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第27話 敵国将軍は、正気を失います!



 魔獣リンダと共に祖国アモルに帰ってきて、王城の裏手にある泉へとラフィーネはたびたび脚を運んだ。

 色とりどりの花々に囲まれたその土地が、生命力を補充できる地脈点だと、ロクスに向かう前までは思いもしなかった。

 体の方はみるみる回復してきたのは良いものの、兄であるアモル王が妹をロクスに帰すのを渋っていた。


「女王になったシヴァの言い分も分かるし、不甲斐ない兄さんが言っても説得力は欠片もないが……やっぱり、妾というのはおかしい。イクシオン将軍が乗り込んできた時には突然すぎて何もできなかったが、お前が帰ってきたついでだ、条約の内容を撤回出来るように取図ろう」


 そんな兄に対して、首を横に振る。


「お兄様の心配には及びません。イクシオン将軍の愛妾としてロクスに向かうと決めたのは、私の意志でした。昔と変わらず、優しい彼のままだから、ご安心ください」


「ラフィーネ」


「もうしばらくアモルで過ごしてから帰りますね」


 裏で兄を操ろうとする宰相も、ロクスのシヴァ女王陛下やイクシオン将軍の機嫌を損ねるのが怖いからか、おかしな真似はしてこなかった。

 以前はラフィーネのことを見て見ぬふりをしていた城の使用人たちも、王太后や宰相の機嫌をとらなくてよくなったからか友好的に接してくれた。

 時間がある時には、癒しの魔術に興味があった魔術師たちと談話をしたり、ご令嬢たちとお茶を飲んだり、姫としての生活を満喫出来た。昔からよく顔を出していた教会や孤児院、救護院に顔を出すと、嬉しそうに出迎えてもらえた。


(シオン達のおかげでアモルでも快適に過ごせている。感謝してもしきれないわ)


 最終的な問題は、イクシオンが記憶を失っていることだった。

 帰国する前に無理に身体の関係に持ち込んでしまったが、純情な彼の心象には自分はよくは映らなかったかもしれない。


(急ぎ過ぎたかもしれない……優しい彼に無理矢理、責任を取らせるような発言をさせてしまった)


 自分勝手だとは分かってはいたが、自分がアモルに戻っている間に、イクシオンに好きな女性が出来たらと不安だったのだ。


(私は馬鹿ね……失ってから初めて、自分の気持ちに気づいて……今頃、彼に振り向いてほしいだなんて……)


 純潔を捧げる際にだって、自分に何かあったら他の女性と幸せになってとイクシオン本人に伝えたくせに。

 でもそれは、生きて未来を見なくて良いと思っていたからに過ぎない。


(昔から私は自分のことばかりだわ……)


 イクシオンが国から追放されても嘆いていただけ。

 いつも待っていただけで、自分から彼の元へ向かおうとすることもなかった。

 本当は、薄々彼の気持ちに気づいていたのに、相手が行動してくるのを黙って見ていただけだ。

 

 彼は一途に自分のことを慕ってくれていたのに、目を逸らしてしまった。


 結果、彼との大事な記憶を失うことになった。

 自業自得だ。


 これから再度シオンと関係を築き直すのには時間がかかることだろう。


(だけど、もう私は彼から逃げない……色んなことを犠牲にしてでも、それでも私を救おうとしてくれたシオンから……)


 彼の心をもう一度振り向かせようと、泉の向かって心に決めていた時――。

 


「姫様! 魔獣の群れが、王城内に押し寄せてきています!!」


 

 魔獣リンダの叫びが木霊したのだった。

 アモルの王都ルプレノンに一斉に魔獣の群れが襲来してきていた。

 通常、魔物避けの花が植えられていているため、彼らが人家に寄ってくることが少ないとされている。

 にも関わらず、大挙してくるなど異常事態に他ならない。

 街の中は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化す――かと思ったのだが、なぜか彼らは人々を避け、王城へと詰め寄ったのだ。


「姫様、どうやら彼らに人を襲う気配はない。だが、同じ魔獣であるはずの(わらわ)との対話が成り立たない。それゆえ、今後どうなるかは分かりませぬ。絶対に城から出てはなりませんぞ。ロクスの国境に向かい、イクシオン達に救援を求めてまいりますゆえ。済み次第、戻りますゆえ」


 魔獣リンダはそう言うと、大群をすり抜け、アモルとロクスの国境沿いへと向かった。

 それから数日、王城は硬く門を閉ざし、魔獣との籠城が繰り広げられる。

 理由が分からないまま、城の中の人々は戦々恐々とした日々を過ごすことになってしまった。

 食料の備蓄も持って数日だろう。

 王太后は胸の病が悪化したと言って、引きこもってしまった。

 

 人々の間に不安が蔓延する中――とある夜更けに、宰相がヒステリックに叫びはじめたのだ。



「このような事態になったのは、ラフィーネ様が戻ってきてからだ!! 彼女が魔獣と喋っている姿だって目撃している。ロクスがアモルを落とそうとしているに違いない!! ラフィーネ姫はロクス側の密偵なのだ!!」



 根拠も何もない意見に間違いなかった 責める獲物をラフィーネに定めたかのように、宰相は声高に叫び続ける。



「魔物の群れに、姫を差し出せ!!!」



 すると、困窮しつつある城の者達の幾人かが、ラフィーネへと視線を向ける。


「宰相様の言う通りだ。こんなことになったのは、ラフィーネ姫様が帰ってきてからだ!!」

「魔性の将軍とともに、アモルに復讐をしようとしているに違いない!!」

「姫を魔物の群れへ差し出せ!!」


 叫びは段々と夜明けの王城内へと広がっていく。


「私は復讐など考えておりません!!」


 否定するが、なかなか皆は耳を傾けてはくれない。


「ラフィーネもこう言っている。我が妹を魔性の者だとは無礼ではないか!?」


 兄王も一緒に味方してくれたが、実質的な権力を持つ宰相の意見へと流されていった。

 宰相は叫ぶ。


「では、この事態をどう説明していただけますか、王よ! 仮にラフィーネ様の策ではなかったとしても、魔物が彼女に惹きつけられているのかもしれませんよ!!? 窓を開けたら、ラフィーネ様の元に怪鳥が飛んできたと申している者もいます」


 そう言われてしまうと、その通りだ。

 魔物の狙いは自分ではないとは言い難かった。


(アルパイン山の魔獣も、シオンの屋敷まで来ていた……あれはシオンを追ったのではなく、私を追っていた……?)


 顔色を失くしていると、それを肯定ととったのか宰相が畳みかけてくる。


「ほら、ラフィーネ姫も否定は出来ないようだ!! さあ王よ、妹一人の命を差し出せば、国民すべてが平和になるのだ! イクシオン将軍にだって、簡単に手放したではありませんか!」


 兄王が唸る。


「それは、イクシオンがシヴァの弟で、悪い人間ではないと知ってもいたからで……」


「あのような極悪非道な化け物を、悪い人間ではないと称するなんて……王は気が触れましたか?」


 まるで自分が王であるかのように振舞う宰相。

 だが、これがアモルの中枢の実態だ。

 そんな中、老いた大臣が、か細い声で抗議をはじめた。


「ずっと言えませんでしたが、もう魔物に喰われて死ぬかもしれないので言わせていただきますが……ラフィーネ様は優しい御方だ。仮にラフィーネ様に魔物が近づいてきているのだとして……そもそも、宰相様がイクシオン将軍を恐れて国外に追放しなければ、このような事態にはならなかったのではありませんか?」

 

 すると老大臣に賛同する声がそこかしこで上がりはじめる。


「そうだ。そもそもイクシオン様を追い出していなければ、こんなことにはならなかったはずだ」

「そうだ、そうだ」


 少数派だったが、思うところがあった者達がいたのだろう。

 小さな波が伝播していく。

 そんな流れに宰相がしびれを切らしたかのように叫ぶ。


「ええい!! お前達、最高権力者の私に歯向かうなど!! ことが済み次第、牢屋に送ってくれるわ!!」


 すっと頭が冷えた。

 ラフィーネはアモル王の前に立つと宰相に告げる。


「国王を差し置いて最高権力者だなどと、この無礼者が! 恥を知りなさい!」


 そうして、兄を見た後に宣言した。


「私が行ってすべてが丸く収まるのならば、それで構いません」


「ラフィーネ! お前が行っても意味がないかもしれないのだぞ! 自分の命を捨てるような真似はするな!」


 非力な兄王や味方をしてくれた者たちが悲痛な声を上げた。

 彼らに向かって告げる。


「アモルのことを嫌いになりかけていましたが、最後に良い思い出をありがとうございました」


 そうして、一人、魔獣が押しかける門扉へとラフィーネは向かうことにしたのだった。




※※※




 夜が明けようとしていた。


 薄紫色の空に、白い雲がたなびく。


 その色が、ふと、幼馴染の青年の姿と重なった。


(シオン……)


 騎士達に向かって、強固な門を開くように命じる。

 ギギギと軋みながら開かれた先、魔獣の大群が押し寄せているのが見えた。


 宰相の読みは当たっていたのだろう。

 他の民達には見向きもしなかった獣たちが、一斉にラフィーネに向かって駆けて来た。


 その時――。



「待ってください、姫様! 妾が再度説得しますゆえ!!」



 帰ってきた魔獣リンダが叫ぶ。

 彼女が現れると、いったん群れの動きが落ち着いた。

 だが、話が通じないようで、難航を極めているようだ。

 それにどうやら、魔物たちの狙いはラフィーネ本人で間違いないことが分かる。


「リンダさん、大丈夫です。私が魔獣の元に向かいますから」

 

「姫様! イクシオンをどうか待ってください!」


 首を横に振った。


「リンダさんが応援に行ってしばらく経ちます。シオンなら、もうとっくにアモルに到着しているはず」


「姫様……!」


 リンダが悲鳴を上げる。


「つまるところ、私の記憶のないシオンにとって、アモルは憎い国のはず。応援は見込めません。それに魔物に殺されずとも、このままアモル城にいれば、血気に盛った誰かが私を殺そうとしてくるはず。それならば、自分の死に場所は自分で決めたいと思います」


「待ってください、妾と共になんとか切り抜けましょうぞ! 数日持ちこたえさえずれば」


 もし出来ていたのなら、リンダのことならやっているはずだ。

 なのに、しなかったということは、そういうことだ。

 彼女に向かって告げる。



「シオンにどうか『ありがとう』とだけお伝えください」



 そうして、改めて魔物の群れに向かう。



「私はラフィーネ・アモル! あなた達の目的が何なのかは分かりませんが、どうぞ好きになさい!!」



 魔獣たちがラフィーネを取り囲みはじめた。



「さようなら、シオン」



 瞼を閉じた、その時――。


 バサバサと大きな羽音。


 登りかけた太陽に重なって何かが見えた。


 大きな咆哮が聴こえたかと思うと、地面が揺れる。


 頭上に大きな影が差すと同時に、魔獣たちが怯えた声を放ちはじめた。



「何――!?」



 見上げると、そこには紫の鱗に覆われた巨大な竜の姿があった。


 雲の子を散らすように、魔物たちは逃げ去って行く。


 逃げそびれた魔獣たちがガタガタと震えはじめる。


 あまりにも大きいので一瞬誰か分からなかった。


 だが、身に覚えがある。



「――シオン!?」



 一目で愛しい彼だと分かった。


 まさか助けにきてくれたのだろうか?


(シオン……)


 ラフィーネの瞳に涙が込み上げてくる。

 魔獣リンダも歓喜の声を上げた。


「イクシオン! 良かった! 姫様のことを思い出したのだな!」

 

 だがしかし、ぎょろぎょろと赤紫色の瞳を彷徨わせる竜は、彼女の姿を見るやいなや、急降下してきた。

 ものすごい風が吹きすさび、その場から吹き飛ばされないよう、足の裏に力を入れて耐える。

 頭上に黒い影が差す。バサリバサリと翼を羽ばたかせる音が鼓膜を突き破ってくるかのように痛い。

 目の前にぎょろぎょろと赤紫色の瞳が現れる。

 顔だけでラフィーネぐらいの大きさがある。

 恐ろしいほど巨大な異形の姿だが、どこか恐怖は感じなかった。


「シオン、良かった……」


 ラフィーネがそっと紫竜イクシオンの硬い鱗に覆われた肌へと手を伸ばそうとした、その時。



「……きゃあっ……!」


 

 鋭い爪を持つ手が私の華奢な身体を掴んでくる。

 幸い尖った爪が肌に食い込んでくることはなかったが……


「シオン……? うっ……」


 ぎりぎりと骨が軋む音がする。

 ラフィーネの身体を締め付ける力がどんどん強くなっていく。


「苦しい、シオン……」

 

 けれども、私の声は届かない。

 胴体を掴まれているが、両腕の自由は利くため、必死に抵抗するが難しい。

 リンダが張り裂けんばかりの大声で叫ぶ。

 

「記憶が混濁したまま、竜になっているのか!? 正気に戻れ、イクシオン! 姫様を助けに来たお前が、姫様に仇なしてどうするのだ!!」


 だが、紫竜はぐるぐると唸るだけだ。

 あんぐりと大きな口を開くと、巨大な赤い舌がチロチロと動いた。

 彼の瞳は完全に正気を失った獣そのものだ。

 今置かれている状況が分からずに、私が敵なのか味方なのか区別がつかずに混乱しているようにも見える。


「シオン……」


 紫竜はラフィーネを大きく開いた口へと近づける。

 熱い炎のような吐息が熱くて、肌が炙られてるかのようだ。


(ああ、シオンはアモル王国のことが嫌いだったから……)


 私は自由の効く両腕を震わせながら、彼の顎に添わせた。

 こんな時だというのに紫色の鱗は硬くてツヤツヤしてひんやりして気持ちが良かった。

 私は肺が潰れて死んでしまいそうだったけれど、なんとか口を開く。


「アモルのこと、嫌いなのに……来てくれて……ありがとうございます」


 力を振り絞って続ける。


「シオン、臆病で逃げてばかりでごめんなさい……本当に迎えを……待ってばかりね、私は……誰かに、頼ってばかり……」


 イクシオンの力がより一層強くなったため、私は思わず呻き声を上げた。


「イクシオン! 正気に戻れ! 何のためにお前は記憶を犠牲にしたのだ!」


 遠くでリンダさんの叫びが聴こえる。

 イクシオンに幼馴染殺しの汚名を浴びせて辛い思いをさせるわけにはいかない。

 私自身の力で……彼を正気に戻すのだ。

 ぐるぐると唸り続ける竜は忙しなく瞳を動かしながら、ぶるぶる体を震わせている。

 寂しげなポムウルフのような表情。


(ああ……シオンはどんな姿になっても……)


 そうだ。

 イクシオンは竜から戻る時、どうしていた――?

 私は彼のことを真正面から見つめる。


「シオン……私は……小さい頃から、ずっと、貴方のことが……好きだったの」


 紫竜が瞠目した。


「どんな姿になってでも……いつも貴方は、私のそばに……来てくれて……なのに、私はずっと……甘えてばかり……」


 私は呻くように続ける。



「貴方みたいに正直な男の人、私みたいな女じゃ……相応しくない……こんな卑怯な私なんかじゃって……貴方から答えを聞かされるのが怖くて……怯えて話を誤魔化してばかりで……愛妾でも何でも良い、貴方と一緒にいたかったんです……」


 魔獣が脅える程の巨大な竜だというのに……イクシオンはハラハラと涙を流しはじめた。



「シオン……どんな姿でも貴方は変わりませんね……いつも誰かのために自分を犠牲にして……私は貴方が竜でも人でも……構わない。私は貴方のことだけを……ずっと愛しています」



 そうして……

 私は巨大な上顎にそっと口づけた。

 大粒の雨のような彼の熱い涙が、私の頬に流れてくる。

 そっと身体の中心が熱くなって……

 竜になったイクシオンと私の周囲を、眩い光が包み込みはじめた。

 彼が握りしめてきていた力が徐々に緩んでいく。

 しばらくすると光が収束していく。


 

「シオン……」



『ラフィ……ラフィーネ……ラフィーネ……俺も……俺は貴女のことを愛……』



 頭の中に青年の声が響いた気がした。

 泣きじゃくる竜は、大事な姫を今度こそ柔らかく抱きしめてきたのだった。




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