第25話 敵国将軍は、奪われそうです! イクシオンside
ラフィーネの記憶だけ失ってしまったイクシオンは混乱をきたしていた。
(月の女神に童貞を奪われかけている……)
屋敷の中庭の池のほとりで、彼は彼女に押し倒されてしまっている。
「シオン……」
黄金色の瞳がうっとりとイクシオンを見下ろしてくる。
鎖骨を細い指先でなぞられると、ぞくぞくして落ち着かなかった。
(この女性、手慣れて……)
けがれなき処女のような清楚な雰囲気を纏っている「月の女神」。
彼女の長い金の髪が、頬をくすぐってくる。
「あ、あのですね、女性からこんな――積極的な女性は、俺は――」
気高き月の女神の眼光が鋭くて、その場で動けなくなった。
――積極的な女性も好みかもしれない。
新たな扉が開かれた気がしてくる。
自分は魔性のものに魅入られたに違いない。
力は自分の方が強いはずなのに、彼女を振りほどくことが出来なかった。
頬を両手で掴まれたと思ったら、愛らしくも綺麗な顔がこちらに近付いてくる。
「ん」
再び唇を奪われてしまった。
口づけは、先ほど以上にどんどん深くなっていく。
身体の上に跨ってくる女神の身体を、気づけば抱きしめてしまっていた。
「……シオン……」
彼女の声が聴こえただけで、理性が飛びかけた。
(まずい。強姦魔として捕まる……)
姉王の名を汚すかもしれない。
いや、襲われているのは自分の方なのか。
「シオン……もっと……」
彼女のシオンは別のシオンのはずなのに。
口づけの合間に名を呼ばれ、行為はどんどんエスカレートしていく。
身体が勝手に彼女の声に反応してしまうのだ。
(据え膳食わぬは男の恥で……)
とはいえ、今までも据え膳を全て断ってきた鋼の意志はどこに行ってしまったのか。
いつの間にか、彼女が自分の衣服をくつろげはじめる。
「これ以上は、初対面なのにダメですっ……」
彼女の綺麗な眉がひそめられる。
「シオン……ダメですか?」
「だ、ダメ、ダメで、ダメに決まって……」
しかし、イクシオンの心は鋼ではなく、どうやら柔らかな鉛か何かだったようだ。
「……だ、ダメじゃないです」
ぐにゃぐにゃに蕩けた頭は、思考を放棄してしまっていた。
(……月の女神の……)
月の女神が腰を身体を擦りつけてくる。
ついつい反応しかけてしまい、イクシオンが悲鳴じみた声を上げる。
「……っ……や、やっぱり、これ以上は、本当にまずくて……」
「貴方と繋がってはダメですか? 苦しいのでしょう?」
なんて直球で積極的な女神なんだ。
潤んだ黄金色の瞳に逆らえず、思わずぶんぶん首を縦に振ってしまった。
(こんな綺麗な女性にこんなことを言われるなんて、もう、夢以外の何物でもない)
「ごめんなさい、満月の夜を利用するような真似をして……でも、どうしてもあなたに思い出してもらいたくて……」
謝ってくる顔も綺麗で仕方がない。
だけど、どうして……?
(どうして、この月の女神は、こんなに苦しそうな表情をしているんだろう……)
でも、苦しいだけじゃなくて、自分に対してまるで恋情でも抱いているかのような。
彼女がゆっくりと身体を密着させてくる。
このまま女神と初体験をすませるのか?
その時。
「本当に待ってください、女神様!」
――イクシオンは思わず叫んでいた。
女神はきょとんとして、こちらを見ている。
怪しげな美しさを持った女性だが、よく見るとあどけない。
「あのですね、こういうのは本当に好きな男女がやるべきだと思うんです!!」
ものすごく反応してしまっているものの、彼は必死にまくしたてた。
「馬鹿にしてくる男も中にはいますけど、誰かとこういうことをするのは大事なことだと思ってて……! だから、貴女もご自身の身体を大事になさってください!!」
そういえば夜だった。
使用人や見張りの騎士達が来たらどうしようかと思ったが……誰も来なかった。
「シオン……」
すると、目の前の彼女が涙を流しはじめる。
イクシオンはおろおろしはじめた。
(俺は変なこと言ったかな……?)
「男性に困るような見た目の女性じゃないし、出会い頭にこんなことをするなんて、何か理由があるんでしょうか? あの、もしお金に困ってるとかなら、仕事を斡旋しますし、娼館以外で……! あと、毎日ご飯はさすがにあげれませんけれど、たまになら食べて……良かったら、俺の屋敷で使用人とかで働きますか? ああ、いや使用人とか言ってすみません! 良かったら、俺の妻……」
そこまで叫んで、イクシオンは、はっとなった。
(初対面の女性に、俺はどうしてしまったんだ……?)
こんなことは、どんな女性に対してだって、一度もなかったはずなのに。
イクシオンがおたおたしていると、女性がふふっと微笑んだ。
「シオンはやっぱり、面白くて優しいですね」
彼女の笑顔を見て、果てそうになったが堪えた。
そうして……彼女は世にも恐ろしいことを口にしはじめた。
「妾になってから、わりとこういうことはあった気がしましたが……」
――妾?
めかけ?
メカケ?
(めかけって妾?)
世にいう愛人――?
はらはらと綺麗な涙を流す月の女神。
こんなに綺麗な女性だ。
自分のものにしたいと思う男性も多いことだろう。
だけど……
(妻ではなく妾……?)
彼女を妾にしたという男に対して、ふつふつと怒りがわいてくる。
「だけど貴方は……いつも真面目に接してくださっていたのですね……きゃっ……!」
「あの!! 女神様!!」
気付けば体を起こして、彼女の両肩にガシッと両手を置いていた。
「貴女様を妾にするなんて、どこのふざけた既婚の老貴族ですか!?」
他者の趣味にとやかく言うつもりはなかったが、目の前の女神は泣いているのだ。
どうにか助けてあげたい気持ちがあった。
王族だし、注意をするぐらいできる。
「既婚の老貴族……? 未婚でまだ若いですよね?」
イクシオンはなぜだか女神に問いかけられた。
(若い貴族で、しかも未婚!?)
軽薄な優男が脳内に浮かんでくる。
そういえば最近、舞踏会で遊び人貴族といざこざがあったような?
「どうせ、ひょろひょろした貴族なんでしょう!」
「ひょろひょろはしていませんよね? さすが騎士をまとめ上げているだけあって……細身ですけど鍛えていて……」
――騎士をまとめてる?
細身だけど鍛えて――?
該当する部下の姿を思い浮かべては、脳内で燃やした。
それよりも、大胆だった女神が頬を染めているのが気になる。
(まさかとは思うが……)
「女神様はまさか、その、自分を妾にした男のことを……」
彼女は恥ずかしそうに答えた。
「お慕いしております」
晴天の霹靂とは、まさにこのことだ。
そうしてイクシオンは気づく。
(俺はこの女神に……)
出会った瞬間、恋に落ちて――振られた。
「どうしようもなく意気地のない殿方ですが……ずっと昔から、私のことを一番に考えてくださって……一人で寂しくしていると、いつもそばにいてくれて……」
『貴女のことを一番に考えていたら、妾になんかしないはずだ』
そう言いたかったが、ぐっと堪えた。
彼女の好きな男性を馬鹿にして嫌われたくなかったのだ。
「大臣や貴族達からも都合の良い存在として扱われていてる私に対しても、それでも気にせず接してくださいました。王妃様に妾の子だと馬鹿にされても、かばってくださいました。そうして――最後には、愛妾だと言って、城からも連れ出してくださいました」
月の女神の話を聞いて気づいたことがある。
(ロクスの王城に、現在王妃に当たる存在はいない)
――そうか。
この女性は月の女神じゃない。
(王城に巣食う……古代の姫の霊か……!)
きっと愛する騎士か何かと結ばれずに、現世を彷徨う亡霊なのだろう。
男の方も事情があって、妾と言ったのかもしれない。
きっと、彼女の愛する男性もシオンと言うのだ。
だから同じ名前を持つ自分の元に彷徨い歩いてきてしまったのだ。
美しい亡霊は、イクシオンの両頬をそっと持ってきた。
「だから、どうかシオン……また私のことを好きになってください」
潤んだ瞳で見つめられると――限界寸前だった。
だけど、彼女の言うシオンは自分ではないのだ。
「しばらく離れないといけないので、その前にもう一度結ばれたかったのです」
彼女はどうやらこの場所から離れないといけないらしい。
きっと……魂が天に召される日が近いのだろう。
「やはり、ダメでしょうか……? ごめんなさい、シオンは真面目な殿方でしたものね……はしたない真似をしました。また一からやり直さないといけないのに、私は色々と先を急ぎ過ぎてしまう……それでは」
離れようとする霊の腕を、咄嗟にイクシオンは掴んだ。
「待ってください! 女神様! その……」
見れば見るほど綺麗な女性だ。
「俺と結ばれたら、貴女は満足して……心置きなく……」
――天に召されますか?
イクシオンが問いにつまっていると……
「はい、心置きなく旅立つことが出来ます」
美しき亡霊が泣きそうな笑顔を浮かべた。
イクシオンはきゅっと唇を引き結ぶ。
「分かりました、だったら……」
甘い誘惑に堕ちた彼は、人助けだと言い聞かせて、彼女と唇を重ねた。
何度か口づけを交わした後、身体を交えることにする。
彼女の体温は心地よかったえれど、どうやら彼女は純潔ではないらしいと気づいた。
慣れた様子だったし、妾と言っていたのだ。しょうがないと思いつつも、心の奥底で、彼女の初めてが自分ではないことにイクシオンは少しだけショックを覚える。
彼女の言うシオンとやらに、無性に嫉妬してしまった。
(彼女が初めてじゃないことが、こんなにショックだなんて……自分だって初めてじゃないのに……)
そこまで考えて、自分の思考が変だと気づく。
(俺に女性経験はない、今が初めてのはずなのに……)
童貞のはずだった。
なぜだろう、どうしてだか彼女に触れる感覚が懐かしいと思うのは……?
(ここから先は、どうしたら……)
『ほら、だから娼館に行っておけって言ったでしょう、将軍』
……そういえば、部下たちに言われていたなと思い出す。
……とは思ったが、本能だろうか?
勝手に身体が動いてくれた。
積極的な女性は苦手だと思っていたのに――。
彼女の衣服を脱がせていく。
月光で輝く肌は艶めかしくて、すごく綺麗だった。
「――姫」
一瞬、知らないはずの彼女の名が脳裏をよぎった気がした。
そうして、彼女がぎゅっと抱き着いてくる。
「シオン、シオン、遅くなってごめんなさい、シオン……私はずっと貴方のことが――」
彼女の言うシオンが自分であればと思う。
「姫様……」
名も知らぬ姫の身体をイクシオンはぎゅっと抱きしめた。
(夜が明けたら、この人はいなくなってしまうのだろうか?)
この世に心残りが無くなれば消えてしまうのかもしれない。
「姫様」
そうして、今度は自分から彼女に唇を重ねる。
「……シオン……」
気づけば、イクシオンは色んなしがらみを忘れて、彼女と結ばれることを決めたのだった。




