42 追跡
「娘を死んだことにするなんてね。オールソン侯爵もさすがじゃないか?」
ヘルナ・オールソン侯爵令嬢の葬式が行われると耳にして、シモンは鼻で笑うしかなかった。
侯爵にしては初動が遅かったように思えるが、病に伏せっていたのかもしれない。そのせいで、処理が遅れたのだろう。
それにしても、証拠隠滅を図るとは、さすがというところだろうか。もう死んだことにして、関わりがないと示したいのだ。
(娘の死体は見つかっていないのに)
神殿に一人の女がやってきて、突然訪れたことに、許しを乞うた。病にかかって恋人の騎士が死にそうだから助けてほしい。と願いながら。
女はオールソン侯爵家のメイドで、ヘルナのせいで騎士が倒れたと言う。
ヘルナはパーティで男と密会をし、子供を孕んだ。それが父親のオールソン侯爵の耳に入り、問題になった。
ヘルナは相手の男はカリスだと言い張る。その一点張りにオールソン侯爵はあり得ないと返した。言い合いの結果、ヘルナは部屋に閉じ込められた。
それで改心しなかったか、結局オールソン侯爵はヘルナを修道院送りにすることに決めた。
しかし道途中、ヘルナが脱走してしまう。
ヘルナは馬車で運ばれた。町を出て森を走る中、体調が悪いと馬車を停めさせた。そして降りた後、行方がわからなくなった。
オールソン侯爵はヘルナを探させたが見つからない。町を出た沼の側でヘルナの靴を見つけて、沼に飛び込んだのではないかと推測されたが、事実はわからなかった。オールソン侯爵はなんとしてでもヘルナを探し出せと怒鳴っていたが、その後、屋敷に恐怖が訪れる。
ある日、人のようなモノが、メイドを襲い、騎士を襲った。それが、ヘルナのようだったと、メイドは証言した。
それを口にしてしまったのか、メイドはオールソン侯爵家を追い出された。そのため、病になった騎士を助けてくれと神殿に助けを求めてきたのだ。オールソン侯爵家では、助けてもらえないからと。
「それで、獣の群れは町の端へ移動してるって?」
犯人がヘルナだろうがなんでもいい。
ヘルナがカリスとの子供を孕んで恨んで死んだと噂されるだけで十分だ。カリスは広まった噂の責任を取らなければならなくなるだろう。本当にヘルナが病の原因だとしても、どうせ生きてはいない。ただの令嬢に病をはやらせる力はない。ましてや呪いなど。
怨霊になって病を振りまいているならば、止めを刺さなければならない。これ以上病がはやれば、矛先が聖女たちにいくからだ。聖女が無能だと囁かれるのはかまないが、エヴリーヌを貶めるような噂はたってはならない。
ならば、病の媒体となっている、小動物の群れは消しておくべきだ。
町では小動物が群れで走る姿が何度か目撃されていた。その小動物が群がっていると、その場所に住む者たちが病に罹る。死人も出て、原因は動物のせいではないかとも噂された。しかし、その動きは普通ではなく、なにかに操られているかのようだった。
怨霊にでも操られているのか、小動物たちはあちこちを移動する。今や町全体に病がはやってもおかしくない。
病は急速に拡大していた。町の外には魔物が現れて、村の近くを移動した。ヘルナが落ちたという沼の側では、道を通る商人が魔物に襲われた。
これ以上の騒ぎの拡大は、エヴリーヌの名前に影を落とす。
「怨霊っていうのは、そこまで移動が可能なのか?」
「わかりません。相手を呪うほどの怨霊はいても、こんなに広範囲で病を発生させる怨霊など聞いたことがありません。田舎ではわかりませんが、町ではないので」
聖騎士の一人が言い訳がましく説明してくるが、お前が知らないだけだろうと言いたい。
エヴリーヌであれば、その説明もしてくれるだろう。しかし、
(エヴリーヌ聖女様、お怒りだった。離婚を望んでいるわけではなかったのか? カリスが望んでいるだけで、エヴリーヌ聖女様はその気ではなかったのか?)
考えるだけで虫唾が走る。エヴリーヌがカリスを愛しているなどと。
拳を握りしめて、怒りを抑えた。
ヘルナが馬鹿な証言をしてくれたのは助かる。本気でそう思っているのならば、相当に頭が悪い。事実を認識できず、思い込みだけで行動できる愚かな女だ。《《お前の相手は、カリスではなかったのに》》。
「それで狂って怨霊か、生き霊か」
「エングブロウ侯爵、あちらに移動しているようです」
「呪いの本体に戻るかもしれない。追って、病の元を探して確保しろ。見つけ次第、エヴリーヌ聖女様に不浄を消していただく」
迷っている暇はない。カリスを陥れられる機会はこれしかないのだから、カリスが真実を見つける前に片を付ける。
不浄が見える聖女を伴って、聖騎士と共に行動する。不浄を探すには苦労があったが、神殿にいれば情報が入りやすいので動きやすかった。
「おい。ここにもいないのか!?」
「申し訳ありません。森に逃げたのかもしれません」
聖女が指した方向には小動物はおらず、町から外れた森に続く道を提案する。
「生きているんだか、死んでいるんだか、よくもこの距離を移動するな」
ならばやはり死んでいるのか。生き霊は動く早さも違うのか。怨霊になればどこにでも移動しそうな気もするが。死んでいるからこそ、この移動距離なのだろうか。
聞きたいが、都の聖女や聖騎士たちは使えない。まともな管理もされてきていないので、知識も乏しい。神殿を守るだけの聖騎士と癒ししかしない聖女では、絶対的に経験が足りなかった。
ビセンテが使えれば良かったが、王に呼ばれて不在だった。都の聖騎士が弱すぎて、王へ報告に行ったのかもしれない。
王は使えるものは使い、使えないものはすぐに切り捨てる。神殿の管理が不行き届きであれば、あっという間にこの座を奪われるだろう。ビセンテを呼んだのはその布石と思いたくはないが、危機感は持っておいた方がいい。
「エングブロウ侯爵、不浄が移動しています!」
「追いかけるぞ!」
ネズミの群れが、下水を通って町の外への道を走っていく。茂みに入ってはどこにいくかわからなくなってしまう。町に出る前に本体が見付かればいいが、ネズミは速さを緩めることなくあばら屋の隙間をねって、草木の脇を走っていく。小道を通っていけば森になる。そこに本体が忍んでいればいいが、もっと遠くへ逃げるかもしれない。
聖騎士の後ろで馬に乗った聖女が指をさす。森の中が霧に囲まれていると。
ならばこの森にいるのだろうか。剣を抜いて、辺りを警戒しながら進んでいく。
「注意してください。なにか、大きなモノが」
なにが見えるのか、聖女が震え出した。魔力の塊ならば見えるが、不浄となれば話が違う。聖女にしか見えないわけではないのに、シモンの目にはただの黒い霧としか見えなかった。
「どこになにがいる! はっきり伝えろ!」
「目の前!」
聖女の大声に振り向いた瞬間、黒い塊が一斉にぶつかってきた。
「うあっ! なんだ!」
「ネズミだ!」
ネズミの大群が蜂の群れように飛びついてきた。体のあちこちにまとわりついて、その長い前歯で噛みついてくる。
「くそ、なんだ、こいつら!」
魔法を使い凍らせてやっても、どこからか他のネズミが飛び上がってくる。
追っていたのに気づかれていたのか。問うても声はない。ただの黒い塊たちが聖騎士たちを襲い、シモンの剣を包むように引っ付いてくる。
「この、」
次の魔法を放つ前に、ガクリと体が沈んだ。馬がひざまずこうとしてから、高らかに足を上げた。
「うわっ!」
馬がシモンを尻目にして逃げ去っていく。地面に落とされて体が痛んだ。それ以上に、体が重しにでもなったかのように重くなり、地面にひれ伏したまま身動きができなくなっていた。
急激に息がしにくくなり、頭が痛みだす。
「なんだ、これ、」
目の前も暗くなり、瞼が落ちてくる。
ネズミが目の前にいたが、身動きができない。ネズミが近づいて、巨大な魔物のように見えてきた。
「く、来るな。来るな!!」