第58章:誘われた先に
【SIDE:柊元雪】
我が家では朝からとんでもな事件が起きていた。
「――な、なんじゃこりゃぁ~っ!?」
朝から親父のうるさい叫び声に目を覚ます。
俺は眠い目をこすりながら、声のした洗面所に向かう。
「朝からうるさいぞ、親父。どうした、変な蜘蛛でいたか?」
「父さん?どうしたんだい?」
「あっ、ユキ君だ。おはよー。今の声は何?」
心配になったのか兄貴と麻尋さんまでやってくる。
「さぁ?親父の声には違いないんだが」
洗面所には親父が肩を震わせて立ちつくしていた。
「どうした、親父?……なっ!?」
その場にいた誰もが親父の変貌に驚愕する。
「わ、ワシの髭がない!?」
鏡を見て顔面蒼白する親父。
そこには昨日まであったはずの髭がない。
その日、親父の髭が消えた……――。
いつものウザい口髭がまったく持って姿を消していた。
「なんだ、髭でもなくしたか。どこに落としてきたんだよ」
「アホか。ワシの髭は付け替え可能なつけ髭ではない!」
「いたっ!?八つ当たりでタオルを投げるな」
あまりにもショックだったのか、動揺する親父。
すっかりと髭を失い、10歳くらい若返ったような容姿をしている。
「……お義父さんって、髭をなくすと結構ダンディな方だったのね」
「髭をなくして、ダンディズムに気付かれると言うのも悲しいけどね」
兄夫婦に好きなように言われる親父。
「若返った感じでいいじゃん?」
「バカもんっ。威厳さがなくなるだろうが。社長と言えば髭面だろう。ワシから髭を奪ったのは誰だ、許さん。許さんぞ!!」
「えっ……社長=髭のイメージで生やしていたのか」
意外な真実にちょっと俺も引く。
「……大体、許さんって言っても、犯人はひとりしかないわけで」
「誰がこんなひどいことをするというのだ!ワシの大切な髭を……」
「落ち着け。親父、冷静になれ。とりあえず、考えてみればいい。我が家において、親父の髭を寝てる間に剃れて、なおかつ髭に恨みがあるのは誰だ?」
親父は腕を組みながら悩む素振りを見せて言う。
「ま、まさか……ファンティーヌ?」
「って、そんなわけがあるか!犬が親父の髭を剃るか!」
ちなみにファンティーヌと言うのは我が家の飼い犬の名前だ。
大型犬であるセント・バーナードのメス犬である。
かみつくこともなく、人に懐いてるのだが、大型ゆえに遊んだり散歩するのが大変だ。
「いや、あやつもまたワシの髭を見て吠えよるからな」
「……犬にまで嫌われてるんだ」
それはさておき、俺達は犯人である人のもとへ行く事にした。
朝ごはんを作っている母さんに俺は真実を問う。
「おはよう、母さん。親父が髭がないって騒いでるんだけど?」
「母さんよ、まさか……ワシの髭を剃ったのか!」
「えぇ、そうよ。だって、貴方の髭がウザいから」
あっさりと認めて爽やかな微笑みで答える。
……母さん、すごい。
「お、おのれ……ワシの髭を……」
犯人が己の妻だと分かるや、うなだれて倒れ込む親父。
さすがに母さん相手には彼も手出しはできない。
「なんだ、お義母さんか。ねぇ、誠也さん。ファンちゃんのお散歩に行こう」
「あぁ、そうしようか。母さん、麻尋とファンティーヌの散歩に行ってくる」
「はい、いってらっしゃい。そうだ、帰りにコンビニで単3の電池を買ってきてね」
兄夫婦を見送る母さん。
麻尋さんが「いってきます」と手を振っていなくなると、俺は親父の髭について聞く。
「いつ親父の髭を剃ったんだ?」
「昨日、寝てる間に。もう、モサモサしてる髭を見ると敵意を覚えてね」
「同感だ。母さん、グッジョブ!」
あの髭面は正直、俺もどうかと思っていたのだ。
髭がなくなり、すっきりとした親父は悪くないぞ。
「……ふふふっ、あははっ!!」
いきなり親父が意味不明に笑いだしたので俺と母さんはビクッとする。
「ついにショックで壊れたか?」
「そうかも……貴方、どうしたの?」
「はははっ。こんなことで、くじけるワシではないわ。髭とは伸びるもの。また第2、第3とワシの髭は常に生えて来るのだ。また立派に伸ばすだけよ。諦めたらそこで終わりだ。ネバーギブアップ!」
「親父の髭はどこぞの雑魚キャラ扱いか」
何気に前向きな親父。
打たれ強い性格をしております。
「そんな貴方に。プレゼント、フォーユー」
母さんは何かの箱を取り出して、親父に差し出す。
「ワシにプレゼント!?母さんがワシに何かをくれるなど誕生日くらいしかないのに」
親父はショックから立ち直り、嬉しそうに箱を開ける。
世の中、希望というのは失望を二乗する事がある。
「……がはっ!?」
なんと、中に入っていたのは、電気カミソリだった。
……そうくるか、母さん。
「それで、毎日、お手入れしてちょうだい」
「わ、ワシの髭は……これからもまた伸ばすつもりで……」
「また伸ばすなんて言わないよね?それとも、私がプレゼントしたひげそりを使わないなんて言うの?へぇ、使わないんだ」
「ぜひとも、使わせてもらいます。あぁ、ワシの髭が……」
涙目の親父がちょっとだけ可哀そうになった。
母さんを前にすれば、親父も頭があがらないのだ。
「……ワシはしばらく、旅に出るわい」
どれだけこだわりがあったんだよ。
「ねぇ、貴方。私は今の貴方の顔の方が好きよ。髭なんてない方が貴方は魅力的だもの」
「……お、おぅ。母さん、今日は日曜日だし、どこかに出かけるかな?」
「えぇ、行きましょう。ふふっ」
笑顔の母さん、親父の扱いが上手すぎる。
というわけで、多少のショックからは立ち直った親父だった。
「……女に立場が弱いのは遺伝かもしれないな」
俺はふと自分の将来が気になりながら嘆くのだった。
さて、親父の髭など正直どうでもいい。
今日は日曜日で、全国的に晴れのお天気である。
俺はと言えば、デートの約束を和歌としているのだ。
昨日も一緒に出かけたけどな。
過去からも解放された今は、普通にデートを楽しみたい。
「和歌とどこにいこうかな」
朝食を終えて出かけた俺は和歌の家の駐輪場に自転車を止める。
すぐ近くにある和歌の屋敷に向かった、はずだった。
「――あれ?」
気がつけば、なぜか俺は椎名神社の鳥居の前にいた。
誰もいない、静まり返った森の中。
「何で、俺はここに?」
俺は不思議に思いながらもゆっくりと足を進めていく。
何とも言えない感覚。
この世とも思えぬ、不思議な世界。
分かっている、これは……以前に俺が誘われた時と同じだ。
俺はまた椎名神社に誘われたらしい。
前回は過去の社と炎の記憶が俺を襲った。
あの場所へと俺を再び誘う気か。
「……そうだ、唯羽。おーい、唯羽!!」
俺は彼女の名前を呼ぶが、応答はなし。
ちくしょう、ネトゲでもしてるんだろうか。
「仕方ない、さっさと歩くか」
このまま立ち往生してもどこにも戻れない。
嫌な予感がしながらも、俺は階段を上り終えると予想通りに、ご神木の桜の前にたどり着く。
だが、今日は古い社はなかった。
代わりにそこにいたのは、小柄な和服を着た少女だった。
「……唯羽?」
思わずそう呟いたら、相手がこちらに振り返る。
「……?」
少し前の唯羽に似た黒髪の後姿だったので、ついそう呼んでしまった。
違う、彼女は唯羽じゃない。
「キミは……」
とても綺麗な少女がそこにいた。
「キミは一体、誰なんだ?」
「あははっ……私?私はねぇ……」
彼女は高らかな声で笑いながら自らの名前を告げる。
「私は椿。花のつばきって分かる?漢字で木の春と書いて椿と読むの」
椿と名乗った少女。
美しい容姿とは裏腹に、その顔には生気を感じられない。
「俺の名前は柊元雪。俺の柊って字も木の冬って書くけどな」
「へぇ、偶然だね。私たちは名前がよく似てるわ」
誰もいないこの場所で、彼女と出会った。
俺に微笑む椿、彼女は何者なんだ――?