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バンッ!
講義の空き時間に、食堂でナナリと共に休んでいると、エナの机に思い切り両手が叩きつけられた。
目の前には見たことのない女子生徒達がいて、エナの周りはいつの間にか囲まれていた。
彼女達はエナを睨みつけていてどうやら友好的ではないらしい。
「あなたでしょ、アルドルフ殿下に近づいたってのは。やめてくれない?」
机を叩いた先頭の生徒を皮切りに、周りの生徒も口々に喋り出す。
要するに彼女達は、殿下のファンで、エナがデートをしたことを聞きつけて直接文句を言いにきたらしかったが、
コミュ障のエナは、知らない人と話すだけで緊張するというのに、いきなりの罵倒攻撃に、もはや何も反応出来ない。
エナが居るのは食堂と言っても、端っこであるし、昼を疾うに過ぎた時間帯の今、人気がほとんどなかった為、彼女達も言いたい放題で終わる気配がない。
彼女達に責められていることはショックだが、エナはそんなことで悲しむ前に気にしないといけないことがあった。
ナナリである。
休み時間なのだからエナはナナリと一緒にいる。
エナは軽く眠気がしていたので、人が来た事に気づかなかったが、ナナリはそうじゃない。
一緒に座ってダラダラしていたナナリだったが、気配を察知して、エナの近くに立って待機していたのだ。
忘れがちかもしれないが、ナナリは一応執事という体で学園にいるのである。
ナナリが立って待機している——
エナはその事実に気づいてからは、彼女達の話そっちのけで、冷や汗をかく。
目があったナナリは、当たり前だが怒っていた。
彼女達は基本理不尽なことを言っていたが、ナナリの視線に固まったエナに
「ちょっと聞いているのかしら!」
と言うのだけは至極真っ当であった。
聞いていないのだから。
「いや、えっと……あの、誰ですか?」
頓珍漢なエナの物言いはもはや芸術である。
先頭の彼女は額に青筋を立て苛立っていた。
「ジャスミン・フォーシム! あなた私のこと知らないの!?」
「は、はぁ……」
フォーシム家なら分かる。
エナと同じ侯爵位の家で確かフォーシム侯爵は環境大臣。
草魔術の家系で、長男は魔術省のエリート官僚。
それで娘の名前がジャスミンか、などとどうでも良い事が頭をよぎる。
いくら何でも環境大臣の娘まで勉強するわけないじゃないか、と思ったが、
他の女子生徒達が言うには、ジャスミンは学園で一二を争う美人として名を馳せているらしかった。
そう紹介されたジャスミンは先ほどまであんなに怒っていたのに、気分良さそうに照れている。
自分達で機嫌を直してくれて何よりだ。
ここぞとばかりにエナも言い訳を開始する。
「あの、殿下は、姉のセレナを気にかけて話しかけてくださっただけかと……姉と殿下は交流があったみたいですし……」
か細い声で大嘘をつくエナ。
「あーセレナ嬢ね。彼女は確かに殿下のお茶会にいたわね」
ジャスミンは納得したように頷く。
「セレナ嬢ご病気なんですって? 殿下お優しいから気になられるのも仕方がないかな」
セレナが病気というのは周知の事実になっているのかと少し驚く。
セレナは友人も多かっただろうから納得ではある。
「けれど彼女、本当にご病気なのかしら」
このままこの方向で誤魔化そうと考えていたエナは、鋭いジャスミンの言葉に息をつめる。
「サフィール家は急にご病気になったり全快したり。何かお有りなら国に報告なさることをお勧めするわ」
「な、何かとは?」
エナは唾を飲み込み、とりあえずその場凌ぎの質問をする。
こういう時は相手の出方を見るものだ。
まあ先手を切って場を崩すことが出来ないだけではあるが。
「例えば、まあ勿論これは机上の空論にすぎないですけれど——」
間を少し開けてジャスミンは口角を上げながらゆったりと話す。
「魔術の才能があると分かった、養子の次女の病気を長女に移したとか、ね」
予想の斜め上どころか真後ろの返答に声を出しそうになる。
なんとまあ想像力の豊かなことか。
そんな噂が立ってしまってはたまらない。
このままでは事実よりも大ごとになりかねずエナは困惑していた。
言っていいのだろうか。
本当はエナの病気は仮病で、セレナはなんらかの事故に巻き込まれて行方不明になっており、調査が終わるまでの便宜上、病気ということになっていることを。
ジャスミンに流し目で顔を見られる。
顔に出さない社交術は持ち合わせていなかった。
「正直貴方の方がサフィール家にとって価値のある人間でしょうからね。顔と性格が取り柄のそこそこ魔術のできる長女よりも」
コンプレックスであったセレナに勝ったことに喜びたくなるがグッと我慢し、
「ないですそんな便利な魔術」
とジャスミンの仮説を否定する。
ジャスミンは喜びを滲ませたエナを気色の悪いものを見るような目で言外に非難するが、エナには勿論エナには表情を読み取って心情を察る力はない。
鈍感は特である。
ジャスミンは、エナが貴族の子女としてなんの読み合いも牽制も出来ないことを悟り、より一層強い視線で睨みつける。
「貴方、話にならないわね。侯爵も貴方なんかに禁忌魔術の存在を教える訳ないわね。時間の無駄だったわ」
感情ダダ漏れの隠すことも出来ないエナなんかに、という意味である。
「でもそうね、推察に過ぎない以上私はこう伝えないといけないわ。セレナ嬢にお大事にとお伝えくださいと」
「あ、はあ、ありがとうございます」
エナの返答にジャスミンは更にイラつく。
周りの令嬢達もエナを口々に非難した。
「再度お伝えするけれど、殿下には近づかないで。まあ、貴方なんか相手にされないでしょうけど」
彼女達は、学園のアイドルであるジャスミンを差し置いて、地味で魔術以外はなんの才能もないエナが相手にされるわけがないと結論付けて去っていった。
ナナリの視線を感じ、冷や汗が流れる。
「エナ遅い」
「ご、ごめん。でも仕方ないじゃない、先輩だし……」
ナナリが気だるげに椅子を蹴飛ばし、大股で座る。
ナナリの視線から逃げたくて、エナは口を開いた。
「病気を移したなんて突然言われて驚いた……できる訳ないじゃないの……」
「んーいやできるけど。身代わりの魔術。
てか女っていつの時代もああなのね。こえーよ。エナめっちゃ嫌われてんじゃん」
さらっと気になること言われたが、嫌われていると改めて言われ、思考を全て持っていかれるくらい落ち込むエナ。
思い返してみれば今日登校してからずっと知らない人からの視線が突き刺さっていた気がする。
旋風様に向けられる羨望の眼差しとは違う、粘着質で力強い意志のある視線——
みんな殿下が好きなのだ。殿下に近づく女を許さないという結託した雰囲気がある。
婚約者ということがバレたらただではすまないだろう。
それこそ殺されそうなくらい恐ろしい目に——
(あれ? 姉の事件は殿下の婚約者だったからでは?)
突如降って沸いた思考。
セレナが事件にあったのは婚約が決まってすぐのこと。
そして事件後、しっかり婚約の話は白紙に戻った。
(もしそうだとしたら、内定段階の内密な時期にそれを知っているくらいの立場の人物が犯人?)
「ねえ、ナナリ」
「あ?」
エナは口を震わせてき気づいてしまった事実を口にする。
「セレナお嬢様が襲われたのって……殿下の婚約者になったことで妬まれたからじゃないの……?」
そう考えたら何もかも納得がいく。
侯爵の手紙でも、エナにくれぐれも気をつけるようにと書いてあったじゃないか。
侯爵は事件について何か掴んでいて、セレナに続いてエナが狙われる可能性がある事を知っていたとしたら——
警備が完璧な学園内だと言うのに、アンジェがあんなにエナを心配していたのはそういうことらしい。
「ふ、なるほどな〜エナは天才だなぁ」
ナナリは機嫌がすっかり直ったようで、鼻で笑って首を傾げエナを見つめてくる。
「うん。そうに違いない。いや〜恐れいった」
ナナリはしきりに頷いていて納得いった様子だった。
「私も狙われるんじゃ……」
「大丈夫。エナは大丈夫だよ。絶対に何もないし、あっても俺が守るからね」
ナナリがやけに自信満々に言う。
ナナリがそこまで言うなら大丈夫だろうが、周りには絶対に婚約者ということは隠し通そうと誓ったエナであった。