表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/28

第4話 国境で将軍、我慢は禁物です! イクシオンside


 

 国境にそびえたつアルパイン山の麓。

 山自体は緩衝地帯に当たるため、裾野に関門が設けられている。

 だだっ広い荒野を抜けて、二人は入り口まで辿り着いた。


(村から砦まで見えていたし、わりと近いと思っていたら結構距離があるのね)


 旅慣れていないこともあり、少しだけ脚が重たい。


「ラフィーネ姫、疲れたんじゃないですか? ほら、抱えて差し上げますよ。それとも、関門を超えてからおんぶしましょうか?」


 イクシオンが手を差し出してきた。


「イクシオン将軍、一人で結構ですので」


 だが、ついつい反発してしまった。


 彼の表情が強張って見えたが……気のせいだろう。


(妾だというのに、よくないわね)


 ぎゅっと両手を胸の前で組む。


「ごめんなさい、将軍」


 謝ってから顔を上げると、イクシオンの赤紫色の瞳が爛爛と輝いて見えた。

 瞬きをしてもう一度しっかり見ると、いつもの仏頂面だったので……気のせいだろう。

 やりとりをしている間に門を通る順番が来た。とはいえ、戦争も近いと言われていたこともあり、関門付近に人の姿はまばらだ。

 伝令は来ていたはずだが、自国の姫と敵国の将軍の姿を見て、見張りの兵たちは驚きの声を上げる。


「噂は本当だったのか。姫が将軍の妾にというのは……」


「そもそもイクシオン将軍は、いつこの門を通り抜けたのだ?」


「月光姫ラフィーネ姫様のご尊顔を、こんなに近くで見れるなんて……!」


「羨ましい……」


 イクシオンが私の肩を抱いてきたかと思うと、ざわつく人垣の中に割って入る。


「これが書状と通行証だ。通してもらおうか?」


 兵たちが恐れをなし、まるでさざ波のように引いていった。


 何事もなく通過できる、そう思っていたのだが……


「友の仇だ! 敵将イクシオン・ロクス! 覚悟!」


 突如、年若い兵が剣を振りかざし駆けてくるではないか――!

 振り下ろされた刃を、イクシオンがいつの間にか抜いていた剣で打ち払う。


「……姫様に当たったらどうするつもりだ」


 ロクスの将軍の眼光に射抜かれ、兵はその場にくにゃりと、へたり込んだ。それらを仲間たちが抑え込む。年若い兵は負け惜しみのように叫んだ。


「敵国の妾になったっていうのなら! 姫様も……いいや、その女も同罪だ! 妾から産まれた、この売国女!!」


 ……彼の言葉に衝撃が走る。

 自分から望んでイクシオンの妾になったわけではないが、自国の民から恨まれる可能性もあるとは考えもしていなかった。


(そもそも私は、妾の子と蔑まれていたから……)


 唇を噛み締めていると……

 突然、イクシオンが私の身体を抱き寄せてくる。

 かと思えば、突然背を撫でられはじめた。


「将軍、皆の前で何を……っ……」


 彼が首筋に顔を埋めてきて、肌の上を唇が這いはじめる。

 おそらく兵達から見ると口づけ合っているように見えるだろう。

 

(人前で、こんな……)


 互いの身体が密着してくる。

 けれども一瞬だけ彼に隙が出来た。

 思わず手を振りかざす。


 ぱんっ!


 渇いた音が周囲に響き渡った。


「おやめください、イクシオン将軍」


 音の正体は、私が彼の頬を叩いた音だ。

 年若い兵に向きなおると、イクシオンが低い声で呻いた。


「見ての通り、ラフィーネ姫は好きで俺の妾になったわけじゃない」


 彼の眼光が鋭さを増す。


「ラフィーネ姫は、お前たちのために、俺の……敵将の妾になったんだよ。それを売国女だと……? てめぇは、自国の姫に敬意も払えないのか?」


 兵はぐっと言葉に詰まった。

 そのまま叱責を受けながら、仲間の兵達に縄で縛られる。


「……将軍、申し訳……」


 だが、イクシオンは遮る。


「謝る相手が違うだろうが? ……さあ、行きますよ、姫様」


 兵達のざわめきの中、関門を後にする。

 彼に手を引かれながら考えた。


(シオン……もしかして、わざと……?)


 後ろからぽつりと兵の声が聴こえた。「姫様、申し訳ございません」、と。




※※※




 関門を抜け、しばらく山道を登っている間に夕暮れが近づいてきていた。

 今日はここで野宿をして、明日、山頂まで登った後、一気に下山しようという話になった。

 小川近くの、雨風をしのげる大きな木の下、イクシオンと二人で休む。

 緩衝地帯に多いのだが、魔力の源泉が少ないようで、イクシオンが木で火を起こしていた。

 その頃にはもう陽は沈み切っていて、周囲は真っ暗だった。

 夕餉に、山を登っている間に捕獲した動物の肉を焼いたものを手渡される。


(肉汁がじゅわっとして、美味しい)


 食事をした後、明日に備えて外套にくるまりながら眠ることにした。

 とはいえ、慣れない野宿でなかなか寝付くことは出来ない。

 遠くから、野犬なのか狼型の魔物なのかは分からないが遠吠えが聴こえた。

 炎の揺らめきの中、イクシオンに思い切って声をかける。


「ごめんなさい、関所で叩いてしまって……」


「いいえ、別に。以前も姫様に叩かれたことがあったので……」


 ――以前。

 彼の家がまだ政争で敗れる前にあった出来事のことだろう。


(……あの頃、もう一人の兄のような存在だったシオン。急にあんなことをされて驚いてしまった。だけど、私だけならばと胸の内では思っていたのに……)


 ……結局会いに来なくなって、気づけば国を追放されたイクシオン。

 どうなったのかと不安でしょうがなかったが、気づけば騎士としての名声を馳せ、ロクス王国の将軍になっていた。

 手段は選ばず非情だと言われ、まるで別人のようだと思っていたら、女性を侍らせているだとかいう噂を聴いて、がっかりしたものだ。


(でも、それ以上に、シオンが生きてくれていて良かったと思ったのも事実)


 今、火を囲んで向こうにいるイクシオンは、薪の調整をしている。


「すみませんね、姫様を歩かせてしまって……明日、山を下りて一泊して王都に帰ったら、準備してある新居で自由に暮らしてもらって良いので」


「自由に……ですか?」


「ええ。姫様、読書が昔から好きだったでしょう? 蔵書もたくさん買っておいたので、好きに読んでてください。城にいた頃よりも上等なドレスや寝具も準備してるし、これからは王太后や義妹たちの目に怯えて暮らす必要もない。好きに生きたら良い」


 イクシオンは姫であるはずの自分が、姫としての待遇をあまり受けていなかったことを知っている。


「ロクス王国に向かったら、その準備してある新居とやらに入るのは分かりました。そこで、城から貴方が来るのを待てば良いのですね」


 そう言うと、イクシオンが怪訝な顔をした。


「……俺もその新居に住みますけど」


「え?」


 彼と同じ屋敷。


「つまり、貴方の他の恋人や妾の方と一緒に暮らすことになるのですね」


 近隣諸国では、愛人を囲う屋敷を持つ者の噂も聞くので、その類なのだろう。


「使用人や警備の騎士はいるが……俺と貴女の二人の新居です」


「え?」


 ますます意味が分からない。


「妾のために新居を立てるなんて、イクシオン将軍は変わっていますね」


 王弟の扱いなのだし、金銭が有り余っているのだろう。

 ふと、彼に視線を向けると、焚火を弄るための木の棒を持ったまま、どんよりとして見えた。


(……どうしたのかしら?)


 ちょうどその時、火が爆ぜてシオンの指に当たった。


「熱っ……俺としたことが……」


 小さく呻いたイクシオンのそばに近付く。


「将軍、貸してください」


「……何を?」


 彼の手を取ると、一言呟く。

 ふわりと、小さな光が現れたかと思うと、すぐに弾けた。


「将軍、これで痛くないはずです」


 癒しの魔法だ。

 喜ばれるかと思ったが、イクシオンの表情は険しくなった。


「この辺りは魔力の源泉は少ない。自分の生命力を使ったな」


 彼の眼光の鋭さに、身体がびくりと震える。


「ラフィ、どうして、貴女は昔から無茶ばかりするんだ! 自分を犠牲にするなと、あれほど俺は言い聞かせてきたのに……!」


 昔のように叱られてしまって驚いてしまった。

 それもそうだが……


(ラフィ)


 かつて呼ばれていた愛称で呼ばれたことで、一気に昔に還ったかのような気持ちになる。


 ……シオン。


 自分もかつてのように彼の名を呼ぼうとしたが、くしゅんと、くしゃみが出てしまう。

 日中は太陽が近くて熱かったが、夜の山の中は冷えるようだ。


「怒鳴って申し訳ございません。ラフィーネ姫、寒いなら、こちらへどうぞ」


 また元の呼び方に戻ってしまう。

 手を差し出してくるイクシオンに対して、なんだか素直な気持ちになれない。


「……何をされるか分かりませんので、結構です」


 すると、そのままの格好で彼は硬直していた。

 心なしか手が震えている気がする。


(シオンが寒いのかしら?)


 だが、瞬きをしたら、そんなことはなかった。

 そうこうしていると、くしゃみがもう一度出てしまう。


「ああもう、相変わらず強情だな。見てるこっちが寒いので。ほら」


 彼の腕に手首を掴まれ、そのまま抱きしめられる。


「ちょっと……」


「姫は愛妾なんだから、たまには俺の言うことを聞いてください」


 抵抗しようとしたが、力が強すぎて振りほどけなかった。


「大丈夫、何もしませんから」


「本当にですか?」


「ああ、信頼ないな。俺が悪いんだが……明日も歩かないといけないし、俺も寝不足なので、どうぞお休みください」


 二人で同じ外套に包まれて過ごす。


 ……子どもの頃よりも大きくなったイクシオンの腕の中は暖かくて、なんだか昔に戻ったような気持ちになって……


 疲れていた私は、心地よい眠りに誘われたのだった。




※※※




 ロクス帝国の若き将軍は、自分の言葉に縛られて苦戦していた。

 眠るラフィーネの首筋に、彼は頭を埋める。そうして呻いた。


「俺は……ラフィに何もしないと誓った……」


 昨晩も理性と本能が闘っていたが、なんとか理性が勝利した。

 しかしながら、今日は昨日よりも、姫と彼との距離が近すぎる。

 穏やかに眠るラフィーネ姫の、髪と同じ白金色の睫毛がふるりと震えた。

 少しだけ開いた桜色の唇から、小さな寝息が零れてくる。

 彼女の柔らかい身体と、滑らかな肌は、完全にイクシオンの理性を崩壊させかかっていた。


「……まずい、さっきの癒しの術のせいか? それとも満月が近いからか? それとも……」


 ――昔から自分にだけ分かる、彼女の甘い香りのせいだろうか?


 薔薇の花のような、上質な甘い砂糖菓子のような……獣を誘惑してくる色香というべき類の香りが。

 だんだん彼の呼吸が速くなってくる。

 ぎゅっと彼女の身体をかき抱いた。


「んっ」


 力が強すぎたのか、彼女から可憐な声が漏れ聴こえる。

 理性が完全に崩れそうだった。

 だが、これ以上彼女の信頼を失いたくないイクシオンは、必死に山の空気を吸って自身を落ち着かせた。


「……今日もポムウルフを数えるしかないな、二日徹夜か……」


 とはいえ、彼は彼女に嫌われたくなかったのだ。


「ラフィ……」


 昔、宰相との政争に敗れる前、イクシオンがアモル王国にいた頃。

 今のように、ラフィーネを前にして身体が熱くなっておかしくなったことがあった。


(まだ若かった俺は、ラフィに無理矢理……)


 あの日は、満月の夜だった。

 いつものように部屋の前で見張りをしていたのだが……


『シオン、どうなさったのですか? 具合が良くないのですか? どうぞ部屋の中にお入りください』


 少女から大人に差し掛かりかけた彼女の、桜色の唇がやけに蠱惑的に見えて……

 プラチナブロンドの髪から、ふわりと肌に触れた後。

 部屋の中に招かれると、やけに甘ったるい香りが誘惑してくるかのようで……


『どうしたのですか? 誰か呼びましょうか? ソファでお休みになられては?』


『……ああ、そうだな……今日は、もう……』


 まずい。彼女の部屋の中に入ったのは――愚策だったかもしれない。

 どんどん甘い香りが強くなってくる。

 ドクンドクンドクン。

 まるで何かに囚われてしまったかのような、浮遊感が襲ってきた。

 イクシオンのそばにラフィーネが近づいてくる。


『シオン、さあ、こちらに。もしかして熱があるのですか?』


 そっと両手に両手を重ねられた。

 彼女が背伸びをして、額同士をくっつけてきた。

 それがまるでキスをせがまれているかのような錯覚に陥って……

 そうして、彼女が癒しの術をかけてくる。

 瞬間。

 血が滾るような感覚が襲ってくる。

 ……理性が一気に崩壊した。

 気付いた時には……彼女の唇を奪っていた。

 あまりの甘美さに脳髄が震えるようだ。

 そのまま、ソファの上に組み敷くと、本能のままに今度は荒々しく唇を貪り続けた。

 そして、雲が満月を隠した瞬間。

 イクシオンは我に返った。


『俺は……何をして……』


 自身の身体の下、夜着のはだけたラフィーネが嗚咽を漏らしていた。


『……ラフィー……すまない、別の護衛を……呼んでくるから……』


 イクシオンは急いでラフィーネの部屋から逃げ出した。

 その後、ラフィーネが兄王に何か進言でもしたのだろう。

 結局、あの日が最後の護衛の日になってしまった。

 政争に敗れる原因の一つになった可能性だってある。


 けれども、追放された事実以上に……


 ずっと大切に護ってきたラフィーネに嫌われたんじゃないかと思って、苦しくて悲しくて、ずっと心の中で自身を苛んで生きてきた。

 あの時、泣きじゃくるラフィーネ姫から向けられた……哀しそうな、拒絶されているような……言葉では表現できない表情。

 何かある度に、頭に浮かんでくるのだ。


(口づけからとラフィには言われたが……)


 あの日の出来事で歯止めが利かなくなって、ラフィーネ姫に拒絶されるのではないかと思い、怖くて口づけることすら出来ない。


「ただでさえ、俺はラフィーから嫌われているのに……」


 ふと、愛妾にしてしまった姫の顔をイクシオンは眺める。


 ――アモルを追い出されてから、一日だって彼女のことを忘れたことはなかった。


 今回、単騎で敵国に乗り込んだイクシオン・ロクス。

 アモル王国に放っていた間諜の情報で、国が傾きつつあったアモルの宰相は王の目を盗み、美しく年若いラフィーネ姫を他国に売りつけようとしていたことが判明していた。

 それを知ったイクシオンは、幼馴染の彼女を救い出すために策を練ったのだ。


 そうして――停戦協定を結ぶ場で、ラフィーネ姫を妻にと伝えるはずだった。

 だが、彼女に叱責されたことで、過去の出来事が脳裏に浮かんで言葉に詰まってしまった。


 それでも、姫を妻にと言うはずだったのだが……


(今日の関所での出来事のように、俺に恨みを抱いている者は多い)


 将軍という立場上、諸国の兵達の命を奪ってきた罪はある。

 妻にすれば――将軍である自分自身に何かあれば、彼女も同様に責任を取らなければならなくなる。

 けれども、無理に連れて行かれた妾の立場ならば……


(生きて最後まで彼女を守り切れる自信さえあれば……確かに、現状で大陸内で俺に勝てる者はいない。だが、万が一のことがあった時が、どうしても怖い)


 満月の夜。理性が働かなくなる自分が――何をしでかすのか分からない。

 あの日のように意識が混濁する中……

 ラフィーネのことを護れなくなるかもしれない。

 ……結果、出て来た言葉が「愛妾」だった。


「妾とか言えば良かったのに、愛妾だとか苦しい言い回しになったな……」


 だけど、もし、そんな自分でも彼女が望んでくれるなら……


「ラフィが俺を旦那にしたがるなんて、あり得ないか……」


 自嘲気味に笑った後、イクシオンはラフィーネの身体を強く抱きしめる。

 理性がなんとか勝ったのか、呼吸はだいぶ落ち着いていた。


「寝てる間なら……上手に言えるのに……俺はラフィーネ姫のことを愛し……」


 ――眠る姫には将軍の本音は聴こえてはいないのだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ