第111章:嫉妬と歪み
【SIDE:椎名和歌】
秋の神事はこの椎名神社では大切な行事のひとつだ。
特に巫女舞を披露するために、私も稽古が忙しくなる。
元雪様とも少し距離を置いてることは寂しい。
けれども、この大切な時だけは恋に浮かれていられない。
椎名神社の舞台で私は巫女服を着て、巫女舞を踊っていた。
「……和歌、あんまり根を詰めすぎないようにね」
「分かっています、お母様」
巫女舞の稽古中に、様子を見に来たお母様。
彼女も昔は巫女で巫女舞をしていた。
子供の頃から私は彼女に指導されてきた。
「去年はうまくやれていたじゃない。今年は何か違う。何か気負うように感じているわ」
「気負ってはいませんよ。ただ、去年に成功したからと言って今年成功するわけじゃないです。私はこの神事だけは大事なものだと思っています。失敗したくないんです」
「……そう。無理はしないで。そう言えば、さっき、元雪君と唯羽が神社に来ていたわよ。何でも、探し物があるから倉庫の方に入る許可が欲しいって」
ふたりが探し物をしている?
何を探しているのか気になる。
「和歌も時間が空いたら、2人に会う?」
「いいえ。今はいいです。元雪様に会うと心が緩んでしまいますから、我慢します」
「……恋する気持ちを我慢するって大変よ?」
それでも、やらなければいけない事が私にはある。
用意してくれたお茶を飲み干すと、私は再び舞台にあがる。
「練習をします。お母様、最初から見ていてくださいね」
「もう休憩終了?まだ5分も休んでいないじゃない」
「……あと1週間、私には時間がありませんから」
毎年変わる巫女舞を完璧にするためには時間が惜しい。
お母様の心配する顔を申し訳なく想いながらも舞いを始めた。
「……っ……」
元雪様に会いたくて。
彼とふたりっきりでいる唯羽お姉様が羨ましくて……心が痛い。
あの2人は何をしてるのかな。
一応、恋人同士だもの……きっと仲良くしていて、恋人らしい事もして……。
「何を考えているの、私は……」
そんな事を考えてはダメ、余計な事を考えている場合じゃない。
変な想像をしてると不安になってしまう。
私は湧き上がる不安を押し込めて舞に集中することにした。
元雪様に会えないことで不安ばかりが私の心を締め付けていく。
その日の練習を終えたのは、夕方になってからだ。
すっかりと夕日が沈むのが早くなった気がする。
シャワーを浴びて、薄暗くなっている神社を歩く。
舞台の方に忘れ物をしたので取りに戻っていた。
……さきほど、元雪様達は何をしていたのか?
気になる事はあるけども、気にしないように心を制御する。
「我慢するって決めたのは私なんだから……」
目の前の事に集中するために、今は我慢するしかない。
舞台の片隅に置き忘れた扇子を回収する。
最近は疲れているか、こういううっかりが多い。
本番が近いので、気を引き締めないといけない。
「はぁ……もう、何やってるんでしょう」
自分に呆れながら、小さくため息をついて、私は家に戻ろうとする。
神社を歩いて目に入ったのは立ち入り禁止の看板の文字だった。
本来ならばご神木の方へ続く道。
夏が終わる少し前くらいにお姉様の発案で、ご神木付近が立ち入り禁止にされた。
……今、この森はとても危険なんだってお姉様は言っていたけども。
「誰も見ていませんよね?少しくらいなら入っても大丈夫なはず」
私は自分がいけない事をしていると思いながらも、その道に足を踏み込んだ。
小さな頃からこの鎮守の森は私にとって特別な場所だった。
特にご神木は私の心を癒してくれる。
傍にいるだけでとても心が落ち着く場所だ。
「やっぱり、ここは落ちつきます」
お姉様は危険って言うけども、どこも変には感じない。
きっと、彼女が過敏に気にしすぎているだけなんだ。
夕闇の森を歩いて、私はご神木にたどり着く。
いつもと同じように木の傍に座り込んで、巨木を眺める。
「もう、葉っぱも枯れそうです。秋が終わって冬がきて、春には綺麗な桜が咲いてくれる事を楽しみにしてますよ」
春になれば満開に咲き誇る桜が楽しみで、桜の木に触れていた時だった。
視界の先に、人影のようなものが見えた。
「……誰かいるんですか?」
その人影は返事もせずに森の奥へと進んでいく。
私は怖いと思いながらも、人影が気になって後を追う。
「待ってください、そちらは危ないですよ?」
そこはかつての社があった方だった。
今は草木が生い茂るだけの場所。
私は人影を追うけども、そこには誰もいなかった。
「今の人はどこに……?」
姿を消した彼女を探して辺りを見渡すと、ようやく私は人影を見つけた。
その少女は長い黒髪に着物姿をしていた。
「……ここで何をしているんですか?」
誰かが迷い込んだのかもしれないと、内心は怖いけども声をかけてみる。
「貴方は、誰ですか?」
そう思って、私は少女の肩に触れる。
『――私が誰ですって?』
その少女は、私の方へと振り向くと、その少女の顔に私は心底驚いた。
『……私は“椿”。貴方と会うのは初めてかしら、紫のお姫様?』
そこにいた少女はお姉様と非常によく似ている容姿をしていた。
「つ、椿姫様……どうして?」
椿姫様……その相手の名前にびっくりして、思わず尻もちをついてしまう。
これは夢か、幻か、それすらも分からなくて。
ただ、私は恐怖で身動きすらもできないでいる。
『あははっ。本当なら貴方も嫌な存在なんだけども、私の怒りは影綱様にだけ向けている。今さら、紫姫の生まれ変わりの貴方を傷つけて仕方ないわ』
「元雪様達に何をするつもりなんですか?」
『……』
椿姫様は何も答えずに、寂しそうな表情を私に向ける。
そして、彼女は悪魔の囁きを始めたの。
『ねぇ、今のままで本当にいいと思ってるの?恋人がふたり?笑わせないで欲しいよね?人をバカにしすぎ。愛してる女がふたりいる、優柔不断な彼氏にはもうんざり』
「それは……元雪様が決めて、私もそれを良しとして……」
彼が決めた事だから、私は嫌われたくないから我慢して受け入れて。
受け入れて……本当に?
『何それ?いつまで良い子ちゃんでいたいの?そろそろ、自分を解放しようよ?我慢なんてしなくていい。邪魔するやつはすべて排除してしまえばいい』
椿姫様の言葉が胸に突き刺さる。
彼女の言葉は私の心の奥底に封じ込めてきたものだった。
不安、不満、嫉妬、歪んだ感情が溢れていく。
『唯羽は邪魔だ、彼女なんていなければよかった』
「ち、違います、お姉様の事をそんな風に思った事なんてありません」
『嘘だよ。昔から好きだったからって理由だけで、今さら恋人気どり?元雪は私だけのもの、そう思ってるんでしょう?』
お姉様を邪魔だなんて、言い切れる資格なんて私にはない。
『……貴方には幸せになる権利がある。元雪と幸せになるためにどうすればいい?そう、すべて唯羽が悪いの。彼女さえいなければ私は幸せになれるの』
「やめて、お姉様の事を悪く言わないで!」
実の姉のように慕う人を傷つける言葉を告げないで。
『大好きな元雪を取りもどすためには必要な事でしょう?』
「取り戻す?」
『最初から元雪は貴方だけのもの。邪魔する人はどけてしまえばいい』
誰にも渡さない……邪魔する人は許さない。
いつしか、私は自分が笑っているのに気づく。
なんで笑っているの?
『……元雪の心が唯羽に惹かれているのが嫌なら、自分に素直になっちゃえ』
「だからって、お姉様を排除するなんてできません」
『好きな人ならその心も身体もすべて、独り占めしたいのは当然じゃない』
「……ぁっ……」
押しつぶされそうな不安が、溜まっていた不満が、溢れだして止められない。
どんなに否定しようとしても、それを否定できなくて。
彼女の口を出てくる言葉は私の本音なのかもしれない。
だとしても、それは本当ならば心の奥底に封じてきたもの。
『唯羽の排除。邪魔する彼女を消しちゃおうよ?あの子さえいなければ……ふふふっ』
嫉妬して、人を妬み、忌み嫌う気持ち。
「唯羽お姉様さえいなければ元雪様は私だけのものになる?」
『そうよ。さぁ、自分を解放して。大好きな人を取り返そうよ』
椿姫様の声に今まで感じたことのないほどの負の感情が私の心を支配する。
『そのためにも、貴方にはお願いがあるの。それを叶えて欲しい。そうすれば、大切な人は貴方だけのものになる』
私を誘うのは悪魔の囁き。
「――元雪様の愛は私だけのもの、なんだから」
私の心が、音を立てて壊れていく……。