第116章:巫女神楽
【SIDE:柊元雪】
椎名神社の秋の神事、当日になった。
俺に唯羽が怪我をしたという情報が入ったのは、朝の事だった。
『唯羽が大怪我をして入院している』
椎名家を通じて、俺に連絡が入り、すぐさま病院に向かう。
そこには傷だらけで重傷を負った唯羽が病院のベッドで眠っていた。
俺は唇をかみしめながら、その姿を直視する。
病室にいたのは先日にあったばかりの唯羽の母の天那さんだ。
「……唯羽はどうしてこんなことに?」
「昨夜、椎名神社の階段から転げ落ちたらしいの。たまたま出かけていた小百合がすぐに見つけてくれて救急車で運ばれたわ。左腕とあばら骨が数本、骨折してるみたい。他にも小さな怪我は無数だけど、命に別条はないそうよ」
小百合さんが見つけた時には既に唯羽の意識はなかったそうだ。
傷だらけの唯羽の姿に俺は言葉を失う。
ベッドで眠る、包帯だらけの彼女の痛々しい姿。
幸いにも、医者の話では頭には目立った怪我はないので、すぐに意識が戻るだろうと言う話だが……あの長い階段から転げて落ちて無事だとは思えない。
早く意識が戻ってくれればいいが……。
「階段を転げ落ちたって、夜ですよね?」
「えぇ。和歌ちゃんに呼ばれて、会いに行ったのよ。そこで、階段に転んだ、と言うことらしいんだけども、事故を目撃した小百合は、誰かと話しているようだったって」
「その相手は和歌ですか?」
「いえ、違うわ。事故の時に、和歌ちゃんは自分の部屋にいたって……。どうして、こんなことになってしまったのかしら」
娘を心配する天那さん。
当然だ、こんな状況になってしまうなんて思いもしていなかった。
「……誰かが唯羽をつき落したんでしょうか?」
「その可能性もあるんじゃないかって、小百合は言ってたわ。もちろん、人影がいたように見えただけの可能性もある。薄暗かったし、確認した時には上には誰もいなかったそうよ。ただ、唯羽の転げ落ち方が不自然に見えたって」
誰かに襲われた可能性がある。
だけど、どうしてだ?
こんな時に、唯羽が襲われなきゃいけない?
「この子をひどい目に合わせるなんて……」
「……椿姫の呪いの話と何か関係があるのかもしれません」
天那さんの判断で事故は警察沙汰にはせず、祭りも予定通り行われるそうだ。
怨霊のせいで……なんていう話は誰も信じないだろうしな。
「元雪さんも気をつけて。唯羽のように襲われるかもしれないから」
天那さんは親として悲痛な表情で眠る唯羽を見つめていた。
俺は唯羽が気になりながらも、秋の神事が行われる椎名神社に行くことにした。
純粋な気持ちで楽しめそうにはないが、この祭りで何かが起きるかもしれない。
考えてみれば、今の俺達は最悪の状況だった。
呪いの弓矢も紛失で行方不明、唯羽も重傷を負ってしまった。
ここに椿姫でも蘇れば、正直な話、打つ手がない。
「……俺達はどうなってしまうんだろうな」
思い返せば10年前、俺を殺そうとした椿姫の呪い。
あの日と同じように彼女は俺をまだ狙っている。
怨霊相手にどう戦えというのやら。
俺達にはファンタジーのような力があるわけでもない。
「お祓いでも受けて解決する話でもないし。それで終わるならいくらでも受けるけど」
唯羽が怪我をしたと言う長い階段までやってきた。
神社の正面に当たるこの場所は、秋の神事のために人々が往来している。
昨夜の唯羽の事件は大げさにしないように、という天那さんからのお願いもあってか、何事もなかったようになっていた。
「ここで唯羽は誰かに襲われたのか」
状況を整理してみよう。
なぜ、唯羽はここに来たのか?
和歌に会いに来たと言うことらしいが、その前に誰かと会った可能性がある。
「本当に事故ってことはないだろうな」
小百合さんの話では、唯羽と最初に会ってから次に目撃するまでの10分ほどの間に彼女は移動をしていなかったらしい。
「……この場所で誰かと立ち話でもしていた?」
そうなると犯人は顔見知りとなる。
だが、あの唯羽は人の心の色が見えるはず、不審者ならばすぐに気付くだろう。
状況から察するに、唯羽は昨日、誰かと話をしている最中にここから突き落とされた。
そう考えれば、状況的なつじつまも合う。
今の俺達に恨みがあるのは椿姫のみ。
だが、怨霊である彼女が直接手をかけるとも考えづらい。
それができるなら今すぐ、俺を殺しに来てるはずだしな。
考えられるとしたら……彼女に協力している人間がいる、と言うことか。
弓矢を奪ったのも同一の相手かもしれない。
操られているのか、自分の意思か知らないが唯羽をあんな目に合わせるなんて許せない。
一体、誰がこんな事をしているのだろうか?
思い当たるのは一人だけ……でも、本当に“彼女”が?
椎名神社の秋祭りのメインは和歌の巫女舞だ。
神様へ捧げる神楽、舞を踊る彼女に会うことにした。
社務所に立ち寄ると、待機している彼女に出会えた。
「元雪様っ。お姉様の容体は……?」
「骨折もして、重傷だけど命に別条はないって。でも、まだ意識が戻らない事が心配だな。昨日、唯羽と会う約束をしていたんだって?」
「はい。私、部屋でずっと待っていたんですけど、時間になってもこなくて……」
その間に誰かに襲われたってことか。
「和歌は犯人らしい人は見ていないのか?」
「誰も見ていません。お姉様が襲われてしまうなんて怖いです」
震える彼女を俺は抱きしめながら落ち着かせる。
皆は祭りに出払っているのかここには俺達以外の誰もいない。
「勇気をもらいたいんです……キス、してくれますか?」
和歌の誘いに頷いて、そのまま唇を重ね合う。
恋人同士のキス、それで彼女は心が落ち着いたようだ。
「愛しています、元雪様。誰よりも、貴方だけを……」
俺に真っすぐな愛情をぶつけてくる。
和歌の愛に照れくさくなる。
もうすぐ巫女舞の本番が始まる時間だ。
「元雪様、見ていてくださいね」
「あぁ、見させてもらうよ」
そして、秋の神事の巫女舞が始まった。
舞台にあがる衣装姿の和歌は緊張した面持ちで巫女舞を踊りはじめる。
観客の人々が賑わう中で、俺は遠目に彼女を眺めていた。
派手な踊りではないが、見る者を引き付ける力のある舞だ。
「……綺麗だな」
古来、巫女舞とは神降ろしの神聖な儀式だったと言う。
自分の身体に神様を降ろす、そのための存在が汚れのない巫女だったらしい。
静かな雅楽に合わせて踊る和歌。
煌びやかで華麗なその舞は、この場の全ての人を魅了する。
「……練習してただけあって、見事な舞じゃないか」
しっかりとした舞で、和歌は最後まで音楽に合わせて舞い続ける。
そして、和歌の巫女舞は終わりを迎えた。
拍手喝采の中、彼女は一礼をしてから舞台を降りる。
秋の神事はまだ続くが和歌の役目は終わったので俺は彼女に会いに行く。
俺は再び社務所を訪れると和歌が床に座っていた。
「お疲れ様、和歌。見事な巫女神楽だったよ」
「ありがとうございます。緊張しました」
汗をぬぐい、ペットボトルのお茶を飲む彼女。
立派に踊りきった彼女の頭を俺は撫でる。
「くすぐったいですよ、元雪様」
「これで秋の神事は終わりなのか?」
「そうですね。後は祝詞を奏上したりする儀式が行われたりするだけです。その後は普通の秋のお祭りとして皆も楽しんでもらったりしていますよ」
役目を終えた事もあり、和歌は緊張感から解放されてホッとしたようだ。
「……元雪様。ひとつお願いがあるんです」
「何だ?」
和歌は真面目な顔をして俺に言った。
「昨夜、お姉様に話そうとした事ですが、あのご神木に気になる事があるんです。一緒についてきてくれませんか?」
「……森に入るのか?それはダメだ、唯羽からも止められている」
特に祭りの期間中には絶対に入ってはいけないと言われた。
「気になる事ってなんだ?」
「それは、向こうでお話します。私を信じてついてきてくれませんか?」
和歌の言う通りについていくのは良い事なのか。
俺の中にも危惧する事がある。
ここ最近の和歌の違和感、彼女を疑っているわけではないが……。
「やっぱりダメだ。唯羽の指示に従おう、危険な真似はしない方が良い」
「お姉様の言葉を信じるなんて……。それなら、いいです。私、一人で行きますから」
「わ、和歌!?待ってくれっ!」
和歌は社務所を飛び出すと、ひとりで森に入り込んでしまう。
「ちっ、どうしてこうなるんだよ。和歌、危ないからこっちに戻ってこい」
俺も仕方なく、彼女のあとを追い、立ち入り禁止の森へと入る。
唯羽の強襲、和歌の異変……。
そして、始まるのは悪夢の再来――。