37−2 子爵家
「メイドに風邪気味の者がいたとか、そういうのはなかったんだよ」
父親は母親が病気になった経緯を教えてくれた。
最近になって、急に母親が体調を崩した。世話をするメイドも同時期に体調を悪くする。そして二人の看病が続くと、他のメイドや騎士たちまで体調を崩していったのだ。
父親は無理をしていたのだろう。思った以上に体が弱っていたようだ。ソファーに座らせて、薬湯を渡す。
「お茶会とかでうつったとかはないの?」
「病がはやり始めていると聞いて、友達と交流はしていないよ。お茶会もしばらく行っていない。ここから近い、ノールズ男爵家が大変らしいんだ。それで、あまり出かけない方がいいだろうって言ってね」
近所でも病がはやっているため、母親は外に出ないようにしていたそうだ。外に出ても敷地内の庭園だけ。花を愛でる程度で、買い物に行ったりするわけではなかった。
「お母様のメイドは? 彼女は外に出たりは?」
「していないよ。いつも一緒だからね」
それならばどこで呪いを貰ったのだろう。あれは風邪とは違う。母親とメイドは同じ呪いにかかっており、そのせいで周囲に不浄が撒き散らされた。屋敷に漂う不浄は風邪などの悪いものを呼び込み、同じ空間にいる者たちは病などにかかる。
母親とメイドの近くにいなくとも、風邪気味な者たちは多かった。メイドもエヴリーヌが治療して、今は起き上がっている。メイドの方が若いので、母親よりも軽症だった。
「しばらく休んで。メイドたちにも聞いてみるわ」
父親は元気だと言うが、母親の呪いから不浄に触れていた時間が長い。気づかないうちに体が蝕まれていたのだから、治療をし終えても無理はしないでほしい。
「エヴリーヌ。少しいいか?」
「カリス。どうかした?」
「馬を確認させていたんだが、子爵家の御者が気になることを言っているんだ」
カリスに言われて馬房に行けば、御者が待っていた。
「先ほどの話をしてくれるか?」
「実は、数日前に馬が突然死にまして」
御者は馬房の馬が突然死したことについて話してくれた。馬車を引く馬で、病もないのに夜中に倒れて動けなくなった。原因はわかっていない。ただ、倒れた音に御者が気づいて馬房に入った時、それが妙な状況だったと言う。
「猫?」
「猫が、数匹。十匹はいなかったですが、かなりの数がいて、驚いたんです。それで、馬に集団で襲いかかったのが原因かと」
それは、まるで行きに襲いかかってきた獣のようではないか。馬には猫の引っかき傷や噛まれた痕があり、そのせいで病気でもうつされて死んだのではないかということだった。
「馬の死体は?」
「すでに処分してあるので、もう」
「そうよね。その猫たちはどこへ行ったの?」
「追い立てたらいなくなりました。朝になっても現れませんでしたし。ただ、メイドが猫に引っかかれたと言っていました」
「それは、もしかしてお母様付きのメイド?」
「そうです。軽く引っかかれただけだと聞きましたし、同じ猫かはわかりませんが」
御者の話と同じ猫ならば、その猫から呪いを受けたのはあり得た。
「小動物がいないか、確認させておこう」
カリスがすぐに騎士たちに命じる。猫の一匹くらい入り込むかもしれない。しかし、呪いの媒体になっているようならば、どこからやってきたのだろう。
「結界を張ったから、猫がいても浄化されて呪いは消えているけれど」
やはり病は呪いで増えているのかもしれない。その原因を、早く見つけなければならなかった。
「ごめんなさい。泊まることになってしまって」
「気にすることはない。心配だろうから」
「でも、カリスまで泊まることになって」
「帰りになにかあったら、嫌だからな」
行きに出会った、呪いのかかった動物たち。あれに関しては報告が必要だ。神殿に伝えは出したが、のちに詳細を伝えにいった方がいいだろう。聖女として対処することが増えるかもしれない。都の神殿の管轄になるので、まずは都の聖女が行うことになるだろうが。
「可能性として、呪いを持ったなにかが病の原因なのだろうか」
「そうね。呪いをかけられたなにかが、不浄を撒き散らして周囲が病になっているのでしょうけれど、集団で呪いにかかっているというのもあり得るわ」
呪いを行うのに、動物を使ってなにかを呪った。その動物が呪いで動き、不浄を周囲に与えている。呪いを受けるほど接近すれば、動物でも人でも呪いの影響を受ける。馬房の馬のように。
子爵家に来る前に襲われた際、騎士は呪われて、そのまま死んでしまうところだった。傷を受けてそこから不浄を取り込んでしまったからだ。接近程度であれば不浄によって病になったかもしれない。
「呪いの媒体が増えているのは確かだけれど」
「それではどんどん増えてしまうな」
「最初に呪いを受けたものに比べれば、薄いものになるけれどね。だからお母様やメイドは呪いの影響を受けて呪いに犯されたけれど、他の者たちは呪いの不浄に影響を受けた程度だった。それがはやり病となっているわけ」
「濃い呪いに近づけば、その呪いを受けるということか。薄い呪いであれば不浄、体を悪くすることになる」
どちらにしても、放置していれば影響は増えてばかり。不浄を消し、呪いの媒介者ではなく、その大本を根絶する必要がある。
「早めに神殿に報告しに行った方がよさそうだな」
「私が行ってくるわ。気になることが多いし。それにしても、」
エヴリーヌは扉の前で部屋をながめる。わかっていて、わかっていなかった事案だ。泊まりになれば当然想定できることだが。
部屋は一つ。ベッドも一つ。神殿以来の危機である。
「わ、私はソファーで」
「君がベッドだ。疲れているのだから。今日は酒を飲んで過ごすとか言わないだろう?」
病気の母親がいるのに、酒を飲んでなにかあった時に困ると思うのか、カリスがちくりと釘を刺してくる。両親に酒飲みだと思われたくないので、朝まで飲む気はないが、酒でも飲まなければ同部屋はつらい。特に、今は曖昧な状況であるからして。
「いいからベッドで寝てくれ。好きな人をソファーに眠らせられない」
さらりと言われて一瞬固まってしまった。カリスはエヴリーヌに気づくと、フッ、と余裕の笑みを見せてくる。吹っ切れすぎではなかろうか。
「え、と、じゃ、か、けものを」
「ありがとう。最初を思い出すな」
最初とは、もしかして、初夜のことだろうか。あの時もカリスは結局ソファーで眠った。あの時とは状況が違ってきている。お互いにぎこちなく一つの部屋で眠ったが、今はエヴリーヌだけまごついていて、カリスはうろたえることなくソファーにクッションを置いた。
(恥ずかしがってるのは私だけ? 返事待ちとはいえ、二人で同じ部屋で過ごすのに)
そんなことを考えてしまって、恥ずかしくなってくる。返事を保留にしているのはエヴリーヌだ。カリスは無理強いせず、待っていてくれている。これで、同じ部屋なのに気にしないの? と問う方が失礼だろう。
受け身になっているくせに、カリスが冷静なのを不満に思っているのに気づいて、恥ずかしくて暴れそうになる。まだ答えを出していないのはエヴリーヌなのに。
「エヴリーヌ? 体調でも悪いのか?」
「大丈夫よ! おやすみなさい!」
「そうか? 暖かくして眠ってくれ。寒くなっているからな。おやすみ」
エヴリーヌはカリスに背を向けて横になれば、布が擦れる音が届く。その音が止んで、静寂が広がった。
子供みたいだ。恥ずかしがって、顔を背けるなど。
「あの、カリス、今日はありがとう」
「気にすることはない」
起き上がって礼を言えば、カリスもまた起き上がって微笑んだ。
いい加減、答えを出さなければならない。