第100章:蒼白い月の夜に
【SIDE:柊元雪】
ふと、夜中に目が覚めた。
枕が変わると寝れない主義、というのではなく。
「すぅ……」
無垢な和歌の寝顔がそこにある。
好きな女の子の寝顔がすぐそばにあったら、寝ように寝れないものだろう。
和歌は俺と少しだけ距離を取ってもらい、布団を並べて寝ていた。
好きだけど、大好きだけども、寝起きが悪い彼女の餌食にはなりたくない。
本当にごめんなさい、と謝り倒しての10センチの距離である。
かなりショックを受けていたが、ぐっすりと寝てしまっている。
「……今、何時だろう」
時計を見てみると、深夜の2時過ぎ。
俺は水でも飲もうと立ち上がる。
「あれ……?」
よく見れば、隣にいるはずの唯羽の布団が空になっていた。
「唯羽?」
俺は部屋の奥、窓際のテラスへ移動する。
すると、彼女は椅子に座りながら満月を見ていた。
今日の月はスーパームーン。
普段よりも月が大きく見える日らしい。
美しい月を眺めている唯羽がこちらに気付いて振り向いた。
「――やぁ、柊元雪。お前も月見をするか?」
その言葉づかいに俺はハッとする。
最近の唯羽ではない、そう、昔の唯羽がそこにいたのだ。
「ゆ、唯羽?」
「声が大きい。ヒメが起きてしまうだろ」
ヒメちゃんではなく、ヒメと呼んだ。
間違いない、この人格はかつての唯羽だ。
感情を封じ込めていた頃の、ネトゲの伝説“キャサリン”と呼ばれた頃の唯羽だ。
「どういうことだ、唯羽。もしかして、また感情が……?」
「あぁ。何を驚いているかと思えば、私の人格の方か。心配ないよ」
「大丈夫なのか?」
「何だかんだいっても、私も不安なんだよ。明日、何が起きるか分からないから」
唯羽の話によると、今の人格は本来の人格が不安や恐怖と言った負の感情が強くなった時に出てくるらしい。
負の感情の高まりは、椿姫の呪いを呼び起こす。
それを防ぐための手段なのだと、唯羽は教えてくれた。
「二重人格って状態なのか」
「イメージしやすく言えば、そうなるね。これも、私なりに考えた椿姫の呪いを封じ込める手段のひとつ。あちら側の人格が嫉妬とは無縁なほどに自由に柊元雪に触れ合うのと同じ。すべては椿姫対策なのさ」
唯羽が恐れているのは自分自身の負の感情。
感情をコントロールするために、人格すら入れ替えるとはびっくりだ。
それを封じめるための行動とはいえ、無理をさせているな。
「……いろいろと考えてくれているんだな」
「今度、椿姫が目覚めればお前を確実に殺す。大好きな人を失いたくない。できる事はする、それは当たり前だよ。柊元雪を愛しているんだから」
微笑する彼女は俺に隣に座るように促す。
俺が隣に座ると、その肩に寄り添ってくる。
「私も、甘えるくらいはいいだろう」
「あっちは甘え上手なのに、こちらは下手だな」
「ふふっ。あいにく、人に甘えるのには慣れていないんだよ」
同じ唯羽でも、これだけ性格が違うと人格が変わっているのだとはっきり分かる。
唯羽と共に月を見ながら、その肩を抱きしめた。
「……赤木影綱。俺は彼の記憶らしいものを何も持っていない。それが今まで、一番の謎でもあったんだ。影響があるって言われてもな、自覚もないんじゃ困るだけだ」
「それは影綱が何の未練も残さずに死んだからさ。戦の最中、愛する者の傍で看取られてなくなった。多少なりとも生に未練はあったかもしれないが、彼の中で戦死と言うのは既に覚悟があったことだった。侍としての心構えみたいなものだ」
「それゆえに、ってか。確かに椿姫や紫姫とは想いが違うってのもあるんだろうが」
愛する者を想い来世への願い託し、侍としての誇りを胸に命を全うした。
ふたりほどの大きな未練は残していなかったせいか。
「それでも、明日は確実に影響を受ける」
「それは間違いないのか?」
「あぁ。紫姫の時は間接的な程度でしか影響を受けなかったはずだ。だが、明日は違う。明日、私はこちらの人格で対応する。あちらでは、対処できない事もあるからね」
「それは心強いって言っちゃうと、あっちに怒られるか」
思わず微苦笑を浮かべてしまった。
無垢な唯羽と、思慮深い唯羽。
どちらも同じ唯羽なのに、性格の違いでずいぶんと信頼の差が大きく違うのだ。
「今の私の人格にも価値があるということか」
「お前に俺はずっと救われてきた。今も唯羽に感謝してる事に変わりはない。だから、価値がないなんて言わないでくれ」
俺は力を込めて彼女を抱きしめた。
茶色の髪を撫でながら、俺はその唇にキスをする。
柔らかな唇の感触。
唯羽は頬を赤らめて、照れくさそうに視線をそらす。
「……照れくさいな。案外、私は想われてるね」
「当然だ。俺はどちらの唯羽も好きだからな」
「こういう素直な気持ちは嬉しいよ。私にも、愛されている感情が伝わるから」
触れ合う温もりが心地よい。
青白い月が照らす光が差し込む。
「柊元雪とこんな風な関係になるなんて思いもしてなかったよ。恋人同士で、キスをしたり抱き合ったりする。たった一ヶ月も経っていないのに変わりすぎた」
唯羽がこちらの人格の時を思い出す。
ネトゲ廃人化していたのを社会復帰させたり、宮司になるための勉強を一緒にしたり。
友達としての感覚が強かったが、今は恋人としての愛情がある。
「人格同士って記憶を共有しているのか?」
「私は、覚えているけどもあちらはどうだろうね。さっきも言ったはずだよ。今の私は言うなればセーフモード。あちらが“危ない”と感じた時に人格を変える。だから、こちらの記憶は覚えていないかもしれないし、それでいい」
「……辛い役回りだな」
「別に。どちらも私さ。楽しい事も幸せな事も、共有しているから」
唯羽はそうやって心のバランスを取ろうとしているんだ。
人格を切り替えてまで、負の感情を制御するのってのは本当に難しい。
「早く、なんとかしたいな。俺は運命には負けたくないぜ」
「……運命になんて負けたりしない、か。そうだね、柊元雪の言うとおりだ。私も運命になんて負けられない」
俺達に待つ運命がどんなものか分からない。
けれど、俺達は前世や過去に負けたりしない。
「なぁ、柊元雪。もう少しだけ、このままでいいいか?」
「……あぁ、お好きにどうぞ」
「ありがとう。ふふっ、思わぬ形で素敵な夜を楽しめているよ」
俺は唯羽を腕の中に閉じ込めたまま、外の景色に視線を向ける。
夜のひんやりとした空気。
蒸し暑さを打ち消す涼しいそよ風が吹く。
“運命の日”の前夜、俺は唯羽との特別な時間を過ごしていく。
俺たちは運命の鎖を解き放つことができるのだろうか――。