第5話 敵国将軍が、発情しそうです!
「ポムウルフが223606匹、ポムウルフが223607匹……」
翌朝、朝陽で目が覚めると、目の隈がますます濃くなったイクシオン・ロクスの顔が近くにあった。
眠る前と同じ、外套の中で抱きしめられていて、鼓動が高鳴り落ち着かない。
(やっぱり今日もポムウルフを数えている……儀式のようなもの?)
「イクシオン将軍、相も変わらずポムウルフを数えているのですね」
彼の身体がぴくりと反応する。
「ラフィーネ姫、起きていたんですか?」
「はい。将軍は、ポムウルフを数えるのが習慣なのですか?」
「習慣? まあ、確かに……ここ数日は習慣になっていますね」
ここ数日だけらしい。
「では……将軍は普段はしないのですか?」
「普段はないが……やけに質問してきますけど、どうしました?」
「それは、だって、これから一緒に暮らしていていくのでしょう? 毎朝目覚めたら、ポムウルフを数えていらっしゃるのかどうか、これから先、気になって……将軍、どうしましたか?」
朝焼けか――やたらとイクシオンの顔が真っ赤に染まって見える。
「ま、毎朝……毎朝、毎朝……」
彼は壊れたからくり人形のように、ポムウルフ代わりに毎朝を連呼しはじめた。
(どうしたのかしら……? あ……)
はっと気づいて、一気に頬が赤らんでいく。
(私ったら、毎日夜を一緒に過ごすような発言をしてしまって……! いくら、シオンが私と一緒に住む屋敷を準備しているからって……)
……浮名を流している彼のことだから、他にも恋人や妾はいっぱいいて、毎晩自分と一緒に過ごすことなんてないだろうに……
顔を真っ赤にして固まっているイクシオンの顔を見る。
瑠璃のような藍色のさらりとした髪に、今は見えないが炎のような赤紫色の瞳。
美しい顔立ちで、どことなく色香を孕む美青年。
ぶつぶつと呪文のように「毎朝」と唱える薄い唇に目を奪われてしまう。
(キスはまだダメだと言っていたし……)
こくんと唾を飲み込んだ。
彼がアモル王国にいた頃からだ。
満月が近いと、彼がいると落ち着かなくなる。
あの事件が起きたのだって、月がちょうど満ちる頃で……
(私ったら、夜に一緒に過ごしたがったり、自分から口づけをせがむような発言をしてしまったり……積極的にシオンと何かをしたいみたいで、はしたない女に見えているかも……しっかりしないと、私はただの妾なのだから……父王の妾だった母のように苦しくて惨めな思いはしたくない)
正気をしっかり保たないといけないと決意する。
(それだけじゃない、この二日で気づいたことがある)
きゅっと唇を引き結んだ後、話しかけようとしたら……ちょうど、彼の赤紫色の瞳が朝陽に輝いていた。なんだかキラキラとした宝石のように見えると、子どもの頃はよく手をかざしていたことを思い出す。
そっと、彼の頬に手をやる。
「……相変わらず、朝は紅玉のように見えて、不思議な瞳ですね」
だが、反応がない。
見ると……イクシオンは硬直していた。
「あ、ごめんなさい、私ったら、昔のくせで……」
「ラフィーネ姫!」
……イクシオンが突然、がばりと抱き着いてきた。
「きゃあっ……! あまりこういう性急なのは嫌いだと、先日伝えたはずで……」
自分から触れておきながら、反論してしまう。
彼の体温がやけに熱くて、頭の芯がくらくらしてきた。
抱きしめられても、だいぶ振りほどけなくなっている自分がいる。
(……まだ再会して二日だというのに……しっかりなきゃ)
「ラフィーネ姫」
「は、はい」
切望するような声音が耳に届く。
「俺も……俺は……ラフィーネ姫のことをキレ…………」
私の心臓がドキンと跳ねる。
「キレ……?」
……綺麗だ……そう言いたいのだろうか?
「……キレ……」
「キレ……?」
ドキドキしながら待つと……
「……切れ味の鋭い刃のような女性だな……と」
……一気に心が冷えていく。
「まだ山頂までは遠いのでしょう? 準備をしたいので離れていただけますか?」
想像以上に、切れ味が鋭い低い声音が出て来た。
彼の身体が戦慄いているような気がしたが……気のせいだと思って、そっと力ない腕から逃げ出したのだった。
※※※
休憩していた場所から出発して、なんとか頂上に辿り着いた。
南中に差す太陽の明るさがひどく眩しい。
崖の先端へと脚を運ぶ。
下は断崖絶壁だ。
遥か谷底には、鬱蒼とした森がひしめいている。
危険を冒してでも崖上まで来たのは、森を抜けた荒野よりも、さらに遠くに……
「わあ、綺麗……あれが……」
――海。
遠くに瑠璃のような青い海が観えた。
初めて見る海の煌めきに心を奪われる。
「そうか、ラフィーネ姫は初めて観るのか」
イクシオンが隣に来て、そう言ってきた。
「はい、すごく綺麗です!!」
書物や絵本、絵画で見たことはあったが、本物の海を観たのは初めてだった。
心躍らせていると、イクシオンがそっと私の白金色の髪を掴んでくる。
「……きゃっ……!」
ちょうど崖下から風が舞い上がってくる。
「ラフィ―の方が綺麗だ」
だが風の音で、彼が何を言ったのかは聴こえなかった。
「え? 何ですか?」
「いや、なんでもない。そうだ、これを……」
そう言うと、彼は懐から淡い赤紫色の花を取り出してきた。
「これは、モスフロックスの花……?」
「ちょうど、その辺りに咲いていたので……姫様、俺の瞳に似た色だって言って、子どもの頃に好きだったなと思い出しまして……」
モスフロックスの花を受け取ると、そっと彼の大きな手に手を包まれる。
なんだか鼓動が落ち着かない。
(シオン、覚えていたのね、私がモスフロックスの花を好んでいたことを……)
もどかしい気持ちが胸を支配する。
そうして、彼の瞳を覗きながら、珍しく素直な気持ちを伝えてみることにした。
「ありがとうございます。妾である私にこんなに優しいのですから、きっとイクシオン将軍の奥様になられる方は、とても幸せになられるでしょうね」
「ラフィーネ姫」
ひどく真剣な眼差しで、イクシオンがこちらを見つめてくる。
心臓が早鐘のように落ち着かなかった。
「俺は将軍だ。昨日も見ただろうが、多くの民が称賛もしてくるが、同時に恨まれてもいる。むしろ憎まれている数の方が多いだろう」
真面目な話だ。
「そんな俺の妻になれば、妻になった者も、俺に何かあった場合に同じだけの責任を負わされる可能性がある」
彼の言う通りだ。妻となれば、夫と生死を共にする覚悟が必要だろう。
「だが、いやいや妾にされた立場なら、まだ同情される可能性だってある。そんな俺でも、もし貴女が良いのなら……その……いや、順番がおかしいな。俺は……」
柔らかな風が、私の白金色の髪と彼の藍色の髪をさやさやと揺らした。
心臓が落ち着かない。
「俺はラフィーネ姫のことを愛…………」
その時。
「きゃっ、何っ……!?」
耳をつんざくような甲高い音が聴こえる。
同時にバサバサと大きな羽音。
二人の頭上に影が差したかと思うと、鳥型の魔物の姿があった。
イクシオンがちっと舌打ちをする。
「俺が! 大事なことを言おうとしている時に、ふざけるなよ!」
彼が叫ぶと同時に、雷光が爆ぜた。
魔力の源泉が少ない場所なので初級のものだろう。
だが、魔物には効果てきめんだったようで、振り落ちた雷に撃たれ、どしゃりと地面に落ちた。
詠唱なしに魔術を使える人間は、現在では限られた者しかいない。
(相変わらず、剣も魔術も……何をさせても強い)
だが、感心したのも束の間、イクシオンの声が珍しく上ずった。
「なんだ!? 初級だっただろう? いつもより、火力が……!」
想定外の何かが起きているようだ。
「何が起きて……!」
初級魔術を使ったはずなのに、まるで上級のものであるかのように、雷が降り注ぎ続ける。
そうして、自分たちのいる崖を崩した。
「きゃっ……!」
足場を失くし、身体が宙に放り出される。
「ラフィ―!」
崩れた崖から、谷底へと落ちる。
あまりの恐怖に、私はそこで意識を失ったのだった。
※※※
「あれ……?」
次に目覚めた時、茂る木々の合間から夕焼け空が視えた。
「身体、痛くない……」
……地面に叩きつけられたような痛みは全く感じない。
「……っ……」
だけど、耳朶が微かに痛んだ。
(何? 噛み痕……?)
そうして、私の身体を抱きしめてるのは……
「シオン!」
……イクシオンだった。
「まさか、私をかばって……?」
彼の身体にはところどころ傷が見える。
とはいえ、あの高さから地面に落ちて、どうやって助かったのだろうか?
落ち方が良かったのだろうか?
それとも風の魔術で相殺したのか?
理由は分からなかったが、イクシオンの傷を治すのが先決だ。
(昨日は怒られてしまったけれど……)
今はそれどころではない。
呪文を唱え、彼の身体に癒しの術をかける。
ふわりと金の光が瞬いた。
傷自体を治すわけではなく、本人の持つ回復力を促進するものだ。
(あとは、シオン次第……)
気長に待つしかない。
森の中は暗闇に包まれ、天に月が昇りはじめる。
「満月」
少しだけ肌寒くなってきた。
(どうしよう、火をつけないと、魔物や動物に襲われるかもしれない)
木を拾い集めていると、彼がゆっくりと眼を覚ました。
「シオン! 良かった、無事のようですね」
うっかり昔の愛称で呼んでいることも忘れて、彼に声を掛ける。
そっと、彼のそばに戻った。
「ラフィ―……良かった、無事か」
「はい、貴方が何をやったのか知りませんが、この通り元気です」
心の奥底から安堵する。
(良かった……)
「今日はここで野宿でしょうか? 一応薪を集めてはみたのですが……」
その時、イクシオンが呻いた。
「大丈夫ですか? まだ傷が塞がっていないのでは……」
だが……
「まずい。満月までに……国境を越えきれなかったか。離れて……くれ、姫様」
「え?」
だが、離れろと言ってきた彼の方が私の腕を掴んできた。
視界が反転して……気づけば、イクシオンに身体を組み敷かれている。
「シオン、どうし……? きゃっ……」
「ラフィ―……」
羽織っていた外套を暴かれ、首筋に彼の顔が埋まる。
そのまま肌を吸われはじめた。
「イクシオンっ将軍っ……待ってください……」
ふと、首から離れたイクシオンの顔が正面に差す。
彼の瞳が、燃える炎のようにひどく紅く見えた。
まるで野生の獣のようだ。
「シオン……」
「ラフィ……俺は――貴女を怖がらせたくは――」
何かと戦っているようなイクシオンだったが――崩れる。
空には黄金色に輝く月。
(そうだ、あの時も満月にシオンがおかしく……)
イクシオンは媚薬でも飲まされたかのように……何かに当てられ、発情した獣のようになったのだった。




