第18話 人前で将軍、禁止ですってば!
竜の傷を癒す源泉から戻ってきて、はや数日が経とうとしていた。
気づけば、次の満月も近い。
だが、アルパイン山から持ってきたという古文書の解読はまだ進んでいない状態だった。魔術考古学の権威にそちらの対応は任せ、今は待ちの時期だ。
結局、魔力の交換に関する仮説が正しいのか間違っているのか分からなかったが、一時しのぎにはなるからと、イクシオンとの毎朝の口づけの習慣は継続されていた。
そうして、現在。
屋敷の寝室の扉の前で、私は城に出仕前のイクシオンと向きなおる。
「はい、シオン」
イクシオンは温泉でのお触り禁止令を律儀に守っている。
そのため、私がキスするのを黙って待ってくれていた。
私はそっと彼の頬に両手を添えると、背伸びをして、ゆっくりと口づけた。
何度キスをしても慣れずに気恥ずかしくて仕方がない。
唇が離れると、彼の綺麗な顔立ちが目に入ってきて、私はドキドキしてしまった。
「姫様、ありがとうございました」
イクシオンから微笑まれると、私はまた落ち着かなくなってしまう。
「いいえ、私にやれることは限られておりますから」
すると、彼が私の髪を撫でた後にちゅっと額に口づけてくる。
「そんなことはありません。そばにいてくださるだけで、俺としては満足――というか、幸せなので。姫様は、今日は魔術師達の研究の手伝いをされた後に、城でのお茶会に誘われていたのでしたかね?」
「ええ、そうなのです」
最近の私はアモル王国時代に学んだ知識と経験をもとに、魔術師たちの研究支援に勤しんでいた。
最初は私がどこかに行ってしまうのではないかと不安そうだったイクシオンだったが、離れないと分かったからか、私が自由に何かをするのを応援してくれていた。
イクシオンが太陽のような明るい笑顔を見せてくる。
「ぜひ楽しんでこられてくださいね、ラフィー!」
「シオンもお仕事頑張られてくださいませ。城の中で会えたら嬉しく思います」
笑いかけると、なぜかイクシオンが赤面するので、こちらも恥ずかしくなってきた。
「……会えたら俺も嬉しいです。それでは行ってまいります」
彼は騎士団のコートを羽織ると、寝室から仕事に出発した。
(なんだか愛妾というよりも新婚のような……は! 私ったら何を考えているの……)
まだ彼から気持ちを聞かされてはいない。
だけど、なんとなく悪いことにはならない期待のようなものが胸にある。
(とはいえ、それよりも……)
以前よりも魔力の交換の効果が薄いのか、鱗がじわじわと腕に生えてきている状態だ。
(シオンの体質をどうにかしないといけないのに、古文書の解読がまだなのがもどかしい)
とはいえ、焦っても仕方がない。
今はやれることをやるしかないし、シオンの気持ちを聞くのだって、その後からでもきっと大丈夫なはずだ。
この頃は――そう思っていたのだった。
※※※
王城の一角にある魔術研究所の第二研究室にて、私は魔術師長と二人で対話をしていた。
壮年の魔術師長は、白髭のおかっぱ頭をしており、鼻の下に優美な髭を蓄えている。瞼がいつも閉じており、目を開いているのか開いていないのか、時々判別がつかなくなることがある。
魔術師長は私に向かって語り掛けてきた。
「ボードウィン卿の言うように、通常の魔術師が使える『痛みを緩和する術』などは、我々でも行使することができます。だがそれは、知覚を麻痺させて、痛みがないように錯覚させる類のものでしかない。ラフィーネ姫様のように、生命力や魔力を分け与えて、他者の体内の回復力を促進するという治癒術は、聖騎士シュヴァルド・シュタイナー殿下か、今やオルビスの王族たちの特権に近い。こうやって研究に協力してくださって大変感謝しております」
壮年の魔術師長は、ほおっとため息をつく。
「とはいえ、やはり特殊過ぎて解析が難しい。数十年、下手したら数百年単位で解読する必要がある。できれば、治癒術を我々の手に出来れば、戦等でも負け知らずなのでしょうが……」
「つまるところ、私のような治癒術は誰もが出来るものではなく、今後も他者が同じように行使できるかどうかは分からない――ということでしょうか?」
「姫様の仰る通りでございます」
頷く魔術師長に、自身の意見を伝えてみることにした。
「魔術師長、そうであるならば、現在、世界の魔力の源泉が枯渇し、そもそも適性のある術者も数が少なくなってきているような状態。癒しの類に関してはいっそ手を引き、人の力のみでどうにかなる方法を見出していった方が良いかもしれませんね」
「姫様、では例えば?」
「例えば、魔力のない人間でも出来る医術や薬学を発展させた方が、今後の国の発展にはつながるかもしれません。もちろん、魔術は魔術で研究を続けた方がよろしいかと。並行して進めていった方が、魔術が破綻した際にも、医学・薬学に縋る術が残されています。リスクの軽減にもなるかと。私もできうる限りのことは支援いたしますので」
すると、「ううむ、我々も割り切らないといけないかもしれませんな」と魔術師長は唸っていたのだった。
※※※
私は魔術への実験協力をすませると、茶会のある城庭の花園へと向かった。
そこでは、まさかの熱烈な歓迎を受けることになったのだ。
「女王陛下に急務が入り、いらっしゃらないのは残念ですが……ラフィーネお姉様とお茶会にご一緒出来るなんて、わたくし、とっても幸せですわ!! お姉様と一緒に飲むダージリンは格別です!!」
そう叫ぶのは、ブロンド巻き毛の美少女パピヨン嬢である。
可憐な桃色のフリルをふんだんにあしらったドレスを纏う彼女は、私にくっついてくると、きゃあきゃあと嬉しそうにしていた。
彼女の友人達や他のご令嬢たちも、なぜか着席して茶を飲む私の周囲を取り囲んでくる。挨拶をすませた後、きゃっきゃっとはしゃぎはじめた。色とりどりのドレスを着ているため、一気に視界が鮮やかになる。
「さすが、アモルの月光姫ラフィーネ姫様。白く透き通るような肌で羨ましいですわ。化粧品や美容には、何を使っていらっしゃるのですか?」
「手足はすらりとしていて、腰もくびれていらっしゃる。羨ましい」
「あどけないけれど美しいというか、さすがイクシオン将軍が求めただけの女性ですわ……」
――お茶をゆっくり飲める雰囲気ではないわね……。
うっとりとした視線に慣れずに困惑していると、三人ほど目つきの悪い令嬢たちが遠くからわざとらしく大声をあげた。
「ごめんあそばせ――皆は口々に貴女様を誉めそやしていますが、結局のところ、イクシオン将軍は妻ではなく妾として迎えたのでしょう?」
「そうそう、所詮は愛人。妻ではございません、何の価値もありませんわ」
「どのような手練手管の持ち主かは知りませんが、所詮は性的な魅力しか感じられていないということです」
明らかな悪口をくすくすと言ってこられる。
挙句の果てに、「イクシオン将軍との夜は激しかった」だの「わたくしの方こそ、めくるめく一夜だった」だの、三人で自慢をしている。
一昔前の自分だったら、強い口調で言い返していたかもしれない。
だけど、イクシオンは不特定多数の女性を相手にするような男性ではないと、今の私には分かっていた。
(もしかしたら、シオンに恋人はいたかもしれないけれど、軽い気持ちで女性と床を共にするような殿方ではないわ)
私の隣にいたパピヨン嬢が椅子から勢いよく立ち上がる。
「あなた達、他国の姫、しかも王太子兼将軍の身であるイクシオン様の寵姫に対して失礼な態度です! そもそも、あの将軍、しっかり喋れば分かりますが、童――」
パピヨン嬢が眦を釣り上げながら、彼女たちに文句を言おうとするのを、私は制した。そうして、毅然とした態度で返答する。
「パピヨン様、好きにさせておきましょう。相手をしても無駄です」
だが、却って彼女たちを逆上させてしまったようだ。
掴みかからんばかりの勢いで、こちらに三人が向かってくる。
その時――突然、ふわりと視界が高くなった。
「また何か変なのを引き寄せているんですか?」
耳元で艶のある声が聴こえると思ったら……
「シオン!」
……横抱きにしてきているのはイクシオンだった。
ご令嬢たちが、きゃあきゃあと喚く。
長身痩躯の彼は、一人だけ花園の中で目立っていた。
人前で目立ってしまって恥ずかしい。とはいえ、全く嬉しくないこともなかったので、にこやかに返した。
「そうですね、変なのが何を指すかは分かりませんが、引き寄せやすいのかもしれません――貴方も含めて」
イクシオンの顔が一瞬哀しそうなポムウルフのような顔になったが、すぐに元の真面目な表情に戻る。
そうして、私に耳打ちしてきた。
「…………ええっと、一部だけど古文書の解析が終わったそうで、急に姉上に呼び出されました。行きますよ――すまない、ラフィは連れて行く」
イクシオンがキリリとした表情で皆に告げると、ご令嬢たちはきゃっきゃっとしていた。
そして彼は、文句を言ってきた令嬢三人に向きなおると、冷淡な声音で告げた。
「貴女たちが件の噂の原因だろうか?」
射抜くような将軍の視線を受け、びくりと彼女たちの身体が震える。
「残念ながら、俺は身持ちが軽い女性は好みではない。まだ商売でやっている娼婦の方が、誇りを持っているものもいるのだから、そちらの方が好ましい。だが、残念ながら、彼女たちの相手も俺はしたことがない」
令嬢の一人が反論する。
「身持ちが軽い!? だったら、そちらの妾になさっている姫様はどうなるのですか? 妾だなどど、体の関係以外の何物でもないではないですか!!」
イクシオンが努めて冷静に返した。
「言い方を間違った俺の非だが……」
イクシオンがなぜか私の顔を見てくる。
赤紫色の瞳の中には熱情が宿っていた。
「妾だろうと恋人だろうと、妻だろうと、俺は生涯ただ一人の女性で構わない」
――生涯ただ一人の女性。
真剣な眼差しに心を奪われてしまう。
(それは、やっぱり……)
心臓の音が他の人たちにも聞こえそうだ。
しかも、皆の前でちゅっと唇を奪われる。
女性陣がきゃあきゃあ叫びだした。
「じゃあ、行きましょう、姫様」
ざわつく人垣の中を、魔術研究所に向かって進んだ。
うっかり反論するのを忘れてしまっていたが、抗議した。
「し、シオン! 人前では弁えてくださいと言ったはずです!!」
すると、さらっと返事がある。
「だって、嫌なんで。俺はともかく姫様が色々言われるのは……」
それはこの国に連れてこられる時からそうだった。
国境沿いや、舞踏会や――イクシオンが怒るのは、自分のことではない。
(いつも私のことでだけだわ……)
それに――竜の赤ん坊から少年を経て、ちょっとだけイクシオンの攻めが強くなっているのは、気のせいではないかもしれない。
ちなみに、パピヨン嬢の周囲の女性陣たちが、「将軍、素敵!」「だいぶ攻めてる」「やっぱり童――」「いや、休暇中に捨てたんじゃないか」「やっぱりカッコつけてて、カッコ悪い」「顔は良いんだけど……」なんて話をしていたのには、さすがに気づけなかった。
彼の腕の中で揺られながら考える。
(シオン……)
綺麗な横顔を眺めた。
口下手な彼のことだから、大事なことが言えないのだろう。
愛妾と言ったのにも何か理由があるに違いない。
(自意識過剰かもしれないけれど……大事にされているのは分かる)
シオンが口にしてくれるまで落ち着いて待とう。
絶対に悪い未来にはならないはずだ。
(私たちの間に、時間は無限にあるのだから)
――この時はそう思っていたのだったが、わりと事態は切迫していて、彼の告白を待たずに初夜を迎えることになってしまったのだった。




