38−3 ビセンテ
「好きだ。だから、戻ってこいよ」
「ビセンテ、」
「なんで、俺じゃダメなんだよ。ずっと一緒だったのは、俺だったのに」
強く握られた手が熱い。熱い眼差しは避けることができないほど真剣だ。視線を逸らすことなどできない。
その視線を狭めるようにビセンテが近寄ってきて、エヴリーヌは顔を背けた。
ビセンテのことは好きだ。けれど、ビセンテと同じ気持ちの好きかはわからない。今、こうやって、ビセンテの想いを受け止められるような気持ちかと言われたら、
「ビセンテ、私は、」
「ーーーーっ、言わないでいいわ。お前が俺を意識していないくらい、ずっとわかってるから」
「わ、わからないのよ。そういう感情が! ビセンテのことは大好きだけれど、きっと私が考えている好きとは違うんでしょう?」
「違うよ。違う。だから、知ってた」
「大事な人よ。他に代わりなんていない」
「うん、知ってる」
言えば言うほど、ビセンテが顔を歪ませる。なんの補いにもならないと、自嘲するように笑った。
「あーあ。お前、他の奴らと公爵は違うんだって、気づいてるんじゃないのか? 特別なんだろう? お前が公爵領に走った時、そうじゃないかって、思ってた」
「ビセンテがいたって、走ってたわよ」
「そうだな、お前なら来てくれる。でも、違うだろ? あんな顔、見たことねえよ。公爵追いかけて、二人の世界作ってるの見たら、ああ、ダメなんだなあって思った。お前は誰でも大事にするから、そういうのは気づかないんだろうけど、全然違うんだよ。だから、あいつも焦ってんだろ」
ビセンテはもう姿のないシモンを見るように、廊下の先に顔を向けた。
「あっちの侯爵、あいつ気をつけろよ。いつも笑顔だけど、なにしてるかわからねえぞ。こんな神殿まで居座ってんだからな。俺の言うこと聞けよ?」
ビセンテがエヴリーヌの頬をつねる。痛みのない軽いつねりで、優しさを感じた。
素直に頷けば、ビセンテは緩やかに微笑む。優しい笑顔に抱きつけば、そういうところだぞ! と怒られた。
「一つだけ。お前の加護、くれるか?」
額に届くように、ビセンテは屈んで床に膝を突く。低くなったビセンテの頬に手を触れて、そっと額に口付けた。
「じゃあな」
「うん」
「また」
「うん。また」
友が背を向けて歩き出す。その背中をずっと追って、見送った。
「ビセンテ、大好きよ。……ごめんなさい」
「エヴリーヌ、なにかあったのか?」
神殿から戻り、屋敷に入ってカリスに会えば、開口一番それだった。
なにもないと首を振ったが、疑いの眼を向けてくる。
神殿での話をするわけにはいかない。ビセンテから告白を受け、カリスが好きなのだろうと、言われた、など。
頭が熱い。きっと顔も赤くなっている。ビセンテに言われた、特別なんだろう。と言う言葉が頭にこびりついて離れない。
「神殿で、エングブロウ侯爵に何かされたか!? 神殿への報告は私が行くべきだった」
「ええっ。ないわよ。なにも、ほんとうに。そ、それより、町に魔物が近づいているという話があるみたいで。子爵家以外にも何件かあったみたい。地図をもらったわ。男爵家では何人か亡くなったみたいで。治療が遅すぎたとか」
エヴリーヌはもらった地図と資料を広げる。カリスはなにか言いたげにしたが、地図を見つめて眉を寄せた。助かったと思いつつ、なにか気づいたことがあるように見えた。
「気になることでもある?」
「ほとんどが平民の住む地区で、貴族の屋敷の多い場所が二ヶ所。こちらがその男爵家のある地域。子爵家が近いな。そしてこちらは、侯爵家がある高級住宅街。随分離れた場所に飛び火している」
「こちらはヘルナ・オールソン侯爵令嬢のお屋敷よね」
「知っているのか?」
「いやー。あはは」
聖女たちと話している時に話題に出たとは言えない。この辺りがヘルナの住む屋敷があると聖女の一人がもらして、気まずい雰囲気になった。話はなんとなく聞いていると言えば、聖女たちが色々教えてくれたのだ。
公爵子息の部屋に入り込んだという事件。ヘルナは神殿に寄付という名目で、よく神殿内をうろついていた。当時管理していた貴族に賄賂でも渡していたのか、出入りが自由だったからだ。その時に、何度もカリスに近づいていた。その上、仮眠していたカリスの部屋に入り込んだという。
カリスは公爵家から通っていたが、宿直はあったらしい。夜から朝まで勤務し、昼前に一度休むそうだが、その時に忍び込まれたそうだ。それ以来、カリスは神殿で仮眠もしなくなった。
当時のヘルナは王太子との婚約話があった。そこでカリスに夜這いならぬ、昼這い? を行い、神殿では箝口令が敷かれた。うっかり聖女が話してしまっているので、公然の秘密なのだろう。
おそらく、女嫌いの極め付けとなった事件と思われる。
そうであろう、カリスが口を閉じたまま黙ってしまい、沈黙が続いた。
「すぐに、人を呼んだ、から」
「ああ、はい。別に何も疑ってないわよ」
同情する。純情で純粋なカリスに、よく襲いかかろうと思ったものだ。そうでもしなければならないほど相手にされていなかったのかもしれないが。
(それでよく私に喧嘩売ってきたわよね、あの人も。まだ未練があるというより、意地になってるんじゃない?)
「と、とにかく、こちらでも共通点がないか調べよう」
カリスは居心地悪そうにして、その話を締めくくると、逃げるように部屋を出ていく。
(カリスは優しいわ。最初からずっと。私も最初から特別に思っていたのかしら)
ソファーにもたれて、今日のことを思い出す。色々ありすぎて頭が熱くなって破裂しそうだ。中途半端なことをしている付けが、一気に来たような気がした。