第102章:桜が見た恋《前編》
【SIDE:赤木影綱】
戦国時代のひとつの恋をその桜は見続けていた。
まもなく、春を迎える雪解けの季節。
赤木影綱は朝から慌ただしく戦支度をしていた。
「影綱殿、出陣の用意ができました」
「よし、今いく。御館様や父上は既に出立したのか?」
「本隊は今朝方、隣国に出陣しました。影綱殿には後攻めとして山城を任せる、と」
「父上も無理を言う。まだ戦を五つしか経験していない俺に城攻めを命じるとはな」
侍大将でもある父上の傍で五つの戦を経験した。
人を斬る事も、勝利する事も、未だにまだ慣れておらぬ。
それなのに、このような大役を命じられるとは……。
「……覚悟を決めよ、影綱。我らの武勲を立てる好機だと思え」
「高久?お前は気楽だな。戦はさほど甘くはないぞ」
俺の真横で自信のある笑みを浮かべる友、狩野高久。
初陣より共に戦をくぐりぬけてきた信頼できる友だ。
今回の戦も彼の知力を頼りにしている。
「自信がない奴よりはいい。戦場では弱い所を見せた者が死ぬ、それが道理だ」
「知略に長けた狩野殿、武力に秀でた赤木殿。我らの勝利は見えておりますな。我らの命、お預けします」
「……そうだな。ここで臆しては、勝てる戦も勝てるはずもない」
我らを信じ、ついてきてくれる兵がいる。
彼らの犬死させる愚かな将にはなりたくはない。
俺が指揮をとる最初の戦だ、勝利してみせよう。
「では、行くか。こたびの城落とし、成し遂げてみせる。赤木隊、行くぞ」
「「おーっ!」」
覇気のある皆の声に俺も覚悟を決めた。
御館様が見込みがあると思い、信じて託してくだされたこの戦場。
必ずや勝利という戦果をあげてみせよう。
隣国に攻め入った御館様達の本隊の援護。
背後から奇襲、増援を防ぐために後方の山城を攻めて足止めをする。
それが我らに課せられた使命だった。
城攻めの戦が始まり、部隊の兵が山城へと攻め入る。
「高地は制した。弓兵、城門の兵を射よ!」
高久の考えた城攻めの知略の奇襲の策。
隙をついて、突然の山城背後からの奇襲に敵兵は浮足立つ。
「……影綱、そろそろ、歩兵を進軍させよう。この機を逃すな」
「分かっている。後は任せておけ。行くぞ、今こそ本陣に攻め入る好機!」
俺はそれに応えるために、兵を率いて敵を討つ。
「はっ!」
俺は刀で敵兵を斬りつける。
奇襲により混乱する城門を守護する兵を次々と打ち取る。
「皆の者、赤木殿に続け!ひるむなっ」
配下の兵達と共に刀を振るい、城門を突破する。
ひとたび中に侵入を許せば山城の兵達は逃げ惑い、あっけなく総崩れとなった。
「い、いやだ、死にたくないっ。うわぁああ!」
「くっ、このっ!逃げるな、お前達。ここは何が何でも死守せよ!」
敵の将が混乱する兵を叱咤するが、敵兵達は士気をなくしていた。
「……戦う気力を無くしたか。勝敗は決したな。討ち取れ!」
士気を失い、逃亡する敵兵を背後から討つ。
やがて、戦はこちらの勝利となり終わりを迎えた。
「赤木殿、向こうの将を討ち取りました。城に残っていた兵の大半は降伏したようです」
「よくやった。敗残兵は深追いするな。我らの役目はこの山城を押さえる事。ここを押さえれば、他の城からの援軍も防ぐ事ができる。御館様達の勝利まで油断はするな」
「はっ、お任せを」
こちら側にそれほどの犠牲もなく、山城を落とし、敵兵を捕らえていく。
その姿を眺めながら、俺は戦の勝利に安堵の人息をついた。
「……高久、お前の策は見事なものだったぞ。さすがだな」
「この程度の策は大したものではない。歴戦の武将が相手なら看破されていたであろう。我らはまだ未熟、武将としてもっと成長せねばならない」
「そうだな。だが、初めての城落としの勝利を今は祝おうではないか」
信じられる友と笑いあいながら、こたびの勝利を祝う。
高久がいれば、俺は負けはしない。
「……我らはもっと強くなろう。御館様の役に立つためにもな」
武士としての誇り、強さを持つ武将になりたいものだ。
戦を終えたのち、俺が国の屋敷に戻ると椿姫が待っていた。
幼馴染にして、御館様の娘である椿姫。
彼女は俺の顔を見るや、心配そうな表情を見せる。
「影綱っ。無事に戻ってきたのね」
「……椿姫?」
「どうしたではないでしょう!私がどれだけ心配したと思っているのっ」
椿姫は俺の胸を何度もたたいて見せる。
「勝手に戦に出るなんて。私は聞いてないわ。私に何も言わずに戦に出るなんて許さない。もしも、影綱に何かあれば……」
俺の事を心配してくれていた様子だ。
今にも泣き出しそうな彼女に俺は肩を抱きながら告げる。
「……泣かないでくれ。椿姫の涙、悲しい顔は見たくない」
相手は姫とはいえ、兄妹同然のように育った関係だ。
多少の無礼は許される間柄。
その細い体を俺は優しく抱きしめた。
「あっ、影綱……」
「こたびの戦は突然、決まったものだ。いつもと違って伝える事ができずにすまなかった。それほど心配をかけるとは思わなかったんだ」
俺をこんなにも想ってくれる気持ちは嬉しく思う。
「無事に帰ってきたから許してあげる」
白い肌の頬がほんのりと赤らむ。
春先とはいえ、冷えた身体は病弱の身体に差し障る。
「身体が冷えたであろう、もう屋敷に戻ろう。椿姫」
「待って。桜を見たいの。春になれば、一緒に桜を見ようと約束していたでしょう?」
「そうだったな」
身体の弱い彼女は屋敷の庭の桜しか眺める事ができない。
小さな頃から傍にいた俺に、この年になっても花見の相手を求めてくる。
庭の方へと移動すると、戦に出る前はまだ蕾だった桜の花が見事に咲き乱れていた。
「相も変わらず、見事な桜だ」
「……影綱と一緒に見たかったの。貴方と一緒じゃないと嫌なのよ」
「それは光栄な事だな」
桜の花びらがゆっくりと散る様をふたりで見つめる。
「ねぇ、影綱。私はこれから貴方と何度、この桜を見られるのかしら」
「……何度でも。椿姫が望むのなら俺は付き合うよ」
「本当に?これからも?」
「あぁ。我らは幼馴染ではないか」
その言葉の続きを俺は言えないでいる。
「影綱……私の傍にいて、これからもい続けて」
俺に寄り添う彼女にかける言葉が思い浮かばなかった。
身分も立場も違う彼女に俺は幼き頃より好意を抱いていた。
どんなに近い関係でも、愛していると告げられる関係ではなく。
「……来年も、共に桜をみよう。約束するよ、椿姫」
「約束よ?その約束を破ったら許さないわ」
可愛らしい微笑みを浮かべる彼女を愛しく想う。
彼女を我が物にすることは叶わない。
いずれ、彼女にも縁談の話は来よう。
そして、俺自身にも……。
それまで、あと何度、俺達はこの美しい桜を共に見る事ができるのだろうか?
願わくば、本当にずっと傍にいられればいいのに。
桜を眺めながら、散りゆく花びらに願いを込めた。
その願いが叶うのは半年後、俺は椿姫と婚姻することになる――。