41 気持ち
エヴリーヌはシモンの言葉が気になっていた。
時折見せる、シモンの冷ややかな笑み。カリスに対して、人が変わったような作った笑いを見せる。
その顔をして、カリスの失墜を望むような発言をする。それがとても自信ありげに見えて、なにかをしたのではないかという不安が、胸の中で膨らんだ。
「カリスは、どこへ行ったの?」
「王宮へ行かれました。王にお会いすると」
いつ帰ってくるか、わからない。エヴリーヌはカリスを待つのに落ち着かない気持ちのまま、部屋を行ったり来たりしていた。
カリスは王に呼ばれて王宮へ行った。シモンの言葉を思い出して、そのことで呼び出されているのだと考えずともわかった。
どうしてここまで不安になるのだろう。カリスがヘルナとどうこうなるとは思っていない。そんな心配はしていない。神殿で忍び込まれたことを心の傷としているカリスに、あり得ない相手だからだ。
けれど、アンの話を聞いたせいか、不安が増している。
ヘルナが原因で病がはやったとして、その責任をカリスが取る必要があるのか。シモンはあると思っている。ヘルナの証言があるからだ。それが虚偽だろうがなんだろうが、世間体を考えて離婚を押す自信がシモンにはあるのだろう。
「離婚したくない」
ぽそりと口から出た言葉に、なにに対して不安になっているのかわかった。
「そうよ。離婚なんて、したくないんだわ」
離婚して、カリスと離ればなれになりたくない。だから、こんなにも不安で、落ち着かないのだ。
契約は二年。それ以上に一緒にいたい。けれど、それ以下になるかもしれない。
「奥様、旦那様がお帰りです」
エヴリーヌは急いで出て、戻ってきたカリスを迎えた。
「カリス!」
自分の心の内を吐露して、カリスは目を見開いて、何度か瞬きをした。
こんなことで泣くつもりなどなかったのに、なぜか涙が流れてきた。
カリスに対する気持ちがよくわからないと思っていたのに、いざ離れることになるかもしれないとなれば、急に怖くなるなど。
「返事をしていなかったから、今返事をするわ。私は離婚はしたくない」
「エヴリーヌ、」
「ああ、ごめんなさい。泣くことなんてないのに。待っていたら、色々考えてしまって。だいたい、どうしてヘルナがあなたと、うぐっ、カリス??」
情緒不安定になって涙を流すなど恥ずかしい。そう思って涙を無造作に拭えば、カリスが上から被さるように抱きついてきた。
「離婚したくないならば、私のことを好きだと思って良いだろうか?」
「そ、ええと、そ、そう、ね」
「好きだけれど、愛なのかわからないと言ったが、離婚したくないというならば、好意的に受け取っても?」
「え、そう、ね」
「なら、口付けても?」
「えっ!?」
カリスは抱きついていた腕の力を抜いたが、離れることはなく、顔だけを向けた。
カリスのコバルトブルーの瞳に自分が映るほど近い。その目が離れることなく、エヴリーヌの答えを待っている。
熱が頭に上るように顔が熱くなってくる。じっと見つめたカリスの目から逃れることができず、小さく頷くと、その目がさらに近づいた。
微かな吐息が肌に触れ、唇にぬくもりがこもる。
ほんの少しの間だけ、軽く触れた程度でも、その温かさが唇に残った。
「もう一度、良いですか?」
「き、聞かないで!」
「だめ、ですか」
「そ、そうじゃなくて! 何度も聞かなくていいです。ふ、夫婦なんだから!」
言っていて恥ずかしくなってくる、顔を隠すように手で頬を隠したが、カリスがそれを許さなかった。
つかまれた腕が頬から離れると、もう一度ぬくもりが唇に広がった。カリスの吐息が、唇が、自分のそれに重なって、顔ばかりが熱くなってくる。愛しい者への愛撫に慣れぬまま、先ほどとは違った深い口付けに驚きながらも、エヴリーヌはただ静かに受け入れた。
「それで、ずっと私を待っていたのか?」
「ええ、はい、まあ」
「王に呼ばれてフレデリクとその話について話していたんだ。遅くなって悪かったな」
「いえ、お気になさらず。それよりも、どうして私はここに座っているの?」
「離したくないから」
長い口付けの後、落ち着いたと思ったら、カリスがソファーに座るように促した。促したのが、なぜか、
「膝は、ちょっと。膝でなくて良いと思うのよ」
「この方が落ち着くから」
(落ち着かないわよ!)
カリスはあろうことかエヴリーヌを自分の膝に乗せて、腰に手を回したまま離してくれない。おかげでどこに手を置いていいのかわからない。口付けからの次のスキンシップまでが早すぎて、エヴリーヌの心が追いつかないではないか。
(この人、元々甘々だったけど、恋人にはものすごい甘々なんじゃないの?)
離さぬまま、じっとこちらを見つめてくる。話しにくいったらありゃしない。
「断られるのではないかとずっと不安だったから。すごく嬉しいよ」
純粋無垢な笑顔を向けてくるが、手を離す気はないらしい。カリスはシモンがなにを言ったのか詳しく聞きたがった。腕はそのままで。
心頭滅却。この現状を直視してはいけない。
心を落ち着けて、話をするのだ。恥ずかしさに居心地が悪いが、冷静になって話をするしかない。
カリスが責任を取るということを明言していたことと、アンの話を伝えれば、カリスも調べていたこととわかっていることを教えてくれた。
「ヘルナが関わっている可能性は高いのね」
「そうだとして、呪いの原因になることはあるのか?」
「魔力を持っていて、黒魔法を学んでいたとしても、簡単には行えないわ。もし病の原因となるならば、恨みを持ってその力を増やし、自らによどみを持たせて人を呪うということはできるかもしれない」
愛する人を殺されたり、理不尽なことに対しての怒りなどで起きることはあるが、よほどの思いでなければ起こらない現象だ。
「ただ、その場合、本人が呪いに耐えきれなくなり、死んでしまい、そこから病が溢れるということになるから、場所を転々とすることはないのだけれど」
魔力を扱えて、黒魔法を学び、その力を使う意図があれば移動はできるだろう。だが、ヘルナにその力があるとは思えない。これを町中で行うには、命を使って生贄でも捧げるくらいは必要だ。
「老婆がヘルナに関連しているのだろうか。それとも老婆がヘルナだったのだろうか」
「ヘルナが原因だとすれば、どう移動したのか辿るしかないわ。呪いが病の原因だと考えて、原因を追求するならば、時系列で追うしかないかもしれない。最初から元を辿り、病を追っていくしかないわ」
「では、その両方を追うことにしよう」
もしもヘルナだとしたら。
そう考えて、言葉に出すのはやめた。
子供を身ごもっていても、まだ安定期に入っていないくらいだとして、もしも無理をしたとしたら、呪いの対価は?
おぞましい考えに、エヴリーヌは身震いした。