第22話 敵国将軍は、神と対峙します! イクシオンside
日中、王城の騎士団の修練場にて、ロクスの将軍イクシオンは意気揚々と過ごしていた。
「よし、お前ら、今日も良い剣捌きだった。これからも鍛錬に励んでくれ」
爽やかな笑顔を見せる彼の前には、倒れ伏した騎士達が累々と折り重なって倒れている。
寝転がった彼らは、ひそひそと話をはじめた。
「イクシオン将軍、一人で騎士全員倒して汗一つかかないとか、相変わらず化け物だよな」
「というか、今日はいつになく元気じゃないですか。なんか、いつも怠そうに午前中、書類整理してるのに、めっちゃ仕上げるの早かったですもん。それで、急に俺たちに稽古つけるとか言い出して」
「昨日、良いことあったんだよ」
「え!? まさか、もしかして。いや、でも、まさか」
「ほら、なんか、頭の上に花でも咲いてそうな笑いを浮かべてるじゃないですか。わりと本気で脱童貞したんじゃ……」
年若い騎士の言葉に、イクシオンが反応した。
いつものように部下に反論してくるかと思ったが、爽やかな笑みを浮かべながら、うんうん頷いている。
騎士団のコートが、陽の光でやけに白く眩しく輝いていた。将軍の徽章も無駄に煌めいている。
「これはマジかもしれない」
「将軍の誕生日まで待つんじゃなかったのか?」
「ラフィーネ姫様、愛妾のままとか可哀想。せめて奥さんになるまで待てなかったのか。将軍なら待てると思ったのに……いや、むしろ、結婚出来ても手が出せない代表だと思ってたのに……」
「あああ、賭けは俺の負けか……」
「ていうか、姫の誕生日にプロポーズなら分かるけどさ……自分の誕生日にプロポーズとか意味不明すぎる。乙女かよ、振られたらどうする気なんだ」
「来年まで待てなかったんだよ。ていうか、成人の誕生日に『愛妾にしたい』とか言われた姫様が可哀想」
彼らの声が耳に入ったのか、イクシオン将軍は目に見えて落ち込みはじめた。
表情の翳り方が半端ない。
(ラフィ……結局、今朝も『愛している。妻になってほしい』と言えなかったな……)
一晩中プロポーズの練習をして待っていたのだが、城への出仕の時刻が差し迫っても、ラフィーネ姫が目を覚ますことはなかった。
(かなり疲れてたみたいだな……)
一応眠る前に、ラフィーネはイクシオンから魔力を取り戻していたはずだったので問題はなかったはずだ。
昨晩まで処女だった女性に対して、やり過ぎたかもしれない。
自分も童貞だったせいか、浮かれすぎて加減が分からなかったのだ。
(今日はもう少し労わるようにしよう……ラフィに嫌われたくないし……)
目覚めない彼女の裸体を使用人達に見られたくなかったので、ひとまず魔術で身体を綺麗に清めて清潔な寝衣に着替えさせ、ついでに汚れたシーツを交換した。
(『私の始末をシオンがやったのですか、気持ちが悪い……』とか、目を覚ましたラフィから言われそうだな……)
しかしながら思い出すと、謎の幸福感に包まれる。
彼女の温かな体内に潜りこんだ時の、異様な幸せは言葉では言い表せない。
彼女が肉体の内側からしがみついてきているようで……
あれほどまでの快楽がこの世に存在するとは思わなかった。
それに、イクシオンの困り事だった竜化も落ち着いているようだった。
(ラフィーネのおかげで、むしろ力も漲るばかりだ)
イクシオンは決意を胸に拳をぎゅっと握る。
「今夜こそ、言うんだ」
――愛している。
練習したし、今度こそ大丈夫だ。
「愛している」
愛しいラフィーネが幸せそうに振舞う姿を思い浮かべると、それだけで心が浮足立ってくる。
プロポーズを成功させる自分を想像してにやつく上司イクシオンを前に、騎士達が鳥肌を立てていることに……当のイクシオン本人は気づいていなかった。
「イクシオン!!」
そんな絶好調の最中、戦友でもある魔獣リンダが、突如として稽古場に姿を現した。
「どうした、リンダ?」
何気なく問いかけたイクシオンだったが、リンダはとんでもないことを言い出した。
「ラフィーネ姫の意識が戻らない。急いで、屋敷に戻られたし!!」
※※※
かつてないほどに浮かれていたはずの上司の鬼気迫る表情を見て、騎士達は仕事は良いから早く帰れと言ってくれた。
単に昨晩の疲れで目を覚まさないのだろうと、屋敷の者達には言伝して仕事に向かったのに。
だが、もう夕方だ。
こんなにも目を覚まさないのは、誰が見てもおかしい。
慌てて屋敷に帰ったイクシオンは寝室の扉を勢いよく開く。
「ラフィ!!」
部屋の中央、白いベッドの上には、眠るラフィーネの姿があった。
返事はない。
イクシオンは近づくと彼女の頬に触れた。
かすかだが息はしている。
肌は異常に白いが元々だ。
リンダが答えた。
「ちゃんと生きてはいるが、とにかく目を覚まさない」
「ラフィ、ラフィ!」
試しに大声で呼んで、鎖骨の辺りを叩いてみたが反応がない。
「なんで……ラフィ……」
「医師にも見てもらったが、特に身体に異常があるわけではないそうだ。魔力が見えるボードウィン卿の話では、魔力が枯渇しかけているのかもしれないと。心当たりはないか、イクシオン?」
「それは……」
心当たりなんて、昨晩の行為以外思い当たらない。
「俺が生命力を奪い過ぎたのか? だけど、力を返すにしても、ラフィーネ姫に目を覚ましてもらわないと……」
イクシオンでは、魔力や生命力をラフィーネから一方的に奪うことしか出来ないのだ。
今だかつてない優しい彼女の様子と不穏な言葉を思い出す。
『私も、すごく幸せです、シオン――だけど、もしこの先、私に何かあったとしても、シオンは誰か別の女性と結婚して……どうか、幸せに過ごされてください』
心臓がおかしな音を立てて落ち着かない。
「ラフィは……」
こうなることに気づいていたのだろうか?
まるで悟ったかのような言い回しだったと、今にして思う。
彼女の金の髪を撫でながら、ぽつぽつと呟いた。
「もしかしたら、ラフィは夜になったら目を覚ますかもしれない」
自分の体はかつてない程に軽かった。
だけど裏腹に、胸の内側はズシリと重たくて仕方がなかった。
※※※
もう月は中天まで登っている。
だが、やはりラフィーネ姫は目を覚まさなかった。
魔獣リンダもしばらく近くにいたが、息子のシオンが心配だからと屋敷を一旦出ていった。
「ラフィ」
イクシオンは眠るラフィーネの頬を撫でる。
ふと……死んでいるのではないかと不安になった。
慌てて彼女の唇の近くで耳を澄ます。
微かだが呼吸をしているのが分かって、彼はほっと胸を撫でおろした。
「俺のせいだ……」
心当たりは自分しかない。
副魔術師長も、「竜化」を止めるためには「番」の純潔をもらう必要があるが、番がその後どうなるのか分からないと言っていた。
「やっぱり、待たないといけなかったのか」
彼女と結ばれたい気持ちの方が強すぎて、そんな判断も出来なくなっていたと今にして思う。
……パキン。
その時。
アモルでもらったイヤリングが音を立てて壊れた。
「これは……竜の鱗だって、行商人が言っていた……」
結局、アモルの東側に竜に詳しい人物はいなかった。
「もしかしたら、そいつを探せば……」
振り向いた瞬間。
「探す必要はもうない」
ラフィーネとイクシオンしかいないはずの部屋に、第三者の声が響いた。
声の方へと振り向くと、そこには……
外套で顔を隠した男が一人。
覗く瞳にイクシオンは見覚えがあった。
「お前は、アモルにいた行商人」
「ご名答。ああ、竜の鱗は壊れましたか。やはり番以外の者の鱗では、完全な代替にはならないか」
どことなく飄々とした喋り方、いくら顔を隠していても分かってしまった。
それに、相手から、どことなく自分にとって禍々しい波動を感じるのはなぜだろうか?
行商人が布を払う。
燃えるように紅い髪に新緑を思わせる碧色の瞳を持った美丈夫が立っていた。
「竜に詳しいとか言っていたが、自分自身のことだったのか、行商人」
イクシオンは相手を行商人と呼んだが――ただの行商人ではないことに既に気づいていた。
もう転移の魔術を使えるほどの魔術師など、この世にほとんど存在しないのだから。
「ロクスの将軍よ。お前からは、人の怨嗟の声が聴こえてきた。だいぶ竜へと身体が近づきつつあった。本来、竜とは番から一方的に力を奪うだけの存在でしかない。だからこそ、竜の鱗をイヤリングとして渡して、進行を抑えてやっていたはずだ」
……本来、竜とは番から一方的に力を奪うだけの存在。
(だったら、俺は……)
イクシオンは青年に掴みかかった。
「知っていたなら、どうして教えてくれなかった!! お前なら、ラフィがこうなることに気づいていたんだろう!」
相手は努めて冷静に返す。
「礼を言われるならまだしも、激昂してくるなど……さしもの私でも、相手に全てを伝えることは出来ない。本来は己が力で気づかねばならない。そもそもオルビスの土地の制約を受けているのだから、そうそういつでも姿を現せるわけではない。だが、ちゃんとヒントとなるように古文書は置いて行ったはずだ」
アルパイン山にあった古文書。
「おそらく、貴方が自身の身体の変化に気づいていたように、月光姫も気づいていたはずだ、自身の生命力が吸われ続け、イヤリングの力を借りて将軍から取り戻しても、どうしようもなく自分の身体に力が戻ってこないことに」
イクシオンの瞳が揺れる。
ラフィーネは気付いていて、自分に純潔を――?
「少し冷静に考えれば分かったことだったのに。ロクスの将軍よ、貴方が自身の欲望を優先した結果だ。世の中は貴方の都合通りには動かない。時間は有限で、機を逃したに過ぎない」
相手の言葉がナイフのように抉ってくる。
「もっと姫のことを考えてやっていたら、こんなことにはならなかったはずだ。そもそも、貴方がもっと私を探すべきだったのでは? 自分の身体のことだったのに、結局師に任せただろう」
イクシオンはぐうの音も出なかった。
手が震える。
――そう、どこまでも自分自身しか見えていなかったのだ。
周りの優しさに甘えて、結果がこれだ。
「いずれ生命力が尽きれば彼女は死ぬだろう。最愛の女性の命を犠牲に人としての余生を手に入れたのだ。ロクスの将軍よ、命を大事に生きるが良い。それでは」
告げられた言葉は無常だった。
……死ぬのか、ラフィは?
自分に抱かれたばかりに、命を落とすのか。
息が出来ない。
身体が震えてしょうがない。
「ラフィ、俺は……」
立ち去ろうとする紅髪の男の背に向かって、イクシオンは叫んだ。
「待ってくれ。いや、待ってください!!」
彼はその場にしゃがみ込むと、地べたに頭を垂れて懇願した。
恥も外聞も必要ない。
「もし、ラフィが戻れる方法があるのなら……どうか、教えてください、お願いします。お願い……します」
とめどなく溢れた涙が絨毯を濡らしていく。
「こんなことになるぐらいなら、俺は竜になった方が良かった……」
彼女が他の男性と結ばれるところなんて見たくはないが。
だとしても、人として結ばれなかったとしても、それでもラフィーネが生きているそばで過ごせたら、それが一番良かったのに……
「俺は、ラフィーネから奪うだけ奪って……」
せめて、どうして「愛している」と言えなかったのだろうか?
なんで愛妾にしてしまったのだろう。
妻にしてやることさえ叶わずに、彼女は消えてしまうのだろうか?
今更だ。
格好つけずに言えば良かったのだ。
「ラフィを……愛して……」
自分の心を守ることを優先した結果がこれだ。
「彼女だけを、昔からずっと……彼女だけを……愛し……て」
涙が溢れて止まらない。
ラフィーネの頬を、零れた滴が伝っていった。
「愛してるんです。俺はどうだって良い、目を覚ましてほしい、ラフィ……」
けれども、もう彼女が応えてくれることはない。
イクシオンの嗚咽が部屋の中を支配する。
「お願い、します」
国から彼女を連れ出して、助けた気になって満足していた。
それ以降、何もしてこなかった。
いつも待ちの姿勢で。
遮られたら安堵して、逃げてばかりで。
何も言わなくても、相手は分かってくれると甘えて。
だけど……このまま何もしないで終わるのは嫌だ。
何かに縋ってでも、彼女を助けたい。
仮に竜の姿になったままだったとしても構わない。
彼女の隣に立つのが自分でなかったとしても。
それでも……
エゴかもしれない。
だけど……
彼女の優しさに甘えたまま、終わりたくはなかった。
「お願い……します」
その時、黙っていた男が口を開いた。
「私の名はグラディウス・ソラーレ。行商の際はシデラスと名乗っている」
イクシオンは、はっと顔を上げる。
「ソラーレ? オルビスの三柱、剣の守護者ソラーレ一族の始祖の名前……グラディウス……竜殺しの? まさか、現存して……」
紅い髪の青年から感じる禍々しい気は、まさか竜殺しの剣から放たれるものか?
「まあ、大陸では有名だから知っているかな? 私は昔から……愛する女のために、みっともなく足掻く男は嫌いではない」
紅い髪の青年の姿をした神は、ふっと微笑んだ後、唇を引き結ぶ。
「さて、紫竜イクシオン・ロクスに問おう」
イクシオンはごくりと唾を飲み込んだ。
「貴方は愛する女性のために何を犠牲に出来る?」




