第103章:桜が見た恋《中編》
【SIDE:赤木影綱】
叶わぬ恋だと諦めていた。
一方的な想いだと思っていた。
なのに、このような現実が待っていようとは……。
まさか、俺と椿姫が夫婦になる時が来るとは想像だにしていなかった。
『影綱。私を嫁にもらってほしい。私は影綱を好いているわ』
椿の告白がきっかけになり、俺達の縁談が正式に決まった。
まるで夢のような現実。
幼き頃より、想いを抱いていた姫とこのような関係になれるとは……。
「よく来てくれたな。影綱よ」
椿姫との婚姻が迫る中、俺は御館様に呼ばれていた。
城の天守閣には人払いをしていたのか、誰もお傍にはいない。
「御館様。椿姫様との縁談を認めて下さり、まことにありがとうございます」
「椿が昔からお前を好いておった事には気づいていた。身体の弱いあの子を任せられるのも、影綱しかおらぬと言う事も分かっていた。だから、認めたのだ」
御館様はそう言うと、俺の肩を強く押さえる。
「影綱、お前は赤木の者としてこれからも強くなれ。私はお前に期待をしている。いまや、影綱や高久らの若い力は、我らにとっても必要な力だ」
「ありがたきお言葉。よりいっそう、鍛錬に励みます」
「うむ。だが、影綱よ。分かっているだろうが、椿の身はもうそう長くはないぞ。他の女子のように、子を生む事もできず、いつまでもお前の傍にい続けられるとは限らない」
椿姫は病弱ゆえに、残された時はそう多くない。
「関係ありません。私は椿姫様を愛している。そして、私は最後のその時まで彼女の傍にいたいのです。そして、それが彼女の望みだと思っています」
俺は彼女を愛している。
幼馴染としてではなく、夫として傍におる事ができるのならば最後まで傍にいたい。
その覚悟なくして、妻にしたいと思っていない。
「そうか。椿の気持ちをくみ、本当に分かってやれるのはお前だけかもしれぬな。影綱よ、椿の事を任せるぞ。これは親としての言葉だ」
御館様の言葉に俺は頷いて答えた。
優しい微笑みを浮かべる御館様は俺に言う。
「影綱の事は幼少の頃より知っているが、ずいぶんと男の顔になったな」
「御館様……」
「ところで、狩野高久も影綱を支え、日々成長している。あれも良い武将になろう」
高久は俺の親友にして、異母兄弟でもある。
本来ならば、俺の弟という立場であるが、彼の母親の身分が低かった事もあり、親戚筋の狩野家で育てられた。
兄弟としての関係はないが、兄としての気持ちは持ち続けている。
「いずれ高久は良き智将となる、私もそう思います。御館様……もしも、私に何かあれば、高久に赤木の名を継いでもらいたいのです」
「なんだと……それがお前の願いか、影綱?」
「はい。赤木家として御館様を支えられるのは高久しかおりませぬ」
「そうか。そのような事になれば貴様の父にも私から進言しよう。だが、これから娘を嫁に出す相手から言われる言葉ではないな。簡単に死んでもらっては困る」
御館様は笑いながら、口髭を撫でた。
こちらにすぐに死ぬつもりはない。
今は生きて、椿姫の傍にい続けたい。
「……申し訳ありませぬ。ですが、私の想いを御館様に知っておいて欲しかったのです」
「兄として弟を想うか。お前は優しいな、影綱。その優しさゆえに、椿もお前に惹かれていたのであろう。影綱よ、その優しさを忘れぬように強くなれよ」
「はっ」
御館様に励まされながら、俺ははっきりとした声で頷いた。
これから先も、赤木の名に恥じないように御館様の力となろう。
俺が屋敷に戻ると、椿姫が体調を崩して寝込んでいるとの言伝を聞いた。
すぐさま、彼女の元へ行く。
椿姫は布団に横たわりながら苦しそうな表情を見せる。
幼き頃より何度も目にしてきた光景だ。
病に苦しみ続けるその表情は見たくはない。
「けほっ、影綱……来てくれたの?」
「あぁ。身体の具合の方はどうだ?」
彼女はそっと身体を起こすので「無理はするな」と止める。
「心配しなくても大丈夫。少し熱が出ただけよ。影綱、手を握ってくれる?」
半身を起き上がらせ、こちらに向いた椿姫が差し出した手を俺は握り締める。
冷たくも、確かな温もりを感じる事ができる。
「……御館様に会ってきた。我らの縁談を認めて下ったよ」
「父上は影綱なら私を任せる事ができると言ってくれたわ。それは貴方の日々の活躍と、優しい性格を知っての事でしょう」
「本来ならば、このような縁は望んでもなかった。まるで夢のように思えるよ」
いつまでも、幼馴染の関係で終わると思い込んでいた。
「私は昔から貴方の嫁になりたかったわ。大好きな影綱の妻になりたくて、夢に何度も見たの。この胸に影綱との子供を抱いて、貴方が隣で微笑むの」
「椿姫……」
「私には子は産めない。それはただの夢だって、目が覚めたらいつも泣いてばかりだった。でも、子供は望めなくても影綱が隣にいてくれる、その夢は叶ったわ」
静かに微笑む彼女。
俺はその黒い髪を撫でながら囁く。
「俺も椿姫が隣で笑ってくれるだけでいい。他には何も望まない」
「ありがとう、影綱……」
愛した女が傍にいてくれるだけいい。
椿姫はふいに瞳を潤ませ始める。
「椿姫……どこか痛むのか?」
「違うわ。せっかく、こんな風に影綱と夫婦になれるのに、限られた命しかない自分が辛い。生きて、生きて……ずっと貴方の傍にいたいのに。もっと、一緒にいたいのに」
やがて、堪え切れなくなったのか、椿姫は涙をこぼして泣き始めた。
嗚咽を漏らしながら、己の宿命を嘆く。
「生きたい……ぁっ、ひっく……私は生きたいよ、影綱っ」
「椿姫。当然だ、俺もそなたには死んでほしくなどない」
「死にたくないよ、死にたくない。死ぬのが怖い、怖いよ……」
それは、椿姫が心の底に抱えて続けていた本音。
これまで、闘病生活を続けながらも椿姫はその悲しみを言葉にすることはなかった。
こんな想いを告げる事など一度もなかったのに。
「影綱と一緒に、ぅぁっ……生きていたい……」
生まれてから満足に外を出歩く事もできず。
病の苦しい痛みに耐えてきた彼女の心の強さ。
俺は俺に出来る方法で椿姫を支えよう。
「生きたいと望むのなら、生き続けてくれ」
涙に濡れた彼女の瞳を指先でぬぐう。
「……俺のために、生き続けてくれ。椿姫。俺も嫌だ、お前と死に別れる事なんて考えたくもない。俺の傍に、妻として笑ってい続けてくれ」
彼女の最後を看取る覚悟?
……そんなもの、できてるわけがないじゃないか。
愛している女の最後など、覚悟したくてもできるものではない。
「死にたくない……生き続けたい……」
それでいい。生きたいと言う気持ちは、気力になるのだから。
泣き続ける椿姫を抱きしめた。
俺の胸の中でも、彼女は泣きやむ事がない。
「うぅっ……ぁっ……」
震えるその身体をただ、抱きしめる事しか俺にはできない。
迫りくる死の恐怖、それに今まで彼女は一人こんな風に辛い毎日を過ごしてきたのか。
俺にとっての死は恐怖ではなかった。
武士として、死は誇りである。
忠義を貫き、武士として死ねるのは本望だ。
戦場では死は常に傍にあるものだ。
だが、戦のない日常を送る椿姫にとっての死はまた意味が違う。
俺は本当の意味で彼女の死の恐怖を分かってはやれないのだろう。
「椿姫がいなくなれば、俺は寂しいのだ」
「影綱……ぅっ……」
それでも、椿姫には生き続けて欲しい。
お前の笑顔が見れなくなる事が、一番に辛いのだから。
やがて、椿姫は泣きつかれて眠りについてしまった。
その寝顔を俺は涙をぬぐいながら見つめ続ける。
「椿姫……愛している」
生きたいと望んでくれ、望み続けてくれ。
あらがえない宿命があるのだとしても、最後まで諦めないで欲しいのだ。
「俺が最後まで椿姫の傍におると約束する」
だから、共にこの人生を歩んでいこう。
俺がお前の傍に、お前が俺に傍にいる。
例え、辛い別れが待つ未来でも、決して寂しくはない人生を歩もう。
「椿姫を愛おしく想っておるぞ」
俺は眠りにつく彼女の唇に自分の唇を重ね合わせる。
愛した女と共に過ごした時間を俺は忘れる事はない。
それは、椿姫も同じだろう。
「約束したな、椿姫。これからも何度も共に桜を見よう、と」
俺は椿姫の部屋から見える庭の桜の巨木を眺める。
秋の季節には葉も枯れ落ちかけてる寂しさもある。
綺麗で可憐な花びらを舞わせる春の季節が待ち遠しい。
一年、また一年と時を数えるように、春の季節の訪れを教えてくれる桜の木。
「なぁ、桜の木よ。見続けてくれ。俺と椿姫の人生を、この想いを……」
椿姫との約束を叶え続けよう。
春の訪れを迎えるたびに花を咲かせる桜を、椿姫と共に見続けたい。