第47章:桜の記憶《中編》
【SIDE:紫】
初めて人を好きになってしまった。
それも、私にとっては敵対する立場にある人を――。
影綱様は私を手荒に扱う事もなく、私と時間を過ごしてくれる。
心細くならないように、配慮してくれる事を嬉しく思う。
彼は本当にお優しい方なんだろう。
本来であれば、私は切り捨てられてもおかしくなかった。
それでも私を生かし、今、この時のように夜桜を眺める事ができる。
すべては影綱様のおかげだった。
今宵は他の皆も夜桜の花見をしているらしく、あちらこちらで笑い声が響く。
戦が近いゆえの緊張感からの解放、と影綱様は言っていた。
「……影綱様、よいのですか?」
「逃げるつもりもないのなら、問題はあるまい。俺もいる、気にすることはない」
許可がなければ外には出られない。
私は社の縁側に座りながら散りゆく桜を眺める。
お酒を飲みながらも特に酔う仕草を彼は見せない。
「今日は満月ですね。とても美しく見えて綺麗です」
「そうだな。月の明かりに照らされて、よく桜も見える」
ひらひらと舞い散る桜が風に舞う。
いつみても美しい桜の花。
一枚の花びらがそっと私の髪に乗る。
「紫、髪をはらぞ」
私の髪についた桜の花びらを指先で払う。
「んっ……」
くすぐったくて思わず、呟く。
私の髪から花びらをつまむ彼。
その手が頬に伸びて、私に触れる。
「紫は本当に綺麗だな」
「か、影綱様?」
「桜の花と同じように、紫は美しい女子だ」
彼に甘く囁かれて、照れる私を影綱様は抱き寄せる。
酔われているのかと思ったけども、彼は真面目な顔を私に見せた。
「紫、今宵だけは俺に夢を見せてくれ」
「……はい。私も夢を見てみたいです」
私達の気持ちは同じなんだ、と知った。
想いを伝えられなくても、幸せがあふれてくる。
影綱様の肩に寄り添いながら、桜に視線を向ける。
「できるものなら、もっと長い時を紫と過ごしたいものだ」
こんな風に甘えていると敵対している事を忘れてしまう。
「影綱様、私の国と戦をするのですか?」
「いや、御館様は和睦を提案するやもしれぬ」
「……和平を結ぶのですか?」
「この日の本は今、大きく時代は変わろうとしておるのだろう。いつまでも隣国同士争う場合でもあるまい。近隣諸国をまとめて、来たるべき敵と対峙にせねばならない」
大きな力がこちらに迫ろうとしている。
それを予見しての同盟締結だと影綱様は説明してくれた。
隣国同士が和平を結べば、私達は敵対しないですむ。
影綱様とも、こんな関係ではなくなる……本当にそんな日が来るの?
「そうだといいですね」
「できることならば……紫が悲しむような事には俺もさせたくない」
影綱様達と私達が争う事は望んでいない。
できることなら、和平を結び戦をやめて欲しい。
そんな私の気持ちをくんでくれた影綱様の優しさが胸にしみわたる。
「知っていますか、影綱様。この古い神社は、縁を結ぶ神様が祀られる神社なのです」
「縁結びか?」
「小さく古い神社ですが、縁結びの良縁を叶えてくれる。地元の人々からは縁結びの神として慕われている社なのです」
以前にこの前を通った時に従者がそんな事を言っていた。
あの時は別に恋などしていなかったので気にも留めていなかった。
「なるほどな。縁を結びし神か、俺と紫を結びつけたのも何か特別な縁だったのやもしれぬな。目には見えぬ特別な何かがあるように思える」
この神社で私達が出会った事に意味がある。
つい、そう思ってしまう。
もしも、神様がおられるのならば、私達の時を止めて欲しい。
「……」
「……」
互いに沈黙しながら、散りゆく桜に目を奪われる。
「どうぞ、影綱様」
「あぁ……」
空になった盃にお酒を注ぎこむ。
落ち着いた今のひと時は嵐の前触れのように不安もある。
和平と影綱様は言ったけども、父上はその提案を受け入れるのか。
他国の大名と手を組み合う、同盟を結べるかどうか。
「影綱様と過ごせる時間が限られているのですね」
私の肩を抱く影綱様の温もりを感じる。
淡い初恋を抱いてしまった。
この愛しい想い、影綱様には気持ちを伝えられない。
もどかしさ、悲しさが入り混じる感情。
「……紫」
「影綱様……」
互いに見つめ合いながら、どちらからともなく唇を重ね合う。
「んぅ……」
唇を触れ合わせて、私達は想いが繋がりあうのを感じた。
関係を考えればいけない事であると分かっているのに。
どちらも想いを止められない。
「――今、このひと時でよいのです。私に夢を見させてください」
「よいのか、紫……?」
「影綱様のお望みのままに。私も同じ気持ちでいます」
明日にはどうなるか分からない身。
これは今という短い時だけながらも、神様が与えてくれた奇跡。
ならばこそ、刹那的だとしても幸せなひと時を私は感じたい。
「この一夜が夢幻だとしても……影綱様と共に見れる夢はたいそう幸せな夢になるでしょう」
私は微笑しながら彼に身体を預ける。
ゆっくりと抱きしめられながら、私は込み上げてくる愛しさを押さえきれない。
影綱様を愛している。
明日にはこの夢が覚めるかもしれない。
そうだとしても、たったひと時でも幸福な夢を見たいから――。
私は彼の腕の中に抱かれながら、小さな声で呟いた。
「……貴方の御心を今だけは私にくださいませ」
影綱様に聞こえたか、どうかは分からない。
それでも、想いだけは通じあっている気がした。
夜桜を照らす月明かり。
桜吹雪、咲き乱れて地に落ちていく桜の花だけが私達を見ている。
人生で一夜限りの夢を見るくらい、神様も許してくれるはず――。




