第26章:初めてのキス
【SIDE:柊元雪】
ホタルを見に来た俺たちは和歌と兄貴、麻尋さんの4人で車から降りて山道を歩く。
「駐車場から離れた場所にホタルが見られるスポットがあるんだ」
「車が何台も止まっていたし、他にも人はいるんだ?」
「あぁ、例年、この時期はそれなりに人が集まるはずだよ」
ホタルが見られるのは綺麗な水のある山奥でしかない。
都会じゃ全くホタルなんて縁遠い存在だ。
「和歌はホタルを見た事がないって言ったよな?」
「はい。ありませんよ。尻尾が光る虫というのは知ってますけど」
「私も子供の頃以来かな。誠也さんは何度もあるんでしょ」
「親父に連れられてね。元雪も覚えてるだろ」
あの親父は小さな頃は休みのたびにいろんな所に連れて行ってくれたものだ。
長期休みが取れた時は「秘境の温泉に行くぞ」とどこぞの山奥の温泉に連れていかれたこともある……あれは子供心に大変すぎて死ぬと思ったが。
カブトムシやクワガタ捕りは楽しかったけどな。
「この年になってホタルを見に来るとは思わなかった」
「ははっ。でも、子供のころと違って今は感覚が変わっている。きっと、ホタルをみれば昔とは違うと思うはずだよ。ここからは少し急だから足元に注意して」
俺は和歌を支えながら山道を上っていく。
やがて、開かれた場所に出ると、そこに広がっていたのは……。
「うわぁ、綺麗です。これがホタルですか?」
辺り一面に小さな光が舞う。
幻想的な光跡を描いて飛ぶホタル達。
「兄貴、ここからは別行動でも良いか?」
「いいよ。それじゃ、麻尋。僕たちは向こうに行こうか」
「はーい。ユキ君、暗がりに連れ込んで変な事をしないように」
「しませんから。さっさと兄貴と向こうに行ってください」
変な事を言わないで欲しい。
ただでさえ純粋な和歌が信じると困るじゃないか。
「……和歌、行こうか」
「はいっ」
和歌は自然に俺に寄り添ってくる。
ここにきて、彼女も俺によく甘えるようになってきた。
俺達も恋人らしくなれてきたかな。
腕を組みながら近くを歩き始める。
この場所は森の中にある展望台のような形でホタルを鑑賞できるスペースらしい。
自然にこれ以上、踏み込む事もないように、こういう形にしているんだろう。
俺たち以外にも数組のカップルや家族連れが楽しそうにホタルを見ている。
「すごく綺麗な光ですね」
「あぁ、ホタルってこんなに綺麗だったんだな」
兄貴の言うとおり、子供のころとは見方が違うな。
真っ暗な夜空を幾つも小さく柔らかな光が瞬いてる。
「近くで川のせせらぎが聞こえますね」
「川が近いんだろ。確かホタルって綺麗な水がないと幼虫が育たないって聞いた」
「自然が残っていないとホタルも生きられないんですか」
「そうだな。それにホタルってのは幼虫は水の中にいる巻貝を食べるけど、成虫になると水分摂取しかしないらしい」
だから、1~2週間で死んでしまうわけだ。
ホタルが見られる期間が限られているのはそのためだ。
「水だけで生きられるものなんですか?」
「成虫になると、幼虫時代に貯め込んだ栄養だけで生きるんだって」
「元雪様、すごいです。何でも知っているんですね」
和歌にすごいと思われるのは心地よいです。
ただし、今の情報はここに来るまでに携帯のネットで調べた情報だ。
……せこいと言うな、あらゆる情報は恋愛において必要なのだ。
「このひとつ、ひとつの光が星みたいですね」
星と比べると弱い光だが、ホタルは小さな光の点滅を繰り返している。
幻想的な光景に俺たちは見惚れていた。
「あっ……」
一匹のホタルが和歌の手のひらに飛んでくる。
間近でホタルを見たのは初めてなのか、楽しそうに和歌は言う。
「これがホタル?案外、可愛らしいです」
「あれ?和歌は虫は大丈夫なのか?」
「黒い悪魔以外は大丈夫ですよ。家でも秋にはスズムシを飼っていますから。スズムシのエサ担当は毎年、私なんです。ホタルもテントウ虫みたいで可愛いです」
和歌が虫OKなのはちょっと意外だ。
それにしても、本当に和歌の実家は和風だな。
あと、黒い悪魔は誰でも苦手です。
「この子たちはどうして光るんですか?」
「えっと……それは……」
俺は調べた子を思い出しながらホタルの光を見つめる。
「そうだ、思い出した。ホタルって光りを放ちながら異性を探し求めているんだよ。ほら、セミの鳴き声と同じ。こうやって光る事で他の異性にラブコールしてるわけ」
「ふふっ。それじゃ、これは愛の光なんですね」
愛の光とか言うと、ロマンチックだが、ナンパの光と思うと残念な気持ちになる。
『へいへい、そこの彼女。ちょっと俺の光に寄ってみない?』
『いや、俺の光の方がカッコいいだろ?こっちにきなよ、彼女』
だ、ダメだ……ナンパ野郎どもでは幻想感がぶち壊されるので考えないようにしよう。
ちなみにオスもメスも光るので、ナンパ表現を使うとひどい事になる。
まぁ、空を飛びまわり光るのは圧倒的にオスが多く、メスは数自体が少ないそうだ。
なので、ここは脳内自主規制で、愛の光ということにしておこう。
和歌は自分の手元に止まったホタルを眺めている。
「ホタルの光って、神秘的です」
「そう言えばホタルって種類ごとに光の点滅の間隔が違うらしいぞ」
「どうしてですか?」
「そうやって、違う種類のホタルだって自分達で見分けているらしい」
意外と言っては何だが、ホタル達も賢い進化をしてると思う。
夜空の下で、異性を誘うための光があふれている。
「相手を求めて光を放ち合う。素敵です」
和歌はそっと手に止まっていたホタルを逃がしてあげる。
再び、夜空を舞うホタルを空へと舞った。
「あの子も、誰かいい相手を見つけられるといいですね」
「和歌は優しいな」
「そうですか?私が元雪様と出会えたように、ホタル達にも縁はあるはずです」
にっこりと微笑む和歌。
俺は思わず、その和歌を抱きしめてしまう。
うちの彼女が可愛すぎなんですが、どうしてくれる。
「も、元雪様?」
「……今はこうさせてくれ」
俺は黙って和歌を背後から抱きしめて、ホタル観賞を続ける。
ドキドキ、と伝わる互いの鼓動に、ふんわりと香る和歌の香り。
俺は周囲を見渡して、他に人がいないのを確認する。
「なぁ、和歌……その、なんだ……今、ここでキスをしてもいいか?」
麻尋さんも言ってたけど、俺たちも次のステップに進むべきときだ。
和歌の耳元に甘く囁く俺は緊張しすぎて足が思わず震えそうになる。
「……は、はい。私もして欲しいです。こういう時は目を瞑るんですよね?」
和歌はゆっくりと瞳を瞑って薄桃色の唇を突き出す。
頑張るのだ、ここで俺も男を見せる時……!
「……んぅっ……ぁっ……」
ゆっくりと触れ合う唇と唇。
彼女の甘い吐息。
人生初めてのキスは……とても気持ちのよいものだった。
互いに抱える想いが溶けるように交わりあう感じがする。
「元雪様、これがキスなのですね。心がひとつになるような感じがしました」
やがて、唇を離すと和歌は静かに嬉しそうに笑う。
薄暗いので見えにくいが、頬を赤く染めているに違いない。
「あぁ。和歌とした初めてのキスだ」
「すごくドキドキしています……良い思い出になりました」
高揚感に包まれて、初めてのキスの余韻にひたる俺たちは照れくささから互いの顔を見られない。
だが、その余韻をぶち壊す、空気が読めない人は世の中にはいるわけで――。
「――うわぁ、初々しいキスしてますよ?初キッス、おめでとー」
俺の兄嫁は見た、俺たちの初キスを最初から最後まで見てました。
ガーン、麻尋さんに見られたぁ!?
「ま、麻尋さん?いつからそこに?なぜそこに!?」
「ふふふっ。油断したわね、ユキ君。お姉さんは一部始終を見てしまったわ」
「ま、待ってくれ。麻尋さん。これは、その、あの……母さん達には内緒にして欲しい」
「そ・れ・は、無理。口の軽い私はつい、うっかり、お義母さんに話してしまうかも」
ひでぇ、マジでひどいよ、この兄嫁様。
俺は恥ずかしがる和歌を抱きしめながら言い訳を探す。
「どうしてもというのなら、次はチョコとバニラのミックス味がいいなぁ」
「麻尋さん……今度、俺にソフトクームをおごらせてください」
「ふふっ。ありがとう。でも、よかったじゃない。和歌ちゃんもキスしたかったんでしょ?初めてのキスの思い出がホタルに囲まれてって幻想的だなぁ」
麻尋さんにはからかわれたが、確かに良い思い出にはなった。
「いいなぁ。私も誠也さんとキスしてこようかな?」
「はいはい。さっさとしてきてください。思う存分してきて、こっちに来ないで」
俺は麻尋さんを向こうにいる兄貴の方へと追いやると、和歌と苦笑いを浮かべ会う。
だが、和歌も「ファーストキスしちゃいました」と俺に強い想いを寄せてくれる。
しばらくの間はこの胸の高鳴りはおさまりそうにもない。
初夏の夜、ホタル達の光に包まれながら、人生で一度きりの思い出を作ったんだ――。




