第101章:運命の日
【SIDE:柊元雪】
その日は朝から俺は緊張していた。
運命の日、そう呼んでも良いだろう。
自分の過去と対峙するのだから。
布団の片づけをしていると、和歌が目を覚ます。
「おはようございます、元雪様」
「あぁ、おはよう。今朝は無事に目覚められてよかったよ」
「うっ。すみません。寝ている間に元雪様に変なことはしませんでしたか?」
「今日は何もなかったよ。寝顔も可愛いかったぞ」
寝起きが悪い和歌にして珍しく早めの起床だ。
昨晩はぐっすりと眠ったおかげだろうか。
「あれ?お姉様はどうしたんですか?」
「朝から温泉だよ。今頃、湯船につかってるんじゃないかな」
「そうですか。お姉様、温泉が好きですからね」
……今日の唯羽はいつもの唯羽ではない。
彼女もまた今日という日にある覚悟を決めていた。
和歌が着替えをしたいと言われたために、俺は部屋を追い出されて廊下を歩いていた。
自販機コーナーの付近で麻尋さんが飲み物を買ってる最中だった。
「おはよー、ユキ君。どうしたの?」
「おはよう、麻尋さん。和歌が着替え中だから外に出てるだけだよ」
「覗けばいいのに。恋人同士なら犯罪にならないでしょ」
「……さらっと危険な発言はやめて。それに俺はそんな事しないから」
恋人とはいえ、犯罪はいけません。
麻尋さんは意地悪く「ヘタレだねぇ」と言った。
「余計な事は言わないでいい。麻尋さんは何してるの?」
「これを買いに来たの。じゃーん、お茶」
「そんなに見せつけなくても分かるから。……お茶?」
「誠也さんが二日酔いでダウン気味なの。昨日は宴会で騒いでたからねぇ」
なるほど、そういうことか。
それでわざわざ、飲み物を麻尋さんが買いに来てあげたらしい。
「でも、誠也さんがダウンしちゃうと、私が帰りの車を運転しなくちゃいけないでしょ。面倒だから早く回復して欲しいわ。私、運転ってあんまり得意じゃないもの」
「うわっ。麻尋さんの運転は怖いからな。兄貴に頑張って、と伝言しておいて」
「何か失礼なことを言ってるなぁ。そうだ、朝ごはん、もうすぐできるんだって。その時には呼びに行くね」
俺は頷くと、そろそろ時間的にもいいだろうと、部屋に戻ることにした。
部屋には既に唯羽も帰ってきていた。
だが、和歌が何やら戸惑っている様子を見せた。
「あ、あの、元雪様。お姉様の様子が変なんです」
「だから、ヒメ。何度も説明してるが、今の私は少しだけ昔の人格に戻ってるだけだ。変って言うのは傷つくよ」
「あぁ。和歌、驚く事はない。何でも、唯羽は人格を自由に変えられるんだってさ」
「自由に、という表現はやめて欲しいな。そんな多重人格者みたいにころころと変わるようなものではない。意図して変える、というのは難しい事でもあるんだから。ころころ変えられるのなら苦労はしないのに」
あくまでも呪いの緊急回避的の策だっけ。
それは彼女にとっても負担になることらしい。
いつも苦労をかけている唯羽には無理をさせたくないな。
「……すみません、驚いてしまって。そうですね、長い付き合いなのはこちらの方なのに。何だか、少しだけの間でも、あちらの方がずいぶんと自然に思えてたので」
「ヒメが戸惑う理由も分かるけどね。人って変化にはすぐに慣れるものさ」
どことなく寂しそうに呟く唯羽。
どちらの人格も大切な唯羽なのだから、そんな顔をしないで欲しい。
「……唯羽。今日は予定通りでいいんだよな?」
「あぁ、予定通り。何も変更はない。その事で言っておかなくてはいけない事がある。ヒメ、悪いが今日は柊元雪を一日、借りるよ。私達にはやるべきことがあるんだ」
「聞いています。お姉様、私はついていってはいけないんですか?」
和歌の問いに彼女は首を横に振る。
「ダメだ。ヒメの前世、紫姫は、椿姫や影綱に影響を及ぼす可能性がある。最悪の場合を考えたら、ここで呪いに悪影響を与えては意味がない」
「悪いがお留守番しておいてくれ。これは俺と唯羽の問題だからさ。今日は兄さんや麻尋さんと一緒に温泉めぐりをしてきてくれるか、和歌……?」
「……分かりました。でも、ふたりとも無理はしないでくださいね」
心配そうな和歌の顔、俺達は頷いて答える。
今日は朝から兄さん達とは別行動を取る事になっている。
この後、俺達は電車でひと駅先の城跡に向かう。
その間、和歌達は温泉巡りをしてもらう。
最終的には俺達を迎えに来てもらい合流すると言う手はずになっている。
兄貴達にも今回のこの件に関してはある程度、相談してあるのだ。
「……さぁて、今日は長い一日になりそうだ」
気合いをいれ直すように、俺は深呼吸をひとつして背筋を伸ばした。
影綱と椿姫のゆかりの土地。
そこは紫姫の時同様に、山奥に城跡が残るだけらしい。
兄貴達と別れてから電車に乗り、ひと駅。
目的地の山道口について山に登り始めて15分。
高台に広がる景色を眺めながら俺達は一息ついていた。
辺りに古い石垣がちらほらと見える。
「城跡っていうのはどこもこうなのか?」
「大抵は石垣くらいしか残っていないよ。大きな城跡ならば公園として整備されたり、城を再現されりしているけどね。ここはそれほどメジャーなお城ではないから」
「ここにも墓があるのか?」
「いや、残念ながらお墓はないよ。ふたりの墓はあったんだろうけども、今の時代までどこにあったか伝わってはいない。けれど、ふたりにとって思い入れのある場所はある。もう少し先のはずだ、ついてきてくれ」
紫姫の時とは事情が違うようだ。
夏の暑苦しさに負けないように頑張りますか。
俺達は再び、あまり整備されていない山道を歩きだす。
「なぁ、唯羽。ここには来た事がないんだったよな?」
「一度もないよ。けれども、この先にあるモノは知っている。私にもね、椿姫のわずかな記憶があるんだよ。彼女が見てきたもの、望んだもの、そのくらいは分かる」
「椿姫が望んだもの……?」
山道を登り終えた先は大きな敷地の広場が広がっていた。
「ここが頂上か?」
「かつてはここにお城があったんだ。城下町を見渡せる、この場所に……」
唯羽が言う通り、ここからの景色はとても綺麗に町が見下ろせた。
兄貴達がいるはずの温泉街も遠くの方に見る事ができる。
「……もう少しだけ進もう」
俺は唯羽の顔色が悪い事に気付く。
「どうした、唯羽?」
「お前はまだ感じていないのか?」
「まさか、椿姫の影響ってやつか?」
「そうだ。ここは、嫌な感じがする。私達の過去に、前世に影響のある場所だから。前世に鈍感な柊元雪には影響は少ないのかもしれないな。その鈍感さはある意味、お前を救ってきたわけだがな」
唯羽は無理をしても俺と共に歩きだす。
俺はその手を繋ぎ、唯羽の身体を支える。
「……柊元雪?」
「少しは楽になるはずだ。唯羽に無理はさせられない」
「ありがとう。やはり、お前の優しさは心地いいよ」
静かに微笑む彼女に俺はもつられて笑う。
辛そうな表情を我慢しながら、共に歩きたどり着いた先。
うっそうと生い茂る木々、森の中に石碑が立っていた。
「かつて、この場所には椿姫の住む屋敷があったらしい。私は感じるよ、ここにある彼女の想いを……。柊元雪、お前も感じるんだ。ここをお前の魂は知っているはずだから」
唯羽の言う通りに俺は辺りを見渡して確認する。
目の前にあるのは立派な桜の巨木。
風で木々の葉がこすれあい、ざわついた音を立てる。
「大きな木だな。この木は桜の木か?」
「ソメイヨシノではない、山桜の大木だな。樹齢は数百年、影綱の時代にもここにあったんだろう。影綱と椿姫が共に桜を眺めた場所だ。私たちの目的地はこの場所だ」
「ここで、ふたりが桜を見ていた……」
「ふたりにとっての思い出の場所。だけど、ここは“あの場所”に似てると思わないか?」
唯羽の言う“あの場所”、思い当たる場所がひとつだけある。
「……まさか、椎名神社のご神木?」
「そうだ。紫姫と影綱が出会い、共に見上げた桜の木。戦の末に命を落とした影綱が最後に紫姫に看取られたのは同じ桜の木の下。さらに、椿姫が愚かな行為の果てに非業の死を遂げて最後に見上げたのもご神木。桜だけが知っている真実は、ここにもある」
桜は人よりも長きに生きてきた。
ここの桜の木も、昔のあの日を覚えているのか。
「ここは、椿姫に影綱が求婚をした場所。戦地に赴いた夫の帰りを待ち続けた妻が、無事に帰る事を祈り続けた場所。幼き頃より思い出を積み上げてきた場所。この桜だけは2人のすべてを見ていた」
「……ぁっ……」
俺に激しい頭痛が襲う。
『桜を見たいの。貴方と共に』
『来年も貴方と同じ桜が見えますように』
脳裏に思い浮かぶのは桜の記憶と、女の声。
その声を聞くと、俺は胸が苦しくなる。
「誰、だ……?」
脳内に響く女性の声、お前は誰なんだ……?
「思念の留まり続けるこの場所で、お前の過去を思い出せ。赤木影綱、魂の記憶を思い出すんだ、柊元雪――」
俺の運命を変える、赤木影綱の記憶をたどるために。
運命の鎖を解き放つ。
視界が真っ暗になり、俺の意識は消えていく――。




