくれたから。それにユキ君も弟みたいで可愛いし」
「……いい出会いをしたんですね」
「うんっ。それに私は昔から犬が飼いたかったの。あのファンティーヌは結婚してからお義母さんが私のためにって飼う事を許可してくれたんだよ。本当に今の私は幸せなんだ。大好きな人がいて、家族になってくれる人たちがいる。これ以上の幸せはないわ」
愛を無くしても、それ以上の愛を手にいれた。
麻尋さんの愛は本物だ。
誰もが羨むような幸せを得ている。
「魂の色が見えるってすごいんだね?」
「ただ、見えるだけですから。すごい事はありませんよ」
「そう?……そういう唯羽ちゃんはどうなの?愛ってどう思う?」
愛をどう思う、なんて質問はされた事がない。
私にとって愛情はあまり考えるものではなかったから。
「愛は私に身近なものではありません」
「どうして?」
「私は誰かを愛した事もないですし」
人を愛した経験のない私は、誰から愛された実感もあまりない。
「家族との関係も希薄ですからね。険悪ではありませんけど」
「……そうなんだ?」
「私にとって愛は他人の感情なんです。見てるだけ。私には愛を感じられない。私は“感情”がほとんどないから……」
あまり人に話した事のない、私の“魂の色”。
なぜだか、私は麻尋さんに素直に呟いていた。
「感情がほとんどない?」
「はい。私は基本的に無表情に近いでしょう?」
「顔の表情があまり変わらないとは思ったけども」
「笑えないわけではないんです。ただ、子供の頃から楽しいと思ったり、嬉しいと思っても、それをうまく表現できないんです。まるで心の一部が欠けているように。以前はできたはずなのに、できなくなった」
感情がない。
それは椿の言う“呪い”のせいなのかもしれない。
私の感情的な部分はほとんど“あの子”が持っているから。
「何かあったの?」
「多分、幼い頃に……。最初は戸惑いました。それまで笑えたり、泣いたり、自然にできた事ができなくなったから。けども、今は自分の性格になってますよ。それに感情を感じられなくても、少しだけ笑う事くらいはできます」
それは柊元雪のおかげだ。
彼と再会して接するうちに笑う事くらいはできるようになった。
……椿が私を変わったと言うのはこういう所だろうか?
「ねぇ、唯羽ちゃん。それって、心の問題なの?」
「分かりません。だけど、そんな私が愛情なんて感じる事ができるはずがない。誰かを強く想うことも、想わたいと思う事もありません。こんな不完全な私は誰かを好きになる事なんてありません」
私は空になった紅茶の缶を両手で持ちながら呟いた。
柊元雪に友情こそ感じても、愛情は抱けない。
大切だと思う気持ちが、うまく表せないから。
「……恋をしたら、変われるかもしれないわ」
「恋を?」
「えぇ。恋って言うのは、人の心を揺れ動かしたり、いろんな事を気付かせてくれるの」
私に対して、椿と同じ事を言う麻尋さん。
「今は感情がうまく出せなくても、恋をすれば自然と表情も柔らかくなったりするものよ。誰かを強く想う気持ちが持てない。それは大変かもしれないけども、恋をする相手と出会えれば、貴方は変われるかもしれない」
『恋をすれば唯羽は本物になれる』
椿の言葉を思い出しながら私は麻尋さんに尋ねる。
「人はひとりじゃ愛なんていらない。誰かを好きになるから愛が必要なの。唯羽ちゃん……今、気になる人はいない?」
私はその言葉に思い浮かぶ相手が一人だけいた。
好きになってはいけない人。
だけど、大切な男の子……柊元雪。
「……いる、みたいね?」
「分かりません。彼がそうなのかどうか、私には分かりません」
「今はまだ分からなくても、その彼を意識するの。ねぇ、知ってる?恋の始まりって相手を意識する所から始まるのよ。唯羽ちゃんは愛の欲望を持つべきね」
愛の欲望……?
「唯羽ちゃん。貴方は感情がないと言ったけども、そんな事ない。貴方はすごく優しい子だと思うの。誰かを想うことはできる。貴方にはちゃんとした感情があるのよ?貴方は感情がないんじゃない、それだけは勘違いしないで」
なぜだか、麻尋さんの言葉が胸にきた。
「今はまだ感情を出せないだけ。そんな自分を嫌いになっちゃダメ。今の唯羽ちゃんを見ているとそう感じたわ。愛は他人の感情、見てるだけのもの。それならば、愛を自分の感情にしなさい。愛を知れば、人は自然と変われるのだから」
「私に、できるはずが……」
「誰だって恋はする。唯羽ちゃんにもできるよ。誰かを強く思える相手に出会っているんだから……ゆっくり自分のペースで想いを強くしていってね」
私も変わる事ができるんだろうか?
彼女と話をしていると心がすごく落ち着いた。
そろそろ時間なので、私たちは話を終えて帰ることにした。
「私には相談くらいしか乗れないけど、いつでも相談して?」
「ありがとうございます。ホントに誠也さんと貴方は良い夫婦ですね。同じ事を言う」
柊元雪の周囲には良い人が多いな。
「……そうだ、麻尋さん。これは言うべきかどうか迷ったんですけど」
「なぁに?」
「その、貴方の魂の色には新しい別の色が混じっています。本当に小さい色です」
「それって……?」
私の言葉に彼女はとても嬉しそうな顔をする。
魂の色に違う色が混じる意味。
それは新しい命が芽生えている証。
私も初めて見た色だけど、ほぼ間違いないと思う。
もしも外れた時、期待を持たせては悪い。
そう思って言えなかった。
だけど、私は彼女に真実を伝える。
「多分、そうだと思います。一度、病院で調べてもらってください」
「う、うんっ。そうするわ」
彼女は私に満面の笑みを浮かべながら言うんだ。
「……ありがとう、唯羽ちゃん」
「いえ。こちらこそ。もしも、私が誰かに恋をすることがあれば相談にのってもらってもいいですか?私にはそう言う事で頼れる人がいないから」
「もちろんよ」
麻尋さんとの出会い。
この出会いは私にとって“愛情”と言う感情を取り戻すきっかけになる。
だけど、未来の私はその事を後悔するだろう。
私が恋をしてはいけなかった。
なぜならば、私が愛する相手は……恋をしてはいけない相手で……。
私が恋をした事で、大切な人を……傷つける事になるから――。




