40−2 事実
「それで、修道院送りになったヘルナが脱走し、恨みつらみを吐き出すために町に戻ったと」
「フレデリクの言いたいこともわかるが、シモンはその線でヘルナを探している。カリス、お前と同じことを考えているのだから、ヘルナが犯人と考えて良いのだろう?」
「なんとも言えません。ただ、病のはやっている地区に、ヘルナらしき女性が一人でうろついていたという目撃情報はありました。オールソン侯爵家では門兵が襲われ、屋敷内に入り込んだモノ、人とはわからないモノが、メイドの首を絞め、メイドは病に。そのメイドはヘルナ専属のメイドでした。そのため、シモンはヘルナが犯人としているのかもしれません」
ヘルナは行方不明のまま。メイドを病にしたと言われれば、ヘルナが病の原因と考えられるが、証拠はない。オールソン侯爵と話ができないからだ。この件に関して侯爵は発言しておらず、再三の訪問を断られている。
この話は、オールソン侯爵家の庭師からの情報だ。オールソン侯爵家で病がはやり、恐ろしい思いをしたということを、公爵家の庭師に話したのがきっかけだった。
「ヘルナの腹の子の父親はわかっているのか?」
「それもわかっていません」
「ふむ。シモンはお前の妻を、大聖女として発表しろと言ってきた」
「なんですって?」
「あの男の望みは、お前と聖女を離婚させ、神殿で大聖女として崇めたいということだ。結婚したいと言わないあたり、そこまで狂ってはいないようだが、大聖女となった数年後には妻にする気だろう。さて、シモン・エングブロウは聖女エヴリーヌにどれだけ心酔しているのか。お前を陥れられるのならば、くだらんことでも利用するほど、聖女に狂っているようだ」
なにを馬鹿なことを。そう言いたいが、シモンはエヴリーヌを崇高している。執着に近い視線を向けるのは、神聖視しながら歪んだ愛を持っているからだ。
シモンは離婚の話を知っていた。その上で罪を着せ、必ず離婚するように仕向け、エヴリーヌを手に入れたいのだ。
「聖女の夫として、お前には落ち度があるとも言っていたが、聖女に何かしたのか?」
「そ、それは」
王の言葉に口ごもる。
「私が、誠実な対応をしなかったのは、間違いありません」
「お前が? あんなに後を追っていたのに?」
フレデリクは眉を傾げるが、それは自分の罪悪感から起こした行動だ。エヴリーヌのために役立ちたいと思いはじめていたが、それでも最初は自分の罪を軽くしようという邪な考えからにすぎない。
「ですが、彼女との離婚は望みません!」
「ふむ。では、お前が処理をしろ。シモンに遅れを取れば知ったことではない。ヘルナの相手を探し、公爵家に関わりのないことだと示すのだな」
「承知しました」
自分で蒔いた種だ。妻になってくれた女性を尊重する心を持っていなかった、自分の責任だった。
ヘルナが病の根源となったのならば、公爵家に来た老婆がヘルナの成れの果てだったのか。
(恨むのは私だけならまだしも、エヴリーヌは関係ないだろう)
エヴリーヌに危険を及ぼすものに、容赦などしない。早く、原因を突き止めなければならない。
「カリス!」
公爵家に戻れば、エヴリーヌが血相を変えて出迎えにきた。
「エヴリーヌ? なにかあったのか?」
「シモンに聞いたの。病の原因のせいで」
あの男。もうエヴリーヌに伝えたのか。そう頭によぎって、違うと言おうとすれば、エヴリーヌが腕をつかみ詰め寄ってきた。まさか、エヴリーヌはカリスが浮気をしたことを信じているのか? それぐらい勢いよくやってきたので、さっと胆が冷えた。
「エヴリーヌ、もしかして、あの話も聞いたのか!? 決して、そんな真似はしていない!」
「当然よ! そんな話信じていると思うの? ヘルナが、ああ、ちょっと、こっちへ」
ヘルナを孕ませたことなど信じていないと言われて、拍子抜けする。エヴリーヌは力強く引っ張っているようだったが、その力はあまりにか弱く、普段の聖女たる彼女の姿とは考えられないほどだ。急いでいるのはわかるが、その弱さと、自分を信じてくれていることに安堵して、後ろから抱きしめたくなってくる。
焦った心が急激に温かくなって、エヴリーヌの力に任せるようについていけば、部屋に入った途端、泣きそうな顔を向けてきた。
「エヴリーヌ、なにをそんな顔を」
「シモンが、病の原因を作った責任を取るために、私との離婚が早まると!」
そんな話、シモンの虚言だ。そんなこと、するわけがない。離婚をしないでほしいと願っているのに、どうしてそんなことになるのか。しかし、エヴリーヌの顔は真剣で、涙を浮かべそうな顔をしている。
「契約は二年でしょう? それよりも早く離婚する気なの!?」
「しない! 原因は、まだ確かではないが、ヘルナのせいであっても、どうして離婚を早める? 離婚をして責任を取るなどという理不尽な話はない!」
「でも、シモンが」
「私の話より、シモンの話を信じるのか?」
エヴリーヌの肩を押さえて言いやれば、エヴリーヌはやっとその勢いをやめて体の力を抜いた。
シモンの言葉を信じて、屋敷で待っていたのだろうか。急にしなだれたエヴリーヌの混乱した様子が珍しかった。その姿に期待を持って良いだろうか。
エヴリーヌは、離婚を早めたくないのだと、思って良いのだろうか。
「こうやって、聞きたがったということは、早い離婚を心配したのか?」
そうであれと願う前に、エヴリーヌは眉を垂らして顔を上げると、そうです。と呟いた。
「え、今、」
「そうよ。その話を聞いて、どうして、そんなことになるのかと。あなたがヘルナとなにかあったなんて信じないし、それで責任を取るなんておかしいでしょう? でもシモンは自信ありげにしていて、他に、なにか陥れられるようなことがあったのかと思ったのよ。病がはやった責任を取らせるようななにかを、押し付けられたのかと」
「エヴリーヌ、」
エヴリーヌの紅潮した頬に、一筋の雫が流れた。
「自分の気持ちは、よくわからなくて。カリスのことは嫌いではないし、好きだと思うけれど、それが愛なのかはっきりとわからなくて。でも、その話を聞いて思ったの、離れたくないって」
まさかという気持ちと、嬉しさが込み上げて、頭が真っ白になった。
ただ、エヴリーヌが頬に涙を流したまま見上げる顔があまりに美しく、その姿を呆然と見つめていた。