47 決着
カリスは顔色を悪くして王宮から帰ってきた。疲れ切った顔をしていて、あれ? 初めてのなんとかな雰囲気がないのですけれど。などと余計なことを考えてしまったことが恥ずかしい。その煩悩は頭の外に捨てた。
王の命令があり、それを聞いただけでエヴリーヌの疲労も濃くなったからだ。
「それから、オールソン侯爵を召喚して仔細を確認し終えて、騒動の所在を明らかにしたが、事故として扱うことになった。実害が出たので責任は取らせるそうだが、ノールズ男爵は咎めはなし。自身が病になって、治療が間に合わずに目が見えにくくなったそうだから」
呪いの後遺症ならば、治療はできるはずだが、都の聖女では無理なのかもしれない。エヴリーヌやアティであれば、もしくは総神殿の聖女でも、何人かは治療できるだろう。
しかし、カリスは首を振る。王が治療は必要ないと判断したのだ。
誘いにのったら、それが罠だった。それをノールズ男爵に言ってもだが、完全に目が見えないわけではないからと、事件の罪の落とし所として、治療をさせないという結果に至ったようだ。相手が侯爵令嬢ということもあって、侯爵家をたてたのかもしれない。貴族の身分差は、王でもどうにもならない。
「これで、終わりだと思いたいな」
「町に近づいていた魔物もいなくなったみたいだしね。不浄には寄ってきやすいとは言うけれど、一人の人の思いがここまでになるものなのかって、改めて思うわ」
夫に近づく女を追いやったら、多くを呪うほど恨んで死んだ。なんとも後味が悪い話だ。
(私が悪いとは思わないけれど、愛する人だと思ったのに別人に体を預けてしまったとなったら、自分がどんなことを考えるのか想像できないわ)
隣でカリスが疲れた顔をして、ソファーにもたれる。
「エヴリーヌ、すまない」
「仕方がないわ。今日はお疲れ様。ゆっくり休んで」
エヴリーヌはカリスの頭をなでてやる。
帰ってきてずっと、カリスは暗い顔をしている。エヴリーヌのせいで気を揉んでばかりで、逆に申し訳なくなる。
(まあ、想定済みよ。面倒なのは間違いないけれど)
帰ってきてすぐ、カリスがエヴリーヌに頭を下げるものだから、何事かと思えば、王からの命令でエヴリーヌに、大聖女の称号を与えることになった。とは。
「君はそういったことは好きではないから、なんとか断ろうとしたんだが」
髪と目の色をそのままにしろと言われた時から、その覚悟はしていたが、称号を与えてくるとは。アティとの想像通りだった。
「仕方ないわ。カリスが神殿を管理することになって、そうなるんじゃないかってアティとも話していたんだけれど、やっぱりそうなったわね」
病を消した聖女として、町中で有名になってしまったのだ。王もなにか与えなければと考えて当然かもしれない。あとでビセンテに聞いたが、町を囲うほどの結界だったため、皆が空を見上げた。なにが起きているかわかっていなかったのに、空のモヤが晴れた時、誰かが聖女の力だと口にしたおかげで、歓喜の声が上がったとかなんとか。
それは人々の口の端に上がり、とうとうエヴリーヌという名前まで続いてしまった。病が消えたことにより、喜びの声はさらに広がった。
皆の声を聞いているわけではないので、今のところ噂しかしらない。
王から直々に大聖女の称号をもらえるようで、その催しがあるというところに寒気がするが。
二人してぐったりする。カリスに至っては公爵の仕事とはまた別の仕事を王から任されているのだから、疲労があって当然。結婚してからなにかと動いている。
(旅行の時も私に付き添ってくれたものね)
なんだかんだ言って、エヴリーヌはカリスに頼りきりだ。助けてもらってばかりで、これからエヴリーヌがカリスにできることはなにがあるのか、考えてしまう。
(公爵家のことを手伝わなきゃでしょ? まずはそこよ)
聖女の仕事もあるが、それはカリスも似たようなもの。神殿のことがあるのだから、忙しいなどと言っていられない。社交界にも率先して出ていかなければならない。避けていた問題が今ここで山積みになるとは。
「エヴリーヌ、あの」
「なあに?」
「手を」
カリスが頬を染めて、言いにくそうに髪の毛に触れている手を指す。それを見てはっとした。考え事をしながらカリスをなでまわしていた。ソファーにもたれているので少しだけ低くなった頭を、まるで動物たちをなでるように、こねくりまわしていた。
「あ、違うのよ。間違っても鹿たちと一緒にしたわけでは」
急いで手を外すが、カリスの機嫌を悪くさせてしまったかもしれない。公爵ともあろう人の頭を、こねまくるとは。
狼や鹿たちと違って、触り心地が良く柔らかい毛だったので、ついなでまわしてしまっただけだ。
怒っているだろうか。ちらりと横目で見ようとすれば、なんとも言えない表情をしながら、鹿たち……。と呟く。
「初めて会った時も、動物たちをなでていたな」
「そうだった? 一緒にいたからなでていたかもね」
それと一緒にされて嫌な気分だろうか。鹿はまずかっただろうか。狼がよかったか? 自然の動物たちは毛が硬いので、なでるとざらついた毛並みであるため、カリスの髪とは違うのだ。羊や山羊とも違うし、なんなら毛並みの良い犬。いや、猫? それとも違う気がする。
「私も髪に触れていいだろうか?」
「髪? どうぞ、どうぞ」
言いつつも。髪の毛綺麗かしら。などと考えてしまう。触れても柔らかみもないので、ありがたくもないと思うのだが。
くるくると指に絡めて、カリスはその髪を愛おしそうに見つめて、そっと口づけた。
その仕草だけで、急激に顔に熱がこもった。毛をなでまくるエヴリーヌとはまったく違う触れ方だったからだ。
コバルトブルーの瞳がエヴリーヌを捉えて離さない。近寄ったカリスの吐息が頬に触れた。
「く、くすぐったい」
「あ、嫌だったか!?」
「い、嫌では、ないけれど!」
お互いびくついて見つめあって、つい吹き出す。初心者すぎて、ぎこちなくて、最初はどうすればいいのかと迷っているのがおかしかった。一度近づけば慣れるようなのに、一歩目がなかなか踏み出せない。
だからこそ、安心する。
ヘルナといたカリスはまったくの別人だとわかるから。
「最初は、なんてやつって思ったのよ」
「うっ」
「でも、一緒に過ごすうちに、いい人なんだろうなって。少しずつ一緒にいるのが落ち着いて、もう少し一緒にいられたらなって思い始めていたの」
だから、今では感謝するわ。この結婚に。
最後まで言う前に、カリスが口づけた。一度見つめあって、お互いの想いを確認するように、深く口づけた。
うなじに触れる手も、頬に触れる唇も、カリスでなければ受け入れられなかったかもしれない。
何度も繰り返される愛撫が顔から首、胸へと下がるにつれて恥ずかしさが増したけれど、触れられるところが熱くなり、重なる肌に震えそうになってもその温もりに安堵した。
「愛している、エヴリーヌ」
「私もよ、カリス」
カリスに身を委ねて、愛されるということを初めて知ったのだ。