10
ダンジョン実習当日。
班は先生が実力が均等になるように決めてくれていた。
自分たちで班を作るはめにならなくてエナは安堵する。
各学科何人かずつで一つの班を作っており、理論学科からは二名ずつ選出されていた。
エナと同じ班になったのは、いつぞやの授業でお隣さんであった、マリア・リオッド令嬢だった。
彼女は誰とでも仲良くできる体質なのか、エナにもほいほい話しかけてくるので、エナは同じ班になれて少し嬉しかった。
「ねぇ! 凄いラッキーじゃない!?」
先程からマリアはテンションが高いが、断じてエナと同じ班になって喜んでいる訳では無い。
エナと同じ班になって喜ぶ要素があるとしたら、エナが風魔術の名家、サフィール家の次女である点だろうか。
勝手に優秀な風魔術の使い手だと勘違いし喜ぶ人はいるかもしれない。
「殿下がこんなにお近くにいらっしゃるなんて!」
そう、エナは殿下と同じ班になってしまったのだ。
基本的にエナは精霊の寄り付かない人は避けているというのに、こうなってしまっては避けようがない。
執事もどきのナナリは流石に授業には付いてこなれない為、エナの苦痛とは裏腹にお気楽なものだった。
殿下のみ特別に護衛がつくようで、周りには数人の騎士や魔術師が控えていた。
もちろん手伝ってくれる訳ではなくあくまで見守るつもりのようだ。
今回は簡単なレベルのダンジョンの表層で、班ごとに先生が付いているとはいえ、ダンジョンに一国の王子を護衛もなしに行かせる訳にはいかないのだろう。
エナは、自身がへっぽこ魔術師ということが露呈することに恐怖感を抱いており、まだそれに対してなんの策もないままだった。
それだけで精一杯なのに、精霊に嫌われている殿下と同じ班なんて胃が痛い。
「はい!じゃあ一班から順に入ってって! 絶対に先生の指示に従うこと! ダンジョン何があるか分からないから気を抜くなよ!」
「「「はい!!!」」」
小洒落た杖なんぞ持っているがなんの役に立つのか、エナは皮肉めいた気持ちになりつつも
細かい石が煌めく銀製のステッキをしっかり握りしめ、ダンジョンへと足を進めた。
淡く光る鉱石の道。
赤、青、紫——
見る角度によって不思議と色を変えていく。
壁や天井も同じ素材で出来ており、その光が光源となり明るくなっていた。
(ダンジョン実習か〜懐かしいな〜)
護衛隊の一人、ゼストは学生達を眺め思い出に浸る。
ゼストは、この学園の卒業生で普段は王城の警備をしている警備兵だ。
そんな彼がなぜダンジョンに来ているかというと、
先日王城内で、ダンジョンでの殿下の護衛を募っていたので立候補し、見事にその座を勝ち取ったからだった。
王族の近衛騎士まで出世することを夢見ている彼にとって、今日は一日のみとはいえ近衛騎士になったかのようで最高の気分であった。
ゼストは実力は確かであるのだが、呑気な男で、近衛騎士になれたらなぁ〜という感じに緩いものだから、
出世争いに出遅れている面もある。
その証拠に、同期で魔術師のダンは、殿下の視界に入る位置を陣取っているのに、ゼストときたら、こんな最後尾で学生達を眺めのほほんとしているのだから。
ダンとは、王都学園時代からの腐れ縁で、同じ王城勤務。
そんな彼は、空間魔術に適性がある王国魔術師である。
空間魔術師というだけで重宝されるのに、出世欲も強い男であるから、
ゼストは、いづれダンが筆頭王国魔術師に上り詰めるのではないかと、密かに思っている。
一層にいるのはスライムなどの弱い魔物である。
前衛の生徒がほとんど倒してしまい、後衛の生徒から不満が上がるくらい余裕に、難なく倒していく。
(こりゃほんとに出る幕ないな。殿下見学会だな)
ゼストは剣に手も置かず、頭の後ろで組んでいる。
口笛を吹きそうになって、「おっと」と声を漏らし、寸止めする。
口笛を吹くとダンにいつものように注意されてしまう、と思い至り、
頭の後ろで組んだ手を解き、すまし顔をつくった。
『アホみたいなその口笛を今すぐやめろ』というダンの声が脳裏で綺麗に再生された。
そのくらい何度も言われたセリフなのだ。
いささか辛辣な物言いではないかとも思うが、ゼストは、勤務中、訓練中、剣を振りながら、模擬試合中でさえも、
口笛を吹くくらい癖になっており、ダンの物言いは至極最もなのである。
そしてゼストが凄いのは、口笛を吹きながらの試合にも余裕で勝ってしまうところなのだ。
生徒たちを眺めているうちに、あっという間に一層ボス部屋まで辿り着いた。
すぐにボス戦に入らず、先生がボス戦の注意事項などを述べていた。
生徒たちはな真面目に聞いていて感心する。
流石は王都学園の生徒、しかも殿下と同じ班に組まれる子たちだ、と納得した。
あまりに暇だったので、ゼストはダンに話しかける。
「おいダン」
「なんだ?」
「覚えてる? 俺とお前同じ班だったじゃん? 懐かしいよな〜」
「無駄話なら聞かないよ」
真面目なダンはゼストを厳しい目でチラッと見てすぐに視線を殿下に戻した。
ダンの冷たい反応には慣れっこで、ゼストはわざとらしく拗ねた顔を作り、大人しく口を噤んだ。
一層のボス戦もすんなり終わり、二層、三層もあっけなく進んだ。
現在は四層ボス部屋で、生徒たちはボスである狼型の魔物についてレクチャーを受けた後、
ドアを開けて広場までの道を歩いていた。
護衛隊ももちろん着いていく。
殿下自身がそこそこ動けるため危うい場面もなく、本当に見ているだけだった。
若手でも護衛に選ばれるわけだ。
そう、ほとんどの護衛兵は気を抜いていた。
生徒ですら気を抜いていた者もいるだろう。
「おい、ダン」
「なに?話しかけないで」
「いや……なんか……そうじゃ、なくて」
「え、なに? どうした?」
いつもと違う様子のゼストに、ダンも真面目に聞き返す。
ゼスト自身もなにが言いたいのか上手く分からないので言葉がまとまらない。
四層のボス部屋に続く道はこんな色だっただろうか?
こんなに長かっただろうか?
そんな細かな違和感と漠然とした不安。
喉がカラカラに乾いて目はキョロキョロと忙しなく動く。
ゼスト手が無意識に剣へ伸びる様をダンの目が捉えた。
「なんか——」
(おかしくないか?)
その言葉は声になることなく、見えてきたモンスターを見てゼストは息を飲んだ。
瞬きを忘れ心臓が激しく脈を打つ。
「しゃー! 行くぞー!」
姿を現したモンスターを前に、両手剣を持った学生と盾持ちの学生が勢いよく走り出す。
経験の足りない学生たちは圧倒的な実力差に気がつかない。
「っ馬鹿か、それは狼じゃないだろう!!ちょっと待て!!」
教師が声を張り上げたが遅い。
「チッ、ダン強化かけろ!!」
「言われなくとも!!」
二人は同時に走り出す。
しかし遅かった。
近づいてくる少年たちに気づいたモンスターはその巨体をゆっくり起こし立ち上がり、
のそりと気だるげに前足を振った。
見えない斬撃が飛び、少年たちは一瞬で細切れになり血飛沫が飛ぶ。
「え?」
「キ、キャアァァァ!」
女子生徒の甲高い悲鳴が木霊したのを皮切りに、他の生徒達も口々に騒ぎ、逃げ出そうとするも、
恐怖でまともに動けない。
本来、学生でも軽く倒せる狼型のボスがいるはずのそこに悠々と鎮座したそれは、
ありえないくらい巨大な黒き鹿型のモンスター。
二本の角は白蝶貝のような神秘的な輝きを放ち、蹄は鋭く尖っている。
全体的に黒い為、白の角が異様に目立って見えた。
黒鹿の瞳は異様な力を感じる魔法石だ。
よく見ると全身に黒い魔法石が敷き詰まっている。
ほとんどの者が圧倒的な威圧を受けまともに動けない中、第二王子の近衛騎士団長が指示を出す。
「実習は中止だ! 魔術師は殿下をお守りしろ! 騎士は私と共にボスを引きつけろ!
教師殿は生徒を出口へ誘導! その後順次撤退! 急げ!」
護衛達は弾かれたように動き出す。
生徒達も出口へとおぼつかない足取で逃げていく。
順次撤退——それが何を意味するのか。
討伐ではなく撤退を選ぶということの意味——
団長が一瞬でそう判断するのには理由があった。
彼はアレに見覚えがあるのだ。
アレは本来このダンジョンの最深部、九十五層のボス。
団長も直接見たわけではなく、書籍での知識に過ぎないが、勤勉な彼は直ぐに理解出来てしまった。
勝てる相手ではないと——
今いるのは、普段は王宮の守衛をしている兵士や、雑用ばかりで暇している魔術師たち。
近衛騎士は団長のみ。
上手いこと撤退しなければ命はない。
いち早く出口へたどり着いた生徒が蒼白な面立ちで言葉を絞り出す。
「嘘だろ……開かない」
蚊の鳴くように細い声だったが、緊迫状態のボス部屋にしっかりと響わたった。
——ボスを倒さないと開かないドアがあると聞いたことがある。
繰り返すが今いるのは団長と有志の若い兵士たちで、生還は絶望的。
その日、誰もが、ダンジョンでは何があるか分からないという当たり前の教えを思い出した。