第105章:それぞれの葛藤
【SIDE:柊元雪】
どれほどの時間が経ったのだろうか。
気がつけば、俺は唯羽に膝枕されていた。
「……ここ、は?」
「目が覚めたかい、柊元雪」
「唯羽……?そうだ、俺は……!」
ゆっくりと体を起こすと、周囲は青葉の生い茂る桜の巨木。
「俺は、今まで夢を見ていたのか」
「赤木影綱の記憶が流れ込んできたんだろう。どうだった、彼の記憶は?」
俺が見た桜の恋は、真っすぐな純愛だった。
影綱は椿姫を幼い頃から愛し続けていた。
それがなぜ、椿姫を裏切り、紫姫に惹かれたのかが分からない。
「なんで、なんでなんだよっ!どうして、影綱は椿姫を裏切ったんだ!?」
「……柊元雪?」
「俺には分からない。あれだけ愛した女を裏切る奴の気持ちが分からないっ」
俺は今まで影綱が椿姫を裏切った理由が分からずにいた。
椿姫を愛していなかったのではないか?
そう考えていたが、この記憶を垣間見て違うのだとはっきりした。
影綱は椿姫を心の底から愛していたのに。
「なぜ、影綱は裏切ったんだ?」
分からない、分からない、分からない。
俺の叫びに唯羽は驚きながら止めようとする。
「落ち着け、柊元雪。過去の記憶に影響され過ぎるな」
「……落ち着いていられるか。こんな記憶を見せられてっ」
心が不安定になる。
なんだ、このざわついた気持ちは……。
込み上げてくる怒り、憤る想いを抑えられない。
「柊元雪……落ち着いて、お願いだから」
唯羽は困惑する俺を抱きしめる。
「お前の苦しみは分かる。戸惑うのも分かるから……」
「……くっ、だけどっ……んぅっ!?」
俺の唇を強引に奪い、重ね合わせる唯羽。
唯羽の思わぬ行動に、乱れていた心がおさまる。
「落ち着いたか、柊元雪?」
唇を話した唯羽は顔を赤らめながらも、どこか嬉しそうだ。
「……お前、ちょっと強引すぎるだろ?」
「ふふっ。これくらいしないと、お前の動揺を止められないだろ」
こちらの人格の唯羽にキスされると、いつもと違ってときめくのだが。
突然のキスはともかく、俺はなんとか落ち着きはじめる。
俺は唯羽に抱きしめられながら深呼吸を一つする。
影綱の記憶を垣間見て、頭の中がぐるぐると渦を巻くように混乱している。
「……ふぅ。すまん、何か混乱していた」
「前世とはいえ、他人の記憶を見たのだから当然だよ。お前の混乱も、怒りも分かる。だからこそ、今の私がここにいる」
唯羽がいてくれるおかげで、ようやく俺は冷静さを取り戻せた。
「なぁ、唯羽……今の俺が見た桜の記憶は本当のことなんだろうか」
「お前がどのような記憶を見たのかは分からない。けれども、想像はできる。私が初めて、椿姫の記憶を見た時と同じなんだろう。影綱は確かに椿姫にとっては良き夫であり、彼は彼女の事を心底愛していた」
だからこそ、余計に分からないんだ。
「それだけ愛した女を裏切る事になった理由は何だ?」
「……それはこの桜は知らない。もう一つの桜だけが知っている」
「もう一つの桜、椎名神社のご神木か。因縁だよな。桜だけしか知らないなんて」
「人の想いは土地に残るものだ。想いが強ければ強いほどに」
夏の暑さを忘れるほどに清涼な風が吹く。
俺は桜の巨木に触れながら思うのだ。
「影綱の心変わりをした原因を、椎名神社のご神木は知っているわけだな」
「今のお前にならそれを感じられるけど、私は勧めないよ。恋月桜花の真実はあまりにも辛く、愚かで、寂しいものだから」
「それでも、俺は知らないといけないんだな。椿姫の呪いから逃げるわけにもいかない」
幸せな記憶、それが椿姫の怨霊を生みだすほどの悲しい記憶に変わる理由。
影綱と椿姫、紫姫の間に何が起きて、どうしてこうなったのだろう。
「全てを知った後でも、今までの柊元雪でいて欲しい」
「まるで、俺が変わってしまうような物言いだな」
「……変わるよ、きっとお前は変わってしまう。優しいから、誰よりも優しい事を知っているから怖いんだ。私は柊元雪の変化を望んではいない」
唯羽が危惧する事をこの時の俺はまだ知らずにいた。
桜だけが知っている記憶。
もうひとつの桜に会いに行かなくてはいけない。
【椎名和歌】
元雪様と唯羽お姉様が過去を探求すると離れてしまい、私は麻尋様と一緒に温泉に入りながら、のんびりとしていた。
「ユキ君たちの事が気になるの、和歌ちゃん?」
「えぇ。今頃、何をしてるんでしょう」
「私には難しい事は分からないけど、ふたりにとって大事な事があるんだよね」
お湯につかりながら、私は考えてしまう事があるの。
ふたりの関係が近づいてしまう事の不安。
これ以上、仲良くなられてしまうと、私と距離がもっと開いてしまう。
「ダメですね、私は……いつも嫌な事ばかり考えてしまいます」
元雪様の想いは今や、私だけに向かれているわけじゃない。
一目惚れをして好きになった時は恋月桜花の事も、前世の事も、お姉様の事も、何もか知らずに楽しく恋ができたのに、今の私は“嫉妬”ばかりしている。
いろんな事が分かって、私達の関係は変わってしまったの。
「恋って思い通りにはいかないものなんですね」
「そう?結局、どんな事があっても、強い想いを持った方が勝つんだよ。和歌ちゃんが唯羽ちゃんに負けたくないなら、もっと強い想いを持てばいい」
「そんなに簡単にうまくいくわけないじゃないですか」
「そうしたら、完全に唯羽ちゃんに負けちゃうよ。私があの子をすごいと思うのは、一途な思いの強さ。自分がどうなってもいい、彼を守りたいと心を封じてまで恋をしてきたところ。その強さがなければユキ君に想いは届かない」
麻尋様の言う通り、お姉様の想いはとても強い。
私には彼女みたいな真似は出来ない。
「和歌ちゃんが唯羽ちゃんに勝つために必要なのは……」
「必要なのは?」
「……胸かな。和歌ちゃんは立派な物をもってるじゃない。これで誘惑しちゃえば?」
ぽにゅっといきなり、タオル越しに私の胸を触りにくる。
麻尋様の思わぬ行動に私は顔を真っ赤にさせて温泉の中を逃げる。
「な、何をするんですか!?麻尋様、いきなり触らないでください!?」
「和歌ちゃんって、脱ぐと意外にスタイルがいいわねぇ。男の子は誰だって胸が好きなんだから、それでユキ君を誘惑しちゃえばすべてOKだってば」
「そ、そう言う問題じゃないと思いますっ」
「えー。そうかな?ちなみに、私はこれで誠也さんを落としたよ?あの人はあれでむっつりだからね。うん、やっぱり、女の子の最大の武器って身体だと私は思う」
麻尋様の発言に私は自分の胸を見て「元雪様も好きなのかな?」と悩んでしまった。
そんなはしたない事を考えてしまう私は、少しお湯にのぼせているようだった。
【篠原唯羽】
温泉旅行を無事に終えて、私達は椎名神社に戻ってきた。
今回の旅行は、柊元雪に影響を与えてしまった。
これまで前世の影響を受けずに来た彼を無理やり、引きずり込む形になった事に、とても危惧している事がある。
私の杞憂に終わってくれればいいのだけど。
家に戻り、夕暮れとなった頃に私は柊元雪に誘われて、ご神木の方へと歩いていた。
「柊元雪、何も今日でなくてもいいんじゃないか。ただでさえ、疲れているだろう?」
「気になるんだよ。俺はこのままでいいとは思っていない」
「私は心配なんだ。影綱の記憶を取り戻す事でお前に与える影響が怖い」
「心配かけてごめんな。それでも、俺は知りたいんだよ。どうして、影綱は椿姫を裏切り、紫姫に惹かれたのか。その真実を知りたい」
真実を知ることは必ずしも良いことではない。
知らなくてもいい事は、知らずにいても欲しかった。
だけど、これは私の我がまま、知りたいと願う柊元雪を邪魔する事はできない。
「……分かった。私も最後まで付き合おう」
「唯羽には本当に苦労ばかりかけてるな。辛い想いをさせてばかりだ」
「そう思っているのなら、愛情で返してくれればいい」
私自身、自分の台詞に驚き、照れくさくなる。
こちらの人格でそんなセリフを言えるとは思わなくて。
どうやら、本来の性格はこちら側にも影響を与えてるらしい。
夕焼けに赤く染まるご神木に到着する。
桜は彼に恋月桜花の辛い真実を見せるだろう。
「さぁ、桜よ。俺に、お前の見た恋の結末を見せてくれ」
彼はこのもう一つの桜の記憶に触れる。
やがて、意識を失い倒れ込む彼を私は支えてご神木にもたれかけさせた。
「今度の記憶は辛いよ。私でも嫌になるくらいだ。私の場合は裏切られて、傷つけられてしまう側の記憶だったけども」
桜は柊元雪にどのような真実を見せてしまうのか。
その時だった、鎮守の森全体が強い風に吹かれて唸りをあげる。
『……憎たらしい、憎たらしい。愛を信じるなど、意味もない事を』
その低い女の声に私はハッとして、ご神木の方を振り向いた。
そこにいたのは、鬼の形相で柊元雪を睨みつける着物姿の女性の姿。
「つ、椿姫、だと……?お前がなぜここにいる――!?」
封じられていたはずの最悪の怨霊、椿姫が再び私達の前に姿を現した――。