第15話 敵国将軍と、温泉で一緒です!
数日かけて山を登った後、我々は源泉――いわゆる温泉に辿り着いた。
ごつごつとした岩が立ち並ぶ中に張られた泉から、ゆらゆらと湯気が立ち上る。
「わあ、温泉は本当に温かいのですね……!」
「姫様のアモルにもなかったか?」
黄金の魔獣リンダに問われ、私は心中複雑な返答になった。
「あるにはあるのですが、王族の旅に連れて行ってもらったことがなくて……」
「そうだったのですか……では、これからはイクシオンに連れて行ってもらうと良いですよ」
――イクシオンに。
妾である私にとって主人に当たるイクシオンは、今は竜の赤ん坊の姿になっている。
(ちゃんとシオンが元の姿に戻れるか心配だわ……)
だいぶ竜の育児(飼育?)に慣れてきてはいたが、彼が人間に戻らないと国の一大事だ。
とはいえ、旅疲れもある。
そのため、イクシオンの体質の手がかり探しは後にして、順繰りに湯に浸かることになった。
わりと険しい山間にあるためか、今のところ周囲に人の姿はない。
そうして、私はといえば……
イクシオンを預けて温泉に入る予定だったのだが、彼にとっては戦友であるはずのリンダさんや師匠に当たるボードウィン卿を見ると泣き続けてしまい、埒が明かなかった。
結果――リンダとボードウィン卿の二人には見張りを頼んで、私は幼竜イクシオンと一緒に入浴する運びとなったのだ。
「わあ、とても気持ち良いです。シオンもいかがでしょうか?」
温泉の湯は、普段入る風呂のさらりとした水とは違い、とろりと滑らかな肌触りだった。
人間の赤ん坊を入れるのは火傷の恐れなどがありそうなものだが、竜の赤ん坊の皮膚は人と比べて硬い。
きゃっきゃっとはしゃぐシオンの姿を見るに、問題なさそうだ。
久しぶりの湯浴み……しかも温泉となれば、気持ちが弾んでくる。
ぷかぷかと浮かぶ幼竜シオンに対し、私は自然と笑みが零れた。
「ここは魔獣の傷も癒す源泉だと言われています。シオンも元の姿に戻れば良いですが……」
だが、当のシオンはきょとんとしていた。
ちゃぷちゃぷと手足をばたつかせ、裸の胸に顔をすり寄せてくる。
少しだけ硬い幼竜の顎が、肌に直接沈み込んできた。
「硬いからちくちくしますよ」
行為を窘めた途端、彼の赤紫色の瞳に怯えが走る。
実は、私は気付いてしまったことがある。
そう……
(シオンは怯えている……)
気づいたのは、数日前だ。
私がそばを離れようとしたり、叱ったりすると、シオンの瞳がゆらゆらと揺らぐ。
彼の姿が赤ん坊なこともあり、目線を合わせながらあやしたりする内に気づいてしまったのだ。
人間だった頃のイクシオンも、泣きそうな顔をしたり、たまに身体が震えたり、呆然と固まったりしていたことがあった。
(シオン、貴方は……本当は何を……)
人の姿だった頃は、彼の態度など、さして気にしていなかった……というよりも、過去の負い目があって、なるべく気づかないようにしていた。
こんな状態になって今更だが、しっかり彼の話を聞いておかなければ良かったと思うなんて……
「シオン」
赤子になったイクシオンの身体を抱きしめると、いつの間にか涙が零れていたのだった。
※※※
ラフィーネ姫から抱きしめられた竜の赤ん坊イクシオン、実は……
(ラフィーが泣いている……)
……意識がしっかりとあった。
とはいえ、最初からあったわけではなく、徐々にぼんやりと取り戻していったのだ。
だが当初、イクシオンは夢の中での出来事だと思っていた。
自分が竜になる可能性は推測していたが……まさか赤ん坊に戻るなんて、そんなはずないと。
夢現の中、可愛いもの好きのラフィーネはイクシオンのことを一生懸命世話してくれた。
(ラフィーがこんなに俺に優しいなんて……)
いつもツンツンと冷たい態度をとってくる彼女が、赤ん坊の自分に対してはひどく優しいのだ。
まさに夢だった。
いつもはしかめっ面のことが多いのに、ふんわりと笑いかけてくれる。
彼女の細くてすらりとした手が優しくお腹を撫でてくれる。
ふわふわの双丘に胸を埋めても叱られない。
人間だったらベッドの上でだって距離があったのに、幼竜の姿だったら吐息を感じるほどに近く眠ってくれた。
おくるみに包み込まれた自分を抱える姿なんて、まさに絵画に出てくる聖母のようだ。
『シオン、調子はどうでしょうか?』
普段から愛らしい声の持ち主であるラフィーネだが、他者を労わる声音はまさに天上が遣わした天使だった。
(幸せすぎる)
イクシオンはうっとりとした心地のまま、大好きな姫にされるがままに過ごした。
ミルクを与えられ、おしめをかえられ、泣くとあやされた。
現実に帰るのが怖くなるぐらいに幸せだったのだ。
(夢なら醒めないでほしい)
だが、イクシオンが夢ではないと気づいたのは、数日前に彼女が泣いていた時だった。
『……シオン』
いつもは気丈な彼女が泣くなんて、一大事だ。
夢だったとしても慰めないといけない、そう思って、彼女の流す綺麗な涙をぺろぺろと舐めた。
その時、一気に意識が明瞭となった。
それまで少しだけ視界に靄がかかったような感覚があったのだが、彼女を含めた世界の全ての色彩が鮮やかに戻っていったのだ。
(俺は、本当に竜の赤ん坊に……)
困惑していると、ラフィーネがぽつりと呟いた。
「シオン、私が貴方の身体を絶対に治してみせますから」
ガツンと一気に現実に引き戻される。
彼女が自分の身体を元の人間に戻す。
それだけなら良いが、もしアルパイン山にいる竜に詳しい人間とやらに出会って、自分の体質の全てが改善したとしたら……
それはすなわち、ラフィーネが自分の元を立ち去るということだ。
(ラフィがいないと俺は生きていけない……)
絶望的だった。
(俺はどうしたら……もういっそこのまま竜の子どもの姿で……そうしたら、ずっとラフィーネは俺と一緒にいてくれるだろうか)
アモル王国から追放された後、一族の中でロクス王国の奪国は決定されたことだった。
彼女にもう一度また会いたいからと。
過ぎた願いかもしれないが、また隣に立ちたいと。
そうして、願うことならば、妾の子として苦労した生い立ちの彼女のことを、自分の手で幸せにしたいと。
だからこそ、必死に研鑽を重ね、血のにじむような努力をして、どんなに卑劣な手段だと言われようと、戦場で他国を圧倒するためなら何でもしてきたのに……
女性関係についてラフィーネ姫に操を立てていたのは事実だし、部下たちは素の彼の姿を知っているからこそ慕ってくれているのは確かだが――戦場に立つ彼の姿を「凍焔将軍」だと称した他国の印象である、イクシオンは残酷非道で手段は選ばずという噂も、一方で彼の真実なのだ。
けれども、ラフィーネ姫のことについてイクシオンは怯えてばかりだ。
(そうだ。竜の赤ん坊の身に甘んじておけば、ずっとこのままでいられるかもしれない……)
――本当は、もしかしたら元に戻れる方法について、イクシオンは気づいていたのに。
こんな卑怯な自分だからこそ、彼女に好かれないのだと。
姉やリンダのいうように、自分自身を残念な人間だと思うこともある。
だが、ラフィーネの二度目の涙で正気に戻った。
(こんなにラフィーネが悲しんでいるのに、俺はやっぱり自分のことしか考えきれていなかった)
リンダが言っていた。
魔獣の大きさは心のありようだと。
本当に自分は情けない。
(これ以上、ラフィーを悲しませるわけにはいかない)
人間に戻ったらと思うと、心臓が壊れそうなぐらい不安だ。
だけど、彼女の涙は見たくない。
そう思って、竜の赤ん坊であるイクシオンは勇気を出すことに決めた。
(ラフィー……)
彼女の頬を流れる涙を、彼はぺろりと舐めた後、はむりと彼女の耳朶を食んだ。
「きゃっ……シオン、何をっ……!」
突然、幼竜が私の耳たぶを齧ってきた。
「ん」
かと思えば、ちゅうっと吸われる。
血を吸われたのだろうか?
身体がビクンと跳ねあがった。
「シオン、どうしたの……!? ……っ」
戸惑っていると、突然、竜の赤ん坊の身体が光に包まれた。
「シオン……?」
どうしたのか、ちゃんと見たいのに眩しすぎる。
光が落ち着いた時に、そっと瞼を持ち上げると、そこには……
「シオン……」
……人間の姿に戻ったイクシオンの姿があった。
「良かった、人間に……」
「ラフィー!」
だが、聞こえてきたのは、少しだけ甲高い声。
(ん?)
私は戸惑ってしまう。
「シオン、戻って……?」
ばしゃんと音を立てて、裸のままの彼が抱き着いてくる。
肌同士が密着してくる。
「心配かけて悪かった、ラフィー! 俺は……」
そこで、彼も自身の違和感に気づいた。
湯の中で、私に抱き着いてきているイクシオンは……
……昔、自分がシオンと呼んでいた頃の――少年時代の彼の姿をしていたのだった。




