第20章:裏切りの涙
【SIDE:柊元雪】
ついていないと言えばそれまでだったのかもしれない。
信頼が簡単に崩れることってのはよくあることだ。
些細なことで後に和歌が誤解するとも知らず。
恋月桜花の話を聞いた和歌と別れてからの帰り道。
俺は携帯電話にメールが入ったので、駅前のスーパーに向かう。
『暇だったら、私の手伝いをしてくれない?』
メールの送信相手は麻尋さんだ。
俺はすぐにスーパーに行くと、麻尋さんと合流して特売の卵とお肉を買わされた。
どうやら特売の商品があったらしく、そのための数合わせだったらしい。
「助かるわ、ユキ君。おかげでふたつも安い卵が買えたし、お肉も良いのが買えたから。でも、よかったの?朝から恋人さんに会いに行ってたんじゃないの?」
「和歌の家に行った帰りだよ。麻尋さんにはお世話になってるから、手伝いくらいはする。他に買うものは?」
「あとは、懐中電灯と電池かな。少し待っていて。百均で買ってくるわ」
俺に荷物を任せて、麻尋さんが百円ショップに入ってしまう。
「懐中電灯?台風対策か?」
俺も適当に周りを見てると、見知った顔と遭遇する。
「お?なんだ、柊じゃないか」
「黒沢か。こんな場所で何やってるんだ?」
「この先のショップでレジ打ちのアルバイトやってる。前に言っただろ」
「せっかくの休日をアルバイトか?」
俺はアルバイトをしていないが、友人にはそういう事をしている奴もいる。
「ネトゲの課金費用だったり、恋人とのデート費用だったり、小遣いだけじゃ足りなくてな。こうやって地道に働いてると言うわけだ。使えるお金が増えるとやれることも多いから、案外、アルバイトも楽しいぞ。それで、お前は何をしてるわけ?」
「俺は美人な兄嫁と一緒にお買い物の最中だ」
「あー。あの美人なお姉さんか。柊って何気に美人が周囲にいて羨ましい」
「いやいや、兄嫁だから。お義姉さん相手に何を期待しろ、と?」
麻尋さんは美人だが、兄貴の嫁さんなわけで、俺は弟扱いだからな。
「兄嫁と言う言葉には甘い響きの中にロマンがあるだろ?背徳感と危険、その魅力がお前には分からないか?」
「何のロマンだ。良く分からん道を勧めるな」
こいつは時々、俺の理解できない世界の話をするなぁ。
黒沢はバイトがあるのですぐに行ってしまう。
だが、そんな俺たちのやり取りを見ていた人物が真後ろにいた。
「ふーん。兄嫁という言葉の響きにはロマンがあるのねぇ」
「げっ。麻尋さん?」
「ふふっ。高校生だよね、ユキ君も。さっきのは黒沢君でしょ。男の子の会話って面白い。いつもああいう事を考えてるの?」
「ち、違うから。俺は別に変な目で麻尋さんを見てないし……」
俺は気まずくなって足早に歩き始める。
うぅ、こういう時の麻尋さんはからかいモードになるからマズイ。
「はいはい。もうっ、ユキ君は真面目でからかいがいがないなぁ。こういう時は少しでもドキッてしてくれないと面白くないわ。誘惑でもしちゃおっかな?年下の弟相手っていうのも楽しそうでいいかも」
「やめてください。兄貴に顔向けできないし……理性と戦わせないで」
「あははっ。残念だね、私は誠也さんラブだから。でも、実際のところ、兄嫁属性の魅力って何なの?」
「さぁね?ほ、ほら、細かい事は気にしないで。帰るよ、麻尋さん」
麻尋さんは俺の隣を楽しそうに笑いながら歩く。
明るい人ではあるのだが、悪戯っぽい一面がある。
義弟である俺をよくからかう。
それも、時々、ドキッとさせる事を平気でしてくるから困る。
兄貴と一緒にいる時は借りてきた猫なみに大人しいのに。
「麻尋さんってさ、兄貴のどこが好きになったわけ?」
「んー。どこがって言われたら、社長の息子ってところ?」
「ぶっちゃけすぎだ!?」
うちの会社を狙うとは麻尋さんは実は悪女?
いつのまにか乗っ取り計画を実は立ててるのか?
「冗談よ、冗談。そう言う所をふりかざさないっていうのかな。仕事でも、他の人と一緒に一生懸命に働いてる所が気にいっていたの。ほら、社長のボンボンって仕事ができないくせに偉そうな人が多かったりするじゃない」
「そうなのか?」
「らしいわよ。友達の会社では、立場を利用して女の子を……っていう人もよくいるらしいわ。そうね。誠也さんは真面目で優しいから好きになったのかな。彼に告白された時にすぐに受け入れられたのは、そういう所だと思うわ」
うむむ……真面目な所が兄貴の長所だからな。
そこを好きになってくれる相手と言うのは麻尋さんと相性がいいんだろう。
「ユキ君は恋人さんのどこが好きなの?」
「え?あ、いや……可愛いところかな。見た目もそうだけど、性格もすごく可愛い上に俺を慕ってくれる」
「ふーん。可愛いから好きなんだ。だけど、ユキ君はある意味、勇気があるよね」
「勇気って何が?」
麻尋さんはふと立ち止まると俺の方を真っすぐに見て言った。
「初めての恋で結婚を選ぶのって勇気がいると思わない?」
「……それは、俺がそうしたいって思ったから。和歌は最初から神社を継いでくれる結婚相手を望んでいたんだ。その夢を叶えてあげるためにも結婚っていうのは恋人になるより先に決めたことだから」
結婚という二文字に俺は未だに自覚はない。
けれども、いつかくる将来に期待ができるのはいいことだ。
「案外、喧嘩してあっさりと破局とか?」
「やめて!?恋愛初心者の俺にひどい事を言わないで」
「ごめん。冗談きつかったわね。ユキ君たちがあまりにも純情路線で何だか羨ましくて。そういうピュアな関係って今時ないから。実際のところ、どうなのかなって……」
初めての恋をした相手と結婚したいと言う気持ちは男だろうが、女だろうが、別に不思議な事じゃないと思うんだ。
結婚って言葉をすぐに言えるのは、俺がまだ子供だからかもしれないけど。
「私はユキ君を応援するわ。明日、お義母さんとの対面でしょ?覚悟はできてるの?」
「それが問題だ」
最後の関門っていうか、俺と和歌の関係において重要な局面を迎える。
唯一の反対者、うちの母さんを説得しないといけない。
当初は何だかんだで実際に会えばあっさりと受け入れてくれる気がしてた。
だが、しかし……親父が火に油を注ぐような言動ばかりするから、母さんの方もかなりかたくなな態度を示している。
……このまま、うまくいくのか心配になっている。
「お義母さんも、ユキ君を本当に心配しているの。誠也さんと私の場合はすぐに受け入れてくれたけどね。うまい方向に話を持っていければいいと思うの」
「うぐっ。俺には兄貴ほどの話術がまずない」
兄貴の場合は本当にすごく口がうまくて、呆気ないほど簡単に麻尋さんを認めさせた。
元々、同じ職場の同僚っていうことで母さんが彼女のことを知っていたのも大きかったと思うし、兄貴もそろそろ結婚してもおかしくない年齢だったからな。
それに比べて俺はまだ学生なうえに、将来が神社を継ぐと言う話で、母さんとしては気軽にOKを出しにくいんだろう。
「自分の息子が婿に行くのは気になるだろうから」
「婿ってそんなに気を使うもの?」
「テレビドラマによくいる婿殿の待遇をみれば分かるでしょ?」
あー、それは確かに冷遇までは言わないが気まずそうだ……俺もあんな感じになるのか。
現実問題として婿入りってことは名字も変わるだろうし、立場的な物もある。
母さんが心配しているのはそういう現実の面の事なんだろうな。
きっと、俺は勢いだけで、その現実をまだ理解しきれていないから。
「お嫁さんの実家を継ぐっていうのは大変なことよ。親戚関係とか、現実の問題もたくさんあるの。お義母さんはユキ君の事を心配してるからこそ厳しくなっているのを分かってあげて」
「……うん。分かった」
とにかく、まずは母さんには和歌と会ってもらう。
そこからこじれるなら、また考えよう。
「麻尋さんもフォローしてください」
「そうねぇ。ソフトクリームで手を打ってあげましょう」
「うぐっ……」
俺たちがフードコートの前に差し掛かっていた。
ちょうど目の前にはソフトクリームのお店がある。
女の人ってのはホントに甘いモノが好きだよな。
俺は仕方なく、麻尋さんにソフトクリームをおごってあげる。
「ありがと、ユキ君。買い物の荷物持ち以外にこんなことまでしてくれるなんて」
「その代わり、フォローはしてよ?」
「うん。私も和歌さんに会いたいわ。ユキ君が惚れた女の子がどんな子か楽しみだもの」
ソフトクリームを美味しそうに食べる麻尋さん。
その時の俺は明日の心配をしていた。
実はそれ以前に大きな危機が迫っている事も知らずに。
家に帰ってから夕食後、夜になった頃に俺は和歌に電話をかけた。
何度目かのコールのあとに和歌は電話に出る。
「あっ、和歌。俺だけど。明日のことなんだけど、何時くらいに迎えに行こうか?」
『……っ……』
「和歌?聞いてる?」
『……私はいけません。いえ、行きたいですけどいけないんです』
和歌は静かに拒絶の意思を示す。
「え?どういう意味だよ、和歌」
『それはこちらの台詞です、元雪様。私は……ぅっ…貴方を信じていいのか……分からなくてっ……』
電話越しの涙まじりの声に俺は正直、ドキッとしすぎて身体が震えた。
和歌が……泣いてる?
『――元雪様、教えてください。私は元雪様の恋人なんですか。それとも……』
気落ちして、ショックを受けている様子の和歌。
……俺よ、今度は和歌に一体、何をしてしまったのだ?