第117章:救えない無力
【SIDE:篠原唯羽】
初めて元雪の事を好きになってからもう何年の時間が過ぎたんだろう?
たった数日の出会い。
こんなにも私の人生の中心になるほどに大きな想いになるなんて。
「も、元雪、恥ずかしいよ」
「いいから、唯羽ちゃんはジッとしていて」
私を背負う彼の小さな背中。
ある日、転んで怪我をした私を彼はその背中に背負った。
大した怪我ではないので、歩いているけると言ったのに、元雪は聞いてくれなくて。
「大丈夫なのに。立って歩けるよ」
「ダメだよ、唯羽ちゃん。血が出てるんだから、大人しくしてね。それじゃ行こうか」
「うぅ……」
恥ずかしさと嬉しさが入り混じる感情。
ドキドキと心がときめく。
彼に背負われた時に感じたその感情こそが、恋の始まりだったのかもしれない。
元雪と言う初めての恋心を抱いた相手。
前世同士の繋がりなんて知らなくても、私達は出会い、恋をした。
それなのに、人生はうまくいかなくて、悲しい別れを私達に与えた。
私は好きな人の運命を狂わせている。
私さえいなければ、って何度も思った。
けれどもそのたびに彼を諦める事が出来ない自分の想いに気付かされる。
私は元雪が好き。
その気持ちが変わらない限りは、私は彼を好きでい続ける。
例え、私が傍にいられなくなっても……。
目が覚めた時に最初に見えたのは末妹の日羽の泣きそうな顔だった。
「……日羽?」
「お姉ちゃん!?うぇーん、よかったよ。お姉ちゃんが起きたぁ!」
大粒の涙をこぼす小学生の妹。
私は大げさだなと思いながら、辺りを見渡す。
「ここはどこなの……?」
見慣れない風景、どこかの部屋らしい。
消毒薬の独特の匂いが鼻につく。
「ここは病院だよ、姉さん。日羽はもう少し大人しくしておきなさい」
もう一人の妹、美羽は安堵の表情でこちらに微笑する。
「本当によかった。日羽、外にいるお母さんを呼んできて」
「はーい♪おかーさーん」
日羽が部屋の外へと走る後姿を眺めながら、美羽に問う。
「……私はどうしてここにいるの?」
「今の自分の状況がまるで分かっていないのね、姉さん」
自分の状況?
私は動こうとして身体を動かす。
すると、身体全体に激痛が走って痛みにうめく。
「い、いたっ!?な、なんで……?」
「あのねぇ、姉さん。ただいま、貴方は重傷を負ってるの。OK?無理しないで」
「うぅ、いひゃいよ。え、重傷……?」
痛む身体に悶絶しながら、呆れる妹に尋ね返す。
よく見れば、私の身体は包帯だらけで腕も動かない。
「……左腕とあばら骨が数本も骨折してる。それと打撲や打ち身、多数。擦り傷はそこらじゅう、頭だけほとんど傷がないのはもはや奇跡だって。よかったね」
「うわぁ……私、よく無事だったなぁ」
傷だらけの私の状況を淡々と説明する美羽にぞっとする。
「昨夜、椎名神社の階段から転げ落ちたそうだよ。何してるの、姉さん」
「……昨日?」
そこまで言われてようやく私は事態を飲みこみ、思い出した。
昨夜、あの場所で何が起きたのかを……。
『唯羽お姉様。貴方は邪魔なんですよ。私にとっても、彼女にとっても……』
椿姫に惑わされて、操られていたヒメちゃん。
『……私も自分に素直になります。大好きな人のために』
彼女は私を階段から突き落とした。
そうか、私……ヒメちゃんに嫌われたんだ。
あれが椿姫の影響を受けたせいかどうかは分からない。
けれども、もしも、あれが本音なのだとしたら……。
大好きな相手に嫌われるなんて辛いな。
「何があったか、覚えてる?」
「うん。いろいろとあったの。辛いことがね……はぁ」
私はため息をつきながら病室の天井を見上げた。
「誰にひどい目にあわされたの?例えば、和歌さんの彼氏を寝とって、二股で揉めて取っ組み合いになったとか?」
「……それに近いかも」
「やめてよ、冗談を真顔で返されると困る」
妹は「そんな冗談を言う私が悪かった」と反省する。
ずっと距離が開いていた事もあり、こんな風に妹と話す機会も少ない。
優しい妹の気づかいに私は「美羽はいい子だなぁ」と笑って答えた。
「な、何、いきなり……私を褒めるなんて珍しすぎて気持ち悪い」
「ひどいよ。傷だらけのお姉ちゃんに言うセリフじゃない」
美羽は詳しい事をそれ以上は聞こうとしなかった。
彼女なりに何か事情のある事だと察してくれたんだろう。
やがて、病室にお母さんがやってきたの。
「唯羽、大丈夫?痛い所はない?」
「……身体中が痛くて泣きそう」
「しばらくは安静してなさい。無理はしちゃダメよ」
でも、無理と無茶をしなくちゃいけないんだ。
今の元雪の傍にいるヒメちゃんは危険な存在だもの。
私は時計を見ると、昼の2時過ぎだった。
……もう巫女舞が始まっている頃だ。
「嫌な予感がするの。お母さん、私、行かなきゃいけない」
「な、何言ってるの、このバカ姉。そんな身体じゃ無理に決まってるし。お祭りならまた今度にすればいいじゃない」
戸惑う美羽と違い、お母さんはある程度の事情を分かってくれている。
「唯羽……元雪さん達が危ないのね?」
「多分。直感だけど、嫌な予感がするの。何が起きてるんだ」
「それが唯羽の怪我にも関係してるんだ?私が止めても行くんでしょ?」
「ごめん。誰が止めても行きたい。私は守らないといけないんだ」
それが私の責任だもの。
今度は心を失うだけで済まない結末になるかもしれない。
例え、それでも私は自分の全てを犠牲にしてでも、元雪を守る。
「……行ってきなさい。仕方ないわ。私には貴方を止められない。母親失格かしら」
「違うよ、お母さん。貴方は私にとって理解者で、最高の母親だもの」
心を失った時も、支え続けてくれたのは母だった。
私と同じ人の心の色が見える力を持っていたからこそ、様々な意味で私の事を理解してくれていた、大事な人……。
「……はぁ?お母さん、何言っちゃってるのよ?姉の暴走を止めないの?」
「止められない。美羽、貴方もついて行ってあげて。その代わり、ちゃんとやる事を終えたら病院に戻ってきなさい。それが約束よ」
「……うん。ありがとう」
私は身体を起き上がらせる。
激痛で泣きそうになるけども、まだ痛みだけなら耐えられる。
折れている腕と違い、足の怪我は大したことがないから、立って歩く事もできる。
「……い、意味が分からないんだけど?姉さんは何をしようとしてるの?バカなの?」
「バカって言わないでよ。自覚はあるけどね」
動揺しまくる妹には悪いと思うけど、ここは助けてもらおう。
私は美羽に支えてもらいながら病院を抜けて、椎名神社へと向かうことにした。
タクシーを使い椎名神社に向かうと、松葉づえをつきながら境内にたどり着く。
この様子だと、巫女舞はもう終わったみたいだ。
「祭りで賑わってるね、こんな場所に何の用事?」
「……元雪とヒメちゃんを探すの。貴方も手伝って」
「はぁ……重傷の身でよくやるね。分かった、誰かに聞いてくるからジッとしていて」
美羽が聞き込みをしてくれて動いてくれるので助かる。
彼女はある情報を手に入れて戻ってきた。
「姉さん、さっき巫女さんのひとりが和歌さんと男の人が森の方へ入って行った所を見たんだって。男の人って多分、元雪さんだと思うよ」
「森の方……やっぱり、そういうことか」
元雪には携帯も通じなくて、音信不通状態だった。
これは私の嫌な予感が当たっているかもしれない。
「どうするの?」
「追いかける。美羽、ありがとう。貴方はここまででいいよ」
「は?一人で行くの?無理だって、その身体でまともに歩けるわけないじゃん。自分がどういう状態か、本当に分かってるの?バカ、本当にバカ!」
悪態をつきながら私の心配をしてくれる。
私は妹の頬を撫でて言う。
「ありがと、美羽。それでも私には助けなくちゃいけない人がいるから。もしもの時のために、ここで待っていて」
「……もしもの時って何?不気味な事を言わないでよ?」
「いざとなったら、連絡するから待っていて欲しいんだ。お願い……」
ここから先はどうなるのか、私にも想像がつかない。
ただ一つだけ言えるのは、ここで何もしなければ後悔する結末になる。
……だから、私は行くんだ。
「何もしなかった事を、後悔なんてしたくないから――」
私は松葉づえをつきながら覚悟を決めて、森へ踏み込んだ。