第24話 敵国将軍は、誘惑されてます!
中庭にて。
「確かに俺の名前はイクシオンですが――貴女は誰ですか?」
私は対峙するイクシオンの言葉に呆然とする。
「シオン、本当に私が誰か分かりませんか?」
彼は首を横に振った。
「申し訳ありません。心当たりがなく……」
その場にいたくなかった。
「あの、貴女は――」
ショックが大きくて、イクシオンの言葉を最後まで聞かず、思わずその場を走り去ってしまった。
必死に脚を動かしていたら、いつの間にか寝室に辿り着いていた。
屋敷の中に戻った私に、シヴァ女王陛下とリンダさんから説明がなされた。
どうやら、イクシオンは私の記憶だけを綺麗に失ったらしい。
「イクシオンは……」
神との取引の後、イクシオンの中にある私との記憶と引き換えに、竜が番から一方的に力を奪わないですむようにしてもらったそうだ。
シヴァ女王陛下がぼやいた。
「我が弟ながら馬鹿さが凄い……貴方の生命力を奪わないようにして、これから先一緒に過ごせるようにするために、なぜ対価に『姫様との記憶』を選んだのか……」
神と名乗る美青年からイクシオンのとった行動を聞かされ、姉であるシヴァ女王陛下と戦友の魔獣リンダは愕然としたらしい。
対価となるものが、竜にとって大事なものであればあるほど効果があるとのことで、「ラフィーネとの記憶」は絶大な威力を発揮したようだ。
そう……
今、生気をイクシオンに吸われている感覚が私には全くないのだから……
「イクシオン、愚かなり。結局、姫様に言葉を伝えるのを恐れただけではないのか? ある意味逃げでしかない」
魔獣リンダさんが、悔しそうに告げて来た。
シヴァが申し訳なさそうに話しかけてくる。
「足りなかった魔力を補充するために、アモルに一度戻った方が良いようなのですが……対価というぐらいだから、イクシオンの記憶が戻ることはないかもしれません。だとすれば、ある意味別人に近い状態です……今後、あの馬鹿と一緒に過ごすかどうかは姫様に決めていただいた方が良いかもしれません」
――別人格。
せっかく彼が完全な竜になることを回避出来たのに。
命を失わずに、彼のそばに戻ることが出来たのに。
『俺はラフィーネ姫を愛――』
結局、イクシオンがいつも言いかけていた言葉の続きがなんなのか、本人の口から聞くことは出来なくなった。
彼の誕生日まで待つと言ったけれども、本人が覚えていない以上は、もうどうしようもない。
なんとなく彼が何を伝えて来たいのかは分かってはいたけれど……
自分に関する記憶が丸ごと消えてしまって……
この先、もしかしたら、一緒にいれば愛し合うこともあるかもしれない。
だけど、あの時、自分に何かを伝えたいと言ってくれたイクシオンは……もうこの世にはいないのだ。
「シオン……」
涙が止めどなく溢れる。
どうして、自分たちの間に時間が無限にあると思い込んでいたのだろう。
子どもの頃、一緒に苦難を分かち合ったイクシオンはもういないのだ。
「シオン……」
時間は有限だった。
「シオン……」
言葉の続きは、自分たちの間から、永久に失われてしまったのだ。
気づいたら、どうしようもなく苦しくてたまらなかった。
※※※
そうして、シヴァ女王陛下と魔獣リンダさんは一旦それぞれの場所へと帰っていった。
イクシオンと私を二人にするのを心配していたが、「見張りの騎士達や使用人たちもいるので、追い出されたりしそうになったら声をかけてくれ」と言い残して去って行ったのだ。
しばらく泣いたら、気持ちが落ち着いてきた。
イクシオンは私のことを生かし、今後一緒に過ごすためにと、記憶を犠牲にしたのだ。
(もう一度、ちゃんとシオンに会いに行こう……)
貴女なんて知らない、興味がない、愛妾なんて要らない。
そう言われるのが怖くて脚が震えたが、なんとか先ほどの池のほとりへと向かう。
だけど、イクシオンの姿はそこにはなかった。
(シオンはどこに? 入れ違ってしまった……?)
今日は満月だ。
明るい夜だが、少しだけ肌寒かった。
「シオン……」
その時、市街地とは思えない甲高い声が響き渡った。
「何!?」
声の方へと振り向くと、そこには怪鳥が羽ばたいているではないか。
「なんで、こんな人里に魔物が……!?」
はっとなる。
(まさか、アルパイン山でしつこく私たちの後を追ってきていた――!?)
「きゃっ……!」
「伏せてください!!」
青年の声が聴こえる。
と、同時に、怪鳥がこちら目掛けて急襲してくる――!
思わず地面にしゃがみ込む。
目の前に影が差した。
イクシオンだ。
「危ない! シオンっ……!」
矢の如く飛んできた怪鳥をガシリと掴んだ彼は、勢いを利用して遠くへとぶん投げた。
甲高い悲鳴を上げて、怪鳥は茂みの中へ落下していく。
(良かった、シオン……)
「炎を使うまでもないな――あ! しまったっ……!」
ほっとしたのも束の間、なぜか池のほとりで躓いたイクシオンが池の中にドボンと落ちてしまった。
激しい水飛沫が舞う。
「シオン!」
数年前と全く同じ状況だ――!
今回、飛びこまずに静観していると、ザパリと彼が水面から顔を出した。
「げほっ、げほっ……」
そのままイクシオンが池から上がってくる。
「ああ、女性の前で恰好がつかないな……」
濡れた髪をかき上げながら、彼は呟いた。
気づけば、彼の身体に抱き着いてしまっていた。
泣きじゃくったまま、思わず叫ぶ。
「シオンっ! 魔物の前に飛び出してこないでください!! 嘴にくし刺しにされると思いました!!」
「すみません、なんでだか、咄嗟に身体が動いてしまいまして……」
申し訳なさそうなイクシオン。
……身体が勝手に……?
彼の謝罪を聞いて、ラフィーネの胸の内に一気に光が差した。
(この人は……イクシオンは……)
もしかすると、記憶は失ったが、身体が覚えているのだろうか?
咄嗟に自分を守りたいと思ってくれたのだろうか?
(自分に都合の良い解釈かもしれないけれど……)
濡れた彼の身体をひしと抱きしめる。
気づいたことがあった。
そう……
どれだけ記憶を失くしても……
(この人は……)
イクシオンはイクシオンなのだと。
※※※
時間は少しだけ遡る。
ロクス王国将軍イクシオン・ロクスは混乱していた。
目覚めると、怪訝な表情を浮かべる姉王と戦友リンダがいた。二人に色々声をかけられたが、話の内容がよく分からなくて、とりあえず外の風にでも当たろうと庭に出てきたのだ。
(俺、なんでこんな新しい屋敷を建てたんだっけ?)
確かに建築士に頼んで新築したはずだが、なぜ王城から抜け出る必要があったのだろうか。
どことなく少女趣味な内装で、自分の趣味でもない。
広い中庭に出る。
どことなく昔いたアモルの王城の庭園に似た庭だった。
色とりどりの花々が咲き乱れ、風で甘い香りを放つ。花びらがひらひらと舞っていて、どことなく幻想的だ。
夢の中で過ごしているような気がする。
(わざわざどうして似せて作ったんだ?)
なぜだか記憶のところどころがなくて、今現在の自分が置かれている状況を理解できなかった。
少しだけ身の置き所のなさを感じる。
「まあ、仕事に支障が出なければ別に良いか……?」
違和感の正体が分からないので、軽い気持ちで考えることにした。
そういえば、ここ数日竜化が進んでいたが、落ち着いているようだ。
だけど、どうして人間らしく過ごせているのか、理由が分からない。
あとは、どうしようもなく違和感があるのはなんだろう。
(とてつもなく大事な何かを忘れてしまっているような……)
池のほとりにしゃがみこんで悶々としていると……
「シオン」
突然声をかけられた。
女性だ。
姉でも戦友でもない。
(誰だ……?)
満月は冴え冴えと光輝いていた。
ちょうど見上げたら人がいたけれど、月の逆光で顔が見えなかった。
かと思うと、突然その人物から抱きしめられる。
花以上に甘くて良い香りがして、頭の中がふわふわしてきた。
「シオン」
自分のことを知っている人のようだ。
しかも女性。
声に聞き覚えがある気がするが、知らない人だった。
何か話しているが身に覚えがない。
彼女が話しているのは、同じシオンと言う名の別の人だろうか。
「貴女は誰ですか?」
白金色にも見える金の髪に、潤んだ黄金の瞳。
この世のものとは思えないほどに、美しい女性だった。
彼女の声が震える。
「……シオン、本当に私が誰か分かりませんか?」
こんなに綺麗な女性の知り合いはいない。
「申し訳ありません。心当たりがなく……」
青白い顔をしている。
「あの、貴女は――」
だが、誰か問いかける前に彼女は走り去ってしまった。
「誰だろう……?」
どうしても気になって、屋敷の敷地内を探し回ったが見つからない。
「あの女性はいったい……?」
なぜだか気になってしょうがなかった。
結局、庭では探せず、元の池のほとりに戻ってくると、怪鳥に襲われる彼女を見つけたのだ。
気づけば、勝手に彼女をかばうように立っていた。
自分でもよく分からない。
まるで身体が覚えているかのように。
そうして、うっかり池に滑って落ちて、這いあがったら、綺麗な女性に怒鳴りつけられてしまった。条件反射的に謝ってしまう。
「すみません、なんでだか、咄嗟に身体が動いてしまいまして……」
彼女は彼の顔を見たかと思うと、再度抱き着いてきた。
(俺ってびしょ濡れなのに、気にしないのかな……?)
女性は、きゅっと桜色の唇を引き結んだ後、セイレーンのような美しい声で語り掛けてきた。
「……シオン、ごめんなさい。つい怒鳴ってしまって……」
「いいえ。怒鳴られるのには慣れているので……?」
おかしな解答をしてしまう。
なぜだか、彼女に対して逆らえないような何かがあった。
ふっと彼女が微笑んだ。
「何があっても、シオンはシオンなのですね」
あまりに眩い笑顔に、心臓が落ち着かない。
(なんだろう、すごく胸がドキドキする)
まるで初めて戦場に立った時のようだと思う。
笑顔のまま彼女は続ける。
「生きてさえいてくれれば良いと言っておきながら、忘れてほしくなかっただなんて、私のワガママでした」
――忘れてほしくなかった?
こんなに綺麗な女性、一度見たら忘れないはずだ。
だとすれば、間違いない。
(彼女の言うシオンは、自分のことじゃない)
そう考えると残念な気持ちになった。
すぐに人違いだと教えてあげれば良かったのに、そうしたら目の前から消えるんじゃないかと思って口を噤んでしまう。
「シオン……」
月明かりの下、改めてみる彼女は、ひどく美しかった。
月の精だろうか?
月の化身だろうか?
とにかく綺麗だ。
(きっと、月の女神……)
それになんだろう。
今日は満月だからだろうか。
彼女を見ていると、異常に昂ぶってくるのは……
(どうしよう……触れたくてしょうがない……)
彼女の肌が柔らかくて気持ちが良くて心地よいことを知っているような気がする。
薄い夜着の下の身体は、華奢に見えて、豊満で艶やかなことも。
(初対面の女性を見て、俺は何を考えて……頭がおかしくなったのか?)
けれども彼の体は勝手に彼女の身体を抱き寄せていた。
想像通り柔らかい。
そこで、イクシオンはハッとする。
(まずい、婦女へのいたずらで警吏に捕まる……)
王族とは言え、罪には問われる。
次の一手に迷っていると、月の女神の方から身体を押しあてて来た。
女性経験のない自分には刺激が強すぎた。
あげく、そっと唇を重ねられる。
(こんなに綺麗なのに、痴女だったのか……!?)
キスは久しぶりだったので、あまりに柔らかくて心臓がはち切れそうだった。
しかも舌まで絡められてしまい、頭がふわふわしてくる。
(あれ? キスは初めてのはずなのに、なんで久しぶりだと思ったんだろう?)
混乱している内に、そっと彼女の唇が離れた。
イクシオンは慌てて女性に声をかける。
「ごめんなさい、離れてもらっても良いでしょうか?」
だが、わりと月の女神は強情だった。
「嫌です」
「え、いや、その――あの、ですね……」
なぜか彼女に対して強く出れない。
今までも迫ってきた女性は多かったが、全員頑なに拒んできたのに。
(そう、だって、俺は操を立てていて……)
そこまで考えて、誰に対して操を立てていたのだろうかと混乱する。
そうこうしていると――我慢したかったのだが、生理現象で残念なことになってしまっていた。
いや、それにしては身体が火照って仕方がない。
まるで世に言う媚薬でも盛られたかのように。
「す、すみません、あ、あの……」
「満月の夜だから、昂ぶるのでしょう?」
そうだ。言われて思い出したが、満月の夜は異様に昂ぶるのだ。
(なんで彼女は俺の体質のことを知って……?)
やっぱり、人外に違いない。
すると再び、女神は口づけてきた。
次はうっかり、自分も積極的になってしまう。
彼女の声が聞こえてはっとなった。
(は……俺はこんな初対面の女性に対して……)
自分がいかに軽薄な人間だったかを悟ってしまった。
彼女は潤んだ瞳でこちらを見上げてくる。
「私は構いませんので、シオン……どうぞ、ご自身を解放なさってください」
月の女神の甘美な誘惑に、記憶が混乱するイクシオンの心は両極端に揺れ動いたのだった。




