第7話 敵国将軍が、溺愛してきます!
アモルの首都から国境の山を抜け、麓の街で馬を借りた後、ついにロクス王国の首都グルーシァへと辿りついた。
街を抜ける大門の前で、私は思わず感嘆の声を上げる。
「イクシオン将軍、ロクスの王都は風光明媚ですね」
灰色の石で出来た家々が立ち並ぶ中、ところどころに新緑が顔を出していた。
まだ門をくぐる前だが、商人たちの活気づいた声や石畳を馬車が駆ける音が聴こえてくる。
「ああ、わりと街の中にも緑が多いかもしれませんね。今は初夏だから涼しくてちょうど良いが、アモルより北にあるから冬は寒いですよ、ラフィーネ姫」
幼馴染のイクシオンと馬上での会話後、彼が馬から先に降りる。
「姫様、はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
彼に腰を抱えられて、自分も馬から降ろしてもらう。
攫われるようにアモルの首都から飛び出した時は、彼に触れられるのに抵抗があったが、今はわりと平気だ。
(流されすぎかもしれない……)
彼に奥方が出来る前に、敵国での自分の在り方を見つけないといけない。
いつかは離れないといけないのだ。
「あの、そろそろ地面に降ろしていただけませんか? イクシオン将軍」
「離したら、迷子になりますよ」
「通行証を確認するために馬を降りるだけなのに、迷子になることはありません」
だが、彼は私を抱きかかえたまま、頑なに降ろそうとはしなかった。
「将軍、降ろしていただけますか?」
「降ろしたくないから、降ろしません」
「待っている者達が我々を見ています。目立つから早く」
どうして抱えられたままなのか? 降ろしたくないのだろうか?
慣れない周囲の人々からの視線に、顔が赤らんでいく。
そもそも敵国の王女という立場だ。
歓迎されるはずなどないというのに……
「イクシオン将軍! 申し訳ございません、来るのが遅くなりました!」
押し問答を繰り返していたら、前方から門兵や騎士達がぞろぞろと現れる。
彼らは、凱旋パレードもかくやという勢いで、嬉々としてイクシオンに近付いてきた。
「将軍! おめでとうございます!」
「無事にラフィーネ姫を連れてくることが出来たのですね!」
「噂と違わぬ美しい女性ですね、将軍羨ましいです!」
そうして、イクシオンの部下たちに当たる彼らは、次々に私に挨拶をしてくる。
皆一様に嬉しそうな顔をしていた。
(なんだか想像と違う)
もっと敵意を向けられるものだと思っていたのに、むしろ歓迎されている雰囲気に困惑してしまう。
そうして、ひとしきり彼らが盛り上がっている中、一人の騎士が声を上げた。
「本当に良かったです、将軍! 悲願叶ってラフィーネ姫様を娶……」
「妾だ……ラフィーネは俺の妾になった」
部下の言葉を遮るように、イクシオンが低く呻いた。
すると……
「「「「はい――?」」」」
将軍の部下たちの声が裏返る。
「妾になったって言ってるだろうが!!!!」
イクシオンのものすごい大音声が響き渡った。
(シオン、将軍職のせいかしら? 昔よりも怒りっぽくて、部下の皆が可哀想だわ……)
だが、さして騎士達はイクシオンに怯えた様子はなかった。
しかしながら皆の間に戸惑いが広がっていく。
「え? どうして?」
「何がどうなって? 停戦協定の場で何が……!」
「あれだけ練習したじゃないですか! 俺たち、残業代も貰わずに付き合ったでしょう!」
……練習とは、なんだろうか?
年若い兵が悟ったように叫ぶ。
「ああ、分かった! 嫌だって振られ……」
イクシオンが自棄になったように叫ぶ。
「別に振られてねぇよ!! 俺が『愛妾にしたい』って言ったんだよ!!」
騎士達はシンと静まり返った。
そうして、憐れむような視線を上司に向けた後、ひそひそと会話をはじめる。
「直前になって怖気づいたんでしょう。あれだけ、戦闘では切れ者なのに……」
「寝る間も惜しんでプロポーズの練習をしていたのに。可哀想に。でも、あれだけ綺麗だと、告白できない気持ちも分からないでもない。緊張するもんな。まあ、将軍の容姿もすこぶる良いから、釣り合いは取れているが」
「将軍本人は振られてないって思いこんでるだけで、絶対に振られてますよ。だって、ほら、さっき来た時も、将軍はお触り出来て嬉しそうだったけど、姫様はもんのすごく嫌そうだったし」
小さい声なので、彼らが何を話しているのかは全く聞こえなかった。
「民の皆は将軍がこんな男だって知らないから浮かれててさあ」
「なんでこいつが俺よりもモテるんだよ……どうせ皆、役職に目がくらんでるんだろ」
「練習に付き合った分、お金払って欲しい」
「まさか、このオレがラフィーネ姫様にお近づきになるチャンスというわけか……!」
なんだか好き放題喋り続けている。
イクシオンが凄んだ。
「お前ら、後で鍛錬の時に目に物見せてやるからな」
彼らがピタリと口を噤んだ。
一応彼らを静かにさせた後、イクシオンはそれぞれに指示を出す。
「姉上には明日までに城に顔を出すと伝えておいてくれ。俺はラフィーネ姫を屋敷にお届けする」
そうして、なぜだか分からないが憐みの表情を浮かべた騎士達に見送られ、私たちは新居に向かうことになったのだった。
※※※
屋敷は、王都の景観を崩さないよう灰色の石で出来た建物だった。
広大な庭の中にぽつりと立っているが、とても大きい。
玄関を、キラキラしたシャンデリアが心を躍らせてきた。
ビロードの絨毯で覆われた階段を登って、奥にある部屋へと連れて来られる。
(アモルの王城にあてがわれた自室よりも断然豪華ね)
部屋の中には、色とりどりの花々が飾られていた。
天井には、花びらの形をしたランプ。白い木材で出来た猫脚の家具たちは全体的に愛らしい。
備え付けられたドレッサーの鏡の周りを、精緻な蔦模様が覆っていた。
村で泊まった客室より豪華だし、何より王城の自室よりも豪華なのだ。
机の上には、着替えだろうか。フリルがふんだんにあしらわれた、普段着用の淡い桃色のドレスが置かれていた。そっと手に取ると、さらりとした素材で心がときめく。
「可愛らしい部屋ですね」
思わず感嘆の声が漏れた。
「こういうの、子どもの頃のラフィーネ姫様は好きだったなと思いまして」
イクシオン将軍は、なんだか恥ずかしそうに見える。
「イクシオン将軍が準備してくださったのですか? ありがとうございます」
「いえ、俺は指示を出しただけなので。ああ、どうぞ着替えです」
手に持っているドレスについて、説明された。
旅用のドレスはもうくたびれている。
「ありがとうございます、子どもの頃の趣味を覚えてくださっていたのですね」
イクシオンに向かって、ふんわりと微笑みかけた。
そうして、着替えようとしたのだが……
「イクシオン将軍が部屋の中にいたら、着替えられないのですが」
彼に視線をやると、少年のように瞳を煌めかせていた。
「ありがとう……ラフィーネ姫が俺にありがとう……!」
どうしたのだろうか。
「そういえば、将軍の部屋はどちらになりますか? 屋敷の中にはたくさん部屋があるようでしたが」
「書斎は別にあるけれど、俺の部屋もここですよ。というよりも、ここは寝室です。本当は屋敷の夫婦が寝泊まりする場所です」
「夫婦の寝室だったのですね、てっきり私の部屋だと勘違いしてしまいました」
夫婦でとわざわざイクシオンが告げてくるのだから、本当は妻になる者のために準備した部屋なのだろう。
将来、彼の妻になる人も、この部屋に妾を連れていたと知れば不快に思うかもしれない。
「でしたら、良ければ別の部屋にしていただきたいのですが……」
先ほどまで嬉しそうにしていたイクシオンの表情が一気に暗くなった。
「ラフィーネ姫様、どうして……」
「……このような部屋で暮らすわけにはいきません」
夫婦にとって、寝室とは大事な場所に違いない。
「いずれは出ていく身とは言え……もっと狭い部屋で構いませんから」
イクシオンの顔が泣きそうなポムウルフのように見えたが――気のせいだと思うことにした。
※※※
夜。
別の部屋を準備してくれと頼んだのが、イクシオンに部屋がないと言われた。
部屋はたくさんあるはずだったが、改修が終わっていないだとか、鍵を失くしただとか、扉に板が張り付けられたりしていて、使用が出来なくなっていた。
結局、最初に連れてこられた寝室で夜を過ごすことになった。
(未来の奥方様には申し訳ないけれど、部屋がないのなら仕方がないわ……)
まだ満月からしばらくしか経っていないからと、今日はイクシオンは応接室かどこかで寝るらしい。
代わりに自分がそこで寝ると言ったが、彼は聞いてはくれなかった。
(明日はロクス王国の女王陛下のもとへ向かうそうだから、今日はもう早く寝ないと)
だけど、一つだけ困ったことが起こる。
外は雨が降り出したのだ。
月は雲で覆われ、雷鳴が轟きはじめる。
(雷……)
魔術などの一時的なものなら大丈夫なのだが、真っ暗な夜の雷が昔から苦手だった。
(お母さまが亡くなった日のことを思い出すから……)
一緒に眠っていたはずの母。国王の妾だった母と幼い頃は同じ部屋で過ごすこともあった。
久しぶりに一緒に眠れると喜んでいたのに、暗闇で稲光が落ちた時に目にしたものは……
(お母さま……)
当時を思い出して、身体が震えはじめる。
(あの日もこんな雷の夜で……)
物言わぬ母の真っ白な顔。
呪いか何かの類だろうか? はたまた毒を盛られていたのか?
幼い頃の私が部屋に入った時には……
母は既に事切れてしまっていた。
『あ……お母さま……』
幼い私が真っ青な顔で、ガタガタと震えていたら……
『ラフィ!』
突然、背後から目隠しをされた。
そうして、気付いた時には何者かに抱き寄せられていて……
『大丈夫です、俺が来たから……もう大丈夫ですから……』
優しい声音が鼓膜を震わせてくる。
力強く抱きしめられる。
彼の腕の中、温かくて、恐怖と悲しみが和らぐかのようだった。
『シオン……お母さまが……お母さまが……』
『ラフィ、俺はずっと貴方の傍を離れませんから』
他の兵たちが駆けつけてくる中、イクシオンが幼い私のことをずっとずっと抱きしめてくれていたのだった。
(昔のことを思い出してしまったわね……)
けれども、今。
あの頃のように、そばにイクシオンは控えてはいない。
無意識に震える身体を、私は自分自身でぎゅっと抱きしめる。
「もう私も成人したのよ、落ち着いて……」
自分に言い聞かせたが、体は言うことを聞いてはくれない。
雷が去るのを静かに待つしかない。
だが、窓の外、一際大きな閃光が爆ぜる。
「いやあああっ……!」
思わず大声を上げた、その時。
「ラフィ―……!」
扉が開かれる。
入ってきたのは、部屋の本来の主であるイクシオンだ。
視界が滲んで、彼の姿がぼやける。
ベッドに駆けてきた彼に、私は身体を抱きしめられた。
「シオン……」
「すまない、ラフィ、遅くなってしまって……大丈夫。大丈夫です。俺がそばにいますから」
あの日と同じような優しい彼の声音が、私の鼓膜を震わせてくる。
徐々に震えが落ち着いてきた。
イクシオンがそっと私の顔を覗いてくる。彼の指がそっと私の乱れた白金色の髪を払った。
「雷、苦手だったなと、思い出したので……昨日、魔術で雷使った俺が言うのもおかしな話ですけど……」
先日のように正気を失いたくないからと、イクシオンは寝室よりも遥か遠い部屋を使用していたはずだったが、ここまで駆けてきてくれたようだ。
「ありがとうございます」
昔と変わらぬ彼の優しさが、胸を打ってくる。
しばらく抱きしめられていたが、彼がそっと離れた。
少しだけ、寂しさが胸に去来する。
「……雷が止むまで、部屋の端にいますから」
そうして、彼が部屋の隅に移動しようとしたのを引き止めた。
「待ってください、イクシオン将軍」
袖を引っ張ると、困ったような表情をされる。
「姫様……その、この間みたいに襲いたくはないので、ちょっと距離を取りたく」
「以前も今も、私が貴方に癒しの術をかけた際におかしくなっていたはずです。今日は術はかけないので、その……そばにいて……」
子どものようなワガママを口にしているのは分かったが、雷の夜は、昔のように彼にそばにいてほしかった。
「俺が理性を保てないのは、何も魔術をかけられたからだとか、貴女の魔力に酔ってるのだけが原因じゃないんですがね」
そう言うと、ギシリとベッドに乗ったイクシオンが、また私の身体を抱きしめてくる。
首に顔を埋めてこられると、心臓がドキンと跳ねた。
彼の体温があたたかくて、気持ちが良い。
そっと自分から彼の背に腕をまわす。
外ではまた光が閃いた。
「きゃっ……!」
なかなか雷雲は遠くへと去って行ってはくれない。
すると……
「ラフィーネ姫、雷が聴こえなくなるようなことをしましょうか?」
「え?」
……イクシオンの発言に戸惑う。
(雷が聴こえなくなるようなこと……?)
もしそんな魔法のようなものがあれば……
「じゃあ、よろしくお願いします」
……この時、雷への恐怖に負けて返事をしたことで……
まさかイクシオンとあんなことになるとは考えもしていなかったのだった。




