第5話 岩をくり抜いて、最高の露天風呂を作ろう
辺境生活、三日目。衣食住の環境は劇的に改善された。
フカフカのベッドがある。美味しいご飯がある。雨風をしのげる家がある。
しかし、私には一つだけ、どうしても我慢できないことがあった。
「……入りたい」
朝、作業着に着替えながら、私はボソリと呟いた。
「お風呂に、入りたい……ッ!!」
そうなのだ。
日本人のDNAを持つ私にとって、二日もお風呂に入れないのは拷問に等しい。
身体を拭くだけでは取れない、この作業後のベタベタ感。さっぱりしたい。湯船に浸かって「ふあぁ〜」と脱力したい!
「よし、今日の目標は決定ね」
私は拳を握りしめ、リビングへ向かった。
***
「風呂、か。確かに俺も汗を流したいとは思っていた」
朝食の席で提案すると、アレクセイも強く同意してくれた。
彼は毎日、剣の修行だと言って朝から走り込んでいるし、私以上に汗をかいているはずだ。
「ですが、浴槽がありません。木で作るには時間がかかりますし、水漏れ防止の加工も大変で……」
「なら、岩はどうだ?」
アレクセイが窓の外、庭の隅にある巨岩を指差した。
かつて庭園の飾り石だったのか、大人が三人くらい入れそうな巨大な花崗岩だ。
「あれをくり抜けば、立派な石風呂になるんじゃないか?」
「ええっ? 確かに石なら保温性も高くて最高ですけど……あんな硬い岩、どうやってくり抜くんですか? 私の魔法でも、巨大な石の形を変えるのは魔力消費が激しくて、一日がかりになっちゃいますよ」
私の【創造】は万能だけど、質量と密度が高いものほど魔力を食う。あんな巨岩を加工したら、気絶してしまう。
「ふっ、俺に任せろ」
アレクセイは不敵に笑い、パンを口に放り込むと、剣を持って庭に出た。
私も慌てて後を追う。
彼は巨岩の前に立つと、スゥッと息を吸い込み、構えた。
纏う空気が変わる。
ビリビリとした圧力が肌を刺す。ただの傭兵の気迫じゃない。
「――『穿ち』」
一言、短く呟いた瞬間。
彼の剣が閃いた――ようには見えなかった。
ただ、残像が見えるほどの高速の突きが、無数に岩へ放たれたのだ。
ズガガガガガッ!!
轟音と共に、硬い花崗岩の中央部分が、まるで砂のように砕け散った。
土煙が晴れると、そこには――。
「……嘘でしょ」
見事なまでに中身がくり抜かれ、滑らかな曲線を描く「浴槽」が完成していた。
「縁の厚みはこれくらいでいいか? あまり薄くすると割れるからな」
涼しい顔で剣を納めるアレクセイ。
私は開いた口が塞がらなかった。
「あ、アレクセイさん……人間辞めてます?」
「失礼な。これでも力加減には苦労したんだぞ。砕きすぎると底が抜けるからな」
力加減の問題ではない気がするけれど、突っ込んだら負けだ。
とにかく、これでハードウェア(浴槽)は手に入った。
あとはソフトウェア(給湯システム)だ!
***
私の出番はここからだ。
まず、くり抜かれた岩の内側を【創造】で整える。
表面をガラス質に変化させてツルツルにし、肌触りを良くする。背もたれになる絶妙なカーブもつけた。
次は、お湯だ。毎日薪で沸かすのは大変すぎる。ここは魔法の力に頼ろう。
私は川で拾ってきた「赤色の魔石(小)」を取り出した。
この辺りの川底には、微弱な魔力を帯びた石が転がっている。これ単体では火はつかないけれど、回路を組めば熱源になる。
「銅板を加工して……パイプを作って……循環式にして……」
私は浴槽の横に、石を組んで小さな竈のような装置を作った。 中に魔石を敷き詰め、水を通す銅のパイプを螺旋状に配置する。
魔力を流すと魔石が発熱し、パイプを通る水がお湯になって浴槽に吐き出される――名付けて『魔力式・瞬間湯沸かし器』だ!
「よし、接続完了!」
最後に、アレクセイに頼んで川から引いてきた竹の樋を繋ぐ。
コックをひねると、冷たい川の水が装置に流れ込み――。
ボッ、と魔石が赤く輝く。
数秒後。
ジョボボボボ……。
パイプの出口から、湯気立つお湯が勢いよく噴き出した!
「成功ーーーッ!!」
「おおっ! 水が湯に変わった!? マリエル、君は魔導具師の才能もあるのか?」
「えへへ、DIYの基本ですよ!」
みるみるうちに石風呂にお湯が溜まっていく。森の緑に囲まれた庭に、真っ白な湯気が立ち上る。
硫黄の匂いこそしないけれど、ハーブを入れれば立派な薬湯になるだろう。
「さあ、まずはマリエルが入るといい。俺は周りで見張っているから」
「えっ、い、いいんですか? じゃあ……お言葉に甘えて!」
私は大急ぎで脱衣所(という名の衝立)の裏へ駆け込んだ。
***
チャポン……。
お湯に浸かった瞬間、魂が抜けるような声が出た。
「はぁぁ〜〜〜……生き返るぅ……」
適温のお湯が、冷えた手足の先まで染み渡る。
背中を預けた石の感触も、ツルツルに加工したおかげで完璧だ。
見上げれば、青い空と揺れる木漏れ日。
鳥のさえずりと、川のせせらぎ。
(……何これ、天国?)
王都の屋敷にあった猫足のバスタブも豪華だったけれど、開放感という意味ではこの手作り露天風呂の圧勝だ。
「メアッ!」
バシャッ!
突然、白い塊が飛び込んできた。
「わっ、モコ!?」
モコも入りたかったらしく、お湯の中で犬かきならぬ羊かきをしている。
濡れると毛がペショッとなって一回り小さくなるのが面白い。
「ふふ、気持ちいいねぇ」
「メア〜(極楽〜)」
一人と一匹で、のんびりと湯浴みを満喫する。
衝立の向こうからは、アレクセイが薪を割る音がリズミカルに聞こえてくる。
なんだか、その音が心地いいBGMのように感じられた。
(追放された時はどうなるかと思ったけど……私、今、すっごく幸せかも)
お風呂の縁に腕を乗せ、私はぼんやりと考えた。
王宮での窮屈な生活。
常に完璧な令嬢であることを求められ、仮面を被り続けていた日々。
今は、泥だらけになっても誰にも怒られない。
好きなものを作って、美味しいものを食べて、温かいお風呂に入れる。
そして何より――。
「マリエル、湯加減はどうだ? ぬるくないか?」
「大丈夫ですよー! 最高ですー!」
私の作ったものを、心から「すごい」と認めてくれる人がいる。
それがこんなに嬉しいことだなんて、知らなかった。
***
お風呂上がり。
私は手持ちの果物と牛乳(モコのお乳……ではなく、森にいた野牛から少し頂いたもの)を混ぜて、特製のフルーツ牛乳を作った。
「っぷはぁっ!」
腰に手を当てて飲み干す。これぞお風呂上がりの作法だ。
続いて入ったアレクセイも、茹でダコのように赤くなって上がってきた。
「……驚いた。ただ湯に浸かるだけで、これほど疲れが取れるとは」
濡れた髪をタオルで拭きながら、彼は感嘆のため息をついた。
湯上がりのイケメンというのは、破壊力が凄まじい。色気がダダ漏れである。直視できない。
「でしょう? これからは毎日入れますよ」
「ああ、楽しみが増えたな。……ありがとう、マリエル」
彼は私の隣に座り、冷えたフルーツ牛乳をごくりと飲んだ。
「うまいッ! なんだこの甘くて濃厚な飲み物は!」
「ふふ、気に入ってもらえて何よりです」
夕暮れの風が、火照った頬に心地いい。
こうして、念願の「露天風呂作り」は大成功。
アストラの廃屋は、着々と「快適なリゾート」へと進化しつつあった。




