第2話 早速将軍と、夜を共にします!
城を出たのは太陽が傾きはじめた頃だった。
馬が速足で北に駆け続け、今はもう西に陽が沈みはじめている。
アモルの王都から離れた小さな村に、隣国の将軍イクシオン・ロクスとアモルの第一王女ラフィーネ・アモルは到着していた。
※※※
イクシオンに抱きかかえられるようにして馬で駆けてきた。
「ラフィーネ姫様、初めての馬での長旅、お疲れでしょう? 馬も疲れてきているので、今晩はこの村で休みましょうか」
盟約が結ばれ、将軍である彼の妾の立場になったはずなのだが……
なぜだか、彼は昔のように、私のことを敬称で呼んできていた。
(一応、隣国の姫だし愛妾だから?)
気にはなったが……彼の手が私の白金色の髪に触れてきたことの方が気になってしまった。
……昔とは違って、女性慣れしてしまったような手つきが胸をざわつかせてくる。
「……私に決定権はないのでしょう? イクシオン将軍のお好きなようになさってください」
ぱっと彼の手を払った。険のある態度――子供じみた対応をついついとってしまったことを後悔する。
(妾なのだから、この人の機嫌をとらなくてはいけないのに……)
ふと視線を移すと、彼の手綱を持つ手が心なしか震えている気がした。
(どうしたのかしら?)
しばらく彼の反応はない。
村の門の近くに馬を休ませると、先に地に降り立っていたイクシオンが私の身体を降ろすために無言で腰を抱えて来た。
「きゃっ……! 急に触らないでください!」
驚いた声を上げると、目の前の美青年の表情が凍り付いて――見えたのは気のせいだろう。飄々とした態度で彼は告げる。
「今の今まで、馬の上では俺が貴女を抱きかかえていたでしょうが……」
「それとこれとは……きゃっ……」
そのまま地面に降ろされるのかと思いきや、玉座の間を出てきた時のように横抱きにされてしまった。
「自分で歩けますから、降ろしていただけませんか? このような辱め、あまりにも横暴です」
静かな怒りをあらわにするが、彼に動じた様子はない。
馬で長時間揺れていたからだろうか、心なしか地面に降り立っても振動が強い気がするが、きっと気のせいだろう。
「ドレスが目立つし、ラフィーネ姫様に逃げられても困りますので」
「国の命運がかかっているのだから、逃げたりはしません」
「だったら、このまま俺に抱きかかえられててください」
そう言われ、仕方なく彼に抱えられたままになる。
(昔はおんぶの方が多かったのに……)
なんだか先ほどから女性のように扱われているようで、身体が縮こまってしまう。
(妾なのだから、女性のような扱いでおかしくはないのでしょうけれど……)
そんなことを考えている間に陽は沈んでしまった。
宿屋のない村もあるが、ちょうど村はずれに宿があったようだ。
建物の中に入ると、ちょうど主人はいないようだったのだが、迷いなくイクシオンは階上に上がっていく。
「イクシオン将軍、勝手に宿を使用するのは良くないのではないでしょうか?」
「城に乗り込む前に話は済んでいるので安心してください」
「え?」
元々ここに宿泊する予定だったのだろうか?
疑問に思っている間に、二階の奥の客室に到着する。
そうして、室内を見て私は目を見張った。
(…………え? いったい何なの……?)
色とりどりのガラスに覆われたランプが飾られ、清潔な室内を幻想的な場に変えてある。
そのまま、備え付けてある大きなベッドに身体を降ろされた。
私は、ついつい周囲をきょろきょろと見渡してしまう。
甘い香りがすると思えば、敷布の上にも薔薇の花びらが飾られてあった。
ふと手元を見ると、すべすべとした肌触りの綺麗な夜着が置かれている。
綺麗な部屋の中に思わずうっとりしてしまった。
「この部屋は、元々こういう部屋なのでしょうか?」
「……知りませんよ。どっかの馬鹿が、新妻を連れて来たくて準備してた部屋とかじゃないんですかね」
何やら不機嫌な様子で、イクシオンはロクス王国騎士団のコートをばさりと木の椅子に掛けた。
「他の客が準備したもののキャンセルしてしまったところに、上手く泊まれたというわけですね?」
そのまま彼は前開きのシャツを緩めはじめる。隠されていた鎖骨と逞しい胸板に目が入り、心臓がドキンと跳ね上がった。慌てて視線をそらす。
(私ったら……)
……だが、妾になったのだ。
(もしかして早速今日から……)
……務めを果たさないといけないのかと思うと、顔が赤らんでいく。
鼓動が高まりすぎて、うるさくてしょうがない。
思わず、ぎゅっとドレスの膝元をきつく握ってしまう。
「ラフィーネ姫は着替えないんですか?」
「え? え?」
動揺して声がひっくり返ってしまった。
「ああ、俺がいたら着替えづらいのか……それじゃあ、外に出ていますから……って、その前に湯浴みがしたいのか?」
想定外の問いかけに、声が裏返ったまま……
「た、確かに、その、そういうことをする前には、ゆ、湯あみをした方が、良いですね」
すると……
「そういうこと……?」
言葉の意味が分からないのか、イクシオンが首を傾げていた。
ちなみに、前開きのシャツは脱がずに着用したままだ。
しばらく考え事をしていたようだったが……
「…………なっ……」
突然、夜目でも分かるぐらい顔を真っ赤にして口ごもった。
(え? シオンはどうしてそんなに恥ずかしがっているの?)
彼の様子を見ていると、こちらまでどんどん恥ずかしくなってしまう。
(まさか、私ったら早合点して……!)
……先走ったことを口にしてしまったかもしれないと、私は羞恥で身が縮こまった。
なんだか妙な空気が流れる。
彼が咳ばらいをした。
「ひとまず、湯が沸いているか確認してきますので」
イクシオンは部屋から出ていった。
(私の方が立場は弱いはずなのに、シオンの方がまるで従者ね……)
昔から気遣いができる青年だった。
ぼんやりとそんな過去を思い出していたのだった。
※※※
イクシオンが帰ってきた後、交代で私も湯船に浸かってきた。
馬での遠出の経験はいくらかあるが、ここまで長距離を馬上で過ごしたことはなかった。そのため、自分が思っていたよりも疲れていたようだ。
準備されていた夜着に着替え、室内に戻る。
「イクシオン将軍、いない?」
だが、彼の姿はなかった。
「ここにいますよ」
「ひゃっ……!」
背後から突然声が聴こえて、心臓が縮み上がる。
「今、貴女のそばには俺しかいないので、ちょっと見張りについてました」
「…………そうですか」
気配を感じなかったので、驚いてしまった。
(見張り? いつからどこまで……?)
……あまり考えないようにする。
そのまま部屋の中に二人して戻ると、先にごろんとイクシオンがベッドに転がった。
(今日は何もないのかしら……?)
はっとなる。
(私ったら、何か期待しているみたいじゃない)
馬に揺られながら、妾の務めを果たさないとと覚悟を決めていたところだったので、少し拍子抜けしているのも確かだ。
彼に背を向ける格好で、私もベッドに寝転がる。
(……何かあるのを期待していたわけじゃ……)
「ラフィーネ姫」
ぎしり。
ベッドが軋む音が聴こえる。
心臓が早鐘のように鳴りはじめた。
寝返りを打つと、すぐ隣に彼はいた。そうして、長くて節だった指で、彼は私の顎を掴んでくる。
(あ……)
美しく整った顔立ちが眼の前に近付いてきた。
彼の焔の揺らめきのような赤紫の瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
「貴女が妾の務めを果たしたいのなら……」
色香を孕んだ声音が耳をくすぐってきて、頭の芯がくらくらしてきた。
仰向けにされたかと思うと、彼の身体が覆いかぶさってくる。
「私に拒否権はありませんので……」
ふいと視線をそらした。
「相変わらず気位が高いな……じゃあ、お望み通り」
ゆっくりと彼の顔が近づいてきた。
(私、このまま……)
ぎゅっと目を瞑る。
彼の呼吸の熱を感じるぐらいに、近づいてこられているのが分かる。
全身に彼の重みが柔らかく乗ってきて落ち着かない。
鎖骨を指でなぞられた後、彼が首筋に顔を埋めてくる。
少しだけ抵抗をしようとしたが、両手首を彼の片手で封じられてしまった。
彼の指が、夜着のリボンに差し掛かった時、私は声をかけた。
「あの……イクシオン将軍……」
「ここまでしておいて、なんですか? また俺に何か文句でも?」
彼の動きを止めてしまったせいで、機嫌を損ねてしまっただろうか?
不機嫌な声音とは裏腹に――怯えた子どものように彼がこちらをうかがってきているような気がするが、きっと気のせいだろう。
不安だったが、赤紫の瞳を捉え、ひりつく喉でなんとか思いを口にした。
「初めてなので……優しくして……ください」
今の今まで反発するような態度ばかりとっておいて今更だろうか?
「あと、良ければ……く、口づけから……っ……あまり性急にではなく、その……」
唇をきゅっと噛み締めていると……
「きゃっ……」
ちっと舌打ちしたかと思うと、イクシオンの顔が胸の谷間に沈み込んでくる。
(優しくしてと頼んだばかりなのに……)
……哀しいが、歳月はやはりイクシオンを変えてしまったのだ。
(国のためのはずなのに、私がワガママすぎたのだわ)
このまま獣のように変わってしまった彼と初夜を迎えるのか。
柔肌に荒い呼吸を感じていると……
「俺は……」
彼の呻くような声が聴こえる。
「……震えている女……を……」
胸元から彼の顔が離れる。
彼の声の方が震えているような気もしなくもない。
「手籠めにするほど……」
身体に感じていた重みも軽くなる。
「女に困っちゃ……いないんで……」
彼の額には玉粒のような汗が滲んでいた。
それだけ言うと、彼はまた私に背を向けて横になる。
(あ……)
それきりイクシオンは何もしてこなくなった。
(女性に困っていないから、私に無理に触れる必要はないのね)
大人になってしまった彼の背を私はぼんやりと眺める。
(異性とこうして一緒に床を共にするなんて、子どもの時以来ね)
ふと、イクシオンに声をかけた。
「起きていますか? ……シオ――イクシオン将軍」
しばらく何もなかったが……
「姫様、なんでしょう?」
慇懃無礼な言いまわしの返答があった。
「まだ私が小さい頃、泣いている私のそばで、こうやって一緒に眠ってくださいましたね……」
すると……
「そんなこともありましたかね?」
……ぶっきらぼうに返される。
(もう、シオンは覚えていないのね)
少しだけ寂しい。
「妾の子だと蔑まれていた私に……お兄様以外では……城では貴方だけだった……私は、それが……」
話している間に、瞼が重くなっていく。
父王の妾だった母の子に産まれた自分が誰かの妾になるなんて因果だろうか。
「なのに……私が……余計なことを伝えたせいで……ごめんなさい……」
幼馴染の彼に恨まれても仕方がなかった。
喋りたかったけれど、もう言葉を発することが出来ない。
ふと、髪に誰かが触れてくる。
「ラフィ……貴女は――」
懐かしい愛称。
相手の声がどことなく苦しそうなのは、気のせいだろうか?
「俺に、意気地がないせいで……」
とぎれとぎれに声が聴こえる。
頬に優しく触れられているような感触がある。
「昔と変わらず、無防備だな、貴女は……お休み……」
――そっとシオンに口づけられる夢を見たけれど、それが真実かどうかは分からなかった。
翌朝――国境を超えるためにアルパイン山へ向かおうとした際に、ちょっとした事件が起こるのだった。




