第44章:夢の在り処
【SIDE:椎名和歌】
夢に出てくるあの人は誰なの?
毎日のように夢に見る光景、誰かと共に桜を眺めている夢だ。
でも、その夢はある日を境に変わり始める。
私は泣いていた。
桜の木の下で倒れる男の人に抱きつくような形で泣いている。
どうして、こんなにも胸が締め付けられるほどに悲しいの?
「いやです、逝かないでください……ぁっ……」
ゆっくりと目を瞑る彼は深手を負った侍のように見える。
今までははっきりとその人の事が誰なのか分からなかった。
けれど、その日の夢はいつもよりもはっきりと分かる。
彼は侍姿をしていたの。
そして、彼に泣き叫んでいる私もまた着物姿だった。
「……ゆかり……泣かないでくれ」
――ゆかり?
彼は私をそう呼ぶと、そっと腕で抱きしめる。
「俺はそなたに巡り合えてよかったと思っている」
「……っ……」
「できれば次はこのような形で出会いたくはない。できることなら、そなたの傍に共にい続けられる関係でいられる事を望む」
私は涙ぐみながら叫んだ、彼の名前を――。
「――私も、同じ想いです。影綱様」
――影綱?
初めて彼の名前を知り、私は衝撃を受けたの。
だって、今の私は紫姫様で、目の前にいる人こそが影綱様。
これは“恋月桜花”の夢なんだって。
「影綱様……ぅっ……」
暗転していく世界、私は夢から覚める瞬間まで不思議な感覚を抱き続けていた。
「――ぁっ……!?」
ハッと目が覚めて、私はベッドから軽く起きあがる。
また夢を見ていた。
それでも、いつもと違うのは夢の記憶を覚えている事だ。
「私はあの方を影綱様って呼んでた。それって、どういうこと?」
毎夜のように見続けてた不思議な夢。
それが“恋月桜花”のお話そっくりだったんだもの。
矢傷を受けて亡くなる影綱様、それを最後まで看取る紫姫様。
互いに愛しあいながらも敵国同士の関係ゆえに結ばれなかった悲恋。
その物語をこんな風に夢に見るなんて変だ。
「あれ?」
私は自分の瞳が涙でうるんでいる事に気付く。
自分でもきづかないうちに涙を流していたみたい。
涙をぬぐいながら私は起き上がる。
「……唯羽お姉様、まだ起きてるかな」
時計を見れば深夜の1時過ぎ。
お姉様はきっとまだネトゲをして起きているはず。
学校に行くようになってもゲームをする日々をやめたわけじゃないもの。
私は相談をするために部屋を出て、彼女の部屋の扉をノックする。
「お姉様、和歌です。深夜ですけど、いいですか?」
「ヒメ?どうしたんだい?入ってくれ」
部屋に入るとお姉様はいつものように布団に寝転がりながら、畳の上に置いたパソコンの画面を眺めていたの。
「またゲームですか?」
「心配せずとも、ちゃんと睡眠時間を決めてやっているよ。適度にする程度なら別にいいって、柊元雪からも言われているし。それで、ヒメは何かあったのかな?」
「……お話したい事があるんです。いいですか?」
お姉様は私の態度から察してくれたのか、ゲームをやめてこちらに向き合ってくれる。
「大事な話があるようだね。いいよ、この部屋は汚いし、外に出ようか」
お姉様……自分の部屋が汚いと分かっているなら掃除くらいしてください。
私はお姉様と共に深夜の神社の方にまでやってくる。
この時間なら参拝客は滅多にいない。
「さすがに誰もいませんね」
「たまに夜に参る人もいるみたいだ。丑の刻参りにな」
「お、お姉様、変な事を言わないでください」
いきなり呪いの話に変わってびっくりする。
あまり怖い話は得意じゃないもの。
「うちの神社の話だが、子供の頃に変な女性が奥の森で金づちを持って釘をさしてたのを見た事がある。ここにもそういう類の人は稀に来るんじゃないかな」
「……えっと、冗談ですよね?」
「まぁ、この話はおいておこう。それで、ヒメの話と言うのは?」
うぅ、変な所で話題を変えられてしまった。
そちらの方が気になるんですけど。
私はお姉様に夢の話をすることにしたの。
誰もいない境内、私達は神社の階段に腰をかけながら話をする。
「……夢を見たんです」
「また例の夢?」
「えぇ、でも、今日は違いました。はっきりと相手の顔と名前が分かったんです」
お姉様の顔色が変わる。
それはどこか焦りのようなものが感じられた。
「……そうか。前にも言ったはずだ、ヒメ。はっきりと見えるようになってきたら、それは問題かもしれない、と」
「はい。だから、お姉様に相談したんです。その夢で見た相手、彼は……」
「……赤木影綱、恋月桜花の影綱だろう?」
「え!?ど、どうして分かるんですか、お姉様?」
私は驚きを隠せずに、お姉様の顔を見つめた。
「……なるほどな。やはり、影綱の夢だったか」
お姉様はなぜ、私の夢の相手が影綱様だと気付いてたの?
「私は恋月桜花のお話が好きですから、それを夢に見ただけですよね」
「違うんだ。ヒメ、その夢は見るべくして見たものだ」
「え?」
彼女は小さな声で「これが運命か」と呟いた。
私は理解できずに戸惑うばかり。
「お姉様?」
「ヒメは小さな頃から恋月桜花が好きだ。あの物語に惹かれ、この椎名神社に異常なまでに執着心がある。ここを守ろうと婚約者まで選んだくらいだからな」
「うぅ、それはそうですけど」
それだけ聞いてると私がちょっと変わった子みたいな気がする。
恋月桜花、数百年前にあった悲恋の物語を好きなワケ。
「ヒメ。自分で不思議に思ったことはないか?どうして、自分はこれほどまでに“恋月桜花”に惹かれて、この神社を愛し守ろうとしてるんだって」
「不思議に思ったことはありません。恋月桜花が好きなのも、この神社を大切に思う事も、自分にとっては自然の事です」
「それだ、それが問題とも言える。これから話す事は落ち着いて聞いて欲しい。ヒメはそれらを不思議と思わない理由。それはヒメの魂が望んでいることなんだ」
思わぬ言葉を口にするお姉様。
「私の魂?」
「……何をバカな事を、とは思わないで聞いてくれ」
真面目な顔をするお姉様にそんな事は言えない。
だって、お姉様は魂の色が見えるんだもの。
「ヒメ。今まで黙っていた事があるんだ」
「何ですか?」
私は緊張した面持ちで彼女に向き合うと、衝撃的な事を告げたの。
「――ヒメの前世は恋月桜花の紫姫なんだ」
「私が、紫姫……?」
「そうだ。ヒメがそこまでこの物語に固執するのも、神社を守りたい気持ちもすべてはそこから影響されている。夢を見たのも当然なんだ」
「……信じられません。私の前世が紫姫様なんて」
彼女が嘘を言ってるようにも、面白がってからかっているようにも思えない。
でも、お姉様が言った事が本当だって信じることはできない。
私は自分の手が震えている事に気付く。
「夢で見た光景は、きっと紫姫の記憶だ」
「ち、違います、絶対に違うんです」
「ヒメ……」
私は自分がそうであると認めたくなくて思わず語気を強くしてしまう。
「私は以前から気づいていた。私が和歌をヒメと呼ぶ理由もそれに由来する」
「そんな!?だってお姉様にそう呼ばれたのはもっと小さな頃ですよ?」
「初めて和歌と会った時、私は魂の色が不思議な色をしてると気付いたからな」
そんな昔からお姉様は……。
昔から不思議な雰囲気を持っていたお姉様。
ヒメと呼ばれ続けてきた事に特に疑問は抱いていなかった。
でも、混乱していた私は“お姉様”すら“否定”してしまう。
「そんなのはお姉様の妄想です、現実的じゃないです」
私は彼女を“否定”する、そうしないとどうにかなってしまいそうだったから。
「お姉様。私は紫姫様ではありません。ぜ、前世とか信じてませんから!」
「……以前に柊元雪と語り合っていたよね。もしも、私達の前世が……と」
「それはただのロマンチックな妄想ですっ。恋月桜花みたいに互いを強く想いあえるような恋愛がしたいっ、ただ、それだけなんです。私自身が紫姫なんて事はありません」
私は立ちあがると自分の指先の震えが止まらない。
「……お姉様。私は前世なんて信じていません。だから、私は紫姫じゃありません。この夢も、ただの変な妄想みたいなもの。恋月桜花を強く意識しすぎてるだけです。きっと、そうなんです。大体、前世なんてこの世にはありません!」
「紫姫ではない事を信じられないのは仕方ない。けれど、前世すらも否定するのかい?」
私が否定する言葉に寂しそうな顔を見せるお姉様。
「ありえません。お姉様の言う不可思議な話は面白いですね。私の前世が紫姫?そんな話を信じられると思いますか?そもそも、前世や来世なんてありえるはずがないです」
お姉様は静かに「そうか」と頷いた。
私は自分が今言った言葉のひどさに気付いた。
「ヒメがそう思いたいのなら、それでいい。私は事実を述べたけども、その事実をどう受け止めるかはヒメ次第だ。私の妄言だと言い張るのならそれでもいい。当然だ、どう現実を受け止め考えるのかは自由なんだから」
「……ご、ごめんなさい。お姉様、私から相談したのに」
「別にかまわないさ。前世も来世も、ありえないと思う人間はどこにでもいる。でもね、ヒメ。私は少しばかりショックでもある」
彼女はそっと私の肩を叩いて立ち上がった。
「恋月桜花、紫姫は影綱の死の間際に来世での再会と恋愛成就を願った。その想いすらも、ヒメは否定する事になる。ヒメだけはそうしてほしくなかった」
「……ぁっ……」
失望感、お姉様の表情は失望感で溢れている。
そうだ、紫姫様と影綱様の恋の結末。
来世の恋愛成就を願い合ったことすら私は否定してしまっている。
「ヒメ。今、私が言ったことは忘れてくれていい。ただの妄言だ」
「ち、違うんです、私はそう言うつもりじゃなくて……」
「ヒメの言う通り、前世なんてこのようにはない。特別だと感じる縁も、ただの偶然にすぎない。夢も恋月桜花に影響されて見ていただけだ。何も不思議な事はない。気にせずに落ちついたら眠ると良い。きっと普段のような良い夢を見られる」
「お、お姉様……!?」
お姉様に拒絶された、突き放されたような感覚に私は怖くなる。
私の心配をしてくれた彼女に、私が変な事を言ってしまったからだ。
「お姉様、私、私はっ……!」
お姉様の寝巻である浴衣のすそを掴んで引きとめる。
けれど、彼女は優しい微笑みを浮かべてから、
「――おやすみ、“和歌”。良い夢を」
ヒメと呼んでいたはずのお姉様から和歌と名前で呼ばれた事に違和感がある。
「唯羽……お姉様……?」
突き放された、見放された、そんな感じを受けた。
お姉様の言葉を、想いを、すべてを、信じずに否定してしまったから?
私はお姉様が立ち去る後姿を見ているだけしかできなかったの。