第124章:最終決戦
【SIDE:篠原唯羽】
私にとって、避ける事の出来ない宿命。
それは、己の前世という過去との対峙。
椿姫の怨霊は憎悪にゆがんだ顔でこちらを睨みつける。
「怖い顔だ、いいや、言葉を言い変えよう。ひどい顔だな、まさに怨霊の顔らしい」
これが嫉妬と憎悪だけの感情が生み出した、人の魂のなれの果てか。
怨霊という言葉が似合いすぎて笑えない。
『なにゆえ、お前は私の前に現れた。身動きするのも辛い怪我を負って、動けないはずなのに。私にはそれが分からない』
「分からない?はっ、私はただ自分の好きな人を守りたいだけ。今も昔も、その気持ちは変わってなどいない」
元はといえば、私が原因でもある。
こんな化け物を、この世界に呼び起こしてしまったのは……。
『愚かだな。彼らに関わらなければ、殺しはしない。私の魂を受け継ぐモノとして、お前の事は嫌いではないのに』
「あいにくと私は、こんな化け物を自分の“過去”に持った覚えはないよ」
自分の過去が椿姫だと認めたくないものだ。
私の前世が……こんなにひどく屈折した想いを抱いた人間だとは思いたくないから。
「椿姫、柊元雪の魂に触れて、影綱の記憶を見たはずだ。この桜が見た光景も……」
『見事なまでの裏切りだった。私を捨て、他の女に目を向けただけではなく、最後は彼女を想い、死した。まったく、私は滑稽だな。己の死の最後まで、彼を想い続けたというのに。影綱様は私を愛してくれてはいなかった……』
私の中に椿姫の生前の想いが入りこんでくる。
それは年相応な女性の想いと何も変わりないもの。
『影綱。私を嫁にもらってほしい。私は影綱を好いているわ』
初恋だった幼馴染に告白をして、結婚が決まり、幸せな日々だった。
『生きたい……ぁっ、ひっく……私は生きたいよ、影綱っ』
目に見えない病との戦い、明日を知れぬ身体と生きたいと言う気持ち。
『おのれ、おのれ、おのれ――』
だが、彼女の想いは無残にも裏切られてしまった。
『私は、ただ……愛されたかった、だけ……』
死の間際まで影綱を想う一途な想い。
影綱と紫姫に対する憎しみが、溢れていく。
一途過ぎたゆえに彼女の心を黒く染めてしまった。
「これが……椿姫の本当の想い」
なるほど、これは怨霊になるわけだ。
これだけ人を強く愛しすぎていたゆえに裏切られた現実を受け止めきれずに、狂おしいほどに壊れてしまった。
“愛”が“憎しみ”に変わってしまった――。
私はひらひらと舞う桜の花びらを掴んだ。
「季節はずれながらも綺麗な桜だ。これから先も、この桜を見続けましょう。お前が影綱に約束した事だったな」
『そうだ。病弱で先の見えぬ私の唯一の希望だった。その想いすら彼は踏みにじった!』
「……お前は人を愛したから分かるはずだ。人を愛する気持ちの難しさを。愛されたい、でも、愛してくれない。愛情という想いは他のどんな感情をも上回る強いものだから」
私は柊元雪を愛している。
愛する気持ちがあるからこそ、自分の前世にだって立ち向かう。
「愛は……難しいな。好きな相手から愛されたい、愛して欲しいと思う。私もそうだ、初恋を終わらせたくないから必死で今も彼を振り向かせようとしている。彼にも私を愛して欲しいと願い、行動し続けている」
『……お前なら分かるはずだ。裏切られた想いを』
「辛いね。想像したくもないほどの辛さと、絶望がお前を狂わせたんだな。分かるよ、お前のその気持ち。同じ女としては理解もできなくはない。発狂するほどの嫉妬心、憎悪も分からなくはないけれど……」
私は怨霊に自分の気持ちをぶつける。
「お前が本当に怒りをぶつけるべき相手は私たちじゃないはずだ」
一人の男を愛し続けて、壊れてしまった愚かな女の末路。
怨霊となってまで復讐を果たそうとする女性。
「椿姫……お前は……」
『黙れ、黙れ……!』
辛い現実を知り、絶望しかなくなっても……。
「こんな怨霊となっても逃げているんだ、お前は」
『黙れと言ってる!』
彼女はまだ“影綱”を愛しているから。
愛しているから、影綱だけを憎いと思いきれていない。
「椿姫……現実と向き合え。影綱はお前だけを愛していなかった、その現実と!」
愛されたかった、愛してはくれていなかった。
「お前は影綱に言いたかったんだ。どうして私を愛して続けてくれなかったのって。お前の愛を否定したのは彼だ、お前は彼だけを憎めば良かったのに」
人は弱い生き物だから、いつもどこかで逃げようとする心が生まれる。
彼女は弱いからどんなに、辛くても、悲しくても、現実を受け止めようとしない。
「紫姫も憎い、魂を受け継いだ者達も憎い。お前の憎しみをそうやって拡散させていく事で、本当に憎むべき相手だけを強く憎まずに済むから……」
『――黙れと言ってるだろうッ!』
怨霊の悲しい叫びが森に響き渡る。
あぁ、椿姫というのは可哀想なくらいに一途な女性だと思い知る。
この女性は心の底から影綱を愛しているからこそ、裏切られた現実があっても、影綱だけを憎みたくない気持ちがあるのだと思った。
……その愛のとばっちりで私達はすごい巻き添えを食らってるわけだ。
まったく、呆れて言葉も出ない。
ホントは影綱に「この浮気者!」と罵れる事ができれば、こんな事にはならなかった。
悪いのはいつの時代も男だ、それは断言できる。
彼女は冷たい瞳を私に向けて言う。
『気が変わった。唯羽……お前も殺しておいた方がいいわ』
「初めから、そのつもりじゃないのか?私を生かしておく理由もないだろ?」
『……消えてなくなれ。元雪の魂と共に』
突如、炎が爆ぜる。
視界を赤く染める炎。
「これは……!?」
熱い、と思った時には私の周囲を炎が取り囲んでいる。
炎は森の木々を、桜の花びらを燃やす。
数多の出来事を見続けてきたご神木の桜の巨木すらも、灰燼と化す。
ご神木が炎に飲まれて燃えていく。
この土地の思い出も、残された想いも何かも……燃やしつくしていく。
『もう終わりだ、唯羽。お前は何もできずに死ぬ。元雪も助けられずにね。お前達を殺したあとは、紫姫の魂を継ぐ娘も殺して私の復讐は終わる』
「まだこの期に及んで復讐とか言っちゃうなんて哀れな女だよ、椿姫」
『なんだと?』
「お前のは復讐でもない、ただの妬みだ。私達が幸せを謳歌していることへの嫉妬。前世と違い、現世の私達は仲が良くて……恋をしあって、幸せだから。自分が成せなかった幸せを妬んでいるだけだ」
前世から繋がり、ヒメも柊元雪もこの現世で出会うべくして出会った。
数奇な運命と呼べる運命でも、私達は幸せだ。
「裏切られた現実とも未だに向き合えない。怨霊の自分勝手な我が侭なに、私達の幸せをこれ以上壊されてたまるか!」
前世の因縁を、今ここで断ち切る。
この幸せを守り続けていきたい、だから――。
『唯羽、貴様ぁッ――!』
椿姫の怒り、森を包みこむ炎が私を巻き込もうとしたその時――。
「――つ~かまえたッ!」
場違いなほどの明るく可憐な声。
『――まさか……どうして、お前が?』
椿姫が背後を振り返ると、彼女を背中から抱きしめる少女がいた。
彼女の存在を見て、驚愕した表情が凍りつく。
なぜならば、そこにはいるはずのない少女がいたからだ。
私は彼女に軽口を言い放つ。
「……遅いぞ、危うく私も大ピンチになりかけた」
「ごめんねー。ちょっと、あっちの方に手間取ってたの。無事に解決したのでこっちに来たよ」
少女は怨霊に対しても怯えることなく、不敵な笑みを浮かべて言うのだ。
「さぁて、と。人の幸せを妬んでるだけの怨霊さんにはさっさと退場してもらいましょうか?」
そこにいたのは消失したはずの魂の片割れと呼べる存在。
もう一人の私である“椿”がいたのだから――。