第108章:最悪の前触れ
【SIDE:篠原唯羽】
まるで大きな声をあげて叫ぶように、森全体が突風に襲われて唸りを上げていた。
森の中心、ご神木の前には私が恐れている相手が姿を現す。
ご神木にもたれかかかる柊元雪を睨みつける、長い黒髪の化け物。
「つ、椿姫がなぜここに!?」
何もできずに全てを失った、10年前の悪夢。
影綱の魂を奪うために、柊元雪を殺そうとする怨霊。
私達の運命を翻弄する、椿姫がそこにいたのだ。
「やめろっ、柊元雪に近付くなっ!」
どうして、彼女が復活するような事態になったのか。
必死に考えるが、理由がまるで分からない。
椿姫は負の感情に吸い寄せられるように力を
私は自分が嫉妬しないようにしてるつもりだった。
それなのに……椿姫が再び現れるような事になるなんて。
『憎い……憎い……私は許さ……許さな……い……』
咆哮をあげる獣のような怨霊の叫び。
だが、突如として彼女はその姿を再び消したのだった。
煙のように消えてなくなる椿姫。
「……え?」
自分の目の前で起きた事が信じられずにいた。
私は幻を見ていたのだろうか?
「今のは一体、何だ?」
先程まで騒がしたかった森は再び、蝉が鳴く夏らしい雰囲気に戻る。
私はすぐさま柊元雪にかけより、身体を調べるが何もない。
「異常はなさそうだけど……?」
私は周囲を見渡すが、先程の光景が嘘のように何も感じられなかった。
「何が起きている?椿姫が不完全ながらも、姿を現すなんて……」
今のは夢、幻ではなかった。
確かに椿姫の怨霊の姿はそこにあったのだから。
とりあえず、私は柊元雪を背負い、ご神木から離れることにした。
しかし、昔と違って、すっかりと男性な体つきをしているために、私の力では難しい。
「昔はもっと楽だったのに。重いぞ、柊元雪……さすがに男の子だな」
軽く引きずる形で、なんとか神社の方まで連れてくると一息ついた。
「ここまで来れば大丈夫なはず」
私は柊元雪を膝枕しながら彼が目覚めるのを待つことにした。
「……どうすればいいんだ、どうすれば私は柊元雪を救える?」
これまでしてきたことだけでは、彼女を封じ込められないと言うことがはっきりした。
人格を変えて、負の感情を抑え込んでも、まるで意味がないなんて……。
私は椿姫という怨霊に対抗する手段を持たない。
彼女が復活すれば、柊元雪を守りきれない。
そうなる前に、未然に防ぐことしかできないのに。
「それすらもできていないなんて……私は……」
私は己の無力さを悔い、肩を落として俯いた。
やはり、私が感情を取り戻した事が間違いだったのではないか。
そんな事さえ思ってしまう。
「……私は、どうすればいいんだ?」
困惑、戸惑い、嘆き、悲しみ、怒り……。
あらゆる感情が私の心の中をぐちゃぐちゃにする。
「ダメだ、こんな事を考えていたらまた柊元雪を傷つける」
これこそが椿姫の企み。
「今の私は不安を抱えてはいけない。しっかりしろ、私」
自分の冷静さを取り戻すために私は深く息を吸う。
改めて私は覚悟を決める。
「椿姫に柊元雪を殺させたりなどしない。例え、私が犠牲になってでも守る」
子供だった10年前、ただ心を封じ込めることしかできなかった。
影綱を守ることができなかった苦い記憶を繰り返したくない。
「……今度こそ、私が守るからね、柊元雪」
いまだに意識のない彼にそう告げる。
膝枕をしながら、私は柊元雪の頭を撫で続ける。
愛している人を守る、そのためなら私は――。
【SIDE:柊元雪】
ようやく目が覚めた俺はいつのまにか、唯羽に膝枕されていた。
俺が眼を見開くと笑顔の唯羽がそこにいる。
「おはよー、元雪?目が覚めた?」
「……あれ?いつもの唯羽に戻ってる?」
明るい性格の方に唯羽の人格が戻っていた。
いつのまに変わっていたんだろう?
「えへへっ。びっくりした?」
「まぁな。今回は唯羽に無理させたんじゃないか?」
「人格のこと?大丈夫だよ、時々はあちらに頼る事もあるってだけ。どちらも私だもん。気にしないで。それより、影綱の記憶は見れた?」
「……あぁ。見れたよ。桜の記憶、影綱の裏切り。椿姫ではなく、紫姫を想っていた事も。なんだかなぁ、って感じだ」
裏切りの理由はあまりにも自分勝手なものだった。
椿姫を裏切った理由。
影綱は病により死を間近にしている椿姫の傍にいることで心が疲弊していた。
病に苦しみ続けている人を傍で見続けていれば、仕方のない事かもしれない。
紫姫との出会い、それは影綱にとってわずかでも椿姫を忘れてしまう。
刹那的な時間とはいえ、幸せな時間を過ごし、最後の時、彼の心にい続けたのが紫姫だったのだけは事実だ。
椿の最後を看取りたくないという願望。
それゆえに椿の存在を心から消してしまったのだ。
「影綱は椿姫を愛してたのに、裏切った。その罪は消えないし、恨まれるのも当然だ」
……人は弱いから、つい楽になりたいと思ってしまう。
椿姫を捨て、紫姫を選んだ。
影綱の選択を俺は男として許せない。
けれども、彼を責めるほど、今の俺の立場は良くはない。
大事に思う女の子がふたりいるのだから。
「元雪はその記憶を見てどう思ったの?」
「まだ良く分からない。落ち着いて整理させてもらってもいいか?」
「うん。今日は疲れたでしょ。ゆっくり休んでね」
まずは自分の中で整理をしなければ始まらない。
まだ頭が混乱している部部もあるので、一晩よく考えてみようと思う。
「……今ならまだ間に合うから」
去り際に唯羽が真面目な顔をしてそう呟いたのが気になった。
自室に戻ろうとすると、廊下で和歌とすれ違う。
今回の件では和歌は置いてけぼりで、寂しい想いをさせてしまった。
「元雪様、お疲れ様です」
「今回の旅行、ちゃんと楽しめなくて悪かったな」
「いえ、十分と満喫させてもらいました。誠也様達には感謝していますよ」
温泉に一緒に入ったりはしたけども、思う存分に楽しめたわけじゃない。
「なぁ、和歌。今度の日曜日は花火大会があるじゃないか。一緒に行かないか?」
「花火……元雪様と一緒に見るのは初めてです。楽しみにしてますね」
「あぁ。一応、唯羽も一緒だけどいいか?」
「……はい」
その返事はどこか寂しそうにも思う。
恋人同士として、ふたりっきりでというのを望んでいるのかもしれない。
「和歌の浴衣姿に期待をしてるから」
俺は和歌を抱きしめて頬にキスをして誤魔化した。
「……は、はい、頑張ります」
恥ずかしそうに微笑む彼女。
それが……影綱の記憶の紫姫の笑顔と重なった。
記憶に残る紫姫の姿を思い出す。
和歌と紫姫は本当によく似ている。
可憐な容姿もお淑やかな性格も雰囲気も……。
「紫姫の記憶を、今も和歌は思い出したりするのか?」
「夢に見る事は少なくなりましたね。でも、時折、ふいに紫姫様の声が聞こえるような気がします。今も彼女は私の心の奥底にいるのでしょうか」
「……前世って不思議だよな」
時を超えて繋がる想いがあるのだから。
俺は影綱のようにはならない、それだけははっきりと言える。
俺は和歌を求めるようにその唇を奪う。
「んぅっ、ぁっ……元雪、様?」
キスをしながら俺は大好きな和歌への想いを語る。
「好きだよ、和歌」
「……私も、大好きですよ」
吹っ切れた、という言葉が正しいのかもしれない。
これまでの俺は、中途半端な二股野郎で、何の覚悟もできていなかった。
……これじゃダメなんだ、愛するのなら全力で愛さなければいけない。
唯羽も、和歌も、2人が好きならば……その想いに応えるためにも。
「あら、ふたりともこんな廊下で逢瀬の最中?若いわねぇ?」
廊下で抱きしめあっている姿を和歌の母である小百合さんに見られてしまった。
「お、お母様!?違うんですよ?み、見ないでください」
「別にいいじゃない、恋人同士なんだから。ただ、場所は選んで欲しいけどね」
和歌が戸惑いながら慌てて真っ赤な顔で小百合さんに否定する。
夏の終われば、ひとまずのこの同居生活も終わる。
残り少ないが、常に傍にいられるこの日々を楽しもう。
俺は俺なりにふたりを愛すると決めたのだった。