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教師というものは学園の奴隷だ。
毎日研究と講義だけしていたらいいというわけでもなく、生徒指導、部活やサークル、保護者への対応、進路相談、生徒同士の揉め事の管理、いじめ問題、いじめ、いじめ、いじめ——
「はあ……全く勘弁してくれよ。何でいじめるんだよ。いじめられるんだよ。暇なのか!?」
そう嘆く彼は、魔術理論学科の准教授ザス・レオナードである。
一年生には、基本の実技を担当しているが、二年、三年、四年には、専門の古代魔術学を教えている。
中でもザスは、古代血統魔術を熱心に研究しており、特に、古代王朝の王族が継いできたという血統魔術に傾倒していた。
ボサボサに伸びた髪に髭。
目の下に濃い隈を作った彼は煙草を咥えながら、前期課程の成績をつけていた。
もはや流れ作業化している成績付けをしていると、どうしても頭の中に煩わしい問題が浮かんでくる。
エナ・サフィールのいじめ問題だ。
エナ・サフィールは大変優秀な生徒だが、なんとも弱々しく見ている人をイライラさせる才能があるとみえる。
実際それだけでいじめに発展するのは稀だが、彼女がいじめられている理由は、アルドルフ第二王子殿下に近づいたかららしい。
なんとも馬鹿馬鹿しい理由に、ザスはため息と共に煙を深く吐き出す。
女子のいじめというのはなかなか陰湿で、暴力を振るうとか、罵詈雑言を浴びせるとかではない。
例えば、まるでいないかのように無視をする。
話しかけたらそっけなくではあるが、答えはするので、あからさまでないのがいやらしい。
これがじわじわと心にくるのだ。
また、わざと移動教室の情報を隠して欠席させたり、レポートを提出BOXから抜き取ったりして、成績を下げるなどもある。
要するに、自分の評価を下げないために周りに分かりにくい、まあまあ手が込んだことをするのだ。
しかし、彼女は鈍感なようで、なんとも思っていなさそうなのがまた面白い。
成績の件も気づいているか怪しいものだ。
彼女がそんな態度な物だから、最近では直接暴言を吐くようになった。
おかげで教師が気づかないのがおかしな状況にされてしまったのだからたまったもんじゃない。
直接言いたいなら、もっとこいう、裏庭に呼び出して、とかやり方があるではないか。
堂々とやるな。
このままでは、なぜ気づけなかったのかと、後々指摘され責任問題になる。
そうなると、魔術理論科1学年の担当である自分の立場が危うい。
「お貴族のお嬢様方は俺と違って暇なんだろうなあ―俺はこんなにも忙しいのに」
灰皿にグリグリとタバコを押し付けながらブツブツと文句を言う。
ザスも貴族だったが、男爵家の次男のため今はなんの爵位もない。
いつかエーデル賞を受賞して爵位を貰うのが彼の夢でったが、日々の業務に忙殺されてすっかり研究も疎かになっていた。
「はいゴミ〜でもA判定。はいクソ〜! 忖度する俺もクソ!」
目の前には先日の魔術実技基礎演習の映像が魔道具によって映し出されている。
これを見ながらAからEまでの成績をつけるのだ。
ザスとて、明らかにEの生徒をAにはしないが、Bくらいの生徒なら家柄次第でAにしていた。
「生まれで努力せずになんでも手に入れられる連中クソすぎ」
爵位を持たない身で王都学園の准教授に上り詰めた彼だからこそ、生まれた環境がどれだけ重要が誰よりも理解していた。
ザスがもっと高位貴族の子息だったら軽々と教授になっていたことだろう。
魔術理論科の実技演習は全体的に大したことない。
理論を考える子達が集まるのだから、当たり前である。
それでも一学年時の実技演習は、基礎の意味で通常の魔術実技と変わらない内容をするようになっていて、二学年時から、魔法陣を使って複数人で行う魔術実験的要素のある理論科らしい内容に変わってくる。
だからA判定と言っても普通より少し上手に魔術が打てているレベルなのだが、今年の理論科には一人例外がいる。
「噂をすれば……ってやつじゃん」
次の映写対象は、エナ・サフィールだ。
激しい風がものすごい勢いで的にぶつかり、跡形もなくなっている。
へし折れるとかそんなレベルではなく、存在自体始めからなかったかのように木っ端微塵に吹き飛ばされているのだ。
「まあSかな。つーか、エナ・サフィール転科しろよ。絶対実技科だろこんなん。そしたら俺関係なくなるもん」
Sというのは通常つけることのない成績なのだが、特別に優秀な場合につけていいことになっている。
先ほどのゴミもAで、エナ・サフィールもAだとわけがわからなくなるから仕方がない。
「才能ありすぎだろ。家柄も強いし、将来有望すぎて、いじめられててもお釣りが来るぜ」
ザスは天井を見上げて、手を頭の後ろに組み椅子に寄りかかる。
もう一度目の前の画面を見ると、土魔術だったか迷うくらい地面が抉れていて辺りがめちゃくちゃになっていた。
「こんなんもう台風だろ。お手軽台風生産機。風で土混ぜれます」
独り言が多いザスは、わけのわからないあだ名をつけながら、エナ・サフィールの映像を巻き戻しもう一度見る。
理論科の教授らしく、ここまでの威力が出る理論を追求したくなったのだ。
「んー魔力回路自体が激太かつ、最短なんかな。魔力量もえげつなくて、常に魔術回路に魔力が満ちている状態になっていて——」
ふと、言葉が萎む。
瞬きも忘れて目の前の映像に釘付けになる。
ザスは挙動不審になりながら、もう一度巻き戻す。
口から空気を吸って吐くのを忘れる。
咥え煙草をしていたら確実に落としていただろう。
脳を高速で回転させ、半開きの口からやっと声を出す。
「は?」
旋風様とは言い得て妙で、彼女の魔術は渦巻き状に吹き上がった激しい風が特徴だ。
最初に言い出した人はかなりセンスがある。
まるで空気が回転しているかのように周囲を吹き荒らすのだ。
だが、今この風は——
(杖から出ていたか?)
すぐに砂埃に包まれてよく見えないが、エナ・サフィールの一メートル前方から生まれているように見える。
それどころかそもそも——
「魔力を感じない?」
魔力を感じ取るには、専門の知識と技術が必要になってくる。
魔術解析学と魔術鑑識学が必須だ。解析術式は意外と細かく、専門の者しか出来ない。
わざわざ解析術式を使わないと魔力を感じることはできないし、そんなことをするのは、検察か魔術の研究が好きな学者くらいなのでまだ誰も気づいていないが、エナ・サフィールの魔術は魔力の流れを感じない。
では、魔術じゃないならこの風はなんだというのか。
ザスはあらゆる可能性を考えひとしきり唸った後、
「まあ、映像転写機じゃ限界があるか。気のせいだろ」
という結論に達した。
魔術以外でこんな風を起こすことができるのは、台風か、それこそ幻の精霊魔法くらいしかないのだから。
「精霊魔法ねー」
夢物語のような仮説を立てるのは研究者の悪い癖である。
ザスは頭をリセットしようと、新しい煙草に火をつけた。