第22章:雨降って地固まる
【SIDE:椎名和歌】
元雪様の裏切り、私以外の女性と楽しそうに笑う彼。
その姿を見てしまい、私は愕然としていた。
素直にショックだったの。
家に帰ってからも私は信じられなかった。
自室にこもり、ぐるぐると頭の中で元雪様の事を考えている。
「元雪様……」
初めて好きになった男の人。
私は彼の事をほとんど知らないんだって思い知る。
彼の性格が優しい事は知っている。
和食が好きな事も知っている。
けれど、元雪様の友好関係なんて知らないもの同然だった。
仲のいい女の人がいたことも知らず。
「……楽しそうだったのが、嫌です」
私以外の人に優しい笑顔を向けて欲しくない。
この感情の名前は……嫉妬。
元雪様が私のものだっていう独占欲。
「和歌?部屋にいるの?」
お母様のノックがする音に「何でしょう?」と返事を返す。
「今日の和歌の様子がおかしかったから気になって。どうしたの?」
「いえ、なんでもありません」
「本当?和歌……元雪君と何かあったんじゃないの?」
「何でもないですっ」
つい語気を強く言い返してしまった。
「もしかして、喧嘩でもしてるの?お昼はあんなに楽しそうだったのに」
「喧嘩なんてしてません……」
あれから、まだ元雪様とお話もしていない。
私が勝手に不機嫌になっているだけ。
「和歌が不機嫌になるのも珍しいわね。そんなに嫌な事でもあったんだ?」
「違いますっ!……あっ」
「元雪君。和歌を大事に思ってくれてるわ。あんなに良い男の人はいないわよね?喧嘩しちゃったの?」
「……私だけを想ってくれているのなら、素敵ですね」
言葉に出せば不安が大きくなってしまう。
「どういうこと?」
「……なんでもありません。少し頭を冷やしてきます。神社の方に行ってきますね」
「ちょっと和歌ってば?もうっ、何なの?」
お母様が心配してくれるけど、今はひとりになりたかった。
「はぁ……」
夜の月明かりだけを頼りに私はご神木の近くに座る。
昔からこの木の近くは私の安心できる場所だった。
元雪様と喧嘩をしてしまった。
部屋を出てすぐに携帯電話に元雪様から電話がかかってきたの。
そこで私は自分勝手な言い分を相手にぶつけてしまった。
はぐらかすような口調の元雪様が許せなくて。
今も彼の横に、その女の人がいたらどうしようって不安に潰されそうで。
「……元雪様が悪いんだもの」
私がこんな気持ちになるのは元雪様が悪いの。
怒りと悲しみが入り混じる複雑な気持ち。
「でも、本当に元雪様は私を裏切ったの?」
私の勘違いだったら、どうしよう?
そんなことが頭をよぎるけども、その考えはすぐに消えていく。
初めての嫉妬は予想以上に私の心を支配していた。
元雪様が許せない――。
「和歌……」
人の気配に気づいて顔をあげると、いつの間にか元雪様がそこにいた。
びっくりするけども、私は彼の顔を見る事でふいに悲しみが強くなる。
いつもと変わらない元雪様。
それゆえに、私は悲しい。
初めて好きになった男の人に裏切られてしまった。
元雪様が大好きなのに……。
「ひどいです。私がいるのに、それなのに……」
「わ、和歌?事情がよく分からない。最初から説明してくれないか?」
「今日の夕方の事です。私はお母様に頼まれて駅前の大型スーパーに行ったんです。そうしたら、楽しそうに綺麗な女の人が元雪様と腕を組んで歩いてました。私と別れてからそんな時間も経っていないのに、別の女性となんてひどい……」
私は涙をこぼしながら元雪様に迫る。
事情が分からないと言った表情をする彼。
あの時のことが嘘だとは言わせない。
「……和歌。俺はキミが好きだ。その気持ちに偽りはない」
「あの人は遊び相手ってことですか?元雪様はそんな人なんですか?」
これは私達の初めての喧嘩。
元雪様と喧嘩なんてするはずがないと思っていた。
「遊び相手でも何でもない。本当に関係自体はやましい事はない」
「だったら、どうして、あんなことを?私じゃ不満なんですか?」
「違う。聞いてくれ。和歌。俺はキミを裏切っていない」
元雪様はカッコいいし、優しいからモテると思う。
彼の傍に綺麗な人がいても、仲のいい女の人がいるのは不思議な事じゃない。
目をそむけたくなる現実、悪いのは……誰なの?
「よく聞いて欲しい。悪ふざけが過ぎた所もあるけども、仲が良すぎるように見えたかもしれないけども、あの人は俺にとって兄嫁に当たる人なんだ」
「兄嫁?お兄さんのお嫁さんってことですか?」
「そうだ。あの人とは何もないんだよ。誤解させるような光景は見せたかもしれない。けれど、ただの仲の良い関係であって、変な関係じゃない。俺を信じて欲しい」
それが真実、怒りがさっと冷めていく。
元雪様と楽しそうにしていたのは、元雪様のお兄様の奥さん。
彼は私を裏切っていない、裏切っていないのに疑ってしまった。
大好きな人を何も信じてあげなかった。
元雪様はそんな事をする人じゃないっ、何かの間違いだって。
そう信じるべきなのに、私は最初から疑っていた。
彼が裏切り、他の人とこっそり付き合ってるんじゃないか。
信頼しているつもりで、心の底から信じていなかったのかもしれない。
「も、元雪様、ごめんなさいっ、ごめんなさいっ……私、私は……」
「わ、和歌。落ち着いて。泣かないでくれ」
「でも……私は……なんてひどい……ぁっ……」
冷静になれば分かること。
元雪様が私を愛してくれる気持ちも、彼が裏切るはずがない事も。
少しでも疑ってしまった私はまだ信じ切れていなかったのかもしれない。
「ごめんなさい……嫌いに、ならないでください……ひくっ……」
「なるわけないだろ。和歌。俺は和歌が好きで、嫌いになるはずがない。俺は怒ってないから。和歌……俺も悪かった。軽はずみな事をした反省もある。ごめんな?」
「うぅっ……えぐっ……ふぇええん」
私は元雪様に抱きしめられながら泣き続けた。
愚かな私を許してくれた彼の優しさは本物だと改めて感じた。
私が落ち着くまで元雪様は私を慰めてくれていたの。
「……すべては嫉妬だったんです。元雪様が他人と楽しそうだったので、嫌な気持ちになりました」
ようやく落ち着けた私は彼の腕の中に抱きしめられながら想いを告げる。
「和歌も焼きもちを妬いたりするんだな」
「そうみたいです。……今まで人を好きになった事なんてなかったから、こんな気持ちがあるなんて知りませんでした。それで元雪様を疑ってしまうなんて」
「仕方ないと思う。俺も逆の立場なら当然怒るさ。もう不安にさせたりしない」
なんて、私はバカなんだろう……こんなにも優しい人の気持ちを疑うなんて。
私は何があっても元雪様を信じよう、もう二度と疑う事はしない。
「小さな頃、恋月桜花のお話を聞いた時、私は思ったんです。こんな風に誰かを強く思えるようになりたいって……紫姫様が影綱様を慕い、想ったように」
「……影綱と紫姫の恋か。結局、恋は実らずだったんだろ」
「いいえ。お互いに想いは抱きあっていたはずです。来世では結ばれるように願いを抱いて。このご神木の桜を数百年前の2人も見ていたんですよね。同じ光景を……今、見ているんです」
この場所で、かつて悲恋と呼ばれるひとつの恋があった。
恋月桜花、紫姫は影綱様に来世でめぐりあえたのかな。
「案外、俺と和歌がそのふたりの魂を受け継いでるのかもしれないぞ?」
「え?やだ、元雪様ってば。もうっ。冗談が過ぎますよ?」
「ははっ。でも、こうなる事が俺たちの運命だって信じてる。可能性はあるだろ?」
「……そうですね。私達が出会ったのはそんな強い特別な何かがあったのかもしれません。彼らではないにしろ、私達はめぐりあう運命にあったんだと思います」
遥か昔の恋のお話のように、同じ場所で私達も恋愛をしている。
私は元雪様に甘えるように抱きしめられながら夜空を見上げたの。
……。
和歌と元雪の抱擁しあう姿を遠目に見つめている少女がいた。
「まったく、雨降って地固まる、とはよく言ったものだ。ご神木に向かった柊元雪が気になって来てみれば……ただの逢瀬じゃないか。それにしても、不思議な縁もあるものだ」
彼女は幸せそうに笑う2人に呟く。
「……影綱は柊元雪、紫姫は和歌。ふたりは互いに魂を受け継ぐ存在。それゆえにふたりはめぐりあい、恋をした。前世で結ばれなかった恋愛を来世でもう一度、か。想いの力は未知数だ、生まれ変わっても続く想いはある」
それは数百年越しに実った恋愛。
果たして本当に想いは時を超えて、結ばれたのか。
「恋月桜花、それは悲しい恋の物語。しかし、“恋月桜花”という紫姫の視点で描かれた物語ではただの悲恋なのかもしれないが、あれは単純な恋の話じゃない。物語には表があれば裏もある」
少女は静かに瞳を瞑り、夏の夜風を肌で感じる。
一度は運命が引き裂いたふたり、運命は再び結びつけてしまった。
「だが、運命とは恐ろしいものだ。数百年という年月を経て、本当に影綱と紫姫が再びめぐりあってしまったのだから」
灯篭にもたれかかるようにして不敵に笑う美少女は静かにその名を告げた。
「――これでもまだ運命の邪魔をし続ける気か。“椿姫(つばきひめ)”?」
椿姫とは誰なのか。
恋月桜花がただの悲恋の物語ではない事をまだ2人は知らない――。