第9話 お城で将軍、二股は禁止です!
ロクスの王城は、曇り空のような灰色の石で出来た荘厳な建物だ。
元々は別の一族が住んでいた国を、数年前に縁戚だったイクシオンの生家ロクス一族が奪国している。
現在は再建途中の国だが、市井の様子を見る限り、治世は安定しているようだ。
つまるところ、イクシオンの姉であるシヴァ・ロクス女王の手腕が高いということなのだろう。
現在――ロクス王城の謁見の間で、イクシオンと私はシヴァ女王陛下と対面していた。
「ラフィーネ姫、我がロクスにお越しくださり、大変嬉しく思います」
彼によく似た容姿のシヴァは、藍色の長い髪を頭の上で結い、赤紫色の垂れ目をした女性だ。弟であるイクシオンもそうだが、色香を孕んだ雰囲気を持つ。
気だるげに玉座に佇んでいたが、すっくと立ち上がると、女王自ら階下に降り立ち、こちらへと歩んでくる。
そうして、イクシオンと同じように、私の陽に輝くと白金に見える髪をひと掴みしてきた。
「久しぶりに見る姫様は、相も変わらず麗しい」
彼女の魅惑的な唇がゆるりと弧を描く。
「アモルにいる期間が短かったゆえ、あまりお話しすることは出来ませんでしたが、時折見かけた際には、いつもラフィーネ姫様のような妹御がいればと思っておりました。今回、その願いが叶うと思っておりましたのに……」
姉王は鋭い視線を弟へ向けながら言葉を放つ。
「……馬鹿が……まあ、同意したアモルにも問題があるが」
イクシオンの表情がかつてないほどに硬直している。
(綺麗だけど、冷たい女性なのかしら?)
女王陛下は我々の元から離れると、再び玉座に戻る。
「ロクスの民達は、月光姫ラフィーネ様に対し、敬慕の念を抱いても、悪印象を受ける者はいないはずです。どうぞ楽しくお過ごしくださいませ」
弟には厳しい態度を見せたシヴァだったが、敵国の姫たる私には優しく微笑んでくれた。
数名の信用のおける側近以外を外に出した後、彼女は弟へと話題を振る。
「ああ、イクシオン。ランベイル・ボードウィン卿が遠路はるばるロクス王国に来ている」
「師匠がですか!」
イクシオンの表情がぱあっと一気に明るくなった。
シヴァ女王陛下が玉座にゆったりと腰かけながら続ける。
「しばらくしたら自国へ帰るそうだから、会える時に会っておくが良い。お前の問題についても、色々と調べてくださっていて、卿には本当に感謝しかない」
「分かりました!」
「イクシオン、元々休暇の予定だったはずだから、副官に任せて、お前はまだしばらく予定通り休んでもらって良い。お前の抱えている問題も、その期間に解決すれば良いが」
イクシオンの問題とは、満月になると様子がおかしくなったり腕に鱗のようなものが見えることだろうか?
ちらりと女王陛下が私のことを見てきた。
「弟の体質に関して解決の糸口になればと思い、ラフィーネ姫様をアモルに迎えに行ったという側面も、ロクス側の事情としてはあるのです。姫様に対しても感謝しております。だというのに、当のイクシオンは……」
女王陛下が憎々し気な視線を弟へと向けている。
(シヴァ女王陛下からすれば、弟であるイクシオンの問題解決のために私を人質にとりたくて、妾にするように取り計らったのかしら?)
幼馴染である私のことをイクシオンが助けたいから……という考えは、やはり自分にとって都合が良すぎたかもしれない。
少しだけ寂しいのはなぜだろう?
「姫様、何かわたくしに伝えたいことはありませんか? 馬鹿なイクシオンに妾にされたことでも、なんでも話を聞きます。王である、わたくしに責任がありますゆえ」
友好的な態度の女王陛下に対し、思い切って声を掛けた。
「女王陛下、来て早々に、このようなことを言うのは失礼に当たるかもしれませんが……良ければ、イクシオン将軍が妻帯した後の身の振り方について、お願いがございます」
「おや、我が弟の元で静かに暮らすのはお望みではないのですか?」
「陛下もご存じの通り、私はアモル王家の血筋とはいえ、国王である父の妾腹の子でした。そのことで辛い目にあったことも多くありました。我が子には同じような目には合わせたくないのです」
私はハキハキと自身の意見を述べ続ける。
「何より、母と同じような生き方を自分がしたくないのです。だからこそ、私が持つ癒しの力をロクスの役に立ててくださればと思っております。それに、妻がいれば妾は要らないと、イクシオン将軍も仰っていましたし」
女王陛下は再び弟を一瞥した。
イクシオンは一瞬息を呑んだ後、何やら必死な様子で私の説得をはじめる。
「だが、姫様、盟約がある。貴女のワガママでは国は動けない。貴女が俺から離れたいと思うのは勝手だし、貴女が離れたいのなら、自由にしてくださって構わないが、これは国同士が決めたことだ。そうでしょう?」
「それは、確かにそうですね……」
わがままが過ぎただろうか?
私がたじろいでいると、陛下の方が助け舟を出してきた。
「わたくしは、弟の体質の問題解決さえ達成されれば、姫様のご意向で構いません」
「……姉上っ……!」
悠然とした笑みを浮かべる姉とは対照的に、弟の声は上ずる。
「たった今、お前も自由にして良いと言ったではないか。姫を妾扱いにしたことで、アモル王アヌビスの不興を買っているかもしれない。それぐらいなら、ラフィーネ姫様には、人質という縛りの下、自由に暮らしてもらった方が賢明かもしれない。わたくしは、意気地のない弟の助けにはなってはやれない」
愉しそうに見える女王陛下と比べて、イクシオンは呆然としていた。
「姫、貴女の願いを叶えられるよう、最大限わたくしは協力しますゆえ。ただ、どうか弟を救うと思って、しばらくは妾の立場で辛抱ください」
女王陛下は私へと真摯な眼差しを向けてくる。
「だから今は、貴女の持つ類まれな癒しの力を、弟のためにお使いいただければと思います。姫様、挨拶ありがとうございました。近々祝いの場がございますので、どうぞお越しを。それでは」
そうして、イクシオンと私が挨拶を終え、退室しようとしていた際に、女王陛下が声をかけてきた。
「イクシオン、預けていたポムウルフのシオンを返せと、リンダが言っていたよ。姫様も紹介してほしいと」
「リンダがですか? わかりました」
そうして、今度こそ玉座の間を後にしたのだった。
(イクシオンの問題を解決して、彼に妻ができたら、妾の役割も終わり……)
女王の側近たちが、なんとなくイクシオンに憐みの視線をひしひしと向けている気がした。
※※※
馬車に戻り、しばらく会話がなかったが、隣に座るイクシオンが私に向かって声をかけてきた。
「いったん屋敷に戻って、ポムウルフのシオンを迎えに行きましょうか」
「リンダさんのところへ向かうのですか?」
「ああ、そうです。一応、今から行くとリンダには伝えましたので」
彼を慕う女性リンダの元へと、妾の立場である私がついていっても良いものだろうか?
俯いていると、イクシオンが声をかけてくる。
「ラフィーネ姫様、長旅の後にすぐの登城で疲れていませんか?」
「……お気遣いいただきありがとうございます。今のところは平気です」
私はふっと目をそらした。
実のところ、少しだけ身体が怠い。
すると、彼に顎を掴まれて上向かされる。
「無理してるの、バレてますよ」
「え?」
「姫様は昔から、何か誤魔化すときは、視線をそらす癖がある」
そんな風に言われ、また視線をそらしてしまった。
「……そんなことはなくて」
「ほら、今もそうだ」
どうも幼馴染の彼には誤魔化しが効かないようだ。
「……実は、少しだけ、身体が怠くて……」
「ほら、やっぱり」
「旅疲れなのかとも思うのですが……」
他に一つだけ心当たりがある。
本人に向かって告げるのをためらっていると……
「昨日、俺と口づけた後からですか?」
答えを言われて、心臓がドキンと跳ねる。
「なぜ、そのようにお思いになられたのでしょうか?」
「俺はやたらと元気になったので」
「……イクシオン将軍が元気なのでしたら、それで構いませんから」
「どうやら俺は、貴女から力をもらったり、吸い出すことは出来るようだが、今のところ、貴女への力の返し方が分からない。だけど、この間の満月の日のように、貴方がご自分の力を俺から取り返すことは出来るはずだ。だから……」
イクシオンの顔が近づいてきた。
咄嗟に、彼の顔を両手で押し返す。
「結構ですから。妾の分際でこのようなことを言うのはどうかと思いますが……貴方と……口づけたくないのです」
それだけ言うと、彼の顔から私は手を離した。
彼の表情をチラリと見ると、なんだか泣きそうに見えて、私の心が千々に乱れる。
「あ……ごめんなさい、貴方を傷つけたいわけじゃ、なくて……」
「ああ、いや、俺がおかしなことばかり言ってるから、俺が悪いなと」
イクシオンは少しだけ困ったように笑っていた。
私は胸の前でぎゅっと両手を重ね合わせる。
「貴方を責めたいわけではないのです。貴方の抱える問題解決には力添えしたいとは思っています。だけど、そうではなくて……リンダさんに悪いなと」
「リンダ?」
イクシオンがこちらを不思議そうに見つめてきた。
「はい、貴女の恋人なのでしょう?」
すると、イクシオンがきっぱりと告げてくる。
「リンダは別に恋人じゃないと言ったはずです」
私はふるふると首を横に振った。
「飼い魔獣に同じ名前をつけるぐらい、貴方のことを慕っているはずです。だから、リンダさんに悪いなと……」
「リンダが俺のことを異性として慕っているとかは絶対にあり得ませんよ」
「そんなこと、リンダさんにしか分かりません。それに……」
私は思わず口にした。
「私の知らない貴方を知っている女性がいるのだなと……なぜだか、そんなことを思うと、落ち着かなくなってしまって……」
イクシオンからの反応がしばらくなかった。
(おかしなことを言ってしまった……)
私は恥ずかしくなって、手を握る力を強くした。
すると、イクシオンが喜々とした調子で告げてくる。
「ラフィーネ姫……もしかして……やきもち、ですか?」
彼から指摘され、私はむっとなった。
確かに彼の言う通りかもしれない。
だけど、本人に言われるのは癪だった。
「違いま――」
キッパリと反論しようと、イクシオンへと視線を向けると……
「あ……」
彼は手で口を覆い隠しているが……見えている肌は真っ赤に染まっていた。
見ている私までどんどん恥ずかしくなってくる。
「そ、その……」
「姫様は、リンダが自分以上に俺のことを知っているのが嫌なんでしょう?」
「それは……」
なんだか反論が出来ない。
「自分でも、どうしてこんなに嫌なのか分からないのですが……」
「姫様」
すると、再び顎を掴まれ、上向かせられる。
イクシオンの赤紫色の瞳と真っすぐに出会う。
彼の瞳に囚われてしまったかのように、身動きが取れなくなる。
「想像もしたくないが……リンダと俺の間に何かあったとして、俺は貴女を紹介しないだろうし、あっちも貴女を紹介してほしいとは言ってこない」
「ですが……好敵手がわざと会いたいと話して、牽制を仕掛けてきたりする物語をよく見かけます」
「そういう女性は俺の方からお断りです」
イクシオンが熱情の籠もる視線を向けたまま告げてくる。
「俺の周囲にいる他の女性を、貴女が気にすることはない。だから、別に気にせず、魔力を吸ってください。貴女が嫌なら、もうリンダのところに行くのは止めて、屋敷で貴女の回復を待ちます」
「リンダさんに今から会いに行くと約束したのに、断るなんて申し訳ないです」
「だったら、ほら……」
イクシオンからキスをせがまれると、私の心が水面のように揺れ動く。
もう一つだけ気がかりがあるのだ。
「イクシオン将軍は、自分の体質をどうにかしないといけないから……私が必要だっただけですか?」
「は?」
イクシオンが素っ頓狂な声を上げた。
私は気にせず先を続ける。
「ご自身の問題を解決したいから、私を妾に望んだのでしょうか? お姉様に言われたから?」
何を言っているのだろうと自分でも思ったが、そんな言葉が吐いて出てくる。
すると、イクシオンが眉根を顰める。
「確かに、俺の体質もあった。だけど……ああ、まだるっこしい!」
そう言われたかと思うと……
突然、唇を奪われた。
そのまま角度を変えられ、何度も口づけられる。
しばらく、口づけ合った後、離れる。
「自分の体質をどうにかしないといけないという理由だけで、俺は貴女にこんなことはしませんし、わざわざ危険を冒してまで敵地に乗り込みません」
イクシオンが必死に訴えてくる。
『じゃあ、どうして?』
素直になれない自分は、そんな風に尋ねることができなかった。
「そんなに俺から魔力を吸うのが嫌なら、俺の体質改善に役に立てるぐらいに思ってくださって構いませんから」
先程、女王陛下にも弟のために力を使ってくれと頼まれた。
私は手先を少しだけ震わせながら、彼に向かって口を開く。
「……それなら、今もいくらか力を吸われた気がするので……貴方から私へと、力を戻していただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
そうして、彼の顔に手を添えて、今度は私の方から唇を重ねる。
触れるだけの口づけでも問題はないはずなのだが……しばらくすると、私の唇を割って彼の舌が侵入してきた。
イクシオンが我に返る。
「すみません、ラフィーネ姫。今のは魔力とは関係がなく……」
今度は私から彼の唇を塞いだ。
「姫……?」
イクシオンが覚悟を決めたかのように表情を引き締める。
そのまま彼に腰を抱き寄せられた。
胸の先で彼の逞しい胸板を感じるほどに、身体を密着させ合った。
彼が成すがままに唇を委ねる。
(私は今のシオンのことを……)
リンダという女性は別にしても、女性関係に関しては噂のあるイクシオン。
「ラフィーネ姫」
「イクシオン将軍」
ふわふわの革の座席に二人して倒れ込む。
自分の気持ちがはっきりしないまま……
愛妾だから……
女王陛下の頼みだから……
そんな風に言い訳をして、馬車の中で互いの唇を求めあった。
そっと、彼が私のドレスのリボンを解いてくる。
「ああ、やっと貴女が俺の……」
彼の熱情の宿る声音が耳に心地よい。
夢見心地の中、彼からの口づけが続く。
まさか……リンダさんと初対面を果たした際に、ちょっとした事件が起こるなんて、この時の私は思いもしなかったのだ。




