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第10話 敵国将軍の、お相手はまさか!



 揺れる馬車の中、ふわふわの座席の上へとイクシオンに押し倒された。

 熱っぽい瞳で見つめられると、頭の芯がくらくらしてくる。

 彼の手がドレスの襟元のリボンに伸びると、しゅるりと解いてきた。衣擦れの音で緊張感が増してくる。胸元を暴かれ、顕わになった肌へと、彼の唇が柔らかく吸い付いてきた。

 しばらく経つと、彼にとんでもないことを言われる。


「姫様……俺の肌に跡を残してほしい」


「……イクシオン将軍、それは魔力を吸うのに全く関係がないのでは……」


 ぱっと視線をそらした。だが、彼に頬を包まれ、すぐに前を向かされる。


「俺の方を見てください、姫様。貴女の何が俺に関与するかは分からないでしょう?」


「それはそうかもしれませんが……」


 コートの隙間からのぞく前開きのシャツ。そのはだけた場所から覗く、彼の鎖骨に心を奪われてしまった。


(イクシオンは妙な色香を昔から放っていたから……)


 私はごくりと唾を飲み込んだ後、思い切って彼の首筋付近に吸い付いた。

 けれども、うまいこと跡は残らない。


「難しい……です」


 反応がないので見上げると、イクシオンは真っ赤になって固まっていた。

 女性慣れしているはずの彼から、そんな風に恥ずかしがられるとは思っていなくて、私は当惑してしまう。


「まさか……本当にしてもらえるとは思ってなくて……」


「え? そうだったのですか……?」


 真に受けて実行してしまった……!

 途端に恥ずかしさが増す。

 二人して顔を真っ赤にして、しばらく経った。

 話をそらしたくて、話題を思い切って転換する。


「将軍、そういえば、リンダさんはどんな容姿なのでしょうか?」


「ん? リンダのですか? そうだな、ポムウルフのシオンに似てるかな?」


「え?」


 ……そう言えば、以前、「姫様はポムウルフに似ているから嫌いではない」とかなんとか言っていなかったか?


(もしかして、シオンは女性には誰に対しても「ポムウルフに似ている」と口説いているの?)


 なんだか胸の内がもやもやする。


「そうだな、金色で柔らかいところも似ているか」


 ……金色で柔らかい。

 イクシオンはどうやらリンダに触ったことがある雰囲気である。


「あ、姫様、良かったら、続きを……」


 なんだか嬉しそうに続きをせがんでくるイクシオンが、チャラチャラした青年に見えてきた。

 それに、横になっていると、馬車の揺れで段々気持ちも悪くなってくる。

 私は片手で彼の胸板をそっと押し返した。


「……もう魔力は戻ってきたので、結構です」


「姫様?」


「退けていただいて構わないでしょうか? 気持ちが悪いので……」


 ……馬車の揺れが、ひどくなる前にも前を向かなければ……

 イクシオンは何も喋らなくなった。力なく身体を退けたかと思うと、何かを呟きはじめた。


「気持ちが悪い、気持ちが悪い……俺のことが……」


 表情がどんよりして見えるが、どうしたのだろうか?


 ちょうど、その時。


 ガタンッ。


「きゃっ……!」


 車体が大きく揺れ、馬車が急停車した。


「姫様は中に」


 イクシオンは表情を引き締め直すと、扉を開けて御者へと尋ねる。


「一体全体、どうした!?」


「そ、それが、野生の魔獣が道を塞いでおりまして!」


「野生の魔獣だと……!?」


 愛玩用ではない魔獣が、人家の間に現れることはほとんどない。

 なぜならば、基本的に街の周りや花壇には、野生の魔獣が嫌がる香りを放つ花々が植えられたりしているからだ。


(どうして魔獣が?)


 扉から外に向かうイクシオンの背を、邪魔にならないような位置で私は見送ると、そっと馬車の窓から外を覗く。

 なんと……!

 魔獣が人を咥え、イクシオンの屋敷の門扉の前にたたずんでいるではないか――!


「あれは、ポムウルフの成獣?」


 黄金の毛並みが美しい巨大な狼が、金髪の愛らしい女性を口に食んでいるように見える。ポムウルフの成獣は大きく、大人二人分ほどの大きさだ。

 外に出たイクシオンが叫ぶ。



「リンダ!」


 

 彼の声ではっとなる。


(あの、大人ポムウルフに食べられそうになっている女性が、リンダさん!?)


「リンダ、どうしたんだ? なんで、屋敷まで来てるんだ? それよりも、どうなっている!?」


 イクシオンの声が上ずる。

 切望するような声音だ。

 あれだけ異性としては何もないと話していたのに……

 イクシオンとリンダさんとの親しさがひしひしと伝わってきた。


「リンダ!」


 声に気づいた魔獣が、こちらを悠然と振り向いてくる。

 金髪の女性の身体をゆっくりと地面に降ろす。

 風を斬るように駆けてきたかと思いきや、イクシオンへと飛び掛かった!


「イクシオン将軍!」


 思わず私は悲鳴を上げた。

 一瞬の出来事だった。

 魔獣は大きな口を開くと、彼の頭を丸のみしそうな勢いで咥えこんだ。

 否、頭がまるごと食べられた。

 あまりに衝撃的な光景に、悲鳴を上げることも出来ない。


「シオンっ……!」


 助けないといけない……!

 私はもつれる脚で、彼の元へと向かう。


「シオンを離しなさい、ポムウルフ!」


 大人ポムウルフにしがみつこうとした、その時。

 イクシオンの両手が動いて、大人ポムウルフの顎をがしりと掴んだ。


「シオン……!」


 大人ポムウルフの顎を開く。

 そうして……

 魔獣の唾液にべったりと汚れたイクシオンが顔を出した。



「お前は! なんでこういう過激な挨拶しか出来ないんだよ!」



 気でも触れたのか?

 まさか魔獣である大人ポムウルフに向かってイクシオンが叫んだ。

 私が唖然としていると、再び大人ポムウルフが彼に飛び掛かろうとしている。

 その瞬間、イクシオンが衝撃的な言葉を紡いだ――!



「いい加減にしろ!! リンダ!!」



 ――リンダ?


 寝転がっている女性の名前を、どうして魔獣に向かって放ったのだろうか?

 私が混乱していると、しゃがれた女性の声が突如聴こえる。



「そなたに隙がないかどうか試しているのだよ、イクシオン」



(ん? 空耳?)


 だがしかし……どう考えても魔獣が喋ったような気が……したのだが……?


(普通の魔獣は、喋らないのが普通で……?)


 普通っていったい何なんだろう?

 黄金の獣がこちらへと悠然と振り向く。


「イクシオン、(わらわ)の説明を怠っているのではないか? 月光姫はどうやら困惑しているように見える」


 彼女?の言う通りだ。

 私の頭の中は疑問符でいっぱいになっている。

 ひとまず疑問を口にしてみることにした。


「だってリンダさんは、そちらに倒れている女性では?」

 

 私は地面に倒れた金髪女性へと視線を移した。


「ところで、あの女性は誰だ? リンダ」


 イクシオンの問いかけにリンダと呼ばれるポムウルフが答えた。


「ああ、あの金髪の女か。あれはお前に言い寄ろうとするふりをした悪党よ。警吏に突き出してやろうと思ってな。お前のことだ、気を持たせたかして下手な振り方をして、相手を逆上させたのだろう」


「言われてみれば、いつだったかの侯爵令嬢か……それにしたって、リンダ。姫様の前で変なこと言うなよな。俺は誰かに気を持たせたことはないし、下手な振り方だってしていない。正直な気持ちを伝えただけだ」


「左様か。だが、真実や正論は人を傷つけることもあるのだよ」


「釈然としないが……まあ、助かったよ、リンダ」


 平然と魔獣と会話するイクシオン。


(確かにシオンは「リンダと恋人同士はあり得ない、知り合いの女性からシオン君を預かっている」って言っていて……女性のポムウルフだけど……普通は魔獣は喋らなくて……?)


 だが、どう贔屓目に見ても、イクシオンがリンダと呼んでいるのは魔獣で……



「え、え、え――――――!?」



 周囲に私の叫び声が響いた。




※※※




 金髪女性を警吏に引き渡した後、イクシオンと私は、リンダさんと向き合っていた。

 そう、ポムウルフの成獣である彼女こそが、イクシオンの話すリンダで間違いはない。

 ちなみに、リンダは幼獣ポムウルフのシオン君をごろごろと甘やかしている。

 どうやらリンダとシオンは母子のようだった。


「幼獣時代に徳を積み過ぎたリンダは、喋る魔獣になったんだ」


「徳を積み過ぎたら、喋るのですか……?」


「左様だ」


 どうにも信じ難い話だったが、目の前に実際に存在するのだから、事実なのだろう。

 御者は新入りだったので、リンダのことを知らなかったそうだ。

 そもそも人々が驚くから、普段は道路には出てこないらしい。

 イクシオンがさりげなく私に解説してくれた。


「戦場で助けられて以来、リンダとは仲が良いんですよ」


「なるほど?」


 疑問符が語尾についた。

 リンダがハアっと溜息を吐く。


「月光姫のその反応、本当に何も話していないのですね、イクシオン。どうせ、そなたのことだから、姫を迎えに行ったことで浮かれて、たいして自身の身体のことにについても説明さえしていないと見受けられる」


 イクシオンはバツが悪そうにしている。


「再会して急に色々伝えても、姫様も驚くだろうと思って……」


 やれやれと言った様子で、魔獣はぼやいた。


「それにも驚いたが、(わらわ)が陛下から聞かされて愕然としたのは、そなたが姫を愛妾にしたことだよ。まさか、そこまで愚かだとは思ってもみなかった。お前のことは普通の人間とは違うと評価していたが、どうやら思い込みだったようだ」


 リンダの辛辣な言葉に、イクシオンが視線をそらした。


「それはさておきイクシオンよ、自身の体質に関してはしっかり説明せねば、姫様にも関わる可能性が高いのだ。そなたは新月になると発作が起こり、満月になると異様に昂ぶる。だが、月の満ち欠けに関係なく、最近では身体が鱗に覆われはじめている」


 ――新月と満月。


 ――最近、鱗に覆われはじめた。


 イクシオンが唇を尖らせる。


「ちゃんと自分から言うつもりだよ」


「なら良い。しっかり自分の口で色々なことを伝えるのだよ、イクシオン。体質だけではない、愛妾の件についても。お前が成長するためにも必要なことだ」


 すると、魔獣はくるりと踵を返す。


「シオンのことを預かってもらって助かった。時間は有限だ。後悔はしないようにな。では」


 そうして、ポムウルフのシオン君を連れたリンダは、近くの木に向かって駆けると、樹々を乗り移りながら姿を消したのだった。




※※※




 屋敷に戻ると、気づけば夕方を過ぎていた。

 夕食や湯浴みを済ませた後、寝室の続き間でイクシオンと二人で先ほどの一件について話す。


「リンダさんがポムウルフだなんて、思ってもみませんでした」


「いや、俺もリンダと言えばポムウルフだという先入観があったものだから、説明を怠ったのが良くなかった」


「だって、女性だって言うから、その……」


「ちゃんと女性扱いしないと怒るんですよ、リンダは」


 げんなりしているイクシオンに、私は問いかける。


「イクシオン将軍、腕を見せていただけますか?」


 すると、イクシオンが申し訳なさそうな顔をしながら、腕をめくって見せてくれた。


「気持ち悪くないでしょうか? 貴女がそばにいるようになって、進行が落ち着いてはいるのですが……」


「そうなのですか?」


「はい」


 イクシオンが頷くと、私も力強く頷き返した。


「気になさらなくて大丈夫です。陛下も体質と言っていましたし、時々、貴方の腕に見えていたので……」


 そっと彼の前腕を見る。


「鱗というか、鱗のような痣ですね、赤紫色の」


 イクシオンが愕然とした表情を浮かべていた。


「ラフィーネ姫がそばにいるようになってから、鱗が段々と消失しつつあったが……それでも朝はまだ触ると硬かったのに……もう痣になっているなんて……」


「じゃあ、私がそばにいるのが良いのでしょうか? それとも、例えば、私の持つ癒しの魔術が影響しているのだったら、かけた方が良いのかもしれませんが……」


「ああ、しかし、生命力や魔術を俺に分けすぎて、俺がまた満月の日みたいになっても困るでしょう?」


「それは……そうですけれど、でも早めに完治する方法を見つけた方が……」


「ああ!! それは大丈夫です!!」


 突然、イクシオンが声を上げる。


「どうしてですか? 早く治した方が……」


「だって! 完治したら、貴女は俺のそばから離れるんでしょう?」


「はい、そのつもりですが……」


「だったら、今のところ症状は落ち着いているので、早めに完治させなくても平気ですから! じゃあ、このままここにいたら、変なことをしそうなので、俺は去ります! では!」


 勢いよく言いたいことだけ叫ぶと、イクシオンはその場を立ち去ろうとする。


「……シオン!」


 私は思わず彼の服の袖を掴んだ。


「私がそばにいた方が、貴方の進行が落ち着くのなら……近くで眠ってくださって構いませんから」


 思いがけず大胆なことを告げてしまったと自分でも思う。


(私はいったい何を言って……)


 自分自身の振る舞いに当惑する。

 イクシオンはといえば……


「……っ……」


 硬直したまま赤面していた。

 私は相手の顔を見ることができない。


「そもそも、だって、この部屋は貴方の寝室なのでしょう?」


 イクシオンが正気に返った様子で告げてくる。


「ああ、それはそうなんですが……そうなると、俺は違う意味でまずいというか……」


「違う意味、ですか?」


 見上げると、彼は真っ赤になる。


「そうそう、そうなんですよ! 色々とまずいんです!」


「そうですか、ごめんなさい、おかしなことを言って」


 私がしゅんと落ち込んでいると、イクシオンがフォローをはじめる。


「ええっと、姫様、俺としては嬉しいんですよ? 嬉しいんですけど……」


「気になさらないでください、それでは、また明日」


 私が踵を返そうとすると、彼から手首を掴まれた。


「分かりました! 俺も覚悟を決めました! しばらく休暇なので、徹夜を数日する覚悟は決めましたから! そんなに落ち込まないでください」


「あ、あの……きゃっ……!」


 すると、彼に横抱きに抱えられ、寝室のベッドに運ばれた。


(そんなに落ち込んでいたかしら?)


 私は壊れ物のようにそっとシーツの上に横たえられると、隣でイクシオンが背を向けて寝転がる。


「ポムウルフを数えるから、うるさくて早朝に覚醒するのも覚悟しておいてくださいね。じゃあ、おやすみなさい」


 それだけ話すと、彼は何も喋らなくなる。


(……シオン)


 今日も色々なことがあって疲労が強かった。

 いつの間にか、瞼がとろりと重くなる。

 彼の背にそっと手を添わせた。


「ありがとうございます、イクシオン将軍」


 特に何も返事はない。


 まだまだイクシオンの問題解決の糸口は掴めないものの、なんだか幸せな気持ちのまま、その日は眠りにつくことが出来た。


 ところが、この毎日近くで眠るようになったことで、新たな問題が浮上してしまうとは考えてもいなかった。


(自分もだが、主にイクシオン側に)


 そうして、新月の夜近くに城の舞踏会に向かった際に、二人の関係が思いがけず進展してしまうのだった。



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