第13章:初恋と意識
【SIDE:椎名和歌】
元雪様と恋仲になれてからの数日間はすごく満たされた日々が続いていた。
登下校と昼食を共に過ごす時間が楽しい。
彼と一緒にいる時間全てが愛おしい。
そんな風にさえ考えてしまっている。
「和歌、本当に幸せそうね」
夕食の支度を手伝っているとお母様は微笑した。
「え?そうですか?」
「うん。最近の貴方はとてもいい顔をしているわ」
「……元雪様のおかげです。あの方は私を幸せにしてくれる人ですから」
私は野菜を包丁で切りながらそっと彼の名前を口にする。
「あら、親に惚気?和歌もやるわね」
「そう言うつもりではなくて。お母様も元雪様に会えば分かります。彼がどんなにいい人で、私を想ってくださっているか」
「いつ家に連れてきてくれるの?いつも和歌を家まで迎えに来てくれているのに、紹介はしてくれないの?」
それは元雪様も緊張しているからだ。
改めて親に紹介と言う形になると、互いに緊張してしまう。
「近いうちにお母様に紹介しますよ。日曜日には私が元雪様のお母様に会いにいくことになっているんです」
「私も向こうの相手側のご両親に挨拶したいのだけど」
「それが……」
私は彼の事情を話してみる事にした。
元雪様の話では、まだ結婚と言う話を彼のお母様は認めてくださっていないらしい。
と言っても、深刻な反対という意志ではなく、どうやら今回の縁談はおじ様がひとりで承諾してしまった話でおば様には話されていなかったようだ。
勝手に話が進んでいたから拗ねてるだけだよ、と元雪様は笑って言っていた。
「だから、もう少しだけ待ってください。お母様」
「……そう言う事情なら仕方ないわね」
「あの、お母様?お母様は反対されませんよね?」
少しの不安を感じて私は質問していた。
彼のお母様のように、と思わず考えてしまった。
「和歌が結婚を焦っていたのを心配していたのは事実よ?」
「……はい。とにかく、神社の後継者になってくれる人を探していましたから」
「くすくすっ。結婚に焦るなんてもっと年齢を重ねた人がするものなのにねー」
焦りや余裕のなさ。
元雪様に出会う前での私にはそれがなかった。
大好きな場所を守りたい、その一心だったから。
それを両親に心配させていたのは分かっていたの。
「でもね、実際に元雪君と交際してからの和歌は目に見えて幸せそうだもの。私は反対はしないわ。貴方の好きなように、好きな人と生きればいいのよ」
「ありがとうございます、お母様……」
「相手が元雪君でよかったわね。一目惚れ相手との運命の再会!ドラマティックな展開じゃない。和歌が羨ましいわ」
お母様にからかわれながら私は照れくささに赤くなる。
「運命の出会い。本当にそう思います。お母様はあの時、私は一目惚れをしていたって言いましたよね。あの日の夜、私は元雪様を想っていました。実際に翌日に彼本人と出会うなんて想ってもいなかったのに」
「貴方の想いが通じて、神様が願いを叶えてくれたんじゃないの?だって、和歌が守ろうとしているこの神社は縁結びの神様だものの。守ろうとしてくれている女の子の夢くらい叶えてくれてもいいはずでしょ?」
「縁結び、素敵ですよね。私は元雪様を好きになって初めて、その意味を理解できた気がします。それまでの私は恋にあこがれる女の子みたいなものでしたから」
縁結びを願う人々を見ていて、自分も恋をしたいと憧れていた。
けれど、実際に人を好きになって分かった事がある。
それは……人の想いの重さ。
大切な人を想うのにはパワーがいる。
片思いの相手、新たな出会い……様々な想いを神様に願う。
「私は本当のところは何も分かっていなかったのかもしれません」
「和歌……?」
「今なら分かる気がするんです。この神社を訪れてくれる人々の気持ち。様々な人が、いろんな想いを抱えてやってくる、その気持ちにはひとつだけ共通するものがあるってことを……」
私は野菜を切る手を止めて、お母さんに向き合いながら言う。
「大切な人と幸せになりたい……それだけなんですよね」
「そうかもしれないわね。もちろん、事情は異なるだろうけど、根本的な物はきっと同じなはず。幸せになりたいから人は神様に願うのよ」
「……元雪様が私は好きです。あの人となら私は幸せになれるから」
だから、あの人と一緒にこの場所を守り続けたい。
私は愚かだったの。
自分の幸せも考えずに、ただ神社を守るだけじゃ意味がない。
その事を元雪様と出会う事で、私は思い知った。
「なんだか元雪君に早く会いたくなったわ。うちの娘が惚気すぎて困ってるって」
「も、もうっ。お母様~っ!?」
「ふふっ。可愛い娘が好きな人の話をするのは楽しいものね。ほら、手が止まっているわよ。和歌、料理をしましょう」
「……はい」
私は再び野菜を切り始める。
「和歌もすっかり料理が上手になったわ。昔はとんでもないモノを作ってたのに」
「お母様、昔の事を言うのはなしですっ」
「はいはい。誰もが最初から上手にできるわけじゃないものね」
お母様に料理を教えてもらい、私もそれなりに料理ができるようになった。
「和歌は手料理を元雪君に作ってあげないの?」
「はい?」
「手作りお弁当とかしないのって思って。今時の子はそういうアピールとかしないのかしら。私がまだ学生の頃はそう言うのを作ってあげてた子もいたけども」
「元雪様に……」
考えた事がないわけじゃない。
元雪様はいつもお弁当だから、私も作ってあげたいとは思った事がある。
けれども、結局はその一言が言えないの。
聞いてみたいけども、作ってあげたいけども。
「元雪様から否定されるのが怖いのです。まだ付き合い始めて日が浅い事もありますから。今はまだ……自分から話題をふるのも大変ですし」
嫌われたくない、と思い、ブレーキをかけてしまう。
当たり障りのない話題しか、私からはふる事が出来ない。
「和歌は男の子に慣れてないせいね。いい、和歌?もっと大胆になってもいいのよ?」
「なれ、と言われてなれるものなんでしょうか?」
「そうねぇ、和歌には少しハードルが高いのかもしれないわ。人に我がままになったりする和歌を母親の私が想像できないもの。我が娘ながら良い子過ぎるのも問題だわ」
「うぅ……」
お母様はふっと優しく私の頭を撫でた。
「だけど、元雪君ならそんな和歌をきっと変えてくれるわ。貴方は彼に甘えるのが好きでしょう?そのうちに、今よりも良い方に変わった和歌が見られる気がするの」
「お母様。でも、嫌われたりするのが怖いです」
些細なことがきっかけで拒絶されたらどうしよう。
「和歌……私は元雪君と会った事がないから彼を信じればいいと断言はできないけども、貴方が好きになった男の子よ。甘えたり、我がまま言ったりしてもいいと思うの。好きな人に嫌われたくないって自分を押さえこんでしまうよりは、全然いいわ」
「そういうものなんでしょうか」
「そのうち分かるわ。今は分からなくても、もう少し付き合いが長くなれば、どういう距離感が必要なのかも分かるはず」
人に甘えたりするのは難しい。
元雪様との交際で私の何が変わるのだろうか。
初恋ゆえの悩み。
私はまだまだ恋愛の経験値が足りていない。
そのまま料理を続けていると、携帯電話が鳴るので私は確認する。
着信相手は……“お姉様”からだった。
「……あ、はい。分かりました。すぐに行きますね」
「どうしたの?」
「お姉様からです。冷蔵庫の奥にあるジュースを部屋に持ってきて欲しい、と」
「……はぁ。あの子のことも、そろそろ本気で考えないといけないわね」
お母様はため息がちに呟くと、冷蔵庫からペットボトルを取り出す。
私のお姉様は少し特別な方だ。
自分の部屋にこもって、滅多に外には出てこない。
私も食事やお風呂などの時くらいしか、顔を合わせることもないし。
「あと、もうすぐ夕食だから降りてくるようにも言って。あの子は和歌にしか心を許してないのも考えものね」
「お姉様は不器用だから他人に気持ちをうまく伝えられないんだって前に言ってました」
「あの子は、もう少し人に心を開くべきだと思うの」
そう言ってお母様は微苦笑する。
私はキッチンを出て、お姉様の部屋に入ると、彼女にジュースのペットボトルを渡す。
「お姉様。こちらに置いておきます」
「……あぁ、ありがとう」
「あと、もう少しで夕ご飯ですからリビングにきてくださいね?」
「ん……分かった」
お姉さまはこちらを見ずに生返事だけをする。
彼女の目は私を見ていない。
ううん、今のお姉さまは……現実すらも……見ていない気がする。
最近のお姉様は人が変わられたように感じる、昔はこんな人ではなかった。
数年前から彼女はこうして、まるで天岩屋戸(あまのいわやと)に隠れてしまった天照大神(あまてらすおおみかみ)のように、ずっと部屋に閉じこもってしまっている。
そして、私には何の力にもなれないことが悔しくも、悲しくもあったの――。