第104章:桜が見た恋《後編》
【SIDE:赤木影綱】
椿と夫婦になり3年の月日が経った。
俺は正式に赤木家の後継ぎとなり、戦でも前線を任されるようになりつつある。
戦のたびにあげる戦果もよく、頑固な父上にも認められ始めた。
最初は戸惑うばかりだったが、今では椿との生活も楽しく暮らせている。
だが、彼女を苦しめ続けている病は悪化の一途をたどっていた。
「……影綱様。今日は身体の調子もいいわ。久々に外へ出たいの」
「分かった。と言っても、町の方には出られぬであろう?」
「お城の方へ行きましょう。たまには皆の姿を見てみたい」
椿を連れ、俺達は城内で日々鍛錬する我らの赤木隊の所へ顔を出す。
「これは、影綱殿。椿姫様を連れられてどうなされた」
「妻が城内を歩きたいと言ってついておるのだ」
俺の指揮する赤木隊は武家生まれの若者が多い。
やる気も覇気もある自慢の部下達だ。
皆は木刀を振るい、弓を射て、己自身の鍛錬につとめている。
「皆、元気ね。……また戦は近いの?」
「いえ、しばらくは戦はないでしょう。近隣諸国も戦の気配を見せておりませぬゆえ」
普段、こう言う場所を訪れる事のない椿は興味ありげに見ている。
「だが、油断はできないな。遠方では領土を広げている噂の武将もおる。いつ奴らが攻め込んでくるかも分からぬ。ほら、手を休めるな。俺達の事はよい、鍛錬に励め。戦では日々の鍛錬が物を言うのだ。しっかりとしろ」
「これは、赤木殿は姫様の前だとずいぶんと厳しいですな」
「妻の前で良い所を見せようとするのは男の性でしょう」
「ははっ。さすがの影綱殿も奥方には弱いというところですか」
なぜか皆に笑われてしまう。
普段の俺と何が違うと言うのだ。
「お前ら、何を笑っているんだ?おや、椿姫様がきておられたのか」
奥の方にいた高久もこちらへやってくる。
「高久と会うのは久しぶりね。屋敷の方には顔を出してくれないから」
「……影綱が会わせてくれぬのです。見目麗しい自慢の妻を独り占めしている」
高久の言葉に皆が煽りたてて笑う。
くっ、高久め……幼馴染である椿に会うかと勧めても遠慮するのはお前だろうが。
気恥ずかしさに俺は近くの木刀を握りしめた。
「人をからかっているのではない。皆、この俺が直々に稽古の相手をするぞ」
「剣術で赤木殿にかなう相手はおりますまい」
「へぇ、影綱様はそんなに強いの?」
「いまや、赤木殿の武力はこの国でも相当なものです」
とはいえ、未だに父上には敵わぬ。
戦を歴戦し、くぐり抜けてきた者には強さで劣る。
俺も鍛錬をかかさず、己自身の力を強めていかねばならぬのだ。
「……ねぇ、影綱様。私は貴方の戦う所を見てみたいわ。高久と手合わせをしてみて?」
「なっ、影綱とですか、椿姫様?」
「ほぅ、そう言えば、高久とは最近はずっと手合わせをしておらなんだな」
「うぐっ……」
俺が高久に視線を向けると、気まずそうに視線をそらす。
「影綱を相手にすると、稽古でも無駄に疲れるのが嫌なのだ」
「持ち前の頭で俺をなんとかしてみせよ、高久」
「できるか。このような一対一の戦いに知力は意味をなさない。だが、椿姫様の前でお前を倒すのも、盛り上がるだろう」
知力が自慢の高久だが、武力が劣るわけではない。
むしろ、弓を使わせれば、強弓の使い手でもある。
刀同士では高久には負けた事はないが油断はならぬ相手だ。
椿は縁側に座ると我らに声をかける。
「ふたりとも、私を楽しませる戦いを見せて」
「影綱殿、ここは男の見せどころですぞ」
「高久殿は普段、強気な影綱殿の鼻を明かすときですな」
皆も俺達の稽古を見ながら楽しんでおる。
こういう雰囲気は嫌いではない。
俺は木刀を握り、高久に向き合う。
「さぁ、高久。はじめようか」
「……お手柔らかに、手合わせ願いたいものだ」
お互いに距離をとりながら、木刀で叩きあう。
「はっ」
俺の一撃をかわす高久は防戦一方だ。
だが、相手も強く、そう簡単に一撃を与えさせぬ。
刀で防ぎながら隙あらば、こちらに際どい攻撃を繰り出す。
「影綱、さすがに強いな。また腕を上げたか、この野郎」
「ふっ。ただ妻の前で恥をさらしたくないだけだっ」
「お前のそういう男らしさを見るのは久々だな。子供の頃以来ではないか?」
高久の言葉に昔を思い出す。
そういえば、椿の前でこのような事をした覚えがある。
あの頃も、好きな女の前で恥をかきたくないと必死だったな。
俺はそう言う所は変わっていないようだ。
交錯する木刀、一撃一撃が重く、互いに引かぬ攻防を見せる。
「ふたりとも強い。子供の頃とは全然違うわ」
椿が感嘆する声を上げるのが聞こえる。
ついそちらに意識を向けそうになるが、木刀の先が俺の肩をかすめる。
「惜しいな。自慢の妻に見惚れて、よそ見をするなよ」
「しておらん。それにしても、高久もやるようになった」
「ふっ。強くなったのはお前だけではないのだ」
「そうか。だが、弓だけでなく、刀までお前に負けるのは俺の立つ瀬がないのでなっ」
ここで俺は攻勢に転じて、再び勢いを取り戻す。
何度も木刀を交錯させ続けて、激しい音を鳴らし合う。
「くっ、影綱……!」
「そこだ、もらった!」
刹那、俺の繰り出した一撃は高久の木刀を弾き飛ばす。
そして、彼の首に軽く木刀を触れさせた。
高久は一呼吸ついて、「負けた」と敗北を認めた。
「ふぅ。さすがに影綱には勝てぬか」
「……まだまだ、お前には負けられぬよ」
汗をぬぐいながら呼吸を整える。
椿は立ち上がりこちらに近付いて微笑む。
「影綱様の強さを改めて見せてもらったわ」
「赤木殿も狩野殿もお見事でした。我らも気合いをいれて鍛錬に励まねばなりませぬ」
今の手合わせで、士気高揚もしたようで、充実とした時を過ごせたのだった。
その後も城内を椿と共にめぐり、夕刻になる頃には屋敷に戻る。
庭に植えられた花々を眺めながら椿が俺に寄り添う。
「久しく会えていなかった兄上とも会えて、楽しい時を過ごせたわ」
「そうか。なぁ、椿。今度は紅葉を見ようではないか」
「……赤く染まる山を見るのは楽しみね」
いつもこのように体調が良い日が続けばいいのに。
椿に見せたい光景は山ほどある。
「私は影綱様の妻になってよかった」
「突然、どうした……?」
「心の底から思うのよ。影綱様が夫だからこそ、私は残りの人生を面白く生きている。こうして心が穏やかなのは貴方が私の傍にいてくれるからこそ」
頬を紅潮させて静かにそう告げる。
俺は椿の髪を撫で、その身を強く抱き寄せる。
「……愛しておるぞ、椿」
愛しくて、愛しくて。
ただ、そのぬくもりを感じ合うだけで心地よい。
「私もよ。影綱様、私に幸せを……与え続けて……」
椿の差し出した手を握りしめ、指先を絡めあう。
「んぅ、ぁっ……」
どちらからともなく唇を触れ合わせる。
互いを求めあう心。
椿の背に手をまわし、深く抱く。
「影綱様の温もりは優しくて好きよ。ねぇ、影綱様の愛を私は信じても良い?」
「何を今さらのことを」
「これから、私は我がままを言うわ。貴方に対して、とても辛い我が侭を」
幸せな時にこそ、現実を直視する事も必要だ。
椿の我が侭とは何なのか?
「私だけを愛して。他の誰も愛さないで。私が生きてる間だけでいい。私が死んだあとは、他の誰でも好きになって良いから。今だけは私だけを見てほしい」
「椿……」
「子も産めぬ私を愛してくれる、影綱様を私も好いている。本当ならば、側室も持てる立場の貴方にそれを認めさせない私を恨むかしら」
「……恨むわけがあるまい。それは、俺が決めた事だ」
側室という、椿の代わりは求めない。
子の事も今は考えずともよい。
ただ、椿と共に生きていられる事が幸せなのだ。
「影綱様は優しいわ。貴方に辛い想いをさせる私が嫌い。もっと健康な体に生まれれば、これ以上の幸せを望めたのに。貴方との子を宿し、育て、成長を見守り続ける。そんな願いも、夢でしか見られないもの」
俺が椿にできる事は彼女に寂しさを感じさせぬようにすることのみ。
椿と巡り合い、恋をしたこの世を俺は楽しんでいる。
「……良い風が吹くな。もう秋も終わるか」
「秋が終われば冬がきて、また影綱様と春の桜が見られるわ」
庭にそよ風が吹いて桜の枯れ葉を揺らす。
愛しい女を抱きしめながら、穏やかな秋風を感じていた――。