第4話 国境で将軍、我慢は禁物です! イクシオンside
国境にそびえたつアルパイン山の麓。
山自体は緩衝地帯に当たるため、裾野に関門が設けられている。
だだっ広い荒野を抜けて、二人は入り口まで辿り着いた。
(村から砦まで見えていたし、わりと近いと思っていたら結構距離があるのね)
旅慣れていないこともあり、少しだけ脚が重たい。
「ラフィーネ姫、疲れたんじゃないですか? ほら、抱えて差し上げますよ。それとも、関門を超えてからおんぶしましょうか?」
イクシオンが手を差し出してきた。
「イクシオン将軍、一人で結構ですので」
だが、ついつい反発してしまった。
彼の表情が強張って見えたが……気のせいだろう。
(妾だというのに、よくないわね)
ぎゅっと両手を胸の前で組む。
「ごめんなさい、将軍」
謝ってから顔を上げると、イクシオンの赤紫色の瞳が爛爛と輝いて見えた。
瞬きをしてもう一度しっかり見ると、いつもの仏頂面だったので……気のせいだろう。
やりとりをしている間に門を通る順番が来た。とはいえ、戦争も近いと言われていたこともあり、関門付近に人の姿はまばらだ。
伝令は来ていたはずだが、自国の姫と敵国の将軍の姿を見て、見張りの兵たちは驚きの声を上げる。
「噂は本当だったのか。姫が将軍の妾にというのは……」
「そもそもイクシオン将軍は、いつこの門を通り抜けたのだ?」
「月光姫ラフィーネ姫様のご尊顔を、こんなに近くで見れるなんて……!」
「羨ましい……」
イクシオンが私の肩を抱いてきたかと思うと、ざわつく人垣の中に割って入る。
「これが書状と通行証だ。通してもらおうか?」
兵たちが恐れをなし、まるでさざ波のように引いていった。
何事もなく通過できる、そう思っていたのだが……
「友の仇だ! 敵将イクシオン・ロクス! 覚悟!」
突如、年若い兵が剣を振りかざし駆けてくるではないか――!
振り下ろされた刃を、イクシオンがいつの間にか抜いていた剣で打ち払う。
「……姫様に当たったらどうするつもりだ」
ロクスの将軍の眼光に射抜かれ、兵はその場にくにゃりと、へたり込んだ。それらを仲間たちが抑え込む。年若い兵は負け惜しみのように叫んだ。
「敵国の妾になったっていうのなら! 姫様も……いいや、その女も同罪だ! 妾から産まれた、この売国女!!」
……彼の言葉に衝撃が走る。
自分から望んでイクシオンの妾になったわけではないが、自国の民から恨まれる可能性もあるとは考えもしていなかった。
(そもそも私は、妾の子と蔑まれていたから……)
唇を噛み締めていると……
突然、イクシオンが私の身体を抱き寄せてくる。
かと思えば、突然背を撫でられはじめた。
「将軍、皆の前で何を……っ……」
彼が首筋に顔を埋めてきて、肌の上を唇が這いはじめる。
おそらく兵達から見ると口づけ合っているように見えるだろう。
(人前で、こんな……)
互いの身体が密着してくる。
けれども一瞬だけ彼に隙が出来た。
思わず手を振りかざす。
ぱんっ!
渇いた音が周囲に響き渡った。
「おやめください、イクシオン将軍」
音の正体は、私が彼の頬を叩いた音だ。
年若い兵に向きなおると、イクシオンが低い声で呻いた。
「見ての通り、ラフィーネ姫は好きで俺の妾になったわけじゃない」
彼の眼光が鋭さを増す。
「ラフィーネ姫は、お前たちのために、俺の……敵将の妾になったんだよ。それを売国女だと……? てめぇは、自国の姫に敬意も払えないのか?」
兵はぐっと言葉に詰まった。
そのまま叱責を受けながら、仲間の兵達に縄で縛られる。
「……将軍、申し訳……」
だが、イクシオンは遮る。
「謝る相手が違うだろうが? ……さあ、行きますよ、姫様」
兵達のざわめきの中、関門を後にする。
彼に手を引かれながら考えた。
(シオン……もしかして、わざと……?)
後ろからぽつりと兵の声が聴こえた。「姫様、申し訳ございません」、と。
※※※
関門を抜け、しばらく山道を登っている間に夕暮れが近づいてきていた。
今日はここで野宿をして、明日、山頂まで登った後、一気に下山しようという話になった。
小川近くの、雨風をしのげる大きな木の下、イクシオンと二人で休む。
緩衝地帯に多いのだが、魔力の源泉が少ないようで、イクシオンが木で火を起こしていた。
その頃にはもう陽は沈み切っていて、周囲は真っ暗だった。
夕餉に、山を登っている間に捕獲した動物の肉を焼いたものを手渡される。
(肉汁がじゅわっとして、美味しい)
食事をした後、明日に備えて外套にくるまりながら眠ることにした。
とはいえ、慣れない野宿でなかなか寝付くことは出来ない。
遠くから、野犬なのか狼型の魔物なのかは分からないが遠吠えが聴こえた。
炎の揺らめきの中、イクシオンに思い切って声をかける。
「ごめんなさい、関所で叩いてしまって……」
「いいえ、別に。以前も姫様に叩かれたことがあったので……」
――以前。
彼の家がまだ政争で敗れる前にあった出来事のことだろう。
(……あの頃、もう一人の兄のような存在だったシオン。急にあんなことをされて驚いてしまった。だけど、私だけならばと胸の内では思っていたのに……)
……結局会いに来なくなって、気づけば国を追放されたイクシオン。
どうなったのかと不安でしょうがなかったが、気づけば騎士としての名声を馳せ、ロクス王国の将軍になっていた。
手段は選ばず非情だと言われ、まるで別人のようだと思っていたら、女性を侍らせているだとかいう噂を聴いて、がっかりしたものだ。
(でも、それ以上に、シオンが生きてくれていて良かったと思ったのも事実)
今、火を囲んで向こうにいるイクシオンは、薪の調整をしている。
「すみませんね、姫様を歩かせてしまって……明日、山を下りて一泊して王都に帰ったら、準備してある新居で自由に暮らしてもらって良いので」
「自由に……ですか?」
「ええ。姫様、読書が昔から好きだったでしょう? 蔵書もたくさん買っておいたので、好きに読んでてください。城にいた頃よりも上等なドレスや寝具も準備してるし、これからは王太后や義妹たちの目に怯えて暮らす必要もない。好きに生きたら良い」
イクシオンは姫であるはずの自分が、姫としての待遇をあまり受けていなかったことを知っている。
「ロクス王国に向かったら、その準備してある新居とやらに入るのは分かりました。そこで、城から貴方が来るのを待てば良いのですね」
そう言うと、イクシオンが怪訝な顔をした。
「……俺もその新居に住みますけど」
「え?」
彼と同じ屋敷。
「つまり、貴方の他の恋人や妾の方と一緒に暮らすことになるのですね」
近隣諸国では、愛人を囲う屋敷を持つ者の噂も聞くので、その類なのだろう。
「使用人や警備の騎士はいるが……俺と貴女の二人の新居です」
「え?」
ますます意味が分からない。
「妾のために新居を立てるなんて、イクシオン将軍は変わっていますね」
王弟の扱いなのだし、金銭が有り余っているのだろう。
ふと、彼に視線を向けると、焚火を弄るための木の棒を持ったまま、どんよりとして見えた。
(……どうしたのかしら?)
ちょうどその時、火が爆ぜてシオンの指に当たった。
「熱っ……俺としたことが……」
小さく呻いたイクシオンのそばに近付く。
「将軍、貸してください」
「……何を?」
彼の手を取ると、一言呟く。
ふわりと、小さな光が現れたかと思うと、すぐに弾けた。
「将軍、これで痛くないはずです」
癒しの魔法だ。
喜ばれるかと思ったが、イクシオンの表情は険しくなった。
「この辺りは魔力の源泉は少ない。自分の生命力を使ったな」
彼の眼光の鋭さに、身体がびくりと震える。
「ラフィ、どうして、貴女は昔から無茶ばかりするんだ! 自分を犠牲にするなと、あれほど俺は言い聞かせてきたのに……!」
昔のように叱られてしまって驚いてしまった。
それもそうだが……
(ラフィ)
かつて呼ばれていた愛称で呼ばれたことで、一気に昔に還ったかのような気持ちになる。
……シオン。
自分もかつてのように彼の名を呼ぼうとしたが、くしゅんと、くしゃみが出てしまう。
日中は太陽が近くて熱かったが、夜の山の中は冷えるようだ。
「怒鳴って申し訳ございません。ラフィーネ姫、寒いなら、こちらへどうぞ」
また元の呼び方に戻ってしまう。
手を差し出してくるイクシオンに対して、なんだか素直な気持ちになれない。
「……何をされるか分かりませんので、結構です」
すると、そのままの格好で彼は硬直していた。
心なしか手が震えている気がする。
(シオンが寒いのかしら?)
だが、瞬きをしたら、そんなことはなかった。
そうこうしていると、くしゃみがもう一度出てしまう。
「ああもう、相変わらず強情だな。見てるこっちが寒いので。ほら」
彼の腕に手首を掴まれ、そのまま抱きしめられる。
「ちょっと……」
「姫は愛妾なんだから、たまには俺の言うことを聞いてください」
抵抗しようとしたが、力が強すぎて振りほどけなかった。
「大丈夫、何もしませんから」
「本当にですか?」
「ああ、信頼ないな。俺が悪いんだが……明日も歩かないといけないし、俺も寝不足なので、どうぞお休みください」
二人で同じ外套に包まれて過ごす。
……子どもの頃よりも大きくなったイクシオンの腕の中は暖かくて、なんだか昔に戻ったような気持ちになって……
疲れていた私は、心地よい眠りに誘われたのだった。
※※※
ロクス帝国の若き将軍は、自分の言葉に縛られて苦戦していた。
眠るラフィーネの首筋に、彼は頭を埋める。そうして呻いた。
「俺は……ラフィに何もしないと誓った……」
昨晩も理性と本能が闘っていたが、なんとか理性が勝利した。
しかしながら、今日は昨日よりも、姫と彼との距離が近すぎる。
穏やかに眠るラフィーネ姫の、髪と同じ白金色の睫毛がふるりと震えた。
少しだけ開いた桜色の唇から、小さな寝息が零れてくる。
彼女の柔らかい身体と、滑らかな肌は、完全にイクシオンの理性を崩壊させかかっていた。
「……まずい、さっきの癒しの術のせいか? それとも満月が近いからか? それとも……」
――昔から自分にだけ分かる、彼女の甘い香りのせいだろうか?
薔薇の花のような、上質な甘い砂糖菓子のような……獣を誘惑してくる色香というべき類の香りが。
だんだん彼の呼吸が速くなってくる。
ぎゅっと彼女の身体をかき抱いた。
「んっ」
力が強すぎたのか、彼女から可憐な声が漏れ聴こえる。
理性が完全に崩れそうだった。
だが、これ以上彼女の信頼を失いたくないイクシオンは、必死に山の空気を吸って自身を落ち着かせた。
「……今日もポムウルフを数えるしかないな、二日徹夜か……」
とはいえ、彼は彼女に嫌われたくなかったのだ。
「ラフィ……」
昔、宰相との政争に敗れる前、イクシオンがアモル王国にいた頃。
今のように、ラフィーネを前にして身体が熱くなっておかしくなったことがあった。
(まだ若かった俺は、ラフィに無理矢理……)
あの日は、満月の夜だった。
いつものように部屋の前で見張りをしていたのだが……
『シオン、どうなさったのですか? 具合が良くないのですか? どうぞ部屋の中にお入りください』
少女から大人に差し掛かりかけた彼女の、桜色の唇がやけに蠱惑的に見えて……
プラチナブロンドの髪から、ふわりと肌に触れた後。
部屋の中に招かれると、やけに甘ったるい香りが誘惑してくるかのようで……
『どうしたのですか? 誰か呼びましょうか? ソファでお休みになられては?』
『……ああ、そうだな……今日は、もう……』
まずい。彼女の部屋の中に入ったのは――愚策だったかもしれない。
どんどん甘い香りが強くなってくる。
ドクンドクンドクン。
まるで何かに囚われてしまったかのような、浮遊感が襲ってきた。
イクシオンのそばにラフィーネが近づいてくる。
『シオン、さあ、こちらに。もしかして熱があるのですか?』
そっと両手に両手を重ねられた。
彼女が背伸びをして、額同士をくっつけてきた。
それがまるでキスをせがまれているかのような錯覚に陥って……
そうして、彼女が癒しの術をかけてくる。
瞬間。
血が滾るような感覚が襲ってくる。
……理性が一気に崩壊した。
気付いた時には……彼女の唇を奪っていた。
あまりの甘美さに脳髄が震えるようだ。
そのまま、ソファの上に組み敷くと、本能のままに今度は荒々しく唇を貪り続けた。
そして、雲が満月を隠した瞬間。
イクシオンは我に返った。
『俺は……何をして……』
自身の身体の下、夜着のはだけたラフィーネが嗚咽を漏らしていた。
『……ラフィー……すまない、別の護衛を……呼んでくるから……』
イクシオンは急いでラフィーネの部屋から逃げ出した。
その後、ラフィーネが兄王に何か進言でもしたのだろう。
結局、あの日が最後の護衛の日になってしまった。
政争に敗れる原因の一つになった可能性だってある。
けれども、追放された事実以上に……
ずっと大切に護ってきたラフィーネに嫌われたんじゃないかと思って、苦しくて悲しくて、ずっと心の中で自身を苛んで生きてきた。
あの時、泣きじゃくるラフィーネ姫から向けられた……哀しそうな、拒絶されているような……言葉では表現できない表情。
何かある度に、頭に浮かんでくるのだ。
(口づけからとラフィには言われたが……)
あの日の出来事で歯止めが利かなくなって、ラフィーネ姫に拒絶されるのではないかと思い、怖くて口づけることすら出来ない。
「ただでさえ、俺はラフィーから嫌われているのに……」
ふと、愛妾にしてしまった姫の顔をイクシオンは眺める。
――アモルを追い出されてから、一日だって彼女のことを忘れたことはなかった。
今回、単騎で敵国に乗り込んだイクシオン・ロクス。
アモル王国に放っていた間諜の情報で、国が傾きつつあったアモルの宰相は王の目を盗み、美しく年若いラフィーネ姫を他国に売りつけようとしていたことが判明していた。
それを知ったイクシオンは、幼馴染の彼女を救い出すために策を練ったのだ。
そうして――停戦協定を結ぶ場で、ラフィーネ姫を妻にと伝えるはずだった。
だが、彼女に叱責されたことで、過去の出来事が脳裏に浮かんで言葉に詰まってしまった。
それでも、姫を妻にと言うはずだったのだが……
(今日の関所での出来事のように、俺に恨みを抱いている者は多い)
将軍という立場上、諸国の兵達の命を奪ってきた罪はある。
妻にすれば――将軍である自分自身に何かあれば、彼女も同様に責任を取らなければならなくなる。
けれども、無理に連れて行かれた妾の立場ならば……
(生きて最後まで彼女を守り切れる自信さえあれば……確かに、現状で大陸内で俺に勝てる者はいない。だが、万が一のことがあった時が、どうしても怖い)
満月の夜。理性が働かなくなる自分が――何をしでかすのか分からない。
あの日のように意識が混濁する中……
ラフィーネのことを護れなくなるかもしれない。
……結果、出て来た言葉が「愛妾」だった。
「妾とか言えば良かったのに、愛妾だとか苦しい言い回しになったな……」
だけど、もし、そんな自分でも彼女が望んでくれるなら……
「ラフィが俺を旦那にしたがるなんて、あり得ないか……」
自嘲気味に笑った後、イクシオンはラフィーネの身体を強く抱きしめる。
理性がなんとか勝ったのか、呼吸はだいぶ落ち着いていた。
「寝てる間なら……上手に言えるのに……俺はラフィーネ姫のことを愛し……」
――眠る姫には将軍の本音は聴こえてはいないのだった。




