5 貴族が嫌になった理由
「さすがに、ちょっときついわね」
「なにかおっしゃられました?」
「なんでもないわ。あの薬草をこちらに植えるから、持ってきてくれる?」
庭園の一画で、エヴリーヌは早速薬草を植えていた。カリスの命令で庭師たちが手伝ってくれるので、エヴリーヌは指示をするだけだ。自ら土に触れて植えようとすれば、カリスが手が汚れるからと庭師たちを呼んだのである。
これくらい、たいしたことではないのだが、メイドたちの視線を見るに、公爵夫人が自ら手掛けることではないのだろう。
カリスの言うことは聞いておいた方が良さそうだ。
アティが訪れてから数日。屋敷はアティの話で盛り上がっていた。一部の者たちがアティの方が良かったと口にするくらいには騒がしかったのだ。
アティと共に公爵家に嫁ぐことになり、比べられるとしても二人一緒にいる時くらいと思っていたが、甘かった。
(そりゃ、アティの方がいいでしょうよ。私もそう思うわ。公爵夫人なんて、私には似合わないくらいわかっているし)
二年の間我慢するだけ。使用人たちの言葉など気にする必要はないと思っていたが、いかんせん、耳に入ってくる。そればかりは気分が落ち込んだ。
王はなにを考えてアティとエヴリーヌを公爵子息に当てがったのだろう。アティの方が人気が高いことくらいわかっているはずなので、意図してカリスにエヴリーヌを選んだのだろうか。
貴族の話を神殿で聞くことがあっても、エヴリーヌはあえて避けていたので、貴族社会の問題はよくわからなかった。
(貴族名鑑でももらおうかしら。少しくらいは社交界に出た方がいいのかしらねえ)
公爵夫人となったからには社交界に出なければならない。しかし、契約が二年だからか、カリスはそれを強要しなかった。社交界を知らない妻など娶る予定はなかったのだから、学ばせることも考えていないかもしれない。とはいえ、エヴリーヌは名ばかりの子爵令嬢である。家庭教師の一人や二人を与えるべきと使用人たちは思っていないだろうか。
自分から頼んだ方が良いだろうか。それとも二年間社交界にも出ずに屋敷に引きこもっていようか。
「うーん。迷うわー」
「え、奥様!? 今、なにをされたんですか!?」
「うん? 栄養を与えただけよ?」
「栄養……。聖女様。奥様は本当に聖女様なんですね」
なにを今さら。庭師の男は三十代くらいだろうが、聖女が植物に生命力を与える姿を見たことがないらしい。他の庭師たちも集まって、聖女の所業を珍しそうにながめてきた。
植えた植物にはすぐ水を与えなければならないように、聖女の生命力を与えれば、水を与えるよりずっと早い成長を促せる。自然に反した力がかえって寿命を縮めることもあるので、適度な栄養を与えるだけになるが、水よりも効果があった。
手のひらの光をまじまじと見つめてくるが、これくらいは序の口の力なので、驚くほどではないだろう。
「聖女様が治療するのは貴族ばかりなので、見たことがないんです」
「都だとどうしても優先順位ができてしまうものね。私は地方で活動していたから、貴族の治療なんてほとんどしないわ。そこに住む、癒しを求める者たち誰でも対象よ」
「魔物がいる地方ならば、そうならざるを得ないんでしょうね」
そうでなくとも、目の前に治療が必要な相手がいれば、癒しくらいかけてやる。アティも都で目の前に弱きが現れれば、身分関係なく人々を助けるだろう。神殿に直接行くのでそんな偶然はないだろうが。
まるで、貴族しか癒さないんだろう? と言われているみたいで、気分は良くない。
(災害地に行ったら、選んでる暇なんてないわよ。怪我した者たちがあちこちで転がってるんだから)
魔物が出る場所は火山地帯が多く、湯治場があるため、そこで老人たちの話し相手もしていた。エヴリーヌの話し相手はいつも平民で、老人だけでなく子供たちもやってきて、賑やかだ。
「都の神殿で治療を受けたことはないの?」
「身分で順番待ちですから。俺たちのような平民には高い金も払わないといけませんし」
「そういえば、こちらではお金を取るんだったわね」
都の神殿は地方にある神殿に比べて小さめだ。地方の神殿は人々が魔物に襲われることを前提として作られたため、建物も大きく、力のある聖女が多い。都の神殿にいる聖女は魔物に特化した力を持つ聖女ではなく、ただ癒しだけを与える者ばかり。その人数も少ないので、地方の神殿と規律が違い、管理しているのも神殿長ではなく貴族だ。そのため、都の神殿では、金を払わせて癒しを行っていた。
平民に聖女の手が伸びないのは、王がその対処をしなかったからだ。
アティが呼ばれるのは、彼女たちに対処できない、大きな病を持つ者たち。そのうちアティの方が腕が良いとなって、身分の高い貴族はアティを指名した。
都でのアティの噂は良いものばかりだ。その噂をしているのは貴族だけではないと思うのだが。
貴族の屋敷でメイドたちなどは診ていただろうが、平民まで手が回らないのだろうか。金のある平民までに留まっているのだろうか。
庭師などの平民までは診ていないのかもしれない。
(神殿長も、都の神殿は管轄外で、聖女の質も悪いって言ってたものね)
都に住む平民は、聖女になれるほどの能力を持っていない、軽い癒しの力を持つ者に治療を頼むというのも聞いたことがある。
地方の神殿は都とは違い仕事が多い。魔物や魔物によって起きる疫病、災害。無惨に魔物にやられた怨霊が人を呪いにかけることもあった。それらに対処するのが神殿に所属する聖女と聖騎士だ。
地方の神殿は寄付金や魔物討伐の報酬でまかなわれた。聖騎士なども出して移動するため、お金がないと遠征できないのだ。依頼者が支払うことにより、神殿は生きながらえている。