第五章 触れ合う指先、重なる吐息
誠の献身的な態度は、梨沙の心の氷を急速に溶かしていった。
特に夫・哲也からの無神経な連絡は、梨沙の心を誠へと強く傾けた。
週末、哲也からの電話を受けた梨沙は、電話を切った後、まるで凍りついたマネキンのようにキッチンに立ち尽くしていた。
哲也は、海の医療費や介護費用について、すべて梨沙の責任であるかのように罵倒したのだ。
「梨沙」
背後からそっと誠が近づいた。
「大丈夫だよ。哲也の言葉なんて、気にしなくていい。海のことも、母さんのことも、お前が十分頑張ってる。俺は全部見てるよ」
誠は、梨沙の震える体を優しく抱き寄せた。
十五年前の、自分の衝動をぶつけるような抱擁ではない。
梨沙のすべてを受け止め、彼女の痛みを和らげようとする、静かで深い愛情に満ちたものだった。
その日を境に、二人の間の距離は、急速に縮まった。
夜、子供たちが寝静まった後の二人の時間は、この家の中で唯一の、禁断の聖域となった。
ある夜。
リビングで、誠がリモート会議の資料を読み込み、梨沙が古いアルバムをめくっている。
ソファは十分な広さがあるのに、いつの間にか二人は、互いの太ももが触れ合うほどの近さに座っていた。
「お兄ちゃん、この写真。覚えてる?中学の時、お兄ちゃんが大会で優勝した日」
梨沙は、指差した。
その時、誠は、まるで吸い寄せられるように、顔を寄せて写真を覗き込んだ。
梨沙の肩に、彼の柔らかな髪が触れる。
互いの吐息が、わずかに混ざり合うほどの距離。
梨沙のまとうシャンプーと、誠の体に馴染んだ男らしい香りが、頭の中で混ざり合った。
「ああ、覚えてる。あの時、お前が一番大きな声で応援してくれたんだよな」
誠が、低い声で囁く。
梨沙は、顔を上げ、彼の視線と絡み合った。
互いの瞳に映る自分。
時間の流れが止まり、部屋の空気は粘度を増していくようだった。
誠は、写真から目を離さず、ゆっくりと手を伸ばし、梨沙の指先に触れた。
そのまま、絡めるようにして指を絡ませる。
「梨沙…」
誠が、ゆっくりと顔を近づける。
梨沙は、何も言えなかった。
ただ、本能的に、ゆっくりと目を閉じた。
唇が触れ合った瞬間、稲妻のような衝撃が走った。
それは、十五年前の罪を重ねるような激情ではなく、長い空白の後にようやく巡り合えたかのような、安堵と渇望を混ぜ合わせた熱だった。
キスは、一瞬で深く、貪るようなものに変わっていった。
誠の舌が梨沙の口内に滑り込み、彼女のすべての言葉を、感情を、熱を、奪い取ろうとする。
梨沙は、呼吸を忘れるほどに、その熱に応じた。
彼の首に腕を回し、その強靭な背中の筋肉を、指先で掻きむしる。
誠は、そのキスを止めることなく、ゆっくりと梨沙を抱きかかえ、ソファへと押し倒した。
梨沙のブラウスの薄い生地の上から、誠の指が肌を求めるように撫でる。
「梨沙、いいのか…?もう、引き返せないぞ」
誠が、かすれた声で尋ねた。
その問いは、十五年前の「大丈夫だよ、誰にも言わない」という、自己中心的な囁きとは全く違う、彼女の意思を尊重する、真摯な確認だった。
梨沙は、乱れた呼吸を整えるのも忘れ、誠の顔を見つめた。
「怖くない、お兄ちゃん。私、もう逃げたくない…」
その言葉が、誠の理性を完全に打ち破った。
誠は、愛おしさに満ちた瞳で梨沙を見つめながら、彼女のブラウスのボタンを、一つ一つ、丁寧に外していく。
焦ってはいない。
まるで、長年探し求めた宝物を、ようやく手に入れるかのように、その行為を慈しむ。
ボタンがすべて外され、下着越しに露わになった柔らかな肌に、誠は熱い吐息を吹きかけた。
「…綺麗だ。本当に綺麗だよ、梨沙」
誠は、その言葉とともに、彼女の喉元から胸元へと、熱いキスを落としていった。
梨沙は、甘い陶酔に身をよじらせ、ソファに沈み込む。
「んん…っ、お兄、ちゃん…だめ…っ」
その「だめ」は、拒絶の言葉ではなかった。
快楽の絶頂で、自らの理性が崩壊していくことへの、甘い悲鳴だった。
誠の手が、膨らみを覆うものを外し、梨沙のすべてを解放する。
雪のように白い肌が、リビングの間接照明に照らされ、輝く。
誠は、言葉を失ったかのように、その美しい光景を見つめた後、祈るようにその胸に顔を埋めた。
梨沙の全身は、官能的な震えに支配されていた。
誠の熱い舌が、彼女の秘められた場所を優しく弄ぶ。
指先が、肌のすべての毛穴を刺激し、全身の血潮が、頭の先へと昇っていくのを感じた。
しかし、二人の熱情が、最後の一線に到達しようとしたその時。
誠の手が、梨沙の太ももの内側を撫で、もうこれ以上は隠しきれないという場所に触れた瞬間だった。
梨沙の目に、再びあの夜の、無力な自分の姿がフラッシュバックした。
「いやっ、だめっ…!お兄ちゃん!」
梨沙は、全身の力を振り絞って、誠の体を突き放した。
誠は、すぐに動きを止め、乱れた息を整えながら、不安げに梨沙を見つめた。
「ごめん…っ、ごめんなさい、お兄ちゃん。私…やっぱり、まだ…」
梨沙は、震える手で乱れた服を元に戻そうとするが、手が震えて上手くいかない。
「わかってる。大丈夫だよ、梨沙。俺が悪かった。焦らせたね」
誠は、静かに梨沙の隣に座り、何も言わずに、震える彼女の体を、ただ優しく抱きしめた。
十五年前とは違う、強制力のない、受け入れる抱擁。
「…俺は、あの時の俺じゃない。力で梨沙をどうにかしたいなんて、二度と思わない。ただ、お前を、愛しいと思っている。それだけなんだ」
誠の優しい言葉が、梨沙の耳に、心に響く。
梨沙は、彼の言葉を信じた。
そして、信じたからこそ、自分がまだ、過去の亡霊に囚われていることを、痛感した。
「…ごめんなさい。私、お兄ちゃんのせいじゃないの。私の、問題なの…」
「わかってる。だから、急がなくていい。いつか、梨沙が心から望んでくれるまで、俺は何度でも、ここで待っているよ」
誠は、そう言って梨沙の頬に、静かで清らかなキスを落とした。
そのキスは、兄の優しさであり、男の誓いでもあった。




