第23話 敵国将軍と、昔の思い出です! 過去編
十年前。
王妃の機嫌を損ねないようにと、私は息を潜めて暮らしていた。
「ラフィーネ! この狐の子めが! 兄を誑かしてどうするつもりですか!? 不気味な目で見るんじゃありません! はやくあちらへ行きなさい!」
「ご、ごめんなさい……」
幼いラフィーネは王城の離宮にある小さな部屋に普段は引きこもっている。だが、その日は珍しく城庭に出ていたのだ。
そこでちょうど皇太子である兄に誘われて遊んでいるところを王妃に見つかってしまい、激しく咎められていた。
少しだけ年上の兄は、母の勢いを見て震えているだけだ。王族の中では唯一私に優しい兄だが、母親には逆らえない一面があった。
「忌々しい、不気味な髪色に、魔物の目をして!! 本当に王の娘なのかも怪しい娘よ!!」
陽に透けると銀に見える金髪と黄金の円い瞳を見ては、王妃は叫んできた。
そうして、扇を振りかざしてこられる。
(ぶたれる……!)
思わず、ぎゅっと目を瞑った時。
「ぎゃっ……! あつっ……!」
王妃がヒキガエルのような声を上げた。
そっと目を開くと、彼女の持っていた扇が燃えている。
――この紫色の焔は……
「王妃様、申し訳ございません。虫が飛んでいたので燃やそうとしたら、加減を間違えました」
藍色の髪に赤紫色の瞳を持った少年が物陰から現れた。
王妃に対する割にふてぶてしい態度をとっている彼は、アモル王国の公爵家の嫡男イクシオン・ロクスだった。
「イクシオンっ……! ひっ! その呪いの焔をこちらに向けてくるんじゃありません! おそろしい、この子の代に、呪われた子が二人も現れるなんて!!」
ヒステリックに叫ぶと、彼女は息子を連れて、イクシオンと私の前から去って行ったのだった。
――呪われた子。
アモル王国にて、イクシオンとラフィーネは、そのような蔑称で呼ばれることがあった。
(シオンはただ、持って生まれた魔力が高いだけで……炎の色が、赤紫色で珍しいだけなのに……)
王族なのかも怪しい女狐の子だと言われる自分よりも、よほど呪われてなんかいないのに。
イクシオンはラフィーネに近付くと、頭をぽんぽん撫でてくる。
「ラフィに火の粉が舞ったりはしませんでしたか?」
「はい、大丈夫です。それよりも、シオンは大丈夫なのですか? 王妃様にまた嫌われてしまうんじゃ……」
「俺は、姫様と姫様のじい様以外の王族はあんまり好きじゃありませんので。それよりも、護衛の交代の時間だからと伺ったのに、部屋にいないから心配しましたよ」
「それは、ご迷惑をおかけしました……」
私がしゅんと項垂れていると、そっとイクシオンから手を差し出された。
「姫様に謝ってほしかったわけじゃありません! ちょうど良いから、今日は庭の中を散歩でもしますか? ラフィの部屋は暗くてジメジメしているし、あまり女の子が長時間過ごすべき場所だとは思えないので」
「おかしな部屋に住んでいて、ごめんなさい、シオン」
「そんな意味で言ったわけではなかったのですが……そもそも姫様が選んだ場所ではないでしょう? じゃあ、行きましょうか」
手を差し出してきた彼の手を取る。
自分よりも年上の彼の掌は大きくてあたたかくて、いつもなぜか汗をかいていた。
少し湿っているけれど、不快だとは思わない。
(シオン)
幼少期に遊び相手に選ばれたイクシオン・ロクス。
彼の姉シヴァは他国に魔術師として研鑽を積むべく留学している。
母親を早くに亡くし、父親であるロクス将軍は、宰相と政争争いの真っただ中だ。
本人は類稀なる力を持っていて、大人でさえ少年のイクシオンを恐れていた。
同年代から、畏怖と羨望の眼差しを受ける美少年イクシオンだったが、父親と貴族の関係もあり、どこか浮いた存在だった。
そんな彼だからこそ、城で寂しく暮らすラフィーネのことを兄以上に理解してくれたのだ。
(私はシオンがいつも一緒だから、色んな人に罵倒されても平気)
呪われた子だと言われようと、彼も一緒だと怖くなかった。
昨年、実母が亡くなったラフィーネだったが、それ以来、雷雨の日には、必ずイクシオンがこっそり訪ねて一緒に過ごしてくれる。
息をするように、彼がそばにいるのが当たり前だった。
イクシオンがいつも一緒だったから、ラフィーネ姫は寂しくなかったのだ。
※※※
イクシオンとラフィーネの二人は、しばらく歩いた後、花々が咲き誇る庭園にたどりついた。ちょうど広い池が存在する場所に、小さな橋が架かっている。
池のほとりで、二人で身体をくつろげることにした。
「シオン、そうだ。モスフロックスの花をどうぞ。シオンの瞳の色に似ていて、大好きなんです」
彼の上衣のポケットに彼女は花を挿した。
顔を真っ赤にしてイクシオンは返す。
「ラフィ、いつか貴女を綺麗で広い部屋に住ませてあげられるぐらい偉くなりますから、待っていてくださいね」
「シオン、ありがとうございます」
笑顔を返すと、ますます彼の顔は紅潮していく。
「ら、ラフィは、か、か、可愛いから、素敵な花嫁になりそうですね」
首を傾げながらラフィーネは返した。
「そうですか? シオンは優しいですね」
「できれば、ぜひ、姫には俺のつ――」
「私の利用価値を考えれば、おそらく他国に嫁がされるのかと思いますが……」
イクシオンの顔が強張る。
「せめてお兄様のように優しい人と結婚したいものです」
ますます彼の表情が色を失くしていった。
「だけど、もしシオンが良ければ……」
「な、なんでしょうか、姫様!?」
「私が他国に嫁ぐ際には、ぜひシオンにもついてきていただきたいぐらいです」
彼は硬直したまま、何も答えてはくれなかった。
(シオンにも嫁ぎ先にまで一緒に着いてきてほしいだなんて、私のワガママね……)
そもそもが、イクシオンは公爵家の嫡男である。そうして、宰相一家とも政争中の身の上。
ずっと一緒にいれないことは薄々分かっていた。
(だけど、どうしても一緒にいれたらと思ってしまう。なぜかしら……)
気づいたら辛い思いをするだろう。
だから、ずっと気づかないでいようと心に決めていた。
そんなことを思っていると――突然、何かの唸り声が聴こえる。
はっと声の方を振り向くと、そこには憤怒の形相を浮かべた魔物がいた。
「あれは、王妃様の飼いポムウルフの――」
黄金色の獣は、こちらに飛び掛かってくる――!
「きゃっ……」
「姫様、伏せてください!」
地面にしゃがみ込むと、イクシオンが代わりに立ち上がる。
「危ない! シオンっ……!」
駆けてきたポムウルフをガシリと掴んだ彼は、勢いを利用して遠くへとぶん投げた。
きゃいんと声を上げて、魔獣は茂みの中へ落下していく。
(良かった、シオン……)
「あ! しまったっ……!」
ほっとしたのも束の間、なぜか池のほとりで躓いたイクシオンが池の中にドボンと落ちてしまった。
激しい水飛沫が舞う。
「シオン!」
彼が死んでしまう!
そう思った瞬間、ラフィーネも池の中に飛び込んでしまっていた。
しかしながら、助けようとしたはずなのに、ドレスが重くて自分の体の方が先に沈んでいく。
口の中に水がごぼごぼと入り込み、肺で息が出来なくなる。
もがこうにも、池の中の蔦に絡まれて動けない。
水面に光が見える。
(苦しいっ……私、死ぬの……?)
かと思ったが、ものすごい力で引っ張り上げられる。
ザパリと水面に引き上げられると、一気に空気が胸に入り込んできてむせこんだ。
「げほっ、げほっ……」
そのまま岸に体を押し上げられる。
続けて、イクシオンも池から上がってきた。
「――ラフィ! なんで無茶するんだ! 泳げるし、魔術でどうにでもなるんだから! あとは俺の不手際でしたし、俺なんか放っておけば良いのに!!」
めったに怒らないイクシオンに叱られ、うかつな行動をとってしまったと気付き、じわじわと涙が込み上げてくる。
「だって、シオンが死んでしまうと……思って……」
「ラフィは昔から! この間も馬に俺が蹴られて骨折したり、炎で自分を燃やした際も、生命力を分けてこようとしたでしょう!? ドジな俺はどうでも良いんです! ご自身の身体を大事にしてください!」
「どうでも良くなんかありません! 全部普通の人間なら致命傷でしたよっ! それにシオンがドジなわけじゃなくて、全部、私を狙う暗殺者から庇って……シオンが死んだら、私はっ……私はっ……」
泣きじゃくるラフィーネの身体をイクシオンがぎゅと抱きしめた。
――いつも自分を犠牲にしてでもイクシオンはラフィーネを守ってくれる。
彼女が嫌なことがあると、王族に対してだって強く出てくれる幼馴染。
その内、彼は彼女を守るために命を落としてしまうかもしれない。
「シオン、約束してください! いいえ! 私からの命令です!」
「なんでしょうか?」
「シオンは自分を守ることを最優先にしてください! そうじゃなかったら嫌いになります!」
ラフィーネの黄金の瞳が怪しく光る。
イクシオンは目を見開いた。
……ドクンッ
ラフィーネの一度大きな鼓動を立てる。
見れば、イクシオンにも何かあったのか、一瞬だけ制止していた。
(今のは……?)
イクシオンがハッとすると、慌てた調子で返事をしてくる。
「えっ……!? わ、分かりました! 姫様がそう仰るなら!」
何かあると最優先でラフィーネを守るイクシオン。
けれど、番であるラフィーネとの約束がイクシオンの中で強い呪いのようになり……
歪んだ形で叶えられた結果……
少しだけ臆病なイクシオンは……真実の想いを口にすることが出来なくなってしまったのだった。
※※※
そうして現在。
(自分の身体を大事にしろとあれだけシオンは言ってくれたのに……そうして、自分はシオンに対して、自分を守ることを最優先にしろと言ったくせに……)
幼少期を無事に生き延びることができたのはイクシオンのおかげだった。
けれども自分は、彼の追放のきっかけを作っただけで、彼に何も返してあげることが出来なかった。
だからこそ、彼のためになることがあるのが嬉しかったのだ。
(私は昔から自分勝手だった……)
イクシオンが一緒にいるとどんどん生命力が減っていくことに、本当は気づいていた。
全て失う前に純潔を捧げさえすれば、新月以外なら、彼は人として生きていけるのだ。
(私が死んだとしても、彼が生きてさえくれるなら……)
彼が悲しむかもしれないと考えなかったわけではない。
(だけど、それ以上に、私にとってはシオンが生きて幸せになってくれた方が――)
自分のエゴだとはわかっていた。
それに昔から気付いていたのだ。
(私はシオンのことを――)
そうして、純潔を捧げて死んだのだと思ったのだが……
私はうっすらと瞼を持ち上げる。
「姫様! 眼を覚ましたのですね!」
目の前には黄金の魔獣リンダがいた。彼女の隣には、シヴァ女王陛下の姿もある。
「私は、どうして……?」
気怠い身体を起こす。
「姫様は我が弟イクシオンに生命力を吸われすぎて、命を失いかけ、数日眠りについておられたのです。イクシオンが神と取引をして、もう一方的に貴女の力を弟が奪うようなことはなくなりました」
「シオンが神と取引……?」
「はい。とはいえ、失った生命力を補充するためには、どうやら地脈点であるアモルへと一旦帰っていただかないといけないようでして……アモルへの使者が帰り次第、姫様には一度帰国していただくことになるかと……その後は、アモルで過ごしていただいてもロクスに戻ってきてもらっても構いません」
シヴァ女王陛下の言葉に返す。
「シオンの体質の問題が解決後の身の振り方は、彼と話してから相談すると決めてあります。シオンはどこですか?」
すると、彼女だけでなく、魔獣リンダの表情も翳った。
「シオンに何かあったのですか!? シオンはどこに!?」
胸騒ぎがした。
「今は会わない方が良いかと……イクシオンは……姫様から力を奪わないようにするために、代わりに――」
代わりに――?
代わりになんだというのだろうか。
せっかく、竜化を防いだのに――。
「シオンはおそらく庭にいるかと――姫様っ!?」
庭ならば、生きてはいるということだ。
いても立ってもいられなくない。
ベッドから飛び降りると、二人の制止を振り払って、その場を駆けたのだった。
※※※
(シオン、どこにいるの――!?)
イクシオンは庭にいると話していた。
彼が私をロクスに迎え入れるに当たって建てたという屋敷の中庭には、色とりどりの花々が咲き誇っている。
まるで、アモルの庭園のようだと懐かしさを覚える風景だ。
「シオン、どこ……」
彼は神と取引をして、一体何を代償にしたというのだろうか?
不安に苛まれながら、きょろきょろと中庭を見渡す。
池のほとり。
藍色の髪をした美青年が、そこには佇んでいた。
「シオン!」
生きていて、心の奥底から安堵する。
ぱっと見た限り、彼の身体に異常はなさそうだ。
竜になっているわけでもないし、少年に戻っているわけでもなさそうだ。
体のどこかが欠けている印象もない。
「シオン!」
声を掛けると、彼がこちらを振り返った。
「良かった、シオン……貴方に何かあったのかと心配しました……」
しゃがみ込んだ彼の身体に、思わず自分から抱き着いてしまう。
「私が言えた義理ではありませんが、もう無理はしないでください……」
気づけば涙が零れていて、そっと指で拭った。
ふと、視界に月が見える。
まだそんなに日付は経っていないようだ。
「シオンの誕生日までに目覚めることが出来て良かった。ちゃんと貴方の口から、気持ちを伝えてもらえる日が来るなんて、思っていなかったから、嬉し――」
「すまない……」
その時、しばらく黙っていたイクシオンが口を開いた。
なんだろう、違和感がある。
「どうなさいましたか、シオン……?」
眉をひそめた彼の放った言葉に衝撃を受ける。
「貴女は?」
「え――?」
どうして女王とリンダが、イクシオンに会わない方が良いと言ったのか?
(聞き間違え……?)
まだ目覚めて少ししか経たないから、自分は寝ぼけているのだろうか。
「確かに俺の名前はイクシオンですが――」
だが、そうではなかった。
「貴女は誰ですか?」
イクシオンが何を問いかけてきているのか、理解したくなかった。




