とある令嬢の人生
※DV描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。
ベークリア王国の王室主催のパーティは今宵も盛大に行われていた。その中で最も注目を集めているのはロイーズ・テンペニア公爵令嬢である。彼女はおしゃれで、社交界の花ともてはやされてきた。それは一年前に王家にも連なる名家アルベーニュ・オディル公爵と結婚してからも変わらない。
「ロイーズ様はますますお綺麗になられて」
「ご懐妊も近いのではありませんか?」
ロイーズとアルベーニュの周りに集まって来た人々は口々にロイーズの美貌を褒める。
「いやいや、まだまだ二人だけの時間を持ちたいものでね。はは…」
アルベーニュは余所行きの笑みを浮かべながら、ロイーズの腰を抱き寄せた。
「おや。お熱い事で」
男性貴族の言葉にアルベーニュは笑う。
だが、ロイーズは知っている。
そのすべてが嘘である事を。
結婚してからこの男が自分を抱いた事は一度もないのだから。
「あなた、お化粧を直してきます」
ロイーズは笑顔を張り付けて、そそくさと会場を出た。
向かうはパウダールームだ。
夫から離れられた事でようやくロイーズはホッと息をなで下ろした。
その鏡に映ったその顔は今にも泣きそうでため息が漏れる。
思わず頬をこすると頬に出来た青あざが浮き彫りになっていた。
それだけで気持ちがさらに下がる。
そして、その昔、母にも同じような痣があった事を思い出した。
思えば、テンペニア公爵家の一人娘として生まれたロイーズであるが、その幼少期はあまり良い思いでがない。父は宰相として王家と国の治世を決める事にしか興味がなく家族を顧みない人であった。そして、母は大人しく夫に従順でいつも俯いていた。
けれど、ロイーズは気づいていた。父が帰ってこない日は母の機嫌がいい事を…。
だが、その理由は幼い頃のロイーズには分からなかった。
ただ、子供ながらに聞いてはいけないと思っていただけだ。
そんなロイーズにも友人がいた。
リンディー・サボット伯爵令嬢だ。
彼女の屋敷に遊びに行く事だけが幼い頃のロイーズにとっての唯一の楽しみだったと言ってもいい。
「リンディー。これどうしたの?」
彼女の周りにはお洒落なコスメが沢山並んでいた。
「お姉様に借りたの。試しに使ってみようよ」
リンディーの無邪気な言葉に無意識の内に俯瞰が過ぎるが何も言わずに目を閉じた。
彼女は器用にロイーズの頬にチークを描く。
ロイーズは美人であった。
だが、母親の性質を引き継いだのか物静かで自分に自信がなかった。
貴族の令嬢令息たちが集う聖ベークリア学園の初等科に入学してから半年経つが友達を作れずにいた。そんな時に声をかけてくれたのがリンディーだった。
彼女はロイーズとは真逆の明るい性格で人気者であった。太陽のような笑顔のリンディーにロイーズは憧れていた。そして、同時に嫌われたくないとも思っていた。
だから、リンディーの言葉にはどうしても従ってしまう。
「出来た」
リンディーはロイーズに鏡を見せた。
かなり濃くファンデーションを塗られたのかお化けのような顔になっている。
「ごめん。失敗しちゃった」
「リンディーのせいじゃないよ。私が似合わないだけ」
俯くロイーズ。
「仕方ないよ。私達はまだ子供だから」
「え?」
「お母さんが言ってたの。化粧は大人がするものだって」
「そうなの?どうして?」
「さあね。でも、メイクをすると自信がついて綺麗になるんだって。お姉さまも言ってたわ」
「なら、私も大人になったらマシになれるかな?」
鏡に映る自分を見ながら、素敵な女性になりたいとロイーズはなんとなく思った。
それから六年後。
初等科最後の歳になっても、ロイーズの友人はリンディーだけであった。
それでも良いと思っていた。
父と共に王女の誕生日パーティーに出席するまでは…。
そこにはリンディーもいた。彼女は家族全員と来ていた。
皆が楽しそうに笑っていた。その姿はロイーズの家族にはないものだ。
そう思った瞬間、酷く胸がざわついたのだ。
その日はリンディーに声をかけられなかった。
その夜、始めて父が母に暴力を振るう姿を目撃した。
泣き叫ぶ母の声が耳にこべりついて離れない。
その瞬間、リンディーの家族の笑顔が頭に浮かんだ。
私の家族とは何もかも違う。
そう思った瞬間、物凄い嫉妬に駆られた。
だが、彼女は友人だ。この気持ちは向けてはならないと思い直した。
父は気が済んだのか部屋を出て行ったのを見計らって、母に駆け寄った。
「大丈夫?」
「ええ。平気よ」
「でも…」
「大丈夫。私が悪いの」
母の体中に出来た痣と弱々しい言葉に何も言い返せなかった。
だが、この日にロイーズの中で何かが壊れたのは事実だ。
親友と自分とでは住む世界が違うのだと痛感してしまったから。
その姿を見るだけで負の感情が膨れ上がっていく。以前と同じようにロイーズを気に掛けるリンディーの言動のすべてが鬱陶しく感じ、見下されている気分にさせられた。だが、同時にそう思う自分が悪であるかのように己を責めたくもなる。だから、彼女と自然に距離と取るようになった。
「ロイーズ。どうして。無視するの?」
「別に無視なんてしてないわ」
そうは言ってもリンディーとは目を合わせられなかった。
「私、何かした?」
「何も…」
「じゃあどうして?」
腕を掴まれて思わず払いのけてしまった。
どう考えても自分の方が悪いのに望みに冷たい態度を取ってしまう。
罪悪感が募っていくがどうしていいか分からない。
だが、この瞬間にもリンディーの周りには同級生が集まり、笑っていた。
「私がいなくたっていいんじゃない…」
小さくつぶやいたロイーズの声は誰にも届かなかった。
涙が溢れて、思わず腕でぬぐう。
その日。ロイーズは自分を責めながら帰宅した。
「ただいま」
誰からも返事がなく母を探した。
「くそっ!消えない!消えない!」
母は自室で鏡に向かってファンデーションを塗りたくっていた。
その姿は恐ろしく、まるで人ならざるものでも見ているような気分にさせられた。
ロイーズは何も言えず、そこに立ち止まっていた。
だが、そうしていると母はにっこりと鏡に向かって微笑んだ。
そして、ロイーズが立っている事に気づく。
「あら、帰ってたの。お帰り」
何度も頷くロイーズ。さっきまでの母とは別人の優しい声と表情に驚きを隠せない。
「私、今からブティックに行こうと思ってるんだけど、一緒にどうかしら?」
「いいよ。お母様だけで行ってきて」
母は楽しそうに出て行った。一人残されたロイーズは母の変わりようはコスメのせいではないかと思った。思わず、ファンデーションを手に取り、何気なく顔に塗り始めた。
その時、幼い頃にリンディーとメイクごっこをした事を思い出した。
そして、着飾る事に彼女への嫉妬心や自信のなさが覆い隠せるような気になる。
最後にグロスを引いた。
鏡の中の自分は思っていたよりも綺麗だった。
まるで生まれ変わったような気分に胸が高鳴った。リンディーに勝てたような気すらした。それ以降、学園内でリンディーと会話する事はなかった。友人に恵まれる彼女とは違い、ロイーズは相変わらず一人であったが、自分の外見を着飾る事に熱中していった。
そして、中等部、高等部に進学したロイーズはお洒落な装いから生徒達の憧れの的として充実した学園生活を送るまでになった。ロイーズの周りには人が溢れるようになる。それでも、ロイーズの心は満たされなかった。だが、この頃にはなぜか母は心底楽しそうであった。
おそらく、父が心労で倒れ寝たきりになったからだろう。
だが、ロイーズは知っている。母が夜な夜な今までのうっ憤を晴らすように父に暴言を吐いている事を…。だからって止めたりはしない。父は自業自得だ。
そうして、ロイーズの日常は続いていく。
ただ許せないのは学生ながらリンディーが新しいコスメブランドを作り、話題になっていた事だ。
「ロイーズ…さんも良かったら使って?」
リンディーはあの頃から何も変わっていなかった。
まだ友人だと思っていてくれた事が嬉しかった。だが、そうだとしても、胸が苦しい。
「私は公爵令嬢なのよ。何が入ってるのか分からないのに使えるわけないでしょう」
本当は使いたかった。コスメブランド設立おめでとうと言いたかったけれど、なぜか口からついて出た言葉はそれであった。
「リンディーさんって調子乗ってますわよね」
「本当に。コスメブランドだっていつまで持つか分かったものじゃないですわ」
リンディーの取り巻きの令嬢達は好き勝手言う。
否定したいのにロイーズの口は動かない。
「私の話かしら?」
振り返るとリンディーが立っていた。
まずいと思った。
弁明したいのにやはり声は出ない。
「頭の空っぽな人達って可哀そうね」
「喧嘩売ってるのかしら?」
取り巻き令嬢の一人が声を上げた。
「隠れて悪口言うしか能がない人間なんて、すぐに化けの皮が剥がれるって言ってるのよ。ロイーズがそんな人だったなんて悲しいわ」
リンディーは心底悲しそうに吐き捨てて、立ち去って行った。
違うと言いたかった。
けれど、彼女に嫉妬しているのも事実だ。
ああ。貴女はどうしてそんなに強いの。
私はこんなに弱いのに。
きっと私は物語なら正真正銘、断罪される悪役令嬢なのだろう。
ロイーズの目に涙が浮かびそうになった。
これが学園生活で一番心に残っている事だ。
そうして、ロイーズは卒業した。
アルベーニュと結婚したのはその直後だ。
彼は親が決めた婚約者で美形で社交的な人だった。夜会に出れば多くの女性達が歓声を上げる。おまけに優秀な人物で王太子からの信頼も厚い人であった。
「なんだ。そのドレスは…。髪も後ろに束ねるんじゃなくて降ろしておけといったはずだが?」
「すみません」
アルベーニュはロイーズの父と同じタイプの人間だった。
自分の気に入らない事があれば、ロイーズを殴り、蹴るような人であった。
それは使用人達だって分かっていた。
だが、誰も文句は言わない。見て見ぬふりだ。
地下牢に閉じ込められた事もある。
だが、実家には帰れなかった。
王家に連なる彼を告発でもしたら、こちらの首が飛ぶかもしれないから。
だから、耐えるしかないのだ。
そして、結婚してから一年が過ぎた。
アルベーニュは自分を抱かない。
娼館に好きな女でもいるのだろう。
どうでもいい事だった。
これがロイーズの人生だ。
そして、この先も地獄は続くのだろうとパウダールームに映る自分に問いかけた。
「これ使って。それ多分、隠せるから」
唐突にロイーズの前に差し出されたのは不思議な香りのするファンデーションだった。その手の持ち主はリンディーであった。
久しぶりに見た彼女はやはり、輝いていた。
どうしてだかそれをロイーズは受け取ってしまった。
リンディーは何も言わずにその場を去ろうとする。
「いい気味だと思ってるんでしょう!」
振り返るリンディー。
「別にそんなつもりは…」
否定するリンディーにイラつく。
「あなたっていつもそうだった!ずっと私を見下してたんでしょう!」
ずっと胸の中に閉まっていた思いが口からついて出て驚く。
「そんな事を思ってないわ!」
「そう言う所嫌いよ。貴女のためだと言いたげに私の世話を焼いて」
「何言ってるの。ロイーズだって喜んでたじゃないの」
「喜んでない!」
「急に話をしてくれなくなったのはそのせい?」
「そうよ」
「なら、どうして言ってくれなかったの?ロイーズはいつもニコニコ笑ってたじゃないの」
「私はそういう女よ!いつも人の目を気にして何もできない。私はバカなの…」
もう、どうでも良かった。
感情が高ぶり思わず、その場に蹲った。
リンディーは思わずロイーズに駆け寄った。
「本当に貴方は優しいのね」
「友達じゃないの」
リンディーはロイーズにハンカチを差し出した。
「離婚しないの?それ、オディル公爵にされたんでしょう?」
「無理よ。あの人は王家の縁戚」
「それが何?王家だろうが何だろうが殴るような人をのさばらせて言いわけないわ」
「でも、私一人で何が出来るの。お母様は再婚されるし。居場所はないわ」
「私がいるわ」
「リンディー」
「力になるから」
リンディーはロイーズの手を握りしめる。
「相変わらずおせっかいな人ね」
苦笑いを浮かべるロイーズ。
「実はこの性格のせいで結構失敗してるのよ」
深刻そうに話すリンディーに驚いた。
完璧だと思っていたリンディーにもいろいろあったのかもしれない。
「そうなの?意外だわ」
「そうよ。だからそんなに卑下しなくてもいいじゃないの」
ロイーズは貰ったファンデーションをリンディーに突き返す。
「やっぱりこれ返すわ」
そして、メイクを落とし始めるロイーズ。
その体や顔に痣が浮き彫りになっていく。
「ありがとう。リンディー」
ロイーズは晴れやかな顔で会場に戻っていく。
来賓客がそのの痣だらけの姿にざわついた。
アルべーニュは驚愕の表情でロイーズを見つめている。
この後、アルベーニュはロイーズへの暴行が王家の耳に入り、縁戚から除外。百の鞭打ちの末に一人きりで名ばかりの辺境地の農地開発に駆り出されていった。彼と正式に離婚したロイーズはリンディーのコスメブランドでモデルとして新生活を始める。
なお、この親友と一緒に開発して、モデルとして売り出したコスメ商品が大ヒットするのは別の物語である。
お読みくださりありがとうございました。




