第57章:失われた思い出
【SIDE:篠原唯羽】
人は誰しも辛い記憶は奥に封じ込めてしまう。
柊元雪の記憶もそうだ。
彼は10年前の私達との思い出を忘れてしまっている。
最後に起きた炎の記憶が原因だ。
「10年前……ここで、何が起きた?」
私は早朝、誰もいない火災のあとを訪れていた。
あまり近づきたくはないが、何もしないわけにもいかない。
ここにあったのは昔からあった、本来の椎名神社の社。
今の神社が建ってから使われる事もなく、辺りにも木々が生えている。
ここからご神木を眺める事ができる位置にはあるが、今は木々に遮られて見えにくい。
私は青い葉の生い茂る桜を眺めながら呟いた。
「……柊元雪が隣にいなければ、私の調子が崩れる事もない」
先日、ここで体調を崩したが今は何ともない。
やはり、想像していた通り、柊元雪が原因のひとつか。
「だが、分からないな。恋月桜花が原因だとしたら……影綱の魂を受け継ぐ、柊元雪だけが引かれる理由はない」
考えられる要因はもうひとつだけある。
恋月桜花ではなく、“椿姫”の方か。
あちらの伝承はどうにも触れずにおきたかったが仕方ない。
「……そこにいるんだろう、椿?」
「あら、見つかっちゃった?」
「何が見つかった、だ。変な言い方をする。ここに来ればお前がいると思ったから来ているんだ。お前に聞きたい事がある。10年前、ここで火災があっただろう」
「その原因を調べているの?」
「椿なら何か知っているはずだ。いや、私はお前こそが原因ではないかと疑っている」
こんな事をしでかすのは椿しかいない。
彼女は不敵な笑みを浮かべたまま、
「あははっ。私が原因?今さら、私を疑うの?私が原因だって?」
「……」
「ホント、面白いわよね、唯羽。貴方は何も知らない。自分のことさえ知らないんだから笑えるわ」
椿は瓦礫の上を歩きながら、かつての社跡を踏みしめる。
「ここは燃えて何もかも消えてしまった。紫姫と影綱の思い出も、唯羽と元雪の思い出さえも」
「私たちの思い出?」
当時、この社は古かったので大人からは近付いてはいけないと言われてた。
だから、ここに案内をした覚えはあっても遊んだ覚えはない。
「柊元雪はここでの記憶がない。記憶を失うほどの何かがここであったはずだ」
「……覚えていないのは彼だけかしら?」
「どういう意味だ?」
椿は私を指さしながら言い放った。
「そう言う唯羽はどうなの?あの日の事を覚えてる?」
「私は……」
覚えている。
あの日、燃え盛る炎の中から必死に柊元雪を背負って逃げたことを。
「唯羽は覚えていない」
「そんなことはない。私はちゃんと思い出せている」
「6、7歳の頃の記憶をはっきりと断言できるほどに?あの日を思い出してみたらいいんじゃない。この場所で10年前に何があったのか。貴方もそこにいたんだから、覚えてるはずよね?」
椿は長い黒髪をそよ風に揺らす。
「人間は辛いことは忘れる事で自分を守ろうとする生き物だから」
「それは……」
「思い出せない事が貴方にもあるでしょう?例えば、私と貴方の関係、とか」
「――っ……!?」
椿はひらりと舞うような仕草を見せる。
「そんなにも元雪の事が気になる?今も、大好きなんだ」
「違う。そういうわけじゃない」
「ねぇ、唯羽。つまらないプライドなんて捨てちゃえば?」
彼女のこう言うところが私は嫌いだ。
「プライドだと?」
「そうよ。好きな男の子を好きなら好きでいいじゃない。恋をすればいい」
「恋なんて私はしない」
「恋をしたらきっと楽しいわ。唯羽には素直になる事が大事よ」
私に恋愛をすすめてくる椿。
一体、何を企んでいるのか分からない。
彼女を信用するわけにはいかない。
「……そんなに守りたいの?和歌も、元雪も?」
「それの何が悪い」
「ううん。悪くないわよ。でもねぇ、守ろうとしている側が傷つける側だった場合はどうするつもりかなって……唯羽は何も知らないから言えるのよ。自分のしでかしたことも、自分の気持ちも……何もかも、忘れているからね」
「それはどういう意味だ、椿――!?」
私の叫びが社跡に響く。
気がつけば椿は姿を消していた。
「――もっと元雪を好きになればいい。そうすれば、全てを思い出すかもよ?」
やがて、声も聞こえなくなり、静寂が戻る。
「……くっ」
私はいらつきを抑えながら瓦礫に視線を向ける。
今は少しの瓦礫くらいで、見る影もない社跡。
かつて、ここには恋月桜花の舞台になった社が存在していた。
「守ろうとしている側が傷つけた側だと……?」
あの事件は私が起こしたとでも言いたげだな。
椿は何を考えているんだ?
そして、私が何を忘れているのか。
「10年前か。何が真実なのか、改めて調べてみる必要があるな」
私は社跡を去り、ある場所に向かう事にした。
私が向かった先は神社の本殿だった。
日曜日と言う事もあり、参拝客で溢れている。
縁結び、よくも神頼みなどできるものだ。
「……あっ、おみくじは大吉だって」
「えー?ホント?私は吉なのに、すごーい」
女子高生風な女の子たちがおみくじに一喜一憂している。
「気楽なものだな。大吉の混入率を下げてやりたい気分だ」
おみくじは神の気まぐれではなく、私の気分次第だということを思い知らせてやりたい。
私は本殿前の巫女に挨拶をして、奥の方へと入る。
普段は関係者以外、立ち入り禁止の場所だ。
今日は結婚式の予定も入っているために、あちらこちらで賑やかだ。
「……ここまでくれば静かになる」
私がたどり着いたのは本殿の横にある倉庫だ。
神社に関する事が色々と書かれている書類もここに集められている。
「10年前の火災についての書類は……これか」
私は何枚かの書類に目を通して調べ始めた。
手掛かりの少ない今は些細なことからも調べていくしかない。
「……あの日、何が起きたのか。私に思い出せない事があるのか?」
椿の言葉がどうにも引っかかる。
火災原因について書かれていた項目を調べる。
原因は不明、ろうそくや火の気のあるものはあの社にはなかった。
「不審火についても分からず、か」
改めて、こういう書類で確認するとあの事件がただの不審火ではない気がする。
「絶対に椿が関わっているはずなんだ」
この事件は“恋月桜花”ではなく“椿姫”が関わっているんじゃないか。
「……ダメだ。この手の書類を調べるくらいでは何も分からないか」
これはただの不審火の事件ではないのに、何一つ確証がない。
私は携帯電話の時計を見ると朝の9時半過ぎ。
その時、ヒメから電話が入る。
『唯羽お姉様?今、どこにいますか?』
「ヒメか。私は今、本殿にいる。どうかしたのかい?」
『……そちらに元雪様は来ていませんか?』
ヒメの不思議そうな声。
確か、今日は柊元雪とのデートだと聞いてる。
「いいや、こちらにいない。何だ、柊元雪はデートに遅れているのか?」
『約束の時間になってもきませんし、電話しても繋がらなくて。辺りを探してみたら、自転車置き場に彼の自転車はあったんです。でも、どこにもいなくて……』
彼女の言葉を聞いた時、私は内心「しまった」と思った。
「まさか……!?」
『お姉様?心当たりでもあるんですか?』
「ヒメは大人しく家で待っているんだ。彼を連れ戻してくる」
『連れ戻す?どういう意味ですか、お姉様?』
私は「あとで説明する」と電話をきると急いで本殿から飛び出した。
目指す場所は鎮守の森のご神木。
柊元雪は“椿”に誘われたに違いない。
「……椿、彼に何をするつもりなんだ?」
私には分からない事だらけだ。
火災の真実も、椿の企みも……。
それに私自身が絡んでいるのだとしたら?
「彼を傷つけているのは私なのか?」
……不安を抱きながら私はご神木の方へと向かう事にした。