28
「ただいま……」
「お帰りなさいませお嬢様」
パーティーの日は王城に泊まり、翌日実家に帰ってきた。
勿論迷って渋々である。
というのも、実家の馬車はエナを送り届けてすぐ帰った為、王家の馬車で帰ることとなったのだ。
行き先を寮などと言えようか、言えるわけがない。
怪訝に思われるのが目に見えている。
送ってもらうとなると、当然ながら本邸の正面入口から堂々と馬車を乗り付けることになり、エナは選択肢を与えられることはなく、半ば強制的に本邸に足を踏み入れることとなったのだ。
(実家に帰るとしても、離れとか、奥様に見つからないようこっそり帰りたかったのに……)
侍女には意外にも手厚く向かい入れられ、自室で艶々で可愛い色合いのお菓子や、しっかりとした麦芽のような味わいのストレートティーをいただいた。
なんだかんだ最近のエナはいいものを食すようになり、(この味はブレックファスト? いやアイリッシュの方か)などと貴族のお嬢様らしい思考でお茶の時間を楽しんでいた。
コンコン
窓を叩く音に視線をやると、黒猫が器用に前足で窓を叩く様子が瞳に映る。
「ナナリ!」
駆け寄って開けてやると、しなやかに部屋に着地する。
全身を震い雨粒を落とすので床に飛び散る。
話しかけそうになったエナはすんでの所で侍女の存在を思い出しチラリと侍女を視やる。
侍女のいる手前、猫型から変わることは出来ず、会話もできない。
なんで王城に来なかったのか、今まで大丈夫だったのか、色々気になりエナはヤキモキする。
出ていくよう言おうと思ったが、エナが何か言う前に、猫を見た侍女が慌てて退室したのでその必要もなくなった。
(気がきく方だなあ)
「ナナリ今までどこにいたの?」
前足を器用に舐めているナナリに問いかける。
「別に。適当にその辺にいたよ。結界のギリギリ」
「結界?」
一瞬舐めるのをピタリと止めたナナリだったが、また再開する。
「あ、あーその、なんか王城は警備の面でかな? 招かれた人しか入れないように結界があるっぽい。多分エナの付き人は侍女一名で登録されてたんじゃねーかな」
「そうなんだ。私が言ったらもう一名入れてもらえたと思うけど? 私今回のパーティーの準主役だったわけだし。ナナリがいなくて死にそうだった〜」
「無理でしょ。婚約者のお付きが異性って多分変だと思うよ。そのせいで跳ね除けれれたんだよきっと」
護衛の騎士や馬車の御者が男性の可能性は十分にあり、異性でもなんだおかしなことはないのだが、ナナリはいけしゃあしゃあと言葉を紡ぐ。
「とにかく俺は王城入れないっぽい。王家の人間には、エナのそばに異性の、しかもスーパーイケメンの俺様がいること隠していくから、誰にも入れるよう交渉しなくていいからな」
「そうだね。わかった」
「誰か来るぜ」
コンコン
「エナ様、旦那様がお呼びでございます。恐れ入りますが、書斎までご移動お願いいたします」
何事だと、ナナリとお互い顔を見合わせる。
長い廊下。
書斎までの道のりは実際長いのだろうが、行きたくない場所だからか余計に長く感じた。
天気も悪い為薄暗く冷たい印象を受ける。
何となく黙っていたくなかったのでエナは、腕に抱えられているナナリを見下ろして、遠慮がちに小声で話しかけた。
「ナナリ、本邸の奥様見た?」
王家の馬車で帰ったのでかなり目立ったというのに本邸の奥様は出てこなかった。
殿下に挨拶くらいすると思っていたのでエナは不審に感じていたのだ。
「——見たぜ」
ナナリは首を無理やりエナの方に曲げこちらを見る。
口角をニタァと聞こえてきそうなくらいゆっくりあげ、瞳を爛々と輝かせて、エナの問いを肯定した。
あまりにも不気味な笑顔に若干引きつつもエナは会話を続ける。
「み、見たんだ。見つからなかった?」
「そもそもこっちが見つけに行ったんだよ」
何故そんなことをしたのかと尋ねたかったが、書斎に到着し、人もいた為口を閉ざす。
「エナ。早く座りなさい」
「あ、はい」
侯爵は、エナの腕に抱かれた黒猫に眉を顰めたが、構わず座るよう進めた。
窓の外で雷が光った。
「セレナは死んだ。この前死体で発見された。世間には病死と公表しようと思う」
要所だけ淡々と、単刀直入に告げられる。
「え?そんな……」
エナは両手を口元へやり、漏れ出る声を抑えるような仕草で驚く。
半年も行方不明なのだ。
大体は想像できたことだろうに、純粋に驚いて顔を歪めるその姿は、侯爵には興味深く写った。
芝居じみたその仕草と表情は、正解の反応を正しく反映しているだけのようで、白々しい。
「はあ……妻も心を病んでしまっていて部屋から出られない状態だ。エナ、君は元気そうで何よりだよ」
(あの奥様が!?)
エナは侯爵の皮肉には目もくれず、奥様のことを考える。
一度も見かけないのはそう言うことだったのか。
エナをいじめ倒したあの奥様も最愛の娘を失っては正気を保っていられないらしい。
侯爵も額に手を当てて仕切りにため息をついており、明らかにやつれている。
元気なのはエナだけである。
「婚約発表したばかりで喪に服すことになり申し訳ないが、元々結婚は卒業してからの予定だから問題ない。お前は家のことは気にせず、抜かりなく殿下に尽くすように」
「あ、はい。分かりました」
「婚約パーティーの次の日で縁起が悪いが、明日には葬式をする。取り合えず今日は下がりなさい」
侯爵はもう話は終わったとばかりに、席を立ちタバコに火を付ける。
エナも特に話もないので退出した。
侯爵は窓際で庭を見下ろしながら、「どうしてこうなったかな……」と呟く。
窓の外には、太陽に髪を煌かせ、飛び跳ねるセレナの姿と、側のガーデンテーブルでティーセットを広げ紅茶を飲む妻の姿があった。
馬車が近づき、自分が降りてくる。
セレナが走って自分の方へ向かう。
両の手を広げて待つ自分。
寸前で小石に躓き、転びそうになるセレナ。慌てて駆け寄る妻。
自分が素早く杖を出し、風魔術でセレナを包む。
羽のように高く舞い上がったセレナはきゃあきゃあと喜び、手を振る。
いつの間にか隣に寄り添った妻と共に空を見上げ、セレナに手を振り返す。
ゆっくりとセレナを降ろし、天使のように地上に舞い降りたセレナはそれはそれは可愛らしく美しい。
腕の中に飛び込んできたセレナを抱きしめる自分の顔は、もう久しく見ていない幸福そうな微笑みを携えていた。
突然ノックもなしにドアが開く。
「旦那様! 奥様が! 奥様が……」
この家を任せている初老の執事が今まで見たこともないような焦り顔で息を切らしている。
「どうした」
自分の声と分からなかった。
いつも通り声を出したつもりだったが、喉が閉まっている。
息が上手く吸えない。消えたタバコをいつまでも持っている手が震えている。
縋るように再度窓の外を見たが、薄暗い庭に、ポツンとガーデンテーブルがあるだけであった。
雷が再度落ちる。今度は近かった。
そんな自分の様子を見た、執事が息を呑み、言い淀んだのが分かる。
嫌な予感しかせず聞きたくなかったが、再度「どうした」と口を動かした。
「——奥様が飛び降りて……」
途中から聞こえなかった。強く床を蹴って駆け出した。妻の元へと。
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